き話「金柑」
同僚から金柑のお裾分けを貰った。
「ウチで沢山取れた」と嬉しそうに語る同僚を前に、「金柑はあまり好きではない」などと言える筈もない。
俺は無難に感謝の言葉を口にし、結局七個もの立派な金柑を持ち帰る事となったのだ。
「うーん……」
帰宅後。
洗って皿に盛ったは良いものの、やはり食べる気にはなれなかった。
そもそもミカンと違って果肉が少ないのが頂けない。
皮の食感と苦味の強さも苦手だし、高確率で種が入ってるのも面倒臭い。
「絶対に嫌」という程ではないが、この飽食の時代にわざわざ食べようとはどうしても思えないのだ。
暫し金柑を見つめた末、俺は「まぁ後で」と風呂に向かった。
しかし、いざ風呂から上がれば酒とチーズのつまみが欲しくなる。
「寝る前には食おう」と思ったが、テレビを観る内にその考えは消え去り──
次に金柑の事を思い出したのは朝だった。
流石に同僚に悪い気がして一個位は食べようかと迷ったが、出勤前にテンションが下がる事はしたくない。
結局、帰宅後に食う事にした。
同僚にはこれまた無難に「美味かったよ」と適当な感想を伝えた。
罪悪感はあったが仕方ない。
金柑を食す良いタイミングが無かったのが悪いのだ。
そう心の中で言い訳をして、いざ帰宅。
俺を待っていたのは勿論、ダイニングテーブルの上に鎮座したままの金柑である。
「……先に飯食うか」
朝に見た時と全く同じ状態の光景に、罪悪感より面倒臭さが上回ってしまった。
しかも結局「食後のデザートに」「やはり晩酌のつまみに」「やっぱり明日の朝食に」とズルズル引き伸ばす始末である。
どうにも気が乗らないのだから仕方ない。
そんな煩わしさすら芽生えてきた金柑の存在も、三日目となれば日常風景の一部に溶け込んだように思えてしまうものである。
自分でも「いい加減食べないと」とは思っているのだが──
俺は金柑を少し触って硬さを確認してから出勤した。
まだ萎びてない事にホッとしたのは「まだ美味しく食せる可能性があるから」なのか、「腐るまでまだ猶予があるから」なのか──
とにかく今日こそは食おうと心に決め、俺は酒のつまみも買わずに帰宅した。
そして手洗いもそこそこにテーブルに向かうと、すぐに違和感に気が付いた。
「あれ?」
金柑の山が明らかに小さい。
困惑しながら数えてみると、金柑は五つに減っていた。
昨日の夜に食べたかと記憶を疑うも、すぐに思い直す。
俺は絶対に食べていない。
ネズミやゴキブリかとも思ったが、家は新しめの賃貸だ。
いずれにしろ、こんなに綺麗に二つの金柑だけを食べるとは考え難い。
ならば侵入者が食べた説が有力である。
念の為に全部屋を確認したが異変はなく、ただ金柑が二個消えただけのようだった。
俺は非モテの地味メンだし、ストーカー説もないだろう。
こうなると疑わしいのは自分である。
例えば夢遊病的な感じで俺が食ったとか?
だがその可能性も低そうだ。
だって出勤前には確かに金柑に異変は無かったのだから。
「何なんだよ……」
とにかく気持ちが悪い。
完全に食欲が失せた俺は金柑に手をつけず風呂場に向かった。
「はぁ……」
入浴しても気持ちは全然落ち着かない。
まさか幽霊でもいるまいしと、散々な思いでリビングに向かった時だった。
ジュル、ジュルッ
ジュッ ズッ
「!?」
咀嚼音が聞こえた。
リビングの扉に手を伸ばしかけていた俺は、そのままの姿勢で固まってしまう。
中に 何かが いる。
グチュ、と続く品の無い音は間違いなくリビングから聞こえている。
まるで水分の少ない果実をむさぼり食うような音だ。
俺はすぐに金柑が食されているのだと直感した。
しかし、誰が?
震える体に鞭を打ち、俺は思いっきり扉を開く。
パニック故の無謀な行動だったのだが、幸か不幸か俺の勇気は肩透かしに終わる。
「え、え?」
そこには誰も居なかった。
窓も閉まっていて割られた形跡はない。
ただ、金柑が残り一個になっていた。
「何なんだよ……何なんだよ!」
扉を開ける直前まで確かに何者かが咀嚼していたのだ。
なのに姿はない。
訳が分からなすぎておかしくなりそうだ。
「くそっ!」
俺は寝間着用のボロTシャツ姿のまま鞄を引っ掴む。
一刻も早くこの家から離れたかった。
スマホはどこだと意識を逸らしたのがまずかったのだろう。
ダイニングテーブルに背を向けた瞬間、グチュッと生々しい咀嚼音が部屋に響いた。
グチュ ズッ
食べている 何者かが、
俺のすぐ後ろで 金柑を──
「う、うわぁぁっ!?」
堪らず悲鳴を上げて振り向いた瞬間、「プッ」という音と共に額に何かが飛んできた。
「あだっ!?」
その直後に聞こえたのはカランッと小さな落下音。
目前のダイニングテーブルには誰もおらず、金柑は皿だけを残して跡形もなく消えている。
額を抑えながら床を見れば、足元に金柑の種が一粒落ちていた。
それ以降、不思議な事は起きていない。
アレがもう家に居ない事を祈る。