『青』の居住区
ドアを抜けると、そこは雪国であった。
居住区は一辺五キロメートルほどの巨大な立方体の内部にある。壁は「塔」と同様の魔法的・物理的に高い郷土を誇る特殊な建材。その中に各『交渉人』監修による、ひとつの都市が築かれている。
魔法で作られた疑似的な太陽に、天気も気温も自由自在。と言っても、いちいち管理するのも面倒なので、外の天気と同調するようにしてあるのが普通。環境としては外にいるのと変わらない。どころか、部屋に籠りきりの『交渉人』よりよほど自然な暮らしだ。
現世で復活した人間の生活圏は都に集中しているから、日本の土地はかなり余っている。ここも、その余った土地のどこかに建設されているはずだ。正確な場所は知らない。なにかヒントはと探しても見ても、居住区は魔法で地形まで弄られている。
そもそもわたしは、都が現世の何県にあたるのかもよく分かっていないのだけれど。
「お姫様が、雪見たことないって言うからさあ……」
だけどいまの季節は冬だったかしら、と考こんでいたところ、ククリちゃんから解説が入った。
「最近は日付も曖昧な気がして、焦ったわ」
「もう春だよ。風花さんはお外出ないもんねえ」
「『交渉人』は大概そうでしょう。都に住居がある一般職員と違って、わたしたちの生活は「塔」で完結するもの」
「いやいやいや、アタシはちょいちょいお出かけするよ! 都を散策したり、たまーに山超えて海見に行ったり」
「……悩みでもあるの?」
「そういうんじゃなくて、海ってか港ね。ほら海外の支部から船が来るんだよ、貿易みたいな。ついでに、人間乗っけて。友好的なとことは交換してんのね、海外で死んだ日本人とか。転移は便利すぎるけどポンポン使うと戦争だからねー」
「ふうん」となるべく興味なさげにわたしは頷いた。本音を言うと、興味はなくもないが、それ以上に海外支部なんて面倒ごとに関わり合いになりたくない。新人はとくにやることが多いのだ。
わたしたちは雪を踏みしめ歩を進める。靴の裏に感じる久しぶりの感触が思いのほか楽しい。現世では見飽きたと思っていたが……雪なんていつぶりだろう。
「ところで、あなたの管理区域。随分イメージと違うわ」
目的地であろうお城は、まだ少し離れた丘の上に建っていた。日本のお城だ。てっきり西洋風だと思っていた。
いま歩いているのも時代劇のセットみたいな城下町。季節はずれの大雪で道に人影はまばら。見るとコートなんかを羽織っていて、和服に統一しているわけでもないらしい。世界観が分からない。
立ち並ぶ長屋の奥から、なにやらわたしに奇異の目が向けられていた。ククリちゃんの管理下にある異世界の住人たちは、当然ククリちゃんとは顔見知り。だけど、彼らは基本的に他の『交渉人』と接点はない。きっと珍しがっているのだろう。新入りだと思われているのかも。
「ウケるかなあと思って!」
「誰にウケるのを狙っているのよ。異世界の人には通じないでしょう」
「けどけど、ちょっと面白かったでしょ? で、そういうキミはどうするのさ。人が少ないうちにパパっと改造しといたほうが楽だよ」
部屋の模様替えみたいな気軽さで訊かれて、少し考えてみる。管理する人数が増えたら、毎日のように出向くことになる場所だ。景観には拘りたいところ。
「せっかく自由に造れるから、海に浮かぶ島をテーマにしましょうか。映画にあるじゃない、主人公の生活がテレビで放送されていて、街中のみんなでそれを見てるの。あんな感じ。……楽しそうでしょ?」
「居住区だと全員監視されることにならない? じゃあそれ楽しんでるの風花さんだけじゃないかなあ!」
「仕事に楽しみを見つけないと、続かないそうよ」
「根本的に悪趣味なんよなあ、この後輩」
じゃれ合っているうちに城門まで辿り着いた。櫓門、とかいうらしい。一般的な女子高生の知識しか持たないわたしは説明されてもよく分からなかった。屋根がついてるなあ、と思うくらい。けれど、積まれた石垣、雪の降りしきる中に聳え立つお城は一枚の絵画のようで――なかなか見ごたえがある。思えば、こんなに近くでお城を見上げるのは初めてかもしれない。死んでから、というのも不思議な気分だけれど。
この門を起点にお城の敷地内外を隔離する結界魔法が展開されている。見えない壁のようなものだ。これを解除できるのは仕掛けた本人だけ。そうは言っても、「塔」や居住区の壁の建材の簡易版みたいなものだから、力技で破れなくもないだろう。……何らかの反撃が仕込まれているだろうし、好奇心を発揮する場面でもない。わたしは大人しく待つことにした。
「ねえ、ククリちゃん。この結界があると、お姫様も出て来られないわよね。……最初からここに連れてくるつもりだったのね、あなた」
「あは、バレちゃった! ごめんねえ、放っといたらいろいろ片付けてくれるもんだからちょーっと止め時がわかんなくなった」
「いいのよ。むしろ、安心したわ。それに……簡単なテロのやりかたを教えてもらったもの。何かあったら、いつでもここにトカゲを送り込めるわ」
「おいこら、戦争するかー?」
探るように門に触れていた手を、握り拳で振り上げるククリちゃん。どうやら終わったようだ。魔力そのものは目に映らなくとも、意識すればなんとなくその濃度や流れが分かる。狭間の世界に来てから身に着いた能力であり、これがあるからわたしたちは魔法を使えるのだ。
「さ! 落ち着いてるといいなあ、お姫様。顔色やばかったからね」
「可哀相に、変なのに絡まれたから……」
「ややや、来た時にはもうやばかったんだって」
わたしたちの声を聞きつけたのか、お城の敷地内からは警戒するような気配が漏れていた。出迎えるべきか迷っているみたいに微かな足音も聴こえる。
隣のククリちゃんもそれに気が付いたようで、
「それじゃ、ま、お仕事しますか。ご飯は後で届くから、心配しないでね」とわたしに断ってから、扉を押し開け、「ククリちゃんが来ましたよー!」と呼びかけた。明るく元気に大きな声で。馬鹿みたいな挨拶だ……。