学級崩壊 1
ごきげんよう。
毎度おなじみの山田花子でございます。
もはや恒例となりつつあるわたくしの独白でございますが、非常に不愉快なことに、あの忌々しき男、鳴滝伸也の描写に紙面を取られ、あまつさえわたくしに危害が及ぶことが半ばお約束となっています。
しかしご安心ください。今わたくしの座す席は静かな教室を構成する一つのパーツであり、チョークが黒板を叩く音が規則的に響く様はのどかな雰囲気漂う授業風景をすぐさま彷彿とさせます。そうです、わたくし、ひいてはわたくしたちは、自教室にて副担任の担当する現代文の授業を受けており、何ら暴力の香りを感じさせることのない日常に身を置いているのです。
更に喜ばしいことに件の問題児である鳴滝伸也。彼は今日欠席しているではありませんか。通路側から二番目、一番後ろの席に座しながら、右斜め前方に見える空白の席を愉悦の表情で眺めます。
つい昨日起こった誘拐事件。彼のおかげで事なきを得たわけですが、同時に彼さえいなければ被らなかった被害もありました。感謝の念を抱きつつも、疫病神としての側面を無視することもできない。
そんな彼が今日は欠席ということで、入学以来初の穏やかな一日を送れることが確定しているのでした。
鳴滝さんが欠席している理由までは分かりません。心配をするわけではないのですが、彼の動向には気を配っておくべきでしょう。
何はともあれ、わたくしはイマココの平穏無事な幸福を享受することに意識のリソースを割くことと致しましょう。
……とはいえ、そうした日常に身を浸してみると背後から忍び寄ってくるものもあります。退屈と呼ばれるものです。わたくしもそうした感情にそそのかされて、板書のかたわら、ノートの隅に漫画を描いてみたりなどするのでした。
内容はこうです。
裕福な家庭に生まれたいいとこのお嬢様であるヒロインは危機を救ってくれたヒーローと熱い恋に落ちます。しかしある時ヒロインは親の決めた許嫁と結婚することを強制され、ついには結婚式までこぎつけられてしまいます。
つたない画力ではございますが、何とかそこまで描き上げました。
さて、ここらが山場です。シーンは教会で、神父によって双方の愛の誓いを確認するところから始まります。ヒロインは嫌々ながら、許嫁は嬉々として愛の誓いを口にしました。二人の誓いの言葉を確認し終えた神父はその次のステップを促します。
すなわち誓いのキスです。二人の唇が触れ合おうかというその刹那、参列者たちの目を引く影がありました。その影はステンドグラスの向こうから近づいてきてそのまま、装飾に彩られたグラスを突き破ります。
そう、ちょうど今、教室の窓に接近している巨体のように……。
認識が追いつくより先にガラスの割れる音が耳にこだまします。漫画のコマ割りに悩んで、何とはなしに窓の外を眺めてみればこの有様です。
クラスメイトたちも何事かと周囲に視線を巡らせています。やがて教室中の視線が一人の巨体に集結します。巨体は窓を突き破った後、教室前部に転がり込み飛び散った破片とともにうずくまっています。そもそもこの教室は二階に位置しているのですが。この巨体は一階から飛び上がってきたのでしょうか?
……。
巨体はしかし、よく見てみれば見覚えのある体つきをしていました。
「あ、あの……」
担任教師が意味をなさない呼びかけで巨体に話しかけます。巨体は呼びかけに応えるようにゆっくりと立ち上がりその顔を露にしました。
「遅刻してすまん」
その正体はやはりというべきか、鳴滝伸也その人でありました。
わたくしは嫌な予感というものをこれほどひしひしと感じたこと、かねてよりございません。
そうです。
早く逃げませんと。
という危機感を胸中で抱いている間に、鳴滝さんは右の拳を副担任めがけて繰り出していました。
さすがというべきでしょうか、ただの腕振りがこちらにまで微風が届くほどの威力です。
さて副担任はそれに対して、とても本学院の一教師とは思えぬ機敏な動きで避けます。
「何をするんですか!」
当然、抗議の声を上げる副担任。
そんな彼女を一向に意に介さず、鳴滝さんは返答する。
「教室に不審者が紛れ込んでいたものでな」
あなたのことでは?
「それはあなたのことでしょう!!」
恐らく教室中の生徒が思っても口には出さなかったであろうツッコミを鳴滝さんに叩きつけた副担任は背後へとすり足で後退しています。
攻撃をかわされた鳴滝さんは、勢いのまま移動して、ちょうど先程までの副担任と位置を交換する形になりました。さて、期せずして背後を取られてしまった鳴滝さんですが、たたらを踏んで体勢を崩すようなこともなく、即座に次の攻撃へと移行します。
動きを止める際に後傾姿勢となった彼はそのまま、打撃を繰り出すための体重移動へと変換。片足で地を蹴って、振り向きざまの裏拳を副担任へとお見舞いしました。
彼女は両の掌を重ね合わせて、鳴滝さんの拳を受け止めようとしていたようですが、結果として、ガードは意味をなさなかったようです。打撃を首尾よく受けた彼女の両手は、一瞬その威力を殺したかに見えましたが、拳の推力はとどまるところを知らず、彼女の身体ごと弾き飛ばしました。副担任は飛ばされた勢いで、窓ガラスをその土台のコンクリート部分もろとも突き崩して、ベランダに転がり出ます。
再びガラスと器物の壊れる轟音が教室を席巻し、クラスメイトたちはにわかに悲鳴を上げました。彼女らは我先にと出口を求めて逃げ出し始めます。既に出入口付近は人だかりができて、パニック状態です。
しまった、と思った時にはもう遅い。わたくしは逃走の機会を逸したのです。
ああ、何てことでしょう。あれだけ用心すべきと自戒していたのに。結局こうなってしまいました。
群集が途絶えて逃げ道が確保される頃には、わたしは無傷ではいられないでしょう。
ああ、無情。
無情……。
……であれば仕方がありませんね。
そう、仕方がないのです。
わたしは口角を引っ張って、無理矢理元の位置へと戻します。はやる気持ちを抑えて、鳴滝さんと教師、二人を収められる位置に陣取りました。
そうです、そうです。これは不可抗力なのです。
この場から離れることができないのであれば、いっそのこと彼、いえ彼女らの立ち合いをこの目でしかと見届けてやりましょう。
気持ちを切り替えて、二人のいるベランダ付近へと意識を向け直しました。
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ソレは困惑しきりだった。
なぜ教師として潜入していることがバレたのか。どこからか情報が漏れたのか。教師の変装に違和感があったのか。
「あぶっ――」
考え事をしている暇はなかった。今は眼前の敵に集中しなくてはならない。
分厚い筋肉。鎧としても機能するそれは何より、攻撃に役立つ。そんな筋肉から繰り出される右ストレートがニセシンヤを狙っている。
彼は動物的な直感でとっさに両手を重ねて伸也の”銃撃”を受けた。
直感は正しく全身を貫く。
まずは両手とそれを支える腕、次いで肩、胴体、首といった具合に衝撃が全身に波及しきった頃、ニセシンヤはベランダに転がっていた。
上半身を欄干にもたせかけた状態の彼はめまいのする両目を必死にしばたたかせる。砂埃で見通しの利かない視界の向こうに伸也のシルエットが浮かび上がってきた。
化け物、という単語が脳裏に浮かぶ。
彼は口角を上げた。
腰を上げて素早くしゃがんだ姿勢へと移行すると、もたれかかっていた欄干をスターティングブロックにして巨大なシルエットに飛び掛かる。左手を拳の形に丸めて示すと、伸也はすかさず両腕を交差させて防御の姿勢を取った。拳は目測通りに彼の腕へとクリーンヒット。伸也は姿勢を崩すことは無かったが、攻撃の威力に押されて五メートルほど後退し、その余波で彼の背後にあったいくつかの机が弾け飛んで、ノートや教科書などが辺り一面に散らばる。
もはや一目では誰のものか判別のつかない、散らかりようの中で、ニセシンヤは自身のカバンをめざとく見つける。伸也を警戒しながらカバンの中に手を突っ込み、目的の物を探り当てた。右手で触ってその感触を、直に見て、その形を確かめる。
気が付けば、伸也は防御を解いて悠然とニセシンヤを眺めていた。ニセシンヤの右手に握られているものに、動じた様子はない。伸也はこちらに仕掛けてくるわけでもなくやはりニセシンヤを見つめているだけだ。相手が守りに入るというなら、こちらは攻勢に出るとしよう。そう考えたニセシンヤはまばたきの間に、相手との距離をニメートル縮める。
伸也に動きはない。
残りニメートル。
ここまでは反応できずに動けなかったという線もある。
残り一メートル。
しかし伸也の目は確実にこちらの動きを追っている。
残り零メートル、接敵。
伸也はすぐそこに危機が迫っていることを知らないかのような面持ちで敵を睥睨している。ニセシンヤは腕振りで加速していた右手をそのまま伸也の脇腹めがけて打突した。
その手に握られたスタンガンと共に。スタンガンは衣服越しではあるが伸也の素肌に食い込み、それを視認したニセシンヤはスイッチを入れた。
すると、屹立していた巨体は痙攣を起こした後、床にくず折れる――。
そのはずだった。
いつまでたっても想定していた反応が現れない。どころか、伸也はダメージを受けた素ぶりすら見せない。
スタンガンが壊れたのかと、ニセシンヤは何度もスイッチを入れてみるが、そのたびバチバチという威嚇音が聞こえてくるため、しっかりと動作しているようだということが分かった。
スタンガンの不具合ではない。間違いなく正常に動作している。だが、伸也が硬直している様子もない。
制服に何か細工がされている可能性もあった。彼は天下の有栖川財閥直属の護衛である。絶縁仕様の特注品を着用していてもおかしくはない。
考え事に耽っていたニセシンヤは頭の上に何かが載っていることに気づいた。頭上の何かを確かめるべく、彼は視線を上方へ向ける。
すると、そこには伸也の人差し指が添えられていた。




