53話 ハイビスカス・ローズヒップ ④!?
───突如、プロモセラ区に発生したオオトバネムシの渦。
幾千万もの生命の慟哭は阿鼻叫喚の地獄絵図を生み出す。
それは、もはや自然災害の域であった。
私は直視する。
嵐の中心、その席を占め、語る愛は何処へ終局するのか。
私達の『恋バナ対決』は続く……いや、始まる。
◇◇◇
心とは曖昧である。
人は人の心を言葉や行動から見る事しか叶わない。
真に心を知る者は自分だけ……いいや、自分自身だって怪しいものだ。
言葉とは曖昧である。
言葉は心を正確に語らない。
その人の言語力に依存し、時に虚構を弄ぶ。
つまり、愛とは曖昧なのだ。
言葉から、それも一個人の主観を一個人の主観で優劣を付けるなど荒唐無稽と言える。
愚かな行いだ。
ならばエジプトは正しいだろう。
言葉ではなく、心を見抜く。
”淘汰”に抗った者こそが、真に愛を重んずる者だと。
「さて、次の質問だ。」
「こ、この事態は……あんたの仕業なのか!?」
ジスクール兄さんの問いに、しかしエジプトは表情を変えず。何も返さなかった。
去来したオオトバネムシは既に数十匹と、兄さんの身体に張り付いていた。
にも関わらず、”ハイビスカス・ローズヒップ”だけは身を挺してオオトバネムシの魔の手より守り抜こうとする姿勢からは、やはり『誇り』と『仁』の心が伺えた。
「君達は想い人のどういうところに最も惹かれるのかね?」
「顔かなぁ……」
「何を考えてるのか分からないのに、時々甘えてくれる。……そんなところかな。」
私達は悟った。
これが『戦い』なのだと。
筆舌に尽くし難い羽音に紛れ、愛を語った。
「………。」
しかし、しかし何故だろう。
今の私の返答に後ろめたいものは何も無かった筈だ。
だが、今の一瞬、エジプトは私の返答に対し懐疑的であるかの視線を向けたのだ。
「今の質疑で、私はこの勝負に決着をつけたよ。『おおよそ』なんかじゃあなく、確実な『勝敗』をだ。」
エジプトのその言葉は、嵐の中でさえ確かな存在感を持っていた。
「なに?今の一答でか?」
「そうだ」
「それで俺達の『愛』に明確な『差』を見出したと言うのか?」
「そうだ!」
あり得ない!
もし、今の『どこに最も惹かれるのか』という質問から雌雄を決したと言うのなら、エジプト!あんたは『心』を差し測れてなんかいない!
「だが、たったの一問で『愛』を測られたのでは敗者には収まりがつかないだろう。故に聞く。君達は私から勝敗の是非を聞く前に、納得の為、もう一問必要だろうか?」
「当然だ。」
私は言った。
今さっきの、私への視線。
勝敗が既に決していると言うなら、それはきっと私の”敗北”だ。
だが、私はそれに納得がいかないだろう。
何故ならば、あの視線の意味が分からないからだ。
訳も分からずジスクール兄さんに二本目を奪われるとなると、2対0 ……つまり、私の負けが確定してしまう。
「良いだろう。なれば聞こう。子を設けるとすれば、君達はそれはいつ頃が理想なのだろうか?」
付近の阿鼻叫喚、素材の脆い建造物の何件かは倒壊すらしていた。
そして、オオトバネムシの羽音。
比喩表現なんかじゃなく、本当の嵐。
種々雑多な雑音が私達の言葉を阻害した。
「……ッ」
しかしその時、私の言葉を遮ったものは、そうした雑音ではなかった。
『夢』を語ろうとした。
だが、その言葉は胸の小さな痛みと共に、喉に引っかかって出て来なかった。
「俺は既に第一子を授かっているが、二人目と言うなら後二年後くらいだろうか。流石に向こう一年は忙しくなりそうだしな。」
「私は、自分の色々が来年には片付くから、それ以降なら彼次第でいつでも大丈夫かな。」
やはりと言うべきか、一瞬遅れをとったのは私だった。
克服すると言ったが、やはり一度や二度では仕切れないものがある。
エジプトが『言葉』を基準に勝敗を付けているなら、またしても私の負けだ。
「………。」
そして、先程同様エジプトの鋭い視線が私へ向けられる。
「うむ、結果は変わらずだったな。───勝者(WINNER)と言うなら、ジスクール……君が相応しい。」
彼の口からは、最も恐れていた現実が紡がれる。
大層腹に据えかねる結論であるが、だが、とは思いつつも、それがどんなものであれ彼に対し”後ろめたいモノ”を持っている事も確か。
それを踏まえれば妥当な判断なのかも知れない……
「アリシア、君の心には未だ想い人に対し後ろめたいモノが隠れ潜んでいる。それに対しておおよその検討はついているが、しかし飽くまで決め手ではなかった。もし勝敗への判断材料がそれだけであるなら、私は最低でも後一度は君達に問を投げかけただろう。」
そう言ったエジプトは、私達に周囲を見回すジェスチャーをしてみせた。
「このオオトバネムシの軍勢は今や地震や洪水に肩を並べる”災害”と言える。見よ。この惨劇のありようを。人は叫び、家屋は滅び。それが現実だ。しかし……」
そうして、彼は再びこの喫茶店テラス席へ視線を移す。
「何故……この喫茶店は、倒壊は愚かそもそものオオトバネムシの数すら少ないのか。不自然ッ!……そうは思うまいか?オオトバネムシに限らず殆どの生命は”魔力の流動”を警戒する本能がある。」
「ッ!」
ま、まさか……ッ!
エジプトの疑いは……最初から私の”回答”に対するものでは無かった!
もっと本質的ッ!そして致命的な……ッ!
ルールに基づく『不正』に対するものだったッ!
この喫茶店を取り巻く状況。
ジスクール兄さんは数十匹のオオトバネムシを相手に大変そうだが、しかしそれだけだ。
「アリシア。君の魔力の痕跡を……探っても良いだろうか?」
「ッ!?」
その時、私の背を冷え切った”人の手”が撫でる様な感覚が走った。
比喩的表現なんかじゃない。
服越しにではなく、私は『背筋が凍る』と言う言葉を今、その身をもって実感した。
後ろにナニか居るのだろうか。
そう思い、少しだけ首を曲げるが……
しかし当然、振り返った先にはナニも居ない。
だが、事態は予想を越えて奇怪だった。
まだ……背後に感じたモノは、私の『背後』からピタリ離れようとしないのだ。
振り返っても、更に向き直っても、それは私の『背後』にいた。
闇、と言う形容が正しいのかは分からない。
恐ろしかった。
そして、それを堺に目眩や貧血に似た症状が私を襲う。
瞳は、そのまま世界の有り様を映していると言うのに……
視界の及ばぬ先に、不明確な不穏がある。
視界がボヤける……
気分が悪い。
オオトバネムシに刺されたのだろうか。
「アンタ、不正ヲシチマッタノカ?」
「誰だ…………ッ」
「彼二審判ヲ頼ンデオキナガラ、不正シチマッタノカッテ聞イテンダゼ?ガハハ……」
私は、気づかぬ内に……何か、開けてはイケない蓋を開いてしまったのだろうか。
背後の闇は私に語りかけたのだ。
その世俗的な”不気味”のニュアンスを裏切る、奇妙な”不気味”を私の語彙では語るに語れなかった。
「君は女性だし、もしかしたら虫に苦手意識があったのやも知れぬ。しかし、その程度の浅い感性にさえ後塵を拝する愛などこの場には不要。」
同じテーブルを囲んでいる筈だが、そのエジプトの声は遠くから語られた様に感じられた。
己の意識が背後の闇に取り攫われる様だった。
「本来、人が異性を愛す時、その愛はどんな逆境、条理にさえ抗うものでなくてはならない。子孫繁栄は生命の至上命題。愛とはそれを円滑に遂行する為に人類が見出した摂理だからだ。それは世の歴史から見ても明白。」
エジプトの声も、今こそ語るべき想いも、全てが遠かった。
そして、最も間近に迫る闇があった。
「ヒトツ忠告シテオクゼ?アンタラノ『ハイビスカス・ローズヒップ』ハ地上的賭ケノ成立ダ。ダガ、アンタラハ彼二審判ヲ頼ンジマッタ。魔法ノ行使ハ試合再開前二予メ禁止サレタ。彼ノ審判ノモト不正ヲオコナッタ場合、天上的賭ケノ制約カラ別ノ”罰”ヲ受ケルンダゼ?」
この闇は、恐らくジスクール兄さんには見えていないし、聞こえてもいないのだろう。
私には、こんなにも、脳に直接囁かれている様にハッキリ聞こえるのに。
「愛二優劣ヲ付ケルナンテ、ソモソモ無粋ナ事ダガ、敢エテ無理矢理、敗者二罰ヲ与エルナラ……ソレハ『想イノ不成就』ダ。オレハ、アンタノ想イヲ断チ切ル”厄災”ソノモノナンダ。」
まずい。なんて奴だ。
このまま、この流れに身を任せては……最も大事な事柄を不意にしてしまう。
待っているのは、女としての敗北。
抗わなくては、狂気の恋愛マスターに。
『想いを断ち切る”厄災”そのもの』だと?突発的なオオトバネムシの軍勢に続き、もはやツッコム気力も失せて消える。
それを呼び寄せるエジプトとは……貴様は一体何者なんだ?
~THE UNLIMITED FANTASY~
「見えたッ!君の身体からはやはり魔力が流れ出ている!これは勝負へ対する、そして想い人への侮辱の証だァ─────!!!」
私の魔力の痕跡を発見したであろうエジプトは高らかに叫喚してみせた。
抗わなくば、それは私の敗北の狼煙であった。
「ア、アリシア……」
「待って。」
闇に引き込まれる意識を根性で呼び寄せる。
『待って』……そう言った先の言葉を、私は言いたくなかった。
喉が震えていた。
そうか。自分で思っているより、私は私を蝕むこの現象を悲観していたのだろう。
「私は確かに魔力を行使していた。けど、それが……あんたの言う『特例』に当て嵌まるんじゃないかと思って。」
「なに?」
『忘れていた』……と言うと、ひどく間抜けに聞こえるが、私はこの恋バナ対決が始まるずっと前から魔力を行使し続けている。
そう言う事実は確かに存在する。
しかし、私に言わせれば、それは止む終えない事情によるところなのだ。
私はエジプトへ向け、右腕をテーブルに置いた。
そして、ピンを外してから頭を揺さぶり、前髪を下ろす。
「今、魔力の流れを閉じた。すまないが、私の腕に触れてみて欲しい。」
エジプトの、私を追い詰める瞳には、当惑が混じりつつあった。
少しの間の後、エジプトの指先が私の腕をなぞる。
きっと、その指先には……”体温”も”脈拍”も無く、どこまでも無機質な感覚が走っただろう。
そうしている間にも、私の皮膚からは赤みが消えて無くなっていく。
だから前髪で瞳を隠したんだ。
あまり、見られて楽しいものじゃない。
「これは、どういう事だ……ッ?」
「触れて、感じた通り。私───死んでるの。」
だから、この身に『生』を与える為に魔力を利用していた。
今この瞬間まで……
それが、『止む終えない事情』と、彼への『後ろめたさ』の訳。
太陽の呪い ①
アリシア(大)の肉体は死んでいた。
少なくとも、そう形容するに相応しい状態だった。
しかし、同時に彼女は生きてもいる。
死んでいながら生きる者。
当然だが、この世界に死者が生きながらえる「理」など無い。
ならば、彼女は如何にして「理」を越えた存在となったのだろうか。
それが恐らく、今現在のアリシアと彼女との狭間に存在する空白の11年間の要である。




