案山子の溜息
聖は<大きな案山子>を後ろから抱え込んだ。
薫一人では、(大きすぎて)背中から降ろせない。
頭には傘を被り、身体は蓑で覆われていた。
(人間、入ってる?)
抱きかかえた瞬間、生々しさを感じた。
蓑の下に、骨と肉で出来たカラダの感触を。
「コイツ、何者?」
工房に入って開口一番、薫に聞いた。
明るいところで見たならば、
牧村家の<いにしえの案山子>と見当は付いた。
聖の疑問は、案山子の素性では無い。
「牧村家の、案山子様やで」
薫は案山子をソファに座らせた。
隣に腰を下ろし(ビール欲しいねん)と言う。
「そだね。話は一息ついてからだね」
「お疲れ様」
聖は缶ビールを数個、冷蔵庫から取ってくる。
「ほんまに、お疲れ様、やで。な、怖かったやろ。バイクで移動やなんて。……悪かったなあ。ほんでも、とばしたのは、しゃーないねん。極秘の搬送やで。人が見たら、ややこしいやろ」
薫は案山子に、なにやら弁解している……そして……開けた缶ビールを案山子の前に置く。
な、なんだ?
案山子を人間扱い?
聖は疑問を声には出せなかった。
<本人>を前に聞くのは失礼かと、思ってしまった。
それほどに、案山子は気配が人間くさい。
いや、コレは案山子なのか?
製造過程も素材も別物じゃないのか。
コレは……案山子じゃなくて、案山子型の人形じゃないの?
<2人>の向かいに座り、案山子の細部を、急いで盗み見る。
蓑と笠は、傷んだ箇所を補正し続けたのか、藁の色はまだら。
どちらも太い麻糸で本体にしっかり取り付けられている。
それでオートバイで、そのままの姿での運送が可能だった。
本体は……中身はちょっとしか見えない。
笠の破れた隙間から、頭部を覆っているトンボ模様の木綿。
しっかりした首が付いていて、
その首も、木綿の布で覆っている。
蓑の合わせの間から、紺色の浴衣を着せているのが見える。
下へ目をやれば、太い足が一本。
これも木綿で覆われている。
本体を覆う布はさほど劣化していない。
毎年取り替えているのかも知れない。
おそらく太い一本足は筒型。
田んぼに組んだ竹に、差し込む構造か。
普通の案山子とは違う構造。
やっぱり、しっかりした人形だ。
「セイ、2階の一部屋、使わせて欲しいねん」
ビール一缶飲み干して、薫が言う。
「いいよ。どこでも適当に使えば?」
いつだって、自由に使っているくせに何故聞く?
「お疲れやから、横にならして、あげたい」
カオルは、もたれかかってきている案山子を見た。
「コレをか? ……うん。わかった。俺が運ぶよ」
大きな案山子(体長190センチ幅150センチ位)は、ソファに座らせたままでは邪魔かも。
かといって工房内に収まるスペースは、無い。
2階に運ぶのが適切か。
聖は案山子を<お姫様抱っこ>した。
そして、階段を上がり、
階段前の部屋(聖の寝室の隣)へ運んだ。
案山子は40キロ位の重さ、だった。
抱き心地が、やっぱり人間くさいから、
床に置くのがためらわれた。
カバーの掛かったベットの上に、そっと寝かせる。
頭に被った笠が、頭の重みで形が崩れた。
……ふはあーつ。
(気持ちよさそうな)溜息が聞こえた気がした。
幼い子が漏らしたような
可愛らしい溜息が。
「あんな、牧村ヒカルは今、『鹿ぴょん』の家に、おるねん」
薫は説明を始める。
「『鹿ぴょん』はな、T博物館職員の野田さん、いうねん。牧村ヒカルの父親と同じ職場やったんや」
「父親はT博物館で働いていたと、ネットに上がってた。……同僚だったんだね」
「親しかったらしい。ほんでな、T博物館職員の親睦旅行で、運悪く地震に遭遇や。宿泊先の旅館で、被災した。従業員7名、宿泊客8名亡くなってる」
「親睦旅行だったんだ。野田さんも、行ってたんだよね?」
「うん。行ってた。親睦旅行は家族1人同伴の企画でな……、野田さんは、嫁はんが急用で行けなくなって、中学生の息子を連れて行ったんや」
「息子さんと……」
誰と行ったとか、どうでもいいような話をなんでするのか。
話の続きは悲しい結末だと、読めてしまう。
「息子さんは、死んだんやて」
「……(やっぱり)」
一人息子だった。
野田夫婦は生きる力を無くした。
無明地獄に落ちた。
いっそ、息子の後を追い、夫婦で死のうかと、思った。
思いとどまらせたのは<牧村夫婦の死>だった。
息子は、あの世で牧村夫婦と一緒にいる、息子は一人ぼっちで死んだのでは無い……。
その考えは慰めになった。
同時に、両親を亡くした牧村ヒカルへの特別な感情が芽生えた。
あの世では牧村夫婦が息子の親。
この世では自分たちがヒカルの親となろうと。
ヒカルの存在が、生きていく理由となったのだ。
もちろん、もう一人の子も他人とは思えない。
「田んぼから(アンリの)白骨死体が出た騒ぎで、家はヒカル一人では暮らせない状況やんか。ほんでな、野田さんは自分の家に招いたんやて」
ヒカルには叔母(母方)と叔父(父方)がいる。
叔母は東京で一人暮らし。
叔父一家は北海道。
双方共、引っ越してくるようヒカルに言った。
しかし、ヒカルは、どっちも行きたくなかった。
転校したくなかった。
野田の家はヒカルが通う高校に近い。
ヒカルと野田の関係は分かった。
ヒカルが野田の家に居るのも判った。
で?
なんで
案山子を、此処に持って来たの?
「ヒカルが、野田さんのとこに、連れて行ったんや。『案山子様は僕の家族』言うて」
少年は案山子に愛着を持っていたのか?
可愛い犬を置いていけないように、
当たり前のように連れて行ったのか。
それは何となく理解出来る。
でも、それがどうして、今、俺んちに居るの?
「セイ、カラスやねん。めちゃ大きいカラス。あいつが来たんや」
「へっ?」
「野田さんの家に、ヒカルが着た日から、来たんや。カアカア鳴いてるだけやったらええねんけど、隙あらば、玄関に入って来るんや」
「カラスが……家の中に……」
聖は、話の先を聞くのが、ちょっと怖い。
「入って来てな、玄関に置いてる案山子に留まりよる。困ったと、野田さんが相談してきたからな、見に行ってん」
薫は野田と面識があった。
ヒカルへの事情聴取で、野田は親代わりに付き添っていた。
「おったわ。案山子の肩に載って羽繕いしてた。俺の顔見て、首傾げてカアアと鳴きよった。カラス語は分からんが、見覚えのあるオッサンやと言うてるみたいやった。……俺も見覚えあるカラスやと思たけど」
「そう、なんだ」
顔なじみの、大ガラスに違いない。
そんな気はしていたが。
「箒で脅しても平気や。暫くして、戸を開けたら勝手に出て行った。ほんでな野田さんに飼い主を知ってると、言うてみた。自分の友人やと。そっちに案山子を預けてはどうかとアドバイスしたんや」
「飼い主? それって……俺?」
「うん。トモダチかもしれんけど」
「どっちだって、いいけどさ」
大きなカラスが玄関に常駐状態。
困っていた野田とヒカルは、薫の案に乗った。
「このカラスが、アンリの心臓を飼い主の所へ運んだ(ややこしいから公表していない)と、教えた。G市の剥製屋やと言うたら、野田さんもヒカルも、噂に聞いて知ってると。セイは有名人やからな」
ヒカルはカラスの飼い主が霊感剥製士と知り、
大切な案山子を託す事にしたのだ。
「事情は、よおく分かった。けどさ、途中でラインくれても良かったんじゃないか? まず俺に、案山子持って行って良いかって、聞く流れでしょ。駄目なんて言うわけ無いけどさ」
デカイ何かを連れて薫が近づいてくる、あの光景は怖かった。
事前に一報あれば、あんなに驚かなかったと、愚痴る。
「あ、ほんまや。セイにラインするの、コロッと忘れてたヤンか。ゴメン。まあ、飲んで」
薫は缶ビールを勧め、自分は二つめを開けた。
「ありがと(俺のビールなんだけど)」
「なあセイ、なんでカラスはあの案山子に執着してるんやろ。めっちゃ謎やねんけど」
「ああ、それは古い付き合いだから。野田さんは知ってるよ」
<いにしえの案山子>の動画を見せる。
「なるほど。案山子が牧村の家から居なくなったと知って、臭いを辿って野田さんの家を、案山子の移転先を突き止めたんやな。臭いがしなかったら、もう来ないな」
それは違う。
カラスにそんな嗅覚はない。
「臭いじゃ無いよ。運び出すのを見ていたんだろうね。それで空から尾行したんだ」
「えっ、臭いちゃうの?……てっきり犬みたいに臭いを追ったと……」
「絶対、それは無い。だからさ、案山子が玄関に居ないのをカラスに見せた方がいいかも」
「成る程。明日にでも野田さんに知らせとく。……待てよ、そんならアンリの案山子にカラスが群がっていたのは、心臓の臭いを関知したからでは無い。そういうコトか?」
「まあ、そうだね」
当たり前のことに薫はひどく驚いた顔で絶句。
ぽわんとした顔つきが
徐々に警察官の顔つきに変化。
目がギラついてくる。
「通行量が疎らな深夜か早朝に、心臓が仕込まれたのでは無いのか」
「ちがうだろうね。カラスは夜行性ではないだろ」
「セイ、カラスは美味そうな<お肉>を、誰かが案山子に仕込むのを見て、その誰かが立ち去った後、GETしに行ったんか?」
「人間が居ても、脅威と感じなければ早々に食いつくよ。何か脅すようなリアクションがなければね」
答えて聖は妙な話だと気付いた。
何故、カラスがそこらに居る時間帯に作業をしたのか?
あの道は、結構車が通る。
アンリの案山子はテレビで有名になって
写真を取りに来る車も増えた。
カラスが心臓を取りだしたとき、大勢、居たではないか。
犯人は、車や人が居なくなったのを見計らって作業したのか。
現場に長い時間待機して?
田んぼにしゃがんで身を隠して?
挙動不審だろ。
村の人間なら、すぐ通報しそう。
余所者にできるのか?
無理だろ。
あぜ道に死体を埋めるのが、余所者では難しいように……。
第一、車も人も通らなくても、田んぼの中の一軒家から丸見え。
牧村家の2階の窓から、案山子はよく見えるだ。
大人は居なくなった家だけど……ヒカルは居た。
7年前、アンリの遺体は家族(両親か祖父母)、
または家族の知人が、あぜ道に埋めたと推測される。
遺体から取りだした心臓は冷凍保存されていた。
なぜ心臓を取りだしたのかは分からない。
でも、保存していたのは……牧村家の、冷凍庫かも?
家族がアンリの死に関わっているなら、充分有り得るンじゃ無いか?
カラスの出現はアクシデントだと思っていた。
犯人の計算外がと。
……違うかも。
「セイ、カラスが群がっていた時、心臓を入れた人物は現場近くにおった可能性が出てきたな。心臓挿入から摘出まで短時間やったなら」
「そうだね。えーと。……野次馬に紛れ込んでいたかもしれないね。……調べるの?」
薫は質問には答えないで、タバコに火を付けた。
ぎらついていた目が今はしょぼしょぼしている。
煙が目に入ったかのように。
「少女案山子にカラスの残酷ショーか。騒ぎになったら、警察が調べてくれると、思ったんかな。アンリの案山子の下に、アンリが埋まっているなんて、そんなん、偶然ちゃうかったんや」
そこまで言って、タバコを咥え、大きく吸って溜息と一緒に煙を吐き出した。
聖は、薫が自分と同じ結論に至っていると、分かった。
まだ子供だったときに、
あぜ道に何かが埋まっていると、気がついたのでは?
親に言ってもスルーされ、掘ろうとしたらキツく叱られたかもしれない。
<アンリの心臓>も見ていたかも。
おそらく(中身が見えない)容器に入れて保存だろう。
冷凍庫の片隅に、何年も前からコレがある。
好奇心で中身を見たって不思議じゃ無い。
肉の塊だと知って、どう思ったのか。
何年も調理されないのは変だけど、理由は考えつかない。
(家出した姉と結びつけたりはしなかった)
勝手に中身を見たので、叱られるから親には聞けない。
謎の肉塊は、正体不明のまま、ずっと冷凍庫にあった。
冷凍庫を開ける度に、ソレは目に入ったのだ。
7年、ずっと。