59話 エンカウント!?
─── 6月24日(7:21)
その一瞬、教会から右手の雑木林が青白く煌めいた。
雑木林より解き放たれた青白い閃光は、振り返った私の視界を横切り、後に残されたものは何も無かった。
オオトバネムシの軍勢は進行方向を乱し、それは同時に『均衡』をも粉々にしてみせたのだ。
”私達”の視界からは視界を遮るオオトバネムシが刹那と共に消え失せ、そうして目が合った。
直線状に、私と、鬼とが。
「あ────!」
最初に鬼が私を指差して叫んだ。
そして直後、閃光の放たれた雑木林から女が現れる。
身体に妙な膨らみのある女だ。
直感的にそいつがあの閃光の発生源であると確信出来た。
何だ……今日は何かがオカシイぞ。
オオトバネムシが私に厄災を運んでくる。
そもそも、突然オオトバネムシの群れが押し寄せてくるところがオカシイ。
発生源は何なのだ……?
「あっ……」
その時、我先に叫んだ鬼の懐から発せられた光の屈折に目が奪われる。
それは光を反射させながら転がり落ちる『小瓶』だった。
鬼はそれがひどく大切なのか、直ぐ様、私から視線を外しそれに手を伸ばす。
チャンスだ。
今は逃げるべきだ。
鬼との不用意な接触は避けるべきだ。
妙な膨らみの女が何者だとか、オオトバネムシの発生源だとか、それは後に考えれば良い事。
今はとにかく……
「ッ!」
な、何だ…ッ!?
身体が動かない………ぞ?
金縛りか……いや、魔力でガッシリと固定されている。
呆気にとられた姿勢で屹立した私はそのまま数秒間、正確には鬼が『小瓶』を拾い終えるまで身体の制御を失っていた。
これが、鬼の力か。
既に私は、うねる厄災の中心に居たと言うのか。
この状況に置いて、鬼の存在が厄災である事がハッキリとした。
何故だ。
右の首の能力は、完全に私にとっての厄災を退け、そして幸運を呼び寄せ続けていた筈であるのに。
どこからか、突然降ってきたって感じだ。
先程の閃光によってオオトバネムシは進行方向をY字に分岐し、この一帯は言わば台風の目とでもいうべき状態だ。
一歩踏み出せば、嵐の渦中に変わりはないが。
そこで今、運命の分かれる何かが起きようとしている。
「どうして顔を二つ持ってるの?」
小瓶を拾い、駆け寄って来た鬼が私に問いかける。
その表情は好奇心に満ちた子供のそれと言うより、私という存在を確かめるかの様なものだった。
「……私にも分からない。」
「じゃあ、もう一つの顔は何をしているの?」
「未来を、創っている。私だけに都合の良い未来をね。」
もちろん、それらは私自身の意思で喋った言葉ではない。
まるで自白剤でも飲まされた様に、私の口はスルスルと真実を零して行く。
既に、鬼へ能力の本質を喋ってしまった。
それだけで鬼が私を驚異と断定することはないだろうが(そんな脳は持っていないだろうが)、このままコレを続けさせられれば、私の正体や目的を包み隠さず喋ってしまうだろう。
「未来を作るってどういうこと?」
「私が想像した通りに世界が収束するんだ。」
「”しゅうそく”って?」
「世界中の皆が私の想像の通りに動いてしまう。」
好奇心なのか、なぜ私へ質問をする?
鬼であろうと、誰であろうと、私に何もしなければそれだけで幸せだと言うのに。
全く無関係の因果が私に牙を向いているぞ……
私へ渾名す運命がこの時代にあるのだとすれば、それは5年前に始末し損ねた因果だ。
(無関係の因果と言うならアリナ・バァラクーダという存在そのものがソレだが)
「どうして、二つ目の顔を使うとそんなふうになっちゃうの?」
何の因果か知らないが、陥ってしまった危機。
これ以上、私の身に纏わり付く魔力が増強されない内に右の首で身を守るのだ。
代償は伴うが、短時間で強力な運命を創れば例え鬼の魔力だろうと突き返す筈だ。今ならば。
現在、右の首が作用している『仕組まれた運命』の一部を『解除』する。
「例えば、この世界は果てしなく広がる『円柱』の様なものだとする。」
「……?」
「空のずっと彼方からは、今も目には見えないが、絶えず『幸運』や『厄災』の運命が降ってきている。それは実体を持たず、地面に衝突しても地面をすり抜けてしまうんだ。地面をすり抜け、やがて円柱の最深部へ到達した『幸運』と『厄災』はまた再び空の彼方へ戻り私達のもとへ降ってくる。もし、『幸運』が降ってきた地点に私が居て、『幸運』と衝突したのなら、私は幸運になるんだ。『厄災』も同様だがね。」
鬼は誰かに何かを尋ねる時、いつもこうして無意識に魔力を働かせていたのだろう。
だから、鬼は相手が真実しか喋らない事を潜在的に知っている。
とてもいい子だね。
私の言葉の一つ一つを理解しようとしている勤勉な表情だ。
「今この時も、『幸運』は降っている。そして『厄災』も。」
私は鬼の立つ座標を静かに指さした。
「そこがその位置だ。"私が決めた"。それが右の首、クリエーション・ワールドの能力だ。」
「……へ?ここ?」
その直後だった。
周囲一帯を囲うオオトバネムシの群れを縫う様にして、上空から何かがこちらへ接近した。
「あ!ポールモッカット二ーだ!」
鬼が奇天烈な名で呼んだのは、先程、私が言葉を交わしていた”喋る鳥”だった。
正確にはそれと同種の鳥だ。
どこにでも生息している種類だし有り得ない話という訳でもない。
元々教会に居た彼が鬼の飼育下にあったと考えれば、『ポールモッカット二』というのが彼の本当の名だったのだろう。
「知っているのかい?その鳥。」
「お引越しまであたしがお世話してたんだ。」
「ふーん。まあ、どうやらそれが君にとっての『厄災』らしいがね。」
右の首は既に、私の身を守るよう世界を収束させている。
あの鳥がどう作用するか知れないが、あれがこの状況をどうにかしてくれるのだろう。
「ワッチャン!ワッチャン!」
「あ、あたしのこと憶えててくれたの?」
「ワッチャン!ワッチャン!」
私から視線を外している内にと、私は教会側へ踵を返したのだが、しかし直後に足は硬直し全く動かない状態となった。
さっきと同じだ。
「まだ、質問は終わってないんだけど。」
ポールモッカット二を抱きながら鬼は言う。
どうやら、これは想像以上にじれったい戦いらしい。
かける時間は幾らでもあるから良いがね。
しかし、その先に続く言葉を遮るようにポールモッカット二が羽音を掻き鳴らした。
「あ!それはダメ!モッカット!それダメー!」
彼(恐らくオス)は鬼の懐をひとしきり啄み、そしてピンク色の小さな小瓶をクチバシに掴むと、そのまま上空へと羽ばたいた。
あの小瓶が何なのかは知らないが、先程もあれを落として慌てふためいたのだし、相当大事な物なんだろう。
「クェー!」
「待ってー!」
鬼は私のことなどそっちのけに上空を舞う彼を追った。
鬼なら直ぐに彼を捕まえてしまうだろうが、しかしチャンスだ。
この”切っ掛け”を更に右の首で”助長”する。
───そんな一連の出来事の傍ら、台風の目に取り残された妙な膨らみの女が、怪訝そうな視線をこちらへ向けていた。
右の首 ②
右の首が未来を創る為に特殊な『エネルギー』を働かせていると仮定した話である。
右の首の持つ『エネルギー』には総量があり、別々の未来(運命)を同時進行で操るのなら、それぞれに割く『エネルギー』の割合を決めなくてはならない。
例えば、足元にいるゴキブリを払い除けたいという願望と、目の前の鬼をどうにかしたいという二つの願望があった時、両者に割く『エネルギー』の塩梅は1:9といった具合である。
すなわち、既にエネルギーの大部分を使用していた場合に突発的な驚異が迫った時、身を守れる強力な運命を創る為に割くエネルギーを確保しなくてはならない。
そうなると、既に使用していたエネルギーのバランス(均衡)が崩れてしまう。
現在のチーズ・ヴァーガーはそんな状況である。




