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未確認走行物体

「左手をご覧ください」


 バスの前方でマイクを持ったバスガイドが乗客の視線を誘導する。


 乗客の一人であるキクコは歳相応の反応速度で、ゆっくりと左側の車窓へと顔を向けた。 バスは高速道路を走っており、車窓には高所から望む市街地が映っている。 先程まで防音壁に遮られて見えなかったその景色には普段の生活では見慣れないものがあった。


「桂花市最大のサーキットである、桂花サーキットです」


 乗客全員の視線が移動したのを見計らって、バスガイドが説明を加える。


「コースの全長は四キロメートル。毎年四月になると、世界中からレーサーを招いての世界大会が行われる桂花市の誇るサーキットになります」


 長いそのコースにもクネクネ湾曲した箇所としばらくまっすぐ伸びた箇所の二つがあり、後者は高速道路に寄り添うようにして敷設されていた。


「おや、どうやらテスト走行をされているようですね」


 バスガイドの言う通り、まっすぐ伸びるそのコースを一つのF1マシンが走行している。 ちょうどカーブを曲がっているところで、これから直線のコースを走ろうとしているところだった。


「ちょうどいいタイミングですね。ではこのバスとF1とで競争してみましょう」


 F1の位置はバスよりもずっと背後にあって、同じスタートラインに立っているとは言い難かったが、それでもハンデとしては十分だった。


「それではヨーイ……ドン!」


 F1がカーブを曲がり切ったタイミングでバスガイドがスタートの合図を出す。


 程なくして、乗客の中から感嘆の声が上がった。 直線のコースは全体の四分の一、おおよそ一キロメートルになる。 F1は驚くべき速度で追い上げ、既にその半分を走破し終えていた。 バスは残り五百メートルの位置にあり、このペースで行けば、F1はまもなくバスをぶっちぎってゴールテープを切るだろう。


 否がおうにも乗客たちのボルテージが上がっていく。


「カウントダウンを始めましょう」


 年甲斐もなくはしゃぎ始めた乗客たちの雰囲気に当てられて、バスガイドがカウントダウンを始めた。


「5!4!」


 そのときキクコの目の端に妙なものが映った。


 直線コースのすぐそばには一般道が通っており、割合交通量の多い道なのか、それまでも乗用車が走行しているのがよく見えていた。


 だが今回は違う。


 F1のはるか後方、一般道を猛スピードで移動する何かがあった。その速度は明らかに常軌を逸しており、最高速度三百キロ以上にもなるはずのF1カーを背後から猛然と追い上げるほどのスピード。


 キクコは目を凝らして、正体を確認しようとする。


 車だろうか?


 だが、車ではありえなかった。


「3!」


 他の乗客たちも謎の高速度物体に気づき、視線を注ぎ始める。


 気づいていないのは今や意気揚々とカウントダウンをしているバスガイドのみ。


 音速に達しようかというそれは今や、F1のすぐ後ろに迫っており――。


「2!――」


 バスガイドがそう言い放った時にはそれは既にF1もバスも追い抜いて、直線コースを走破していた。


「おおおおおおぉぉぉ~~!!」


 耄碌しつつある乗客たちの間で拍手と歓声が上がった。


「1!0!F1マシンの勝ちです!!」


 彼女は窓外の決着を眺めることなくそう言い放った。 F1が勝利することを確信していたバスガイドにとっては確認するまでもないことだったためである。


 最後の数字へと至る前に、歓声が上がったことに疑問を覚えないでもなかったが、乗客たちの年齢が年齢なので、そういうこともあるだろう、と考えた彼女はサラリと流した。


「すごく速いわね~」


「ね~」


 すぐそばの席でそうやり取りしているのをキクコは聞き取った。


 どうやら彼女らは老いらくの認知機能と視力の低下により、見事一位をもぎ取ったダークホースが何だったのかが分からなかったようだ。


 とんでもない速度で走行していたため、認識できなかったとて無理はない。


 しかし、年の割にしっかりとした動体視力を持つキクコには分かっていた。


 F1を追い抜いたのは。


 身長二メートルにも及ぶ巨体の。


 人間だった。


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 横断歩道そばの側道がにわかに騒がしさを増す。


「ああ~~~、赤んなっちゃったよ!おめえがおせえから!」


 側道に下校中の小学生が集まっていた。


「仕方ないでしょ、たっちゃんがわたしの靴脱がしたんだから」


 上手くフィットしない靴をいじりながら少女が答える。


「ここの信号めっちゃ待たされんだぞ!」


 たっちゃんと呼ばれた少年が反対側に立っている歩行者信号を指さして怒鳴った。


「二分だぞ!二分!」


 たっちゃんは着けてもいない腕時計をアピールするように、左手の手首を示す。


「待てばいいじゃん」


 仏頂面の少女は履き終えた靴の具合を確認している。


「早く帰ってポケモンやりたいのに~!!!」


 地団太を踏んで抗議の意を露にするたっちゃん。憤慨した様子を見せていた彼だが、しばらくすると悪い顔をして少女に向き直る。


「信号無視しちゃお~っと」


「駄目だよ、たっちゃん!」


「駄目なことなんてあるもんか」


「こんな衆人環視の中で信号無視なんかしたら、他の子が先生にチクっちゃうよ!やるならもっと人通りが少ないところで!真夜中だと尚良し!!」


「お前って見た目に似合わず、結構ずる賢い性格してるよな。ま、なんでもいいや。俺は先、行ってるからよ――」


 言いつつ、横断歩道へと踏み出すたっちゃん。


「それじゃ、また後で――」


 少女の方に振り返って後ろ歩きをしていた彼のすぐ背後を何かが通り過ぎた。


 ほとんど一瞬だったのと、たっちゃんに気を取られていたというのもあって、少女には通過した車ではない何かがニメートル大の大きさだということしか分からなかった。


 ただ。


 そんなことは今の少女にはどうでもよかった。


 なぜなら少女の目前には得意げな顔をする素っ裸のたっちゃんがいたからだ。


 猛スピードで通り過ぎていった何かはそのあまりの速度故、近くにいた彼の衣服を散り散りに破いていってしまったのだった。


「「…………」」


 台風一過の横断歩道。


 この後、二人分の悲鳴が辺り一帯に響き渡ったことは言うまでもない。


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(よし、こんなところだろう)


 朝九時から始めた再舗装工事を男は終えようとしていた。


 施工場所は桂花女学院というお嬢様学校の敷地内にある駐車場。この駐車場は随分使い込まれていて、亀裂の入っている箇所が多数あった。設備の補修工事ということで、街の外れで細々とやっている男の所属する会社に白羽の矢が立ったのだった。


 舗装の要領は虫歯の治療と同じ。患部を削って、代わりの詰め物を用意する。だが、地面の舗装が虫歯の治療と違っている点は、詰め物が乾くまで時間がかかる、というところだ。


 一度目はコンクリートを塗り始めた時、茂みから猫が飛び出してきて足跡を残していった。これはまだ塗り始めだったため、塗り直せばそれでことは済んだ。二度目は全体にコンクリートを塗り終えて、養生中のこと。またもや茂みから猫が飛び出してきて、足跡を残していった。


 流石にこれ以上の狼藉は見過ごせないと言うことで、施工箇所の周囲に簡易的ではあるが柵を巡らせ、猫の侵入を阻止することと相成った。


 そして今、男は補修を完了した。


 これ以降は邪魔者の侵入もあり得えない。


 仕事を終わらせた後に、どこへ飲みに行くかを夢想していた男に突風が吹きつける。それは茂みからやってきて、校舎の方面へと吹きすさんでいった。


 埃が目に入った彼はしばらく目をしばたたかせていたが、やがて瞼の裏の異物感が取れて、視界がクリアになる。


「嘘だろ……」


 視界を取り戻した彼がまず目にしたものは、足跡だった。


 今回は猫ではなく人間のもの。


 よく見ると周囲に巡らせていた柵も倒れてしまって滅茶苦茶な有り様だ。


「これはまた……デカい猫が通ったみてえだな」


「社長……」


 再び補修の必要が生まれた箇所を前に立ち尽くす男。その傍に社長が歩み寄っていた。


「こりゃ一体何センチだ?」


 社長がかがんで例の足跡を仔細に眺めている。


 言われて改めて見てみると、その足跡はそんじゃそこらではお目にかかれないほどのサイズを誇っていることに男は気づいた。


「五十……いえ、六十はありますね」


「ふ、これはあれだろ?ビッグフットの足跡って奴だろ?」


 苦笑を漏らす社長は冗談半分でうそぶく。


「はは、よしてくださいよ――ん?でもこれ……」


「どうした?」


「いや、この足跡なんですが、ローファーじゃないですか?」


 養生中のコンクリートに刻まれた靴跡は、確かにローファーのアウトソールの形をしていた。


「……言われてみれば。すると、あれか?」


 社長は校舎を振り返ってこう問うた。


「この学園にはビッグフットが通ってるのか?」

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