昼食会
こんなパラドックスがある。神様が全能であるならば、神様は「誰にも持ち上げることが出来ない石」を作ることが可能なのか。神様がその石を作れないなら、神様は全能ではない。神様がその石を作れるのなら、神様自身も持ち上げられないはずで、やはり全能とは言えない。
このお話に、わたしは全然納得していない。
全能である神様とはなんだろう。みんなが百円しか持っていないところに一人だけ一億円持っている人がいたとしたら、その人は神様だろうか。そんなことはないはずだ。いや、その人を神様のように扱う人はいるかもしれない。でも、もし誰かがお金を奪ったら、次はその人が神様になってしまうのか。あるいは、みんなにお金を分け与えたら、神様はいなくなってしまうのだろうか。
では、他の誰にも出来ないことが一人だけ出来たら、その人は神様だろうか。人々は口を揃えて、それを神業と呼ぶかもしれない。けれど、全能であるということは、他の誰にも出来ないことを意味するのだろうか。神様にしか出来ないことがあるのだろうか。
そもそも神様が石を持ち上げる、とはどういうことだろう。これは神様は何らかの物理的実体を持っていることが前提のお話ということ。それなら、まずは神様に石を作ってもらおう。いいとこ見せようなんて考えないで、持ち上げられる石でいい。こうして、そこには神様と神様の作った石がある。
ところで、この「神様と神様が作った石がある世界」は神様自身よりも大きな存在だ。この世界は神様に石を作らせることが可能で、かつ神様が持ち上げられない石でさえ作らせることが出来る。これは自称神様なんかよりも、ずっと神様らしい。
わたしにとって、本当の神様とは「世界そのもの」のことで――。
要するに、神様になったわたしは、自分が神様として扱われることに全然納得していないのだ。
日本人なら寿司でしょ、と届けられたお昼ご飯。なるほど、寿司桶に入っている。だけど、ここは異世界の人たちの居住区で、料理人ももちろん異世界人。異世界の技術継承が目的の居住区で、なぜ和食を作らせてしまうのか。材料は研究が終わったとして返された、嫌にカラフルな異世界のお魚。研究資料扱いなら意思疎通は出来なかったはずで、魚は魚、喋らないのだと思えば多少気楽なものの、口に放り込むにはなかなかに勇気がいるのだった。
「これ、お米は狭間からの持ち出しなの?」
「うんにゃ、前に偶然紛れ込んでたから頑張って育てて増やした。ガチのマジで疲れたわもう二度とやんない! けどけど、異世界のお米食べてみたいじゃんね? めっちゃ楽しみ! 食べんの初めてなのこれ」
「……そんなもの、お姫様に出さないでよ」
食事も喉を通らないほどの心労なのか、神の御前で恐れ多いのか、それとも食べ方がわからないのか。並べられた寿司桶を前に、エニェスは石のように固まっていた。
今、この広間に護衛たちの姿はない。身分的にお姫様と同じ席について食事をする習慣がない、というのが理由の一つ。どのみち選択肢のない彼らはククリちゃんの口約束と心中する覚悟を決めたらしく、いつまでも護衛が控えているようでは神を信用していないのか、なんて風に誤解されてしまうのを恐れた、というのがもう一つ。今こそ毒見役が必要だと言うのに……。
現世出身者には自動回復機能がある。しかし、これは異世界出身者には適応されない。彼らは普通に死ぬ。死んでしまう。わたしやククリちゃんは勝手に治ってしまうため、よほど劇的な毒でないと相殺されてしまう。わたしたちが見ている前で死にかけたなら治癒魔法をかければ済むけれど、これが遅効性の毒だったりしたら。
「そこで、昨日食べさせてみたのがこちら」
そう言ってククリちゃんが手で示すのは、先ほど届いた書記。指されてペンを片手に照れたようにして頭を掻いているのは、三十代前半くらいの丸顔の女性だ。第一共通語圏の異世界出身で、よく面談に同席させられているそうだ。
同じ共通言語圏でも、書き文字はまったく違うものであることが多い。それでは報告書としての用をなさないので、書記に使われる異世界出身者は統一文字を習得している。
今日も、姫様の国や地方の名前・位置関係、文明・技術レベルなどを、ククリちゃんの代わりにまとめていた。これらの情報は「塔」のデータベースと照合して、類似の『勇者案件』との比較など文献調査のために使われるのだ。
そんな大事な仕事をする人材を毒見に使わないで欲しい。
ククリちゃんはあっけらかんとして、
「そのあと三時間くらい様子見てたけど、なんともなかったし! 帰る前に念のため治癒魔法かけといたからへーきへーき」と言い放つ。
こうして綱渡りのような昼食会が始まった。
食欲を減退させることを目的として生まれたかのような鮮やかなブルーの刺身を剥がして、ひとまずお米だけ口に運ぶ。意を決して噛めば噛むほど出るのは米特有の香りと甘みと謎の粘り気。飲み込むタイミングを逃していると、口内で柔らかいガムみたいになってしまった。
わたしの微妙な表情に気が付いたのか、「これ本当はナントカって食べ物と一緒にして、もっとべちゃべちゃに炊くらしいよ」と先輩が優しく教えてくれた。食べる前に教えてくれたら、もっと優しいと思う。
形だけ真似たお寿司もどきは早くも化けの皮が剥がれているが、ククリちゃんはめげずに手づかみで齧り、「なにこれ」と肩を揺らす。ついでに、記述を終えてひと休みしていた書記に、別に用意していたらしい料理を運んできてくれと注文。やたら便利に使われているなとは思うけれど、昨日同じものを食べている癖に忠告してくれなかった彼女も同罪だ。
次に運ばれてきた料理は、ちゃんとお姫様の喜ぶもの、なんて理由でお子様ランチ。見た目は普通。おそらく現世側の産出物。ちゃんと旗まで刺してある。気遣いのできる女。
あの寿司は必要だったかと思いつつも、
「文化はそれぞれ理由があってのもの、ということね。いい勉強になったわ」
わたしが素直な感想を伝えると、得心いったとポンと手を打つ。
「あ、それ! 文化とは分類の差だー、とかってやつ! 野菜はトマトとかキャベツとか言うけどお、雑草はまとめて雑草じゃん? 雑草の名前覚えなきゃ生きてけないならそれが文化だ、とかなんとか先生がむにゃむにゃ言ってた」
食べ残しは飼っている魔族連中に与え、実験データになるらしい。これも現世とは異なる文化。
おっかなびっくりスプーンを手に取るエニェスに向かって、ハンバーグを頬張りながら行儀悪くククリちゃんが尋ねた。
「ところで、召喚魔法使ったのエニェスちゃんだよね。杖とか持ってなかったけど」
「はい。我が一族は強大な魔法の才を授かり、故にこそ国を治め、危機に瀕したならば召喚の儀を執り行う責務を負っております」
ふんふんと頷き、それから悪戯っぽい笑み。
「ちょっと魔法使ってみてくれない? いっちばん得意なの」
「今、でございましょうか」
驚くエニェスを、ククリちゃんは「ん。はよ」と急かす。
戸惑い、やがて咳払い。お姫様は黙礼してから立ち上がると、歌うように詠唱を始めた。魔力の余波で、彼女の髪がふわりと浮き上がり、粒のような光が零れだす。部屋中が熱を持ち始める。まるで、ぬるいお風呂にいるみたい。
静寂、それからピキリと何かにひびが入る音がして、彼女の身体が光の膜によって包まれた。
「《聖なる光》と呼ばれる神聖魔法です。使用者の身体能力と治癒力を高め、またアンデッドに対しては浄化の効果を発揮します。もちろん神のお与えくださった癒しの祝福には及ぶべくもございませんが……」
「陣ナシ、触媒ナシ、詠唱アリ。書記ちゃん、これも書いといてね」
そんな指示を飛ばすククリちゃんだが、彼女は別に好奇心だけで魔法を使わせたわけではない。姫様の出身である異世界、その魔法技術のレベルを測りたかったのだ。
異世界ごとに、魔法の使い方は異なる。なにせ魔力は目に見えない。魔法は感覚的なもの。せっかく魔法を使えても、これを継承することは難しいのだ。「塔」では様々な異世界から効率的な魔法の学習方法をも集めているので、あまり問題にはならないけれど。
陣ひとつとっても役割は様々。基礎的なレベルだと魔力をどう動かせばいいのか記号で示すことで教科書の役割を果たしたり、発展して魔力の動きを自動化する装置として使われていたり。杖や触媒を使うのは、例えば普通の人間は掌から火が出たら火傷してしまうから、その予防とか。そして、詠唱は情景を思い浮かべることで気分をつくって、呪文の作者と同調し感覚を真似るためのもの。言の葉だけでうっかり魔法が発動するようなら寝言で死人が出るし、言葉そのものにたいした意味はない。そのため、詩のようになりがち。自分で感覚を理解できたら詠唱は必要なく、だから、わたしたちは詠唱なんてしない。恥ずかしいし。
「にしても歴史かなあ、アンデッド対策はちゃんとしてたんだねえ……。それ他の人たちも使えるの?」
「軍の精鋭たちであらば……他の者は難しいでしょう」
「……だよねえ、キミら基本よわっちいもんね」
優秀な魔法使いであるはずのエニェスはいたくプライドを傷つけられたような顔で。咄嗟に、わたしは彼女を慰める。
「仕方ないわ。適応の結果だもの」
魔法を使う異世界出身者には、一般に魔法の素質がない。一見、矛盾することのようだが、事実だ。
わたしが口を挟むと思っていなかったのか、目を見開くお姫様。人形が急に動き出したかのような反応だ。ククリちゃんとは普通に喋っていたのに、それほど驚くことだろうか。構わず、続ける。
「魔法の素質とは、つまり、その存在が内包する魔力の量。内包する魔力量とは、その存在と魔力の親和性。でも、魔力は無限の可能性の塊でしょう? 火にも水にも土にもなる。さて、例えば、水に魔力がくっついたらどうなるかしら……? 融け合っちゃうのよ。水が、無限の一部として。……ええ、実際には、あなたの世界はそうなっていない。それが適応。魔力がある世界では、魔力に融け合わないように抵抗しなければ存在できない。生き物も同じこと。それも上限に近すぎると、生まれるはずだった子供がうっかり閾値を超えてしまう。魔力量が高まるよう遺伝子が変異すると、世代を重ねるうちにその種は魔力に呑まれて淘汰されるでしょうね。進化の方向性は魔力量が低くなるか、維持されるか……だから、あなたたちは遺伝的に魔力との親和性が低いところで安定する、というわけ」
自然選択、適者生存。人が空気なしでは生きられないように、マグマの中で生まれ得ないように。鳥が空を、魚が海を選んだように。環境に適応した――運よく適応していた者だけが生き残った。
そして、その環境の中で捕食者は獲物より強く早く動ければいい、けれど食べ尽くしてしまわないよう。被捕食者は正面から立ち向かったりせずに減った分だけまた増えればいい、群れの隣が食べられている隙に逃げ出して。互いに光速を目指してチキンレースを始める理由はどこにもないし、もしそうなれば共倒れだ。上を目指して自滅するなら、下で生き残る戦略を練る。
現世には、魔力がない。現世出身のわたしたちには、魔力のある環境に適応する必要がなかった。現世出身の人々の魔力量に極端なバラつきが生まれているのは、そのせいだ。捕食者も被捕食者も関係なく、親族の間でさえ大きな差がある――遺伝も関係ないようだ。
故に、魔力との高い親和性を持つ『勇者』がいて、わたしやククリちゃんのような限界いっぱいまで魔力を溜め込む『交渉人』みたいな異常個体まで存在し得る。
そんな解説をしてみても、エニェスの表情は晴れなかった。それはそうだろうな、とも思う。彼女が求めているのは祖国を救う力で、彼女が祖国を救えないことの論理的な説明ではないのだから。
「あなたが弱いのは、誰の責任でもないわ。そういう生き物なだけ。わたしが言いたいのは……『勇者』は送るし、『勇者』が強いのにはちゃんと理由があるってこと。安心しなさいな」
「……はい。ですが、やはり歯痒いものですね」
「それなら……ククリちゃんに魔法の使い方を訊いてみるといいわ。魔力量は生まれつきでも、制御のしかたを学べば効率は変わるもの」
沈んだ雰囲気に困ってしまって先輩に押し付けると、「勝手に約束しなーい!」と抗議の声が飛んできた。
「どうせ、しばらくここに置いておくのでしょう?」
「そうなんだけどお……てか、これ先に説明しといたがよかったかな? あ、ご飯冷めちゃうから食べながらでいいから聞いてね」
姫様が見様見真似で食事を始めるのを確認してから、ククリちゃんは話を始めた。
「最初に言っとくけど、エニェスちゃんたちには何年かここにいて貰うことになると思う」
姫様がゴクリと息を飲んだ。
可哀相だが、これは当然の要求だ。何かあれば『勇者』を召喚すればいい、などと都合よく使われてやるわけにはいかないのだから。『勇者』を呼ぶには相応のリスクがある、と思ってもらわなければ。
「……で、エニェスちゃんは第三皇女だっけ? うん、ああ、それなら、あと何人かは召喚魔法使える人が残ってるよね。その誰かが使ったタイミングで、『勇者』送ろうかなあって考えてるのね、こっちは。なるはやで送ってあげたいとこだけど……ちょい我慢ね、まだやることあるし。てか、アンデッドの軍勢とやらがどんだけ強いのか見ておきたいんだよねえ。エニェスちゃん、分かる?」
訊かれて、姫様は首を振る。
「それぞれの個体は元になった種族と比べて僅かに動きは鈍いようですが……ゴブリンやオーク、獣人までも確認されており、またその他にも敵の隠し玉があるのではないかと……死霊術を究めたとて、敵は一度は『勇者』様に敗北し、その力を身を以て知ったはずですから。なにぶん数が多く、おおよその敵戦力すら把握出来ておりません」
「んー、基準になるもの欲しいよなあ……。オークのアンデッドは、エニェスちゃんの護衛なら倒せるの?」
「一体一なら、問題ないかと」
その答えに、ククリちゃんは何度も頷いた。
「なら、よし! うん、護衛のひとりくらいは先に帰しとくよ。ふたり……はこっちの都合で難しいかなあ。誰にするかはそっちで決めていいけどお……こっちで指示出すから、その人にはキミんとこの世界でちょっとした調べごと手伝って欲しいんだよね。ホントはもうちょい魔力あってくれたら監視が楽なんよなあ……ま、しゃあないね! 護衛の騎士さんが頑張ればいいだけだ!」
「シィク、とかいうのは駄目。わたしが使うから」とわたしは要望を差し挟んでおく。
「わかった、それ以外ね。エニェスちゃんもいいかな?」
「仔細承知いたしました。召喚の儀を執り行った時より、この身は神に捧げたものと覚悟しております。それで祖国が救われるのであれば、騎士たちも喜んで従いましょう」
「神に捧げる……んー、やっぱり前回の召喚も何度か失敗してんのかなあ……。まあ、そこら辺はまた聞くとして……」
そこで言葉を切って、こちらに向き直る。
「結局、風花さんはこのあとも手伝ってくれるの?」
意地の悪い質問に、わたしは眉をひそめた。即答するのも癪なので、額に手をやり悩むフリをする。
けれど、とっくに答えは出ていたのだった――巻き込まれた時から。こんなに小さな女の子が祖国の危機を救おうとしているのに、荷が重いと逃げだしてしまえば、わたしの立つ瀬がないではないか。
『勇者案件』を引っ張り込んでしまったククリちゃんには助ける以外の道がないように、既にわたしも引き返せないところまで来てしまった。救いを求める声を無視するほど、不人情にはなれない。わたしたちには、救う手だてがあるのだから。
そんなわたしの気持ちもククリちゃんはすぐに察してしまい、これがまた悔しくて。
「ごめんねえ、……代わりに今度なんかあったら先輩が助けてあげるからさ」
「後輩に助けを求めたのは誰よ……」
「ままま、いいじゃん! 協力しちゃいけないって決まりはないんだしい、二人でやれるならそっちのほうがいいってゼッタイ!」
「……まあ、いいでしょう……貸し一つ、ね」
わたしは、大きなため息をついた。
『勇者』を送り出すまでの道は長く険しく、世界が救われるまでは更に遠い。この面談は、まだほんの序章に過ぎないのだ。
だから、今くらいは久しぶりの食事を楽しもう、と。思いつきのように細々とした確認をとるククリちゃんとそれに答えるエニェスの声、遅れてペンを走らせる音。それらを漫然と聞きながら、黙々とスプーンを握る手を動かした。