ぼくは、くさいですか?
あわてて出かけていった日も、雨でした。
わざわざ取りにくい有給休暇を取ったのに、そんなものでしょう。
息せき切ったぼくの報告にも、オオヘビさまはただ
「ほお」
と言ったきり、あとは何も答えようとしませんでした。
「どうするんですか? ここから早く逃げた方がいいと思うんですが」
「しかしの、その『どろう』とは」
「道路です、高速道路」
「どうろとは、どんなものなのだ」
「大きな道です」
「道とな」オオヘビさまは鼻息でこたえます。
「どこにでもあるではないか」
ちがうんですよ、とぼくはつい大声になりました。
「森の中にたくさんの、大木よりも高い柱がいっぱい立ち並べて、それで森はなくなってしまうんです。まわりもつるんと固められてしまいます。柱の上にはどこまでも平らで、硬い地面が続いて、それはオオヘビさまよりもずっと大きくて、その上を車が」
「じめんが平らで硬くてどこまでも?」
オオヘビさまは興味を示したように、すこしばかり頭を前に出しました。
「おもしろいの、そこにも雨が降るのであろう?」
急に何を言い出すのかと思ったら、と声に出てしまったかもしれません。
「雨はもちろん、道路にも降りますよ」
皮肉っぽく続けます。
「かなり豪快に」
「その音、聴いてみたいものだ」
「えっ」
「工事がある間は少しばかりここを離れていよう、それから近くに戻って、道路とやらを覗いてみよう」
「何てこというんですか」
ぼくは気づいたら立ち上がっていました。
「工事は近くの山も切り崩したり、新しい脇道を作ったり、周りがどれだけ崩されるかぼくには予想がつきません。それに道路ができてから近くに寄るなんて、それで覗くなんて……車も沢山走っているし、危ないことだらけだし、無茶だ」
ぼくはオオヘビさまのあごあたりをぐいぐいと押しました。
「死にたいんですか? 高速道路の近くに住むなんて無理です」
「おまえさん」
押されながら、オオヘビさまの声にはわずかに笑いが含まれているようでした。
「そうかい? おまえさんが言うのかい? 死にたい匂いがあまりにもくさくて、私ですら食べられなかったおまえさんが?」
オオヘビさまをつかもうとしていた手を、ぱたりと落としました。
そうなのです。
元々山に入っていった理由を、急に思い出しました。
ぼくは、ようやくのことで聞いてみました。
「今も、そんなにくさいですか?」
「いや全く」
オオヘビさまの言い方はまるで澄ましたものでした。
「今なら食えそうだ。そろそろ腹も減って来たしな」
ヤケになってぼくは両手をひろげます。「ならばどうぞ」
目をつむりました。オオヘビさまの舌先がぼくの肩に触れたようです。
肩をなめ、首回りを確かめ、耳をかすり、それから
「やめておこう」
しずかに、ぼくの胸元に舌を押し付け、また、ウロの外へと押し出しました。
「眼は見えずとも、餌を狩るくらいはできるからの」
「でも、ここから逃げるのは?」
「それはやめておこうかの」
すっかり頭を外に出し、オオヘビさまは、ぐるりと森の中を見渡すように首を回しています。
「ここで……」ぼくは、ごくりといったん飲み込んだことばをようやく出します。
「死を待つの?」
「いいや」
オオヘビさまは軽く言いました。
「腹が減れば何か取って食う、減らねばじっとこの中におる。人にみつかれば、その時はその時じゃ。あばれるかもしれんし、静かにしておるかもしれん。それは、なすがまま」
オオヘビさまはまっすぐ鼻先をぼくに向けました。
「けものというものは、自ら身を亡ぼすようにはできてはおらぬのよ」
それから鼻をかるく噴いて笑いました。「因果なものじゃの」
おや、と舌先をまた、ぼくの方に伸ばしました。「泣いておるのかの」
「いえ別に」
「それはそうと」また軽い言い方で訊いてきました。
「なぜわたしをそこまで心配するのだ?」
声が似ていたからです。ようやくぼくは答えました。
声が、初恋のひとにそっくりだった、そんなことではいけませんか?
もうここに来るではない、来ても話はないぞ、そう言われて背を向け、山を下りて行った、その時の記憶はあまり、ありません。
ぼくがとうとうやらかしてしまった話を最後にしたいと思います。