雨の匂いの中
ホームセンターで手斧とロープ、それからヘッドライトを買って、用意してあったリュックに積め、ぼくは最後にまた、あの山に向かいました。
夜道を照らすヘッドライトの灯りは心もとないばかりですが、それでも通いなれた道、どうやらつまずくこともなく、ぼくはあのウロの前に行きつきました。
オオヘビさまは、なぜか外に首を出し、頭を高く持ち上げていました。
驚いて立ち尽くすぼくに、オオヘビさまは舌をのばして触れ、こう言いました。
「おまえさんのにおいがした」
続けて空を眺めました。
「それに雨のにおいも」
空を見なくてもわかります。空気がしっとりと、重くなってきていました。
ぼくはオオヘビさまを見上げました。
「ぼくがもし、あたらしい場所に案内できたら、ついて来てくれますか?」
前回別れてからずっと、ぼくは地図とにらめっこしていました。
会社には、メールで退職届を出しました。アパートもいったん整理しました。
ここから離れて、もっと良い山の中はあるのか、大きな蛇が隠れ住む場所はないのか、そればかり探していたのです。
そうして、隣のその隣の県、建造物も道路もなく、登山者も行けないような大きな山の連なりの中に、ここは、という地を見つけたのです。
問題は、どうやって連れて行くか、でしょう。ぼくは頭を整理しながらオオヘビさまに説明をします。
「いったん下の道路に出て、バイパスの下をたどります、海岸沿いになってそこはほとんど夜には人がこないのでずっと東に行ってから、山に入っていったん日中は山の中にかくれます、それから」
目的地まで「徒歩で3日」と地図は告げています、できるだけ夜歩いて日中はかくれていられるように、ぼくは頭の中で何か所もルートを探してはあきらめ、また別ルートを探し、ようやく何とかなりそうな案に行きつきました。
「ならばよい」
オオヘビさまは頭をぼくの前に下げました。
「私の背に乗っていくがよい。ただし、しっかと捕まって振り落とされぬようにな」
おそるおそるまたがったオオヘビさまの首あたりは、ちょうどまたがるのに心地よい太さでした。乾いてざらついた肌も座りやすく、ぼくは前のめりにしっかとしがみついて、これならばなんとか朝までは行けるだろう、と少し安心して息をつきました。
ところが、さらに驚いたことに、オオヘビさまがこう言ったのです。
「では、飛ぶぞ」
雨はずっとぼくらを取り囲むように四方から降りかかり、眼もろくに開けていられません。それでもぼくたちはずっと山のはるか上を、目的地に向かって飛び続けました。
空が飛べたんですか? とオオヘビさまに訊けたのは、やっと姿勢が落ち着いて、他所の街の灯りがずっと下に拡がってきた頃でした。
「ああ」
いとも簡単にオオヘビさまは答えます。
「生まれてから長い時が経つと、蛇は空が飛べるようになる。まあ、今までほぼ、使うことがなかった技ではあるが。それかまた時が経つと、この身を自在にできるがそれはまだもう少し」
すぐ頭の近くで紫色の閃光が散り、ぴしり、と雷が鳴りました。ぼくらはあわてて雲を避け、しばらくは黙って進路に集中しました。
夜明け近く、ぼくたちは朝もやの中、目的の森をようやく目にすることができました。
ぼくの話はここまでです。