異物混入
『えっ!?僕が女装して男子禁制の女子高に潜入!?』
『そうよ。あなたなら大丈夫、私がかわいく仕上げてあげるから』
『くそっ。本当に潜入することになるとは』
『ちょっとあなた』
『(バ...バレたか...?)』
『リボンが曲がっていてよ。身だしなみには気をつけなさい』
『は、はい...』
『僕の女子高生活は前途多難だ...。いったいどうなっちゃうのーーーー!!』
不意に画面が暗転して、ゲームをプレイしていた男の顔がディスプレイに写る。 男の顔のパーツは互いに相争うように、それぞれの存在を広大な大陸の上で主張していた。中部では何百年と鎮座し続けてきた巨岩のような威厳ある鼻が、その南部ではいったい何が不機嫌なのか、今にも解き放たれんとする弓矢のように力強く引き絞られた唇が。鼻を飛び越えたさらにその北部では、どんな人間もすくみ上らせること請け合いの鋭利さを持つ瞳が覇を唱えていたが、しかしその目元は彼にとってはついぞ浴びたことのないブルーライトの侵略を受けて、現在水害の憂き目にあっている。
このように彼の顔かたちは個々の部位が主張を強めていたが、全体として拮抗状態にあるため、精悍と呼ばれるような調和が維持されていた。
彼はなぜ急に画面がブラックアウトしたか理解できず、ラップトップPCを軽く叩いてみた。
「あ」
ディスプレイが吹き飛んだ。
「まずい。借り物なんだぞ」
ラップトップPCの画面が落ちたのは充電が切れたためだったのだが、PCを初めて使う彼がこの原因に思い当たるはずもなかった。 それから彼はすぐさま、吹き飛んで無残にもその面影を残すのみとなった元ディスプレイを拾い上げて、キーボード部分と接続させようと試みる。
が、中々つながらない。 元々くっついているのが当たり前の製品なのでそれも当然である。
四、五分程度、そうした無益な努力に時間を投じて、それでも叶わないと思い知った彼はせめて、キーボード部分に横付けされていたDVDドライブのゲームディスクを回収しようと、手を伸ばす。
と、その時、同じ机の上に置いていたデジタル時計の表示に面食らって、急いで登校の支度に取り掛かることにした。 先刻の件など頭から抜け落ちて、取るものもとりあえず、彼は衣類のまとめてある私室の一角へと半ば駆けるような速度で向かう。
スタンドに掛けていた桃色長髪のウィッグを手に取り、人よりも一回り大きい頭に載せた。 サイズの合っていないブラウスのボタンをば半ば強引に留めて、スカートのジッパーをこちらも力任せに引き上げる。手のひら大のストッキングを足の爪先からよく発達したふくらはぎ、丸太のような大腿へと通していく。 無骨な手でウィッグをより合わせヘアバンドでまとめると、精悍な顔立ちにツインテールがよく映える。
あらかた身なりを整えた彼は六畳半の隅に立てられた鏡台の前に立つ。
「完璧だな」
すると、ベッド脇のラックの上に置かれたスマホが震えて着信を報せた。 鏡に映った自身から視線を後方に移して踵を返す。 スマホを手に取り表示を見ると「玲香」の二文字。
「もしもし」
「早くしろ」
「分かった。すぐ行く」
気心の知れた軽いやりとりののち、身支度を済ませると彼は軽く息をついた。 もう一度鏡に映った自分自身を見て覚悟を決める。
軽い通学鞄を肩に掛けようと持ち上げるが太すぎる腕には通せないと思い直したらしい。そのまま片手で提げ直した。
「行くか」
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屋敷の外に出て正門に着くと待ち人が佇んでいた。
「すまん。少し遅れた」
刺すような一人の視線が伸也を射貫く。彼女、有栖川玲香は長い髪をふんわりと背後に流し、伸也と同じ制服に身を包んでいた。
「なぜ遅れた」
玲香は静かな怒りを秘めた表情で問う。
「何分、今まで男として生きてきたもんだからな」
言いながら伸也は身に付けている衣服を指さす。
「……次からは気をつけなさい。それより」
「何だ」
「運転手が――」
言いながら綺麗な指先をリムジンの方へと向ける。 指の示す先には、ペンライトを片手に車の下を覗き込んでいる運転手の姿があった。 持ち上げていた手を降ろして、カバンを両手で持ち直す。
「手伝ってあげて」
伸也は彼女の頼みに無言で首肯して、リムジンに近づいていく。 徐々に運転手の相貌が露になる。
お嬢様専属の運転手として、恥じない立派な出で立ち。年輪が皴として刻まれた顔は彼の勤続年数とベテランぶりをうかがわせるが、同時に歳相応の穏やかさもひょっこりと顔を覗かせていた。 腰を痛めているのか、車の下を覗き込もうとするたび背中に手を当てているのが気になる。
「手伝えと言われたんだが」
老眼鏡の着脱を繰り返しながら、リムジンの腹下を検査していた彼はこちらへと顔を向ける。
「お前さんは?」
「鳴滝伸也だ。何か問題が?」
「ああ。実を言うと、シャーシにちと問題があってな」
伸也の風変わりなナリに戸惑いながらも運転手が車の腹下部分を指さす。
「さっきから修理しようとしてるんじゃが、この通り――」
頭から車の下に潜り込むが。
「修理箇所との距離が近すぎて見えづらいんじゃ」
車の下から出てきて、運転手は顔をしかめる。
「老眼のせいもあるんじゃろうな」
ため息をついた運転手は上半身を起こして、後頭部を頭でかいている。
「どうしたもんか――」
「それ」
「ん?何じゃ?」
「持ち上げてやるよ」
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伸也の足元から再三に及ぶ質問が飛んでくる。
「本当に大丈夫なのかえ?」
片手で車のフロントバンパーを掴みながら、伸也は答える。
「しつこいぞ。何度も言っただろう。大丈夫だ、と」
伸也は片腕で車の前面を持ち上げていた。 後輪を支点として、フロント部分だけが浮いている状態だ。 地面との距離が離れて見やすくなった修理箇所は、運転手によって現在修理されている最中だった。
ただ、運転手としてはいつ車が顔面をぺしゃんこにしてしまうのかと、時たま不安の声を漏らさずにはいられない。 そんな彼も伸也に何度もたしなめられたため、そろそろ話題を変えようかと考えて、あることに思い至る。
「――なあ、お前さん」
運転手は修理をする手を止めて、横目で伸也の着ている制服を確かめる。 胸元には可憐なリボンがあしらわれ、その下方では高価な生地のプリーツスカートが揺れている。
「何だ」
運転手の声の調子が変わったので何事かと伸也は尋ね返す。
「何で女装しとるんじゃ――」
伸也が掴んでいたバンパーを離す。
「うひゃああ!!」
運転手は迫りくる車体に悲鳴を上げた。
車は伸也の手を離れた後、重力に従って落下を開始。運転手に直撃する寸前、浮かせた右足のつま先で車のバンパーをひっかけて、落下を阻止する。修理箇所が運転手の鼻先をかすめたが、ギリギリで事なきを得た。
「ああ、すまんな。手が滑っちまった。怪我はないか?」
車体越しに少しも案じている様子のない伸也の声が届く。 恐ろしい思いで、運転手は顔じゅうをさすった。
「だ、大丈夫そうじゃ……」
どこにも痛みがなく、怪我がないことを確認できた運転手が、ほうと一息つく。そんな彼に騒ぎを傍で見ていた玲香が近づいて彼の顔を覗き込んだ。
「良かったですわね。危うくあなたの鼻まで修理しなくちゃならなくなるところでしたわ」
顔を見合わせた玲香と伸也はどちらともなく笑い出し拳をつき合わせた。 そんな彼女らを眺めながら運転手は乾いた笑いを漏らして、黙々と修理を続行した。
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わたくし、名を山田花子と申します。生まれてこの方実家が少し裕福というだけで何の変哲もない普通の人生を送ってまいりました。回転寿司ではまずマグロを、本校の学科選択では普通科を。『ミッケ』か『ウォーリーを探せ』どちらかを選べと言われたら『ミッケ』を選ぶ、そんな普通の人生でございます。
わたくしが今年度より新入生として入学することになった私立桂花女学院は格式高い歴史ある名門校です。 通っている生徒は皆様名のある家柄をお持ちで、そのことも手伝ってこの学院にはたくさんの名門のご息女が入学されます。
さて、この桂花女学院なのですが名前からもお察しできますように、男子禁制のいわゆる女子高というものになります。 当然のことながら校内で男性を見かけることがあればそれは教師の方であるか、不審者の方であるかそのどちらかということになります。
不審者の方であればどんなに良かったか。
話を戻しますと、粛々と入学式が進められたのち、教師の方のご指示で私たち新一年生はそれぞれの教室へ向かったのです。 教室に集った淑女の方々は皆、惚れ惚れするほどの育ちの良い立ち居振る舞いで、わたくし自身も居ずまいを正す思いでした。
その中でも一際目立っていたのはやはり有栖川玲香さんでしょう。 現有栖川財閥総裁のご息女でありそのご威光は言うまでもありません。それだけでなくその容姿。たなびく長い黒髪は触れれば溶けてしまいそうなほどに繊細で、すらりと伸びた手足と目鼻立ちの整った顔は、憚りながら同じ女性として嫉妬の念を抱かずにはいられません。立てば芍薬...ということわざがございます。 が、この方の前ではその言葉の月並みさを思い知らされます。彼女の纏う雰囲気を語りつくすには一言や二言では足りないのです。 それだけの存在感を彼女は持っているのです。
しかし、それは彼女の隣に立つ異形も同じことなのですが。先程から衆目を集めている巨体です。 身の丈ニメートルはあろうかという体躯。そこまではまだ良いのですがその手、足、胴体。そこから常軌を逸した量の筋肉が隆起しているのです。はちきれんばかりに発達した大胸筋は羽織っているブラウスを押し上げ、そのボタンが今にも弾け飛びそうに見えます。 胸囲を測ればさぞよい数値が出ることでしょう。
断言しましょう。この方は女性ではありません、男性です。 というか同じ人間なのか。
しかしこの方、入学式の執り行われた体育館において有栖川さんと会話を交わしていたこと、また、つかず離れず彼女の傍をついて回っていることから侍従か護衛の者であることは明白。
面と向かって彼が男性であることを指摘すれば角が立つであろうことは想像に難くありません。 ましてや有栖川さんの家はわたくしの実家とは比べるべくもない名家です。 このクラスの他の淑女の方々にも有栖川さんに物申せるほどの家柄の方はおそらくいないでしょう。
ここは教師の方に協力を仰いで――。
「……」
そこにはひきつった笑みを浮かべた無力な大人の姿があるだけでした。そうでした、有栖川財閥は今年からここ桂花女学院に多額の寄付をしていて、教師陣はおろか理事長であっても彼女に頭が上がることは無いでしょう。そもそも本校の経営陣の方々が有栖川財閥の息のかかった方々で構成されていたはずです。
まさか入学早々、こんなハプニングが待ち受けていると誰が想像したでしょうか。
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どうやら俺が男だとはバレてはいないようだな。
玲香について新入生の教室に着いた俺は指定された席に座ってそれとなく周囲の様子を伺っていた。 周囲の視線を感じる以外は特筆すべきところは無い。 ウィッグの不自然さがネックだったのだが何とかバレずにやっていけそうだ。
「――さん、鳴滝さん――自己紹介を」
知らぬ間に新入生の自己紹介が始まっていて、知らぬ間に俺の番が来ていた。この一年B組の担任になるのであろう教師が不安げな顔で俺に声を掛けている。少しボーッとしすぎたか。軽く咳払いをして姿勢を正し、できるだけ高い声を出す。
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「鳴滝伸也だ」
男性の名前を名乗りました。彼が男性であることは疑いようがありません。
それからその耳障りな裏声は控えていただきたいものです。
「得意科目は数学だ」
存外、知的でいらっしゃるのでしょうか。
「足し算ができるから」
世間では算数と呼ばれるものです。他の教科については推して知るべしということになりますか。
「趣味は裁縫だ」
意外なご趣味をお持ちのようです。
「服がよく破れるからな」
そういうことですか。
「以後お見知り置きを」
彼はスカートの両端を両手で摘んで礼をする、いわゆる『カーテシー』と呼ばれるお辞儀をして自己紹介を締めました。
教室からは取ってつけたようなまばらな拍手が散発しています。 ただいまの自己紹介で教室の空気は完全に冷え切ってしまいました。この後に自己紹介を控えている方のことを思うと本当に気の毒でなりません。
「それでは次……山田花子さん?お願いします」