方向性
穏やかな水曜の秋の午後、学校図書館の横にある準備室は、文芸部と郷土資料部の部室に変わる。
この部屋は狭いので感染対策とか言われて閉鎖されていた。今日、この部屋は数ヵ月ぶりに若い部員を招き入れた。
「本当に…あんなんで大丈夫かな?」
葵はマスクとエプロンをして、部屋の埃を拭きながら小さな窓の外を眺める秀実に聞いた。
「いいんじゃない?と、言うか、むしろ、葵ちゃんの叔母さん、凄いと思うわ。」
秀実は片耳にイヤホンをつけて、何か曲を聞きながら窓の向こうを見ながらそう答えた。
小さな窓の向こうの景色が油絵のキャンバスの様に見える横で、逆光に馴染むようにたたずむ秀実の姿に、美術の時間に見た名画を思い出させた。
「本当に?」
葵は、疑わしそうに秀実の背中に文句を言う。
あれから、葵と秀実は仲良くなった。
木曽さん、飛彈さんの仲から、葵ちゃんと秀実ちゃんと呼びあうくらいに。
葵は、スラリと背が高く、知的な秀実とそんな仲になれた事が嬉しかった。
秀実は、あまり、人とつるむタイプの女子ではない。皆、彼女を『飛彈さん』と呼んでいた。
ほんの一ヶ月前には、こんなに仲良く…悪態がつけるなんて、考えられなかった。
そう考えると、葵は少し嬉しく感じた。
「本当よ。」
と、秀実は葵の方へクルリと向きを変えて歩き出す。
「本当に凄いと思うわ。葵ちゃんの叔母さん。
私も、あれから、いろんな二次作のレビューを見たわ。」
と、秀実は置いてあった雑巾を手に葵の隣で作業を始める。
「レビュー?」
「うん。最近、ルパンとかホームズの著作権がフリーになったから、いろんな作家がそれらを使って作品を産み出してるの。
でも、皆、悪口ばかり書かれてるんだもん。
プロでそうなら、私達なんて、もう、無理筋よ。」
秀実は、ガラスの扉のついた本棚を磨きながら言う。
「悪口ばかり…かぁ…(T-T)じゃあ、私なんて、サンドバッグになりに行くようなものじゃない。嫌だわ。」
葵は、SNSの炎上エピソードを思い出して嫌な気持ちになる。
奈穂子は、葵にただ、自分が誰かに読ませたい明智小五郎のエッセイを書けと言った。
例えば、祖母の薫に見せてあげたい新作について。
でも、そんな他人のボヤきなんて何が面白いと言うのだろう?
「そうとは限らないわよ。」
秀実は、手を止めて葵を見る。
「なんで?」
葵も手を止めて秀実を見た。外野は呑気なものだと、少し不満をのせて。
「結局、名作のヒーローなんて、誰が書いても誰も気に入らないからよ。」
秀実は葵の不満を笑顔で受ける。
「じゃあ、こんなの、私が書いたって無理じゃない(;_;)
なんか…怖い人に色々と書かれて、炎上したら、先生とかに叱られちゃう。」
葵は悲しくなった。学校は別としても、家族に知られたら、お父さんと奈穂子の関係が益々悪くなるに違いない。
昔は…お爺ちゃんが生きてるときは、正月に皆でテレビを見たりしていたのに。
「葵ちゃん…何を書く気(-_-;)」
秀実は、世界の不幸を背負い込んだような葵の顔に恐怖を感じた。
そう、人は見た目では分からない。
創作界隈では、特にそうなのだ。
エログロ…現在のオタク文化の先駆者のような江戸川乱歩を描くのだから、大人しそうに見える葵が、二次作クイーンとして、超進化した姿をさらさないとは限らない。
「何って…分からないわ。普通に、探偵ものじゃ、ダメなの?」
葵は、秀実の顔に壮大な物語の期待を感じて怖くなる。
それとは 逆に、葵の顔に秀実がホッとする。
「じゃ、大丈夫よ。読者のおじさま達も子供の頃の思い出のヒーローの話の新作を、お婆さんと見たいと思う少女の夢にケチをつけたりしないわよ。」
秀実はそう言って笑った。
「少女…じゃ、ないわ。17才よ。」
葵は、小さな子を見るような秀実の上から目線の笑顔に反発する。
「あら、17才なら、十分少女よ。それとも…乙女とか呼ばれたい?」
秀実がからかうように前のめりに聞く。
秀実の顔が近づいて、反射的に葵は赤面する。
「乙女……もう、なんでもいいわ。どうせ、匿名なんだもん。
それに、私は、大川くんに見せる作品を考えるのっ。」
葵の台詞に秀実が驚く。
「え?ええっ、二人って…そんな関係?」
秀実が叫ぶ。
「どんな関係よっ(ー ー;) 私はただ…大川くん、乱歩、読んだ事無いって言うし……。
乱歩を知らない人に向けて説明する話の方が、書きやすいと思ったの。」
葵は、そう言って、雑巾を持ち直すと、向きを変えて真ん中にある細長いテーブルを拭き始めた。
乱歩を知らない人に語る…それは、本当だが内緒にしたい、もう1つの計画もある。
奈穂子に大川の為の挿し絵を書いてもらうのだ。
大川が欲しがっている構図の絵を。




