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ソレ

 ソレは廊下を歩く。


 終業して二時間にもなる桂花女学院、帰宅のために行き交う生徒で溢れかえっていた廊下は閑古鳥が鳴いていた。それでも時たま通る生徒によって床に滞留した埃が巻き上げられる。しばらくすると埃はまた床へと舞い戻ってくる。


 そんな廊下を歩く。


 ソレはすれ違う生徒を横目で観察していた。


 髪型、眉、目元、鼻筋、唇、顎、肩、胸元、腹部、大腿、ふくらはぎ、足指。不審に思われないようにさりげなく、しかし詳細に、上から下まで舐めつくすように、女生徒を検分する。


 一瞬、すれちがう一瞬だ。蛇口から漏れ出た水滴がシンクに落ちる、そんな刹那の内に、女生徒の外見はすっかりソレの頭の内に収められた。


 通り過ぎると、興味を無くしたように次の生徒へと標的を定める。


 ソレの目的は性的な満足というよりかは、職業病、という方が近かった。


 廊下の先を歩いてくる女生徒がまた一人。ただの通行人を装って、遠目で彼女の容姿を盗み見る。世間的には美人と評される顔立ちと言えた。今後役に立つかもしれない。ソレは頭の片隅に彼女の外見情報を刻み込んだ。


 情報収集が存外早くに終わったソレは品定めに入る。


 本堂京香。十四歳、桂花女学院の二年生。父親が本堂フーズという大手食品メーカーを経営している。時価総額三千億円の大企業。


「…………」


 ソレは思案する。


 何度も通用するほど、易いものではない。回数を重ねれば、それだけバレやすくなる。同じ場所にとどまり続けて、同じ行為に及び続けることの危険性をソレは経験上、知っていた。


 時価総額三千億円。天下のお嬢様学園である桂花女学院を狩場として、この金額は少し物足りないようにソレには思えた。しかしあまりまごついていてもことは成せない。


 ソレは決断する。


 すれちがう通行人、ソレによってもたらされる恐怖など知る由もなく彼女は通り過ぎる。しばらくしてソレは来た道を取って返した。もちろん、少女を追跡するためだ。


 本堂京香の父親の顔を思い浮かべる。頭のてっぺんからつま先まで、子細にイメージし終えると――――。


 ――――人の気配を感じる。顔に当てていた手を慌てて離したソレは昇降口の外へと視線を走らせた。


「――――」


 見つめる視線の先、昇降口を超え、校庭を横切った先、校門前に問題の人の気配はあった。車が横付けされており、二人のスーツ姿の男が何かを車の中に運び込んでいた。見知った顔だった。 ひとまず胸を撫でおろす。


 それにしても、と考える。校門前であのようにチンタラと誘拐をされては、監視カメラで面が割れてしまう。一体何を考えているのか。芋づる式で自身にも累が及ぶことをソレは懸念する。


 とにかく、こうなった以上、ソレも手早く仕事を済まさなければならなくなった。意識を廊下の先を歩く標的に移したのと合わせて、視線を外そうとする。


 だが、ソレの目を釘付けにしたものがあった。


 先刻から、仲間が車に運び込もうと苦心している何か。何かは地に横たわっていた。ソレのいる場所から見ても相当巨大であることが分かる。虹彩のピントを合わせて、更に詳細な情報を集めた。程なくして地に横たわっている何かは実は地に倒れ伏している誰かであることが判明。そこまで来ると、誰であるかは時を置かずにソレの知るところとなる。


 鳴滝伸也。


 誰かは制服を着ていた。他の生徒の及ぶべくもない巨体を誇っていた。この二点が決め手となる。二人に持ち上げられて、顔が露になった。思った通り、鳴滝伸也であった。


 ソレは口角を持ち上げる。標的に向けていた意識はすっかりと霧散していた。その代わりとでも言うようにある名前がソレの意識を占める。


 有栖川玲香。


 言うまでもない大財閥の令嬢、ソレが聞いたところによると桂花女学院も買収したとのこと。もし彼女を餌に身代金を吊り上げることが出来れば、一攫千金どころではない、一生遊んで暮らしたとて使いきれない量の金額を手にすることになるのだ。妥協の余地などない。これ以上ない程の最高の獲物だった。


 考えれば考えるほどチャンスであることが肌で感じられる。


 しかし、ともソレは同時に思う。差し当たって問題になるのが有栖川玲香の所在であった。今現在、校舎のどこにいるのか。もしかすると校外に出ている可能性すらある。


 ――――いや、それはない、と断じる。


 ボディガードもつけずに校外をうろつくとは考えにくかった。そしてそのボディガードは今、校門前で地べたを這いつくばっている。大方、何かの用事で玲香の元を離れたボディガードが誘拐の現場を目撃してしまい、口封じのために余所へと移されるところなのだろう、とソレは推測。見た目程強くはなかったのだな、と思考を締めくくり、再び歩き始める。


 向かう先は人目のない場所。有栖川玲香をもてなすのだ。まずは”容姿を整える”必要がある。念入りに、慎重に、失礼のないように。


 準備が整ったら、彼女を迎えに行くこととする。そのための時間は十分すぎるほどあった。


 ソレは人気の絶えた廊下でひとりほくそ笑んだ。


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「玲香。もう帰るのか」


 鍛え上げられた胴体、そしてそこから伸びる堅牢な四肢。それら重厚な鎧のてっぺんに鎮座する幼馴染の顔。わたしとの間にあった距離をあっという間に縮めて、改めて声を掛ける。


「同級生と話し込んでたみたいだな。友達はできたか?」


「ええ、そうですね」


「それは良かった。楽しく学園生活を送れそうで何よりだ」


「そういうあなたはどうなんですか」


「俺か?」


「友達はできたのか、という意味ですよ」


「俺は玲香のボディガードだ。必要以上のことを学園生活に求める気はない」


「そう……」


 軽く嘆息すると、ポケットに突っ込んでいたスマホが着信を知らせた。わたしは画面から発信者の名前を確認する。


 ワンコール。


 ツーコール。


 スリーコール――。


 確認し終えると、着信に応じることなくポケットに仕舞いこんだ。応答を嘆願するスマホの着信音はその後も空しく鳴り続けた。


 ――これでいい。


「……出なくていいのか?」


 廊下に響き渡る着信音、にもかかわらず一向に電話に出ようとしないわたしを不審に思ったのか、ソイツはそう尋ねた。


「いいんです。それよりも――」


 かねてより疑問に思っていたことを口にする。


「どちらさまですか?」


 窓の外でカラスが飛び立つ。ほんの一瞬、夕日を遮って、ソイツの横顔に影を落とした。穏やかな静寂が張り詰めた緊張に取って代わり、日常と非日常の境目を跨ごうとしているのが如実に感じられた。


 ソイツはどう答えたものか迷っているようで、口を半開きにして、何事か呟こうとしている。ソイツが口を開いたのはたっぷり十秒もの間をおいてからだった。


「どちらさま?」


 首をかしげて自己弁護を始める。


「何を言ってるんだ、玲香。俺だ、伸也だ。それとも俺を担いでるの――」


 わたしは言い訳を遮って、喉元を指さした。


「まずその声」


「声?」


 ソイツは自分の首を指さす。


「いつもより半音高い」


 表情を変えずに、わたしの説明に傾聴する。


「それからその歩幅」


 指先を下方へ向け直して、足元を示した。


「いつもより五センチ短い」


 挙げていた腕を下ろして、口を閉じると、辺りに静寂が戻る。


 わたしの口からそれ以上言葉が出ないことを気取ったソイツはおずおずと口を開く。


「たったそれだけか?」


 無言で首肯する。


「たったそれだけで、俺が鳴滝伸也じゃないと言い張るのか?」


「……」


 わたしは沈黙を守って、ソイツの目を見つめ続ける。


 ソイツもまた品定めをするようにわたしと目を合わせた。


「――――」


 無表情を保ち続けていたソイツは軽薄な笑みを浮かべる。


「まさか俺の変装を見破るやつがいるとはな」


「バレバレ」


「声の高さと歩幅の広さ、か。普通気づかんだろ。何て記憶力してやがる」


「あなたの記憶力が悪いだけでは?」


 こめかみがひくつく。


「言ってくれるな。まあいい――」


 ソイツはわたしに一歩近づく。


「――この場にお前の護衛はいない。お前の記憶力がどれだけ優れていようと、俺からは逃げられん」


 わたしは身じろぎ一つせず、目の前の何者かを見上げる。


「俺を目の前にして怯えた様子一つ見せない。大した女だ。とにかく大人しくしていろ、そうすれば危害は加えない」


 ソイツは手を伸ばしてわたしの腕に触れようとする――。


「スリーコールよ」


 こちらに伸びていた腕が動きを止める。


「何だ?」


「スリーコールって言ったの」


「何が言いたい」


「伸也に言ってあるのよ、スリーコールで出ない時は――」


 窓辺から差していた夕日が影で覆われる。


「緊急事態だって」

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