54話 ハイビスカス・ローズヒップ ⑤!?
───そこにあるのは、嵐の翌日の様な静けさだった。
気付いた時、そこから見えたものは……私達のテラス席に置かれた、一つの空いた椅子。
倒壊した家屋を見つめる誰か。
過ぎ去った軍勢から取り残されたオオトバネムシ。
嵐に揉まれ、鱗粉にまみれたジョジョリオン10巻。
「エジプトは…… 彼は何処へ……?」
「消えたさ。何処へかは分からないがな。」
エジプト・ド・エジプト……私達は今の今まで、一体なにと会話をしていたのだろう。
『人ならざるもの』彼は間違いなくその類であった。
「彼は恐らく……いつからかこの『場所』に根付き、いつしか忘れられた『気』の具現だったのだろう。『気』とは、それとは別に『風土』や、その土地に限られた『条理』とも言い換えられる。『気』はその『場所』に適した形で徐々に形作られて行くものであり、その『場所』に不可欠な存在意義がある。」
彼は説明した。
噂で聞いたことがある。
このプロモセラ区では、いつの時代からか”恋愛”は”芸術”だったと。
その失われた風習が、私達の『恋バナ対決』に感化され、再び呼び戻された………あるいはそう言う事なのだろうか。
「なら、何故エジプトは勝負の最後を見届けず消えてしまったの?」
「自らが裁きに掛けようとした不正こそが愛の証明だったんだからな。……君が死んでいたとは驚きだった。死してなお愛する。『条理』の存在意義が崩れ散ったんだ。」
そうか、そう言う風に受け取られたのか。
まぁ合ってるけどさ。
エジプトは審判だった。だが、恋愛マスターと言えど死者の愛までは理解出来なかった。
当然、理解出来ないものに優劣は付けられない。
そこは恋愛マスターとして、この地の『条理』として譲れないプライドだったのだろう。
そして、それはそのまま『条理』としての存在意義の崩壊だった。
「ま、元々イレギュラーな『条理』だったからな。」
「ん?どゆこと?」
「アリシアも後で調べてみると良い。かなり興味深いぞ。」
徐々に形造られる『気』にイレギュラーもクソも無いだろ、と思ったが、まぁどうせ暇なんだし調べてみようと思う。
「そして、死んでいる事に関してはあまり悲観するなよ。まだ死んでない俺に何も言う権利なんて無いかも知れないが、アリシアは確かに死んでいるかも知れない……だが、まだ終わっちゃいないんだ。」
今頃、思い出した様に赤みやつやを取り戻した私へ、彼は言う。
「な、なんで……?」
「君が恋する乙女だからさ。」
「………(キュン///)」
「そうさ。ジョジョリオンの名言風に言うと、君には思い出と夢……そして愛がある。」
なんだか少しだけ、ほんのちょっぴり救済された気がした。
悲観しているつもりは無かったが、恋愛面で奥手になっていた辺り、やはり悲観していたんだろう。
そして、私を励ましてくれて、更にあの名言を憶えているジスクール兄さん!
やっぱり好ゅき!
「それで……この”ハイビスカス・ローズヒップ”だが……」
「うげっ!」
「俺が飲むよ。」
一体、私のもとへ運ばれてどれ程が経過しただろう。
既に冷え切ったいる上に、先程の嵐で周りに数滴ばかり飛び散っていた。
その姿は何とも下品であった。
それを自ら飲もうなんて言うんだから、この人、気でも違ったのかな?と思ってしまうのも必然だろう。
「目的は果たしたしな。アリシアのお陰だ。」
「………?」
まさか、ジスクール兄さんの真の目的は『恋バナ対決』で私に勝つ事ではない……
私とこの地の『条理』に挑み、勝つ事だった!?
エジプトの正体を推察したことから察するに、全ては計算尽くだった。
古来の風習を模倣し、古来の『条理』を今一度呼び起こす事も。
それに対し、愛を以って制圧する事も。
彼は言った。
『俺は真の幸福とはサスペンスにあると思っている』と。
興味本位で『条理』に挑んだと言うのか……
本当に、恐ろしいお人だ。
だが、そんな彼が、今まさに手にしようとしている”ハイビスカス・ローズヒップ”のカップを私は素早く奪い取った。
「んなッ!き、君は何を……ッ!」
「ッ!」
彼の反応が追い付く前に、私はそれを一気飲みしてみせる。
口腔を駆けた醜悪の権化は死んだ肉体にさえ染み渡り、筆舌に尽くし難い残酷な一撃となった。
もし私が生きていたなら、これが致命傷となり息絶えたに違いない。
「ぷはぁ……」
「の、飲んでしまったか……」
「だって私の負けじゃん?ただ一回死んだくらいで本質的な愛を見失ったんだから。」
しかし、私はこれを敗北の証とは受け取らない。
始まりだ。
私(27際)は今一度、彼に恋をする。
その祝杯として受け取ってやる。
「なら良いさ。喜んで差し上げるよ。正直、死んでも飲みたくないしな。」
「でしょうね。」
ブーン…
ブーン…
綺麗に締め括ろうとした私達の頭上に何とも気に障る羽音が走る。
はぐれたオオトバネムシの残党だろう。
小癪な。
シュッ!
そんな擬音があったかは分からないが、私は無意識に神速の左手でオオトバネムシの残党を器用に捕らえていた。
そして、擦り潰してテーブルに黒い染みを作ってやろうと思ったが……それは流石に可哀想なのでやめておいた。
それが天上的人間様からの最大の恩赦と知れ。
そうして我が左手から飛び立つオオトバネムシの姿からは、奇妙な哀愁を感じられた。
今の、エジプトは見ていただろうか。
本当は、女ってだけで虫が苦手だと疑われたのが少し癪だったのだ。
ジスクール兄さん、死者、そして『条理』の具現。
そんな、朝方の尋常ならざる者の集いであった。
───ここに、『恋バナ対決』は終局した。
「あ、アリシア~~!」
喫茶店に面した通りの彼方から、私の名を呼ぶ声がする。
私の心を揺さぶる声だった。
「おや、弟がやって来た様だな。あいつとも6年振りか。」
恐らく、あの時、私があのまま”厄災”に飲まれていたのなら。
私はここで、彼に振られる運命にあったのだろう。
そう思えた。
「アリシア~大丈夫かぁ~……ってギョエー!ジスクール兄さん!?」
彼は小説のキャラの様にぶったまげてみせた。
「久し振りだな弟よ。今アリシアと恋バナしてたんだ。」
「はぁ!恋バナ!何でアリシアとなんだよ!兄さんは俺と恋バナするんだろ!?」
「そうだな。帰ったら俺と恋バナしような。」
そう言えば、彼とは今や同棲している様なものだが、いままでからかってばかりだった気がする。
「ねぇ」
私はふと、兄弟の感動の再会に割って入ってみた。
「あん?なに?」
「好きだよ。」
からかう感じとかじゃない。
彼の目に向けた心からの言葉だった。
そう言う事を偶には言ってみたくなったのだ。
彼は助けを求める目ででジスクール兄さんを見つめた。
「あ……そ、そう言えば、家が瓦礫と化したよ?」
「え?」
「は?」
『恋バナ対決』は終わった。
最終的にハイビスカス・ローズヒップを完飲したのはアリシアであったが、彼女は真に敗者だったのだろうか。
ジスクールの恋愛の王道を行く地上的な『愛』か、アリシアの時を越え死してなお貫く天上的な『愛』か。
あなたはどちらが優れた愛と考えるだろうか。
その昔、想起説を唱えたプラトンは、イデアと結び付いた時に感じる天上的『愛』と地上的『愛』とは完全に分けるべきだと考えた。
ならば、エジプトの言ったようにこの二つの愛に優劣を付けること事態が無粋なのかも知れないが。




