お姫様
しばらくして、バタバタと駆けて来たのは、尼さんみたいな頭巾を被った浅黒い肌の男性。三十代前半くらいだろうか。顔には温和な笑みを張り付けて、けれど細めた切れ長の理知的な目がこちらを観察するように細かく動いている。文句はない。わたしも同じことをしているので。
長身だが痩躯で、護衛騎士という割りにはあまり鍛えている感じがしない。そして魔法使いと言うにも、あまり魔力を感じなかった。分厚い革のマントを纏い、他に防具を身に着けている様子はなし。やけに軽装だが、これは出身地の気候によるものかもしれない。お姫様は雪を見たことがなかったという。南国でフルプレートは戦う前に熱中症で倒れるだろう。魔法で熱中症対策をするくらいなら、その分魔法で防御力を高めるほうが無駄に金属を浪費せず経済的。敏捷性も損なわれずに済む。腰には剣を帯びているものの、柄にも鞘にも精緻な装飾が見て取れた。実用品というより、儀礼用。
文官。それもお姫様の側で控えていたほどの高級役人、と結論を出したわたしは品定めを終える。最高の人材がそこにいた。
「お待ちしておりました。ええと、そちらの方は……」
「んー? この子は見学だから気にしないで」
「承知しました」
とのことなので、その後の雑談めいたやり取りを、わたしは路傍の石のつもりで聞き流した。確認するのを忘れていたが、第一共通語だ。お姫様はいまだ体調が万全ではないらしく、城内の奥の間にいるとのこと。誰かが雪なんて降らせるからではないだろうか。
男性――シィクと名乗った――の案内に従い、坂をのぼりお城に入ってキュッキュと音が鳴る廊下を歩く。数分後、現われたのは畳敷きの広間だった。わたしが土足で上がるのに抵抗を感じていると、ククリちゃんは構わずズンズン進んでいった。汚れても痛んでも魔法で直せる。自分の怪我を治すより、僅かに手間がかかるけれど。……こうしてこの世界は、わたしたちをだんだん雑にしていくのであった。
靴を履いたまま正座は辛いかな、とふと思いかけたが、心配無用。畳の上に大きな円卓とその周りに肘掛けのついた木彫りの椅子が並べられていた。どこか冒涜的にさえ感じられる光景。
広間に入ると、小さな女の子がすでに円卓の席についていた。魔力はそこそこ、シィクよりはだいぶ多め。背丈はククリちゃんといい勝負。その背後には、後ろ手に背筋を伸ばして立つ、護衛たち。男が五人と女が二人。護衛はみんな、シィクと似たり寄ったりの軽装だ。そこにわたしたちの案内を終えた彼が混ざって並ぶ。
「ようこそ、お越しくださいました」
少女の、まだ幼さを残すその声は、激情を押し込めるように震えていた。重責を負うには細すぎる肩、流れる銀色の髪から雪明りのように光が零れ、夜の闇を編んだような濃藍色の透き通ったショールに溶ける。褐色の頬にはうっすらと赤みがさし、胸元にはその高貴な身分を示すように卵ほどの大きな宝石をあしらったペンダント。アクアマリンの大きな瞳がまっすぐにこちらを向いて、泣き出す寸前のようにきつく噛んだ唇が言葉より雄弁に秘めた意志を語る。
……そんな子供にセーラー服を押し付けるのは、いったいどういう心理だろう。
そしてひと際目を引くのが、ただの人間には有り得ない大きな耳。あれは犬、いや狼だろうか。わたしには狼をまじまじと見た経験がない。
「……あなた、獣人と縁があるのね」
言葉が口をついて出た。
「ま、珍しいものじゃなし。人類種だと、五回に一回くらいはねえ」とククリちゃんが小声で返してくる。
そういうものか、と納得しておく。事実、わたしも研修中に何度も目にしたことがあった。
獣人は普通の人類にとって、遠い親戚さんみたいなものだ。それほど気負う相手ではない。身体能力が高かったり、魔法が苦手だったり、ちょっとだけ気性が荒かったり、同化した動物の性質によって何らかの影響が出ていることはあるものの……。
動物の力を己の身に取り込もうとする信仰。これ自体は現世にもあった。毛皮を着たり、牙を装飾品にして身に着けたり、あるいはその肉を食べたり。魔法のある異世界において、これが信仰に終わらなかったというだけのこと。無理やりくっつけて、それを世代を超えて繰り返し、やがて遺伝子的にも変質させて、種族として固定された。
そこまで考えて、護衛たちが頭巾を被っている理由に思い至る。いくつかの異世界の獣人種には、その大きな耳を塞いで見せることで他種族への誠意を示す文化が見られたはず。この文化が護衛の装備として定着しているとしたら……。他種族との交流がそれなりに盛んで、『勇者案件』なら少なくとも小規模な独立した部族の危機というレベルではない。わたしは、これがただの日差し対策であることを祈ることにした。
「昨日は取り乱してしまい、申し訳ございませんでした。わたくしはリュトル帝国第三皇女、名をエニェスと申します。この度は不遜にも神の奇跡を賜りたく、『勇者』召喚の儀を執り行った次第で」
エニェスは深く腰を折って頭を下げた。耳までしょんぼりと垂れ下がっている。
相手に知性がある場合、たまにこういう態度をとられる。わたしたちのことを神様だと思っているのだ。ただでさえこちらは相手の魔法の制御を乗っ取っている。『交渉人』にとっては簡単なことでも、無理やりそれを奪うのは隔絶した力量差があってこそ成り立つ芸当だ。転移や召喚はその発動自体が並みの魔法使いには難しい。発動させた者はある程度優秀な魔法使いで、優秀な魔法使いが遥か格上の存在に出会うなんて通常起こり得ないこと。それに加えて今回は追加で魔法を見せていたはずだ。腕がなくなったり、くっついたりしたとかで。
と言っても、姫様が頭を下げているのに、後ろの護衛がわずかに値踏みするような態度なのは半信半疑に思っているからだろう。無理もない話だ。いくらククリちゃんが神の奇跡のような魔法を使っても、呼び出したのがあの部屋では。
ともかく、やはり使われたのは召喚魔法。そうだろうとは予想していたものの、わたしもしょんぼりした。耳(表情)に出ないように注意しつつ、ククリちゃんがお姫様と向かい合って座ったので、それに続いて隣の椅子に腰を下ろした。
「ままま、楽にしなよ。頭もあげて、ね! それより、身体は大丈夫そ?」
「癒しの祝福をくださりましたので、ずいぶんと楽になりました。無礼を働いた部下の腕まで……。感謝の念に堪えません」
「それはもういいよお、なんかマッチポンプみたいだし……。それよりさっそく事情を聞かせてもらえるかな?」
少女に対して、場違いなほど明るく振舞うククリちゃん。それは空元気だろうか。心なしかいつもより硬い面持ち。
やはりというか、彼女も担当した経験はないのだろう。だから、わたしを巻き込みたがった。
では、場数を踏めば慣れるのだろうか。考えてみても、あまり参考になりそうな例は思いつかなかった。自分の行動に責任を持つのが大人だという。だから、立派な大人は自分の判断の責任をとって『交渉人』を辞めていく。離職率の高い業界である。
エニェスは逡巡するよう瞳を揺らし、それから一度大きく息を吸い込んで、意を決して語り始めた。わたしは固唾を飲んで見守る。
「リュトル帝国は今より三百年ほど前、エントスク大陸の南方に広がるサント平原に共生しておりました複数の獣人部族が興した国でございます。現在ではトルエイ山脈以南の――」
「ちょ、待って待って!」
ククリちゃんによるストップが入った。
「先に召喚魔法使った理由だけ教えて貰える? 他に聞きたいことがあったら、こっちで言うから」と明け透けな物言いに、気勢をそがれた姫様はポカンと口を開けたまま、
「は、はい……」と瞳を潤ませ頷くことしか出来ない様子。
神様のお叱りを受け、どうにか簡潔な説明をしようと頭を悩ませる彼女の再起動を待つ間、わたしは円卓の下でちょんと腿をつつかれ、ククリちゃんとヒソヒソ話。
「知らない世界の地名なんて延々と聞かされても、子守歌にしかならないよねえ」
「どうして書記を連れて来なかったのよ」
「ごめんて。ご飯と一緒に届けるように言っといたんだよ。もし『勇者案件』じゃなかったら、もうここにククリちゃんたち要らないし」
「べつに、それが分かった時点で帰ればいいでしょ」
「いやいや、流石に印象悪くない? 先に事情聞いといて、入れ替わりであとよろしくねってしたほうがさあ」
「印象とか気にするの、あなた」
「なに言ってんのさ、メチャクチャきいつかうよ。……だいたい風花さんも、昔はみんなに丁寧でもっとちゃんと敬語だったのに」
「割り切ったの。部屋に入る前に誰もノックしてくれないし、いまさら礼儀なんて……ね。目上の相手にはちゃんと使うわ」
「忘れてるかもだけど、アタシ先輩ぞ?」
「『交渉人』は同格だもの。わたしの目上なんて、本当の神様くらいよ。……だいたいあなた、深夜に突然押しかけておいて、なにに気を遣ったのか言ってごらんなさいよ」
「ほら、もうお仕事してないかなって」
「わたしたちのお仕事に時間は関係ないでしょう……」
「なら、いつ行っても同じってことじゃん?」
綺麗にカウンターを入れられたところで、エニェスが「あの……」と視線を送って来た。雑談に少し夢中になりすぎた。居住まいを正す、先輩とわたし。
「半年ほど前より、我が国は数万にも及ぶアンデッドの軍勢に攻め入られております。なんとか食い止めようと力を尽くしておりますが、すでに領土の四分の一を失い、民草は混乱の渦の中。このままでは国の体制を維持することすらままならなくなることでしょう。されど、敵は強大。もはやわたくしたちの力ではどうにもならず、古の伝承に従い神の奇跡に御すがりする他ないと」
お話を聞き終えて、わたしたちは顔を見合わせた。
「なるほどねえ……。伝承ってのは、お国の?」慎重にそう訊かれ、
「召喚の儀は、リュトル帝国が過去に同様の危機に瀕した際に一度行われ……我が一族に代々受け継がれてきた秘術と聞き及んでおります」とエニェスは肯定した。
円卓に両肘をつき、顔の前で何かを確かめるように手を合わせながら、ククリちゃんは質問を続ける。
「アンデッドっていうのは? キミんとこではその辺を歩いてるようなやつらなの?」
「怨念が仮の霊魂として死体に乗り移り、人や獣を襲うようになったモノと言われており……戦場で稀に発生することはございますが、これほどの規模となることは……」
「群れ、じゃないんだよねえ」
「そもそもアンデッドは生命の気配を感知して衝動的に襲ってくるものでございまして、集団をつくる理性を持ちえません。さらには此度のようなゴブリンやオークなどの混成的な軍勢、明らかに魔法の……屍術師、ネクロマンサーの死霊術によるものかと思われます」
「ほえー、死霊術……」
感心するようにため息を吐きながら、わたしに一瞥をくれる。わたしたちは魂の存在に懐疑的だ。死んだことがあるし、魔法なんてものを受け入れて使ってもいるが。
「じゃあ、そのネクロマンサーをやっつけちゃえばいいんだ?」
「……過去に『勇者』の召喚を執り行ったのも、アンデッドの軍勢に対抗するためでした。当時の記録によると、術者自身が魔法を解くか、その者を倒してしまえば動かぬ死骸に戻るようです。……その件では、我が国と敵対していた国家によって育成・研究されていたらしき、百人を数えるネクロマンサーが投入されておりました。……しかし、いかなネクロマンサーであってもアンデッドの軍勢は完全に操り切れるものではなかったようで……我が国が『勇者』のお力によりアンデッドを撃退しネクロマンサーの討伐に乗り出したのと時を同じくして、その国もアンデッドの軍勢により滅ぼされております。そのような事例があるため、ネクロマンサーは他国においても忌避されており、彼らが使う死霊術の継承・研究は禁忌とされます。……此度の件は、他国の肩入れによるものとは思えません。亡国より逃げ延びたネクロマンサーによって、その死霊術を継承された秘密結社によるものではないかと推測しております。ただ……」
「ただ?」
「……伝承に伝え聞くものより、統制がとれているように見受けられます。明確に我が国を目指して進軍しており、周辺国への被害は軽微なようです。敵は密かに研究を進めていたようです」
不安げな姫様の言葉に、ククリちゃんはしばらく熟考するように目を閉じていた。それから、まっすぐ前を見つめて、
「うーん、まあ、なんとかなる……なるんじゃないかな! いよし! ククリちゃんに任せておきなさい!」
そう言い切った姿は自信満々、というより自棄になっているようだった。
こちらにとっても迷惑な話だが、お姫様の被っている迷惑は祖国存亡の危機。こんな子供が伝承の儀式とやらをやらされて、訳も分からず狭間の世界に引っ張り込まれ、それでも神様相手に助力を願うなんて並大抵の重圧ではなかったはずだ。そのことに関して無感でいられるほど、ククリちゃんは冷血ではない。……だからもう話を持って来られた時点で、ククリちゃんにはどうにかするしか道はなかったのだ。
ひとり、またひとりと跪いて頭を垂れる護衛たち。エニェスはしばし呆然としていたが、パッと顔を輝かせ、感極まったのか溢れた涙がその頬を伝う。
「それでは、お救いいただけるのですね……?」
「やるだけやってみるよ。ま、『勇者』は送ったげるから」
「ありがとうございます。ありがとうございます。お救い頂けるでしたら、どんな対価でも――」と喘ぐように声を上げる少女に、
「ちょちょちょ、待った! 一旦、落ち着こ!」と、再びストップが入った。
「もうちょい聞いときたいことあるから。……とりあえず、お昼食べながらで」
ククリちゃんはそう言って笑いかけた。すると、図ったようにどこからか機械的な呼び出し音が響いてくる。まさかとは思ったが、このお城、インターホンがあったらしい……。