地獄へようこそ!
봄날
こんにちは! 本日は地獄にお越しいただき、誠にありがとうございます。入獄担当の——ここは地獄と呼ばれています。本日は、短い時間ではありますが、地獄について、皆様にご理解いただければ幸いです。
そもそも、地獄とはどのような場所なのでしょうか。
ああ、確かに。アメリカン・ドリームとして、彼らは確かに此処を「地獄」と呼んでいた。そしてこの場所は、確かに地獄だ。ゴールドラッシュなど私には存在しない。
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「貴方は私を見ます。それは百八十を残します。」
僕は暗闇の中に居た。眼前には脂ぎっていて茶色に鈍い光を放つ、枝の絶たれた幹がすくっと一本、立っている。木材さん。そして僕は十字架に縛り付けられている。宙を自在に這う、木の根によって。僕の身体に怪我はない。
他にも、誰か居たような気はしている。しかし誰も居ないようだ。
問わねば。問わねば、分からないまま。
「あの。ここは、どこなんですか?」
僕は質問した。木の根は掌を貫通した。血は自由を知った。
僕は手先の痺れるような痛みに口を閉じた。目も閉じた。しかし根にこじ開けられた。
「貴方は私を見る」
やがて文字列。
「貴方は私を見ます。それは一を残します。」
そして音が虚ろに響き渡る。
「貴方は油を注がれることを求める」
僕はふぢ沢に居る。
今までどこに居たのか。ふぢ沢ではないはずだが、思い出せない。身体を見渡す。何もない。そして足元にまで水が来ている。オオカミも。
僕はオオカミの頭を撫でてやる。オオカミはピンと張った耳を垂らす。僕が手を離すと、オオカミは直ぐに仰向けになって白がかった腹を見せ、上級の「撫で」を要求する。仕方がないので撫でてやる。オオカミは口をだらんと開く。その温もりは、水の温度が無いからか、手を伝って心の奥底にまで染み込んでくる。
そしてオオカミの隣には、君が居た。
相変わらず少し高い声で、君は馴れ馴れしく話しかけてくる。今にでも肩を回してきそうな声の調子だ。
「楽しそうだね」
そう言って、君は笑った。いつものように、少しばかり息を吐き捨てるように、軽やかに。
「そう見えるかい?」
「ああ、この子も。楽しそうだ」
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「貴方は私を見ます。それは百八十を残します。」
僕は暗闇の中に居た。眼前には脂ぎっていて茶色に鈍い光を放つ、枝の絶たれた幹がすくっと一本、立っている。木材さん。そして僕は十字架に縛り付けられている。宙を自在に這う、木の根によって。僕の身体に怪我はない。
……なんだろう。この、手に残る温もりは。
ああ。問わねば。問わねば、分からないまま。
「よろしいですか。文字列は……何を意味しているんですか?」
僕は質問した。木の根は掌を貫通した。血は肉体から解放された。
僕は手先の痺れるような痛みに口を閉じた。目も閉じた。しかし根にこじ開けられた。
「貴方は私を見る」
やがて文字列。
「貴方は私を見ます。それは一を残します。」
そして音が虚ろに響き渡る。
「貴方は油を注がれることを求める」
僕はふぢ沢に居る。
今までどこに居たのか。ふぢ沢ではないはずだが、思い出せない。身体を見渡す。手先の痺れるような感覚。気の所為か。そして足元にまで水が来ている。オオカミも。
オオカミは僕に寄ってきて、掌を舐め始めた。舌で優しく包まれる、僕の手。彼の舌が僕の手に触れるたび、手に痛みが走る。なんだろう。掌を覗く。穴が開いている。親指程度の肉の洞窟がこちらを覗いている。
あれ、僕、なんか怪我していたような。でも、なんでだったか。記憶を漁っていても出てこない。頭の片隅に記憶がある。確かに僕は記憶していた。しかし、その記憶を取り出せない。
そしてオオカミの隣には、君が居た。こちらを見ているのか見ていないのか、分からぬような姿勢で、海を背に。また馴れ馴れしく。
「痛いだろ。俺も同じことやられたからな、痛みはよく分かる」
と。
「……お前に、何が分かるんだよ」
また君は笑った。
「わかるさ。なんでも」
ああ、まったく。何なんだ、一体。
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「貴方は私を見ます。それは百八十を残します。」
僕は暗闇の中に居た。眼前には脂ぎっていて茶色に鈍い光を放つ、枝の絶たれた幹がすくっと一本、立っている。木材さん。そして僕は十字架に縛り付けられている。宙を自在に這う、木の根によって。僕の身体を見渡す。掌の穴は、開いたままだった。
……あれ?
問わねば。問わねば、分からないまま。
「あの……他に誰か、居ませんでしたか?」
僕は質問した。木の根は左耳を貫いた。耳の奥の何かは、安らぎを知った。
僕は左頭蓋の吹っ飛ぶ痛みに口を閉じた。目も閉じた。しかし根にこじ開けられた。
「獏は、殺さなければならない。貴方は私を見るをだけします」
やがて文字列。
「貴方は私を見ます。それは一を残します。」
そして音が虚ろに響き渡る。左耳から音が聞こえなくなった。壊されたのは、鼓膜か?
「貴方は油を注がれることを求める」
僕はふぢ沢に居る。
あれ、あの太い木は、一体どこに。でも、何をしていたのか。思い出せない。林業体験でもしていたのだろうか。なぜ、こんなに覚えていないんだろう。
身体を見渡す。左耳から、何かの温く垂れる感覚。拭い取る。血だった。
いつものオオカミの彼が居る。オオカミは僕に寄ってきて、掌を舐め始めた。痛くない。掌を見る。あれ、治っている。途端に、左耳が割れんばかりに苦しくなって、手で耳を覆ってうずくまる。オオカミが胴体を寄せる。彼の温かさで、幾分痛苦も緩んだような気がした。
そしてオオカミの隣には、君が居たらしい。右のほうから声が聴こえる。馴れ馴れしいままに。
「そろそろ思い出したんじゃないのか。誰のせいで、こんな目に遭っているのか」
知らない。悲痛の中で思う。鼓膜が破れたのは覚えている。あの太い茶色の木の目の前で。でも、なんでそうなったのか。それだけは、霧の中に隠されている。そんな気分。
「……そうか」
アロハシャツの君は珍しく、静かに重く呟いた。そして何かを揺らして、海の方へと歩いていった。
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「貴方は私を見ます。それは百八十を残します。」
僕は暗闇の中に居た。眼前には脂ぎっていて茶色に鈍い光を放つ、枝の絶たれた幹がすくっと一本、立っている。木材さん。そして僕は十字架に縛り付けられている。宙を自在に這う、木の根によって。僕の身体を見渡す。何もない。が、血は左耳から垂れている。鼓膜は破れたまま。
痛みに紛れそうな意識の中で、僕は思う。僕は、ふぢ沢に居るんじゃないのか。
「すみません……僕はなぜ、ここに居るんですか? ふぢ沢に居たと思いますが……」
僕は質問した。木の根は頬を貫いた。口内は新風を知った。
僕は口蓋を駆け巡る痙攣に口を閉じた。目も閉じた。息も閉じた。しかし目だけは、根にこじ開けられた。
「獏を見ることはこのことを導出します。また貴方は私を見るをだけします」
やがて文字列。
「貴方は私を見ます。それは一を残します。」
そして音が虚ろに響き渡いた。
「貴方は油を注がれることを求める」
僕はふぢ沢に居る。
あの暗闇も、ゴキブリのように穢らわしく光るあの木材さんも、ムカデのように蠢く木の根も、何もかも、全部消えていた。ここにあるのはホームと藤と鉄骨と水と砂と真っ黒な空とオオカミの彼と、そして君だけだ。
身体を見渡す。首元をくすぐる感覚。拭わなくとも分かる。血だ。左耳を触る。痛くない。
足元にふわふわの感触を感じる。下を見る。オオカミが居る。左から明瞭に、彼の荒々しい息遣いが聴こえる。ああ、左耳は回復しているのか。僕はしゃがんで、彼を撫で回す。彼は頬に開いた穴を舐める。ああ、痛い。
オオカミの隣にはまた、君が居た。しかし君は、何も言わなかった。ただ、立っていた。
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「貴方は私を見ます。それは百八十を残します。」
僕は暗闇の中に居た。穢らわしい幹がすくっと一本、立っている。木材さん。そして僕は十字架に縛り付けられている。宙を自在に這う、木の根によって。僕の身体を見渡す。何もない。頬に手を遣る。やっぱり破れたまま。鼓膜より、痛みは幾分少ない。
問わねば。問わねば、分からないまま。
「ごめんなさい……なぜ、枝は無いのですか?」
僕は質問した。木の根は甲の腹を引き裂き、腸を引き摺り出した。腸はひどく黒かった。
僕は全身を貫く痙攣に、口を閉じた。喉は閉まった。目も閉じた。しかし根にこじ開けられた。ぜんぶ。
「獏は、殺さなければならない。貴方は私を見るをだけします」
そんな音の、聞こえた気がした。かき消されていたので聞こえなかったのかもしれない。
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「貴方は私を見ます。それは三千を残します。」
僕は暗闇の中に居た。穢らわしい幹がすくっと一本、立っている。木材さん。そして僕は十字架に縛り付けられている。宙を自在に這う、木の根によって。僕の身体を見渡す。何もない。光をすべて吸収して逃さない、貪欲な大蛇の紛い物も、どこにもない。腹を触った。何もない。傷一つ。
問わねば。問おうとして甲は口を開いた。そのまま閉じた。
そのまま、文字列の減少を愉しんだ。秒数も数えた。なぜだか三千になっているものが、二千九百九十九になった。まで、三千三百三千三秒。二千九百九十九になっているものが、二千九百九十八になった。まで、三千数百秒。二千九百九十七となり。まで、数千秒。数えることもやめていた。
恒久の中で、文字列が千となり、三百となり、百となり、七十九となり、七十七となり、四十九となり、四十二となり、三十五となり、云々。
そして一になって、また僕はふぢ沢に行くんだろう。
繰り返し。
やがて藤にもなりましょう。