か話「噛み切れない」
高三にしてようやく、我が人生初の彼女が出来た。
彼女は一つ下の後輩だ。
購買部でパンを買いに行く度に目が合う事から気になり始めたのがキッカケだった。
勇気を出して声をかけたのも、告白したのも俺からだったが、彼女はいつもはにかみながら頬を染めて受け入れてくれた。
そんな控えめで可愛い彼女が、なんと俺の為に弁当を作ってきてくれるという。
彼女の手を煩わせてしまう申し訳なさもゼロでははないが、それ以上に喜びが大きい。
なにせ「彼女からの手作り弁当」だなんてリア充イベントを高校在学中に経験出来るのだ。
購買部で商品を取り合う奴らへの優越感も凄い。
俺は「無理はすんなよ」なんて格好つけながらも、脳内は小躍り状態であった。
そんな感じで待ちに待った弁当デー。
俺の為に購入したという大きめの弁当箱は、まさに宝箱と言っても過言ではない程に輝いて見えた。
勿論、素晴らしいのは箱だけではない。
むしろ中身こそ最高の出来であった。
「すげぇ、おかずがこんなに! 美味そう!」
「ふふっ、初めてだから気合い入れすぎちゃった」
「マジでめっちゃ嬉しい。ありがとな!」
大きなハンバーグにポテトサラダ、アスパラのベーコン巻きに卵焼き、タコさんウィンナー……
色とりどりで見た目も華やかなのが女子力高い。
「ポテサラうめぇ、卵焼きもうめぇー! 甘さが最高!」
「やったぁ。ハンバーグも自信作なの、食べて食べて!」
嬉々として勧められるまま、俺は思いきりハンバーグに齧りつく。
濃いめのソースが絡みついて、柔らかくてジューシーで。
なる程、自信作というのも頷け──
グニッ
突然、噛み切れない何かが歯に当たった。
何だこれ?
ハードグミのような、ゴムのような?
固い脂身か軟骨か何かか?
大きさがさくらんぼの種程度と小さかった事もあり、俺は深く考えずに飲み込んでしまった。
キラキラとした笑顔の彼女に水を差したく無かったというのもある。
謎の塊はその一つだけだったようで、その後弁当は美味しく完食した。
というか、食事を終える頃にはそんな塊の事などすっかり忘れてしまっていた。
その事を思い出したのは一週間後──
彼女が「これからは週一でお弁当作ってあげる」という約束を実行してくれた日であった。
「ジャーン、今回は中華で頑張ってみましたぁー!」
「うわぁ、今回もすっげぇ豪華!」
チャーハンにシュウマイ、春巻きに春雨サラダ、白身魚か何かのフライ──
初回同様、俺は馬鹿の一つ覚えみたいに「美味い美味い」とおかずを堪能していく。
やがて二つ目のシュウマイを咀嚼していた時だった。
グニッ
??
一週間前を思い起こさせる、噛み切れない何かの感触──
何だこれ?
グニグニ
今回は噛み切ろうと何度か咀嚼するも、頑固な弾力がこちらの思惑を拒絶する。
噛み切れそうで噛み切れねぇ。
幸か不幸か、今回の塊も小梅程度の小さなものだったので飲み込む事にした。
いつまでもグニグニ咀嚼していたら楽しげにお喋りしている彼女に悪い気がするしな。
そんな俺なりの気遣いだったが、三度目となると流石にスルーし辛くなる。
更に翌週の「手作り弁当デー」にて、もはやお決まりのような塊に出会ってしまったのだ。
入っていたのはロールキャベツ。
弁当用なのか、汁気が少なめに作られたソレに、例のアレが入っていた。
グニッ
グニグニ
グニニッ
いやマジで何これ?
吐き出すのは悪いという思いもあり、もはや意地で塊の正体を当てにかかる。
五度、六度と噛みしめる内に「ジワリ」と肉汁的な何かが染み出したのか、変な臭いが口内に広がった。
ぅぐ、臭っ!?
一瞬、肉? が腐っているのかと疑ったものの、何となく違うようだと考え直す。
例えるならゴムが燃えた時の臭いや、腐った段ボール、焦げた洗剤といった「自然由来の臭いとは違うもの」の臭いに感じられたのだ。
そう直感してしまったが最後、俺は彼女の目も気にせず、取り繕うのも忘れてペッと塊を掌に吐き出した。
「何だ、これ……?」
人差し指の爪程の大きさの、黒に近い焦げ茶のナニカ──
掌に吐き出されたそれは、見覚えがありそうで全く無い不思議な塊であった。
いくら異物混入で動揺したとはいえ、吐き出した物をそのまま彼女に見せる訳にもいかない。
俺は手のひらの塊を隠しつつも「なぁ……」と彼女に向き直った。
「えっ……」
そこにはこれでもかというほど目を見開いてこちらを凝視する彼女の姿があった。
先ほどまでの愛らしい笑顔はどこにもなく、まるで感情がないような虚無の表情だ。
あまりの異様さに言葉を失って固まっていると、彼女の形の良い唇がゆっくりと動いた。
「どうしたの? 食べないの?」
「あ……いや、なんか……固いのがあって、その」
「美味しいって言ったよね? 食べないの?」
有無を言わさぬ圧を感じて言葉に詰まってしまう。
俺の返答を待たず、彼女は瞬き一つする事なく静かに言葉を続ける。
「どうしたの? 食べないの? 頑張ったんだよ? 美味しいんだよね? 食べてよ、美味しいから」
「え、いや、ちょ……急にどうした? なんか変だぞ!?」
「何で食べないの? どうしたの? 食べて。食べてよ! 食べろ! 食べろ、食べろ、食べろ、食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ……」
そう淡々と繰返されてゾッとした瞬間──
「うわっ!?」
突然、彼女は弁当箱に右手を突っ込み、中身を握りしめて俺の眼前に突き出してきた。
反射的に体を仰け反らせれば、彼女はようやく口を閉ざした。
代わりに訪れたのは気まずい沈黙と静寂。
そして唐突な別れであった。
「……チッ。────────……」
「……え?」
戸惑う俺を気にも止めず、彼女は乱暴に弁当箱をひったくると足早に立ち去ってしまった。
振り返りもしない彼女の真意が分からない。
休み時間が終わるまで謎の塊を握りしめて過ごした俺は、漠然ともう元の関係には戻れないと感じていた。
そしてその予感は的中する。
以降彼女は俺を徹底的に無視して避けるようになり、俺達は一言も言葉を交わす事はなく別れたのだった。
未練が全くない訳ではないが、一つ気になる事がある。
彼女が最後に吐き捨てた言葉だ。
『……チッ。……あと二回だったのに……』
あれはどういう意味だったのだろうか。