51話 ハイビスカス・ローズヒップ ②!?
事のあらましを語る前だが、まずは少しばかり後程の話をさせて貰いたい。
その日の昼、私は各蔵書類からこのプロモセラ区の歴史、文化についての情報を洗っていた。
プロモセラ区は首都の一部として認識されてはいるものの、その一箇所に関する記述を紐づけて行くにはかなりの労力を要した。
しかし、導き出された推論にはそれなりの、ある種の興味深さが見えた。
『場所』というのは必ず『気』に満ちている。
簡易な例を上げれば、それは墓場であったり城の中であったり。
それらは常人でもその特異な『気』を感じとる事が出来るが、それ以外の地にも当然『気』は満ちており、感じない程度に差異もある。
境界線こそ曖昧にぼやけているが、『場所』とは一つの『島』であり、そして『世界』だ。
集積の結果として、飽くまで私個人として感じた事なのだが、プロモセラ区には二つの『気』が混在している様に思えてならない。
『気』と『気』とは水と油の様に決して溶け合う事は無い。
互いの『気』が主張し合い、その歪は時にカオスを生む。
だがそれは、結局のところ有り得ない話なのだ。
そもそもに置いて、二つの『気』が混在するなど仕組みから考えて不可能な事案だ。
『気』とは時を経て徐々に形作られて行くものであり、そこには本質的に境界線は無い。
人間の作る境界線が『気』に曖昧ながらも隔たりを創り、そうして『場所』となる。
だからこそ、不可解であり、惹かれるのだ。
裏付ける証拠(と思われるもの)は見つかっている。
今は廃れているものの、ある時を境に根付いた文化として、この地では『恋愛』は『芸術』であった。
恋に落ちた者達は互いに愛の深さや美しさを競い合った。
『場所』が、そうさせる独特の『気』を形作っていたからだ。
ではその文化の発端はいつだったか。
私の推測では、それは今から100年程前……つまり1900年代にプロモセラ区に振って来た一つの”石”に起因する物と考える。
昔の文献故、確実性には乏しいが、その直系40cm程の”石”は確かな霊力を纏っていたと言う。
そして、その”石”に付着していたと思われる土は、その土地元来のものとは微妙に異なっていたとも言う。
つまり、物理的に隔絶されていた、ある場所とプロモセラ区との境界線が不意に壊れ、ある場所にあった”石”が土とその地の『気』を帯びて現れた。
ならば、プロモセラ区の人々がその『気』を霊力として感じてもおかしくはないだろう。
極端な話だが、墓場に居た者が唐突に王城へ空間転移したとすれば、その者は急激な『気』の変化を感じる事が出来るだろう。
しかし、そんな事が自然に起こる筈が無い。
そう言う話なのだ。だから不可思議なのだ。
境界線はいつ、何の為に乱れたのか……あるいは私の推測は間違っているのか。
しかし、一つ確かな事……
それは今朝の『恋バナ対決』はこの地古来よりの文化の”模倣”だったのだろう。
何故ジスクール兄さんはその”模倣”を行ったのか。
では、事のあらましを見て頂こう───。
◇◇◇
「いきなりだが、まずは君の現在の恋愛事情を聞かせて貰いたい。」
「人に恋愛事情を尋ねる時はまずは自分から、違うかい?」
勝負の盤面に立った以上、私は本気だ。
愛の位が物を言う勝負なら、勝つのは私だ。
主導権は取らせない。
「……そうだな。良いだろう。妻の名は”2015・W (ワリンダワリンダ)・ボイ”。出会ったのは5年前、4年の交際期間を経て去年、正式に籍を入れた。先に好きなったのは恐らく俺の方だろうな。その時の俺の職場は実に女性に恵まれていた。そこに未来の妻も居たんだが、俺は滑稽な事に他の女性達に日替わりで目移りしていた。そして、中でも”コロラド・エフィリス”という女性が俺の目には特に魅力的に映ったんだ。ま、正直に言おう。惹かれた理由は顔と胸部だったよ。しかし、当然未来の妻の事も魅力的だとは思っていたんだ。そんなある日、俺は単純な好き度で言えばエフィリスちゃんの方が好きなのだが、それとは無関係に未来の妻の事を一番に好きになりたいと思っている自分に気が付いたんだ。それからは早かった。日を重ねる毎に彼女への想いは肥大化の一途を辿ったよ。そこで俺は思ったね『あぁ、恋ってこういう事か』、と。俺は『恋』を真に理解した。『恋』とは好き嫌い以前に存在する『その人を好きになりたいと言う欲求』の事なんだとね。俺は運命の人に告白をした。そうして今があるんだ。」
ただ一つの質問に対し、即興で妻との馴れ初めを長々と、そして赤裸々に吐露出来る芸当には純粋な敬服を覚えた。
「ヤッタ回数まで知りたいかい?」
「そりゃあ愛を測る上で重要な指標ですよ。」
即答した。
そりゃあ即答しますよ。
ヤルかヤラないか……それは人間(生命)の最も本能的な選択だ。
故に最も純真。
「100は越えていると思うな……それ以上は分からない。」
「お盛んで。」
「そう言う君の方はどうだい?君が俺の弟に惚れ込んでいる事は既知に事実だが、俺には分からない。正直に言って、アイツの何処がそんなに魅力的なのかがね。」
そうしてターンは私へ回る。
だが、それこそが既に、私の術中よ。
「421文字。」
「……なに?何だって?」
「『、』や『。』を差し引くと421文字だ。兄さん、貴方が今口にした恋物語の事ですよ。」
「数えて、いたのか……?」
この『恋バナ対決』には明確なルールが無い。
つまり、勝ち負けに公正さが欠けている。
そのゲームモデルの欠陥を逆手に取らせて貰う!
先手を取らせたのはその為だ。
まず相手に想いを吐かせ、それを踏まえた上で自分のターンで相手を凌駕すれば良いのだ。
「ジョジョリオン───それは呪いを解く物語。ジョジョリオンは明白に私の人生の一部だ。私の人生も……あるいは呪いを解く物語なのかも知れない。」
テーブルの上の”ジョジョリオン10巻”に手を添え、私は静かに口を開いた。
「な、何を言っている?」
「紙って言うのは灰になるまで燃やしても、インクの付き方次第で紙ごとに灰の状態が違うと言われている。」
「………?」
例えば、本Aと本Bを燃焼したとする。
だが、当然本Aと本Bでは書かれている内容が異なる為、紙に付いているインクの付き方もまた異なっている。
インクの付き方が異なれば、二つの燃やされる過程にも必然的に違いが生じるだろう。
そして、その後に残る灰の状態もまた本Aと本Bでは異なり、現実的ではないが灰の状態からその灰がどちらの本のものであるかを推測する事も出来るのだ。
「兄さん。貴方は魔法でどこまで修復する事が出来る?」
「な、なにをやっているぅ────ッ!アリシア・バァラクーダ───ッッッ!」
周囲に物の焼け焦げる異臭が舞った。
私の指先から放たれた微小の魔力は、瞬きの間にジョジョリオン10巻の紙面に緋炎を走らせる。
ジョジョリオン10巻……それはジョジョリオン全体で言えば、かなりどうでも良い部分であるが、それでも何処も欠けてはならない。
それがジョジョリオン。完成された物語だ。
「『勝負』だ!兄さん、今からジョジョリオン10巻が燃え尽き、灰となる前に負けを悟ったのなら魔法で修復しろ!その実力があるならな!」
「馬鹿な!正気の沙汰じゃあない!君は俺の魔法の練度がどれ位なのか知らないだろ!?」
そうだ。私はジスクール兄さんがどれほど魔法を扱えるのか、全く知らない。
全ッ然分からない。
だが、ならば魔法がド下手でも修復出来るくらいに、燃え尽きるより圧倒的に早く、愛でまくし立てれば良いだけだ。
「違う!『覚悟』だ!全ての『勝利』の始まりに『覚悟』がある!27年の人生を経て理解したこの世の条理だ。」
そして、私は”バン”とテーブルを叩いた。
「良いか!?私はタイムリープ前にアイツと三度だけヤッタ!でも、タイムリープして以降は一度もヤッてない!」
「何故だ?常識的に考えて、恋人の様な二人が一つ屋根の下で過ごせば”何か”起きない筈が無いだろう?」
「私がそれを意図して避けてたからだ。私がその場の情欲に溺れてしまえば、アイツにとってはそれが初体験になってしまう!そうなれば、未来の私達の初めての思い出が覆される!私だけが処女だった事になってしまう。私はあの時の思い出がアイツにとっても初体験であって欲しいの!だから私は、私(小)がタイムリープする2001年までは絶対にヤラない!あの時の思い出と、愛の為なら私は『10年の歳月』と『ジョジョリオン10巻』を犠牲に出来る!」
「───。」
人智を越えた饒舌であった。
机上には、まるで時が巻き戻ったかの様に平穏無事なジョジョリオン10巻が鎮座していた。
焦げた異臭も炎炎の煌めきも、そこでは全てが無に帰していた。
「まずは、君の覚悟と愛の深さを素直に賛美したい。」
テーブルに向けて右手を突き出したまま、兄さんは言った。
その右手は既に魔力を放出した後なのだろう。
「だが、それが俺の愛を上回っていると言うのはどうかな?俺が炎を消したのは、タイムリープ経験者ではない俺にとって、君の10年と言う歳月の重みを理解する事が出来なかったからだ。だから、一つ聞きたい。」
「何です?」
「君は弟への好き度を数値で表すとしたら何になる?」
その瞳に”負け”の色は無かった。
ただ、私を試すかの様で……
「無量大数……?」
「そうか。因みに俺の妻への想いは無量大数+1だ。………そう言う事なんだよ。要するに後出しジャンケンだ。君が俺と比べて勝っていたのは純粋な『愛の深さ』と言うより『合理的な判断力』の方だ。合理や論理はこの『恋バナ対決』に置いて邪道。愛には愛で返すべきだと思わんか?」
って言ってるそれも論理じゃん。
と思ったが、それではイタチゴッコになるので私はもっと本質的な部分を突くことにした。
痛い所を突かれた、と思っただろう?
私は兄さんの行動を見越して、その場合の展開も考えていたのだ。
「じゃあ言わせて貰うけどさぁ。そもそもゲームモデルに問題があると思うんですよ。明確な勝ち負けの基準が無い。これじゃあイタチゴッコ不可避じゃんね。」
「……まぁ、一理あることを認めるよ。この『恋バナ対決』は元々俺の職場の飲み会で生まれたゲームなんだ。あの時はそれはもう盛り上がったんだが、シラフでやるとルールの自由さが浮き彫りとなるのも当然の事だ。ならば……」
私はふと視線を逸らすと、さっきまでは誰も座っていなかったテラスの別席に人影を発見した。
そして、どうやらジスクール兄さんもそれに気が付いた様だ。
「あの男に審判役をやって貰おう。それなら文句は無いだろう?」
「えぇ、それなら……まぁ。」
プロモセラ区『1901年』
その日、プロモセラ区上空に一瞬だけポッカリと『穴』が空いた。
直ぐに閉じたその『穴』は何処へ続いていただろうか。
曇天に生じた『穴』の中には”青空”が広がっている様に見えた。
それはまるで、異界の空であった。
そして、『穴』はプロモセラ区の地上に一つの『石』と付随する土を落とした。
だが、それは目に見える物。
見えないモノも『穴』は齎していた。
『気』である。
その一瞬を堺にプロモセラ区では二つの『気』がせめぎ合った。
プロモセラ区の川端に落ちた『石』だが、その後、地元民が解析を試みたものの、特に何か分かるでも無く、この事案は『石』に括り付けられていた縄と木板に施された解読不能な”文字列”と共に迷宮入りとなった。
解読不能とされた文字列は以下の様な形状をしていた。
『地主神社 恋占いの石』
───そんな情景を1匹の蝸牛が傍観していた。
いや、もう3匹くらい居たかも知れない。




