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そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)5.4 < chapter.8 >

 その後、戦意を喪失したアーサー・ベルガティスは身柄を拘束され、マクヴェイン家の私兵隊へと引き渡された。貴族領では現地の法令が優先されるため、まずはマクヴェイン領の法令に則って不法侵入、器物損壊、暴行等の取り調べを受けた後、騎士団本部に移送される。

 しかし、アーサー・ベルガティスは騎士団の追跡を振り切り、七十年の長きに渡って逃げ続けた機械化兵サイボーグである。人物像のインパクトが強すぎるため、迂闊な情報公開は騎士団の信用と信頼を損なうばかりか、不必要に国民の関心を引きかねない。せっかく実行犯が洗いざらい白状してくれても、彼の存在については報道・裁判で一切触れられない可能性が高い。

 ゴヤは慎重に言葉を選び、ジュディにその点を説明した。犠牲者から直に詳細を聞かされて育った身の上では、そういった小狡い意思決定を受け入れることはないと考えたのだが──。

「構いません。私自身は、あの方から直接何かされたわけではありませんから。その代わり、それ以外のことは何もかも、すべてを世間に公表してください。私のことも、母のことも、祖母のことも。殺された娘たちと、その両親たちのことも。本人たちがそれを望んでいます」

「はい、それはお約束します。ロドニー先輩たちも、その方向で根回しを済ませているはずですし……」

「それと、もうひとつお願いがあります」

「なんですか?」

「しばらくの間、私を騎士団本部に置いてくださいませ。いつまでもこちらでお世話になるわけにも参りませんが、元の家に戻るというのも……」

「あ、それは全然大丈夫です。想定内……というより、実はもう、被害女性用の長期滞在シェルターの用意は出来てるんですよ。明日でも明後日でも、すぐに入居可能です」

「まあ、それは嬉しいわ。でも私、一人暮らしの経験がありませんの。身の回りの世話をしてくれる自動機械オートマトンはつけてもらえるのかしら」

「もちろんです。助産師さんや看護師さんも、定期的に訪問してくれるよう手配します。出産時期が近くなっても、同じ敷地内の騎士団病院に分娩室がありますから。週刊誌やゴシップ紙の記者に囲まれたりしませんよ」

「なにからなにまで、ありがとうございます」

「いえいえ。あと、まだ気が早いかもしれませんけど、出産後のことも、何か希望があったら俺かロドニー先輩に言ってください。出来る限りのことはします」

「ええ。その時は、よろしくお願いいたします」

 そんなやりとりで、話は決まった。

 エンジュレアム・デラムには強姦、監禁以外に十数件の殺人の罪状も追加され、面倒な下院議員が揚げ足を取ることもできないほどに、完全な『凶悪犯』の人物像が確立した。関係者への周到な根回しの甲斐もあり、この日以降、すべては恙無つつがなく、思惑通りに事を運ぶことができた。

 当然、世間はこの件に並々ならぬ関心を示した。

 貴族の醜聞や官僚の汚職など、権力を笠に着た者の横暴なふるまいが明るみに出て無様に失脚する様は、一般大衆にとって最上のエンターテインメントとなる。普段は身分制度のせいで何も言えない市民たちだが、失脚した相手なら話は別だ。貴族も官僚も悪徳商人も、義理人情より我が身が優先。そのような状況下で、やらかした人間を庇おうとはしない。よって失脚した人間をいくら叩いても、どこからも反撃を食らう心配が無いのだ。

 そんな大衆心理を見越して、情報部はわざと報道が過熱するよう、情報を小出しにしていた。一般市民らは公表される情報の順番と内容が巧妙に操作されているとも知らず、見事に誘導されている。おかげで事の始まり、ロドニーに手紙が届いたあの日から三カ月を経た今、旧デラム領の『デラム家本邸』の塀は、張り紙、落書き、糞尿、生ゴミ、焦げ跡、ハンマーや鶴嘴でつけられた大きな疵でいっぱいになっていた。

 公営墓地には気の毒な娘とその家族を悼む『追悼ツアー』の車列が絶えず、墓地売店の売り上げは例年比3000%を突破。

 騎士団本部には勇気をもって身内の罪を告発したジュディへの賛美や励まし、共感の手紙が殺到し、検閲係が悲鳴を上げる事態となっている。

 なにもかも計画通りである。

 本当なら止められるはずの本邸への張り紙や落書きを黙認し、その有様をメディアに報道させることで、「ここが悪の本拠地だ」「事件はここで起こった」「娘たちはここで殺された」と印象付けた。そして大衆の関心を本邸に引き付けたその陰で、王家はデラム家所有の別邸から調度品や美術品をせっせと運び出し、密かに押収品オークションを開催していた。今回の作戦に協力したものの、自領が遠く離れている貴族もいる。そういう貴族は土地を貰っても管理が難しいばかりで、何の得にもならない。このオークションで押収物を現金化し、彼らへの報酬としたのである。

 万事解決。一件落着。事後処理も後日談も、これにて終了。

 と、言いたいところなのだが。

「え!? ちょ……いや、これ、マジッスか!?」

 特務部隊オフィスに、ゴヤの素っ頓狂な声が響いた。

 疑問形ということは、おそらく自分への問いかけだろう。ロドニーはそう判断し、答える。

「おう、マジだぜ。情報部の連中、一番『情報部らしい幕引き』をやりやがった」

「……これ、まさか本当に殺してないッスよね……?」

「さあな。気になるなら直接訊いてみろよ。もしも死んでりゃあ呼び出せるだろ?」

「まあ、そうなんスけどね?」

 そう言いつつも、ゴヤは得意技を使おうとしない。

 ロドニーは唇の端だけで小さく笑うと、ゴヤの手の中の新聞を覗き込む。

 その紙面には、大きな文字でこんな見出しが書かれていた。


〈連続強姦殺人鬼、入院中の病院でも人を殺す!〉


 記事の内容はこうだ。


〈エンジュレアム・デラムは収容されている騎士団病院において、入浴中、介護士に突然噛みつき全裸で逃走。その際、廊下で鉢合わせた入院患者A氏を突き飛ばし転倒させる。A氏は頭を強く打って死亡。

 死亡したA氏は身元不明、記憶障害の男性で、本人の自己申告によれば百三歳だったという。

 エンジュレアム・デラムは浴室から五十メートルの地点で捕縛され、現在は鉄製の拘束具でベッドに固定されている。〉


 情報部の監視下にあって、このような事態は発生の余地がない。エンジュレアム・デラムは初めからずっとマインドコントロールをかけられているし、身柄が置かれているのは騎士団病院ではなく迎賓館だ。嚙みついて逃げ出すどころか、今ではピーコックを『ただ一人の大親友』と思い込み、情報部からのコンタクトを今か今かと待ちわびている。

 これは世論を誘導するための、非常に分かりやすい偽情報であった。

 新聞記事は、こんな一文で締め括られている。


〈老齢で一般刑務所への入所が難しいとの話もあるが、それでもなお厳罰を望む声は多い。〉


「……これ、市民のほうから『刑務所にぶち込め!』『死刑にしろ!』って言わせるために出した記事ッスよね?」

「だろうな。お前の親父とうちの親父がダブルで動いてんぞ、絶対」

「まあ、こっちから『極刑に処すべきだ!』なんて言ったら、死刑反対派の貴族から猛反対されるの分かってますからね……」

「市民の声を受けて、って形に持ち込みたいんだろうな」

「でもこれ……なんで隊長、先に教えてくれなかったんスかね? 親父たちは立場上しらばっくれるとしても、隊長、いつもならコッソリ教えといてくれるのに……」

「それはほら、アレだろ。たぶん隊長、アーサー・ベルガティスのほうにしか興味ねえから」

「え? そうなんスか?」

「おう。だってソイツ、脱走してなきゃ近衛の副隊長だったんだろ? 貴族とはいえ、爵位も無い地方領主の倅にその人事はありえねえぜ。女王陛下から個人的に気に入られてねえと……なぁ?」

「あー……元愛人疑惑ッスか……」

「関係あるか知らねえけど、今朝の隊長、メチャメチャ機嫌良かったよな」

「う……や、闇が深い……」

 事故死として処理された百三歳の身元不明者は、おそらく情報部の管理下で生きている。が、どの程度人間らしい扱いを受けているかは定かでない。ベイカーの機嫌が良ければ良いほど嫌な予感がするのだから、部下としては辛いところである。

「隊長、ライバルには容赦ないからなぁ……っと、そうだ、先輩。くだらねえ話、していいッスか?」

「あ? なんだよ?」

「アーサー・ベルガティスの言ってたこと、まだちょっと引っかかってんスよね。お腹の子の遺伝情報の八分の七が強姦殺人犯と同じっていう、アレ」

「ああ、結局あいつ、ラピスラズリと会話させても納得しなかったんだろ?」

「はい。クローン人間が本人とは別人ってところは理解してくれたのに、なんでだろうなぁ、と」

「年取って頑固になってたんじゃねえか?」

「かもしれねえッスけど、そんなに血の濃さを問題視するなら、アーサー・ベルガティスは四分の一が一致してるんスよね。そっちはいいのかよって思っちゃって、なんかモヤモヤしてんスよ」

「四分の一……? えーと……あ、そうだな。エンジュレアム・デラムとは、伯父と甥の関係だもんな。アーサーの上の世代から受けついだ遺伝情報が四分の一は一致する、ってことだよな?」

「アーサーさん、自分のことは『ヤバいヤツ』って思ってなかったんスよね。強姦殺人犯と四分の一も一致してるのに。もっと言うなら、強姦殺人犯を産んだ女とは双子の兄妹で、受け継いだ遺伝情報はほぼ同じなのに」

「あー……そういや、そうだよな。遺伝情報がほぼ一致してるから危険、とか言ってたわりに、自分自身は危険人物リストに入れてねえって……なんかおかしいよな」

「俺、ほんっと~に分かんねえんスけど、遺伝とか血とか気にしまくる人って何なんスかね? 家の教育方針と地域の気風で性格が決まるって説なら、俺にも理解できるんスけど……先輩、ご先祖様の英雄パワーとか感じます? 『英雄の遺伝子、俺の中に入ってるなぁ~!』とか、実感できちゃうモンなんスか?」

「いんや、まったく。まあ俺だって、ネロ・ハドソンの子孫っつー誇りはあるぜ? けど、だからっつって他の貴族連中みてぇに、『我が身に流れる英雄の血こそが高貴な証!』とか言う気はねえし……」

「先輩、何代目でしたっけ?」

「もしも家を継げば二十二代目。継ぐ気なんてねえけどな」

「えーと、二十二代目ってことは、親父さんの代まででオスメスの掛け合わせは二十一回発生していて……電卓、電卓は~っと……」

「あ? 何計算してんだ?」

「具体的に何パーセントか計算してんスよ。英雄ネロ・ハドソンが英雄要素100%なんだから、それを二で割ることを二十一回繰り返して……出ました! 2.380952380952380952381! 長い! ざっくり切り捨てて2.38%とします! 先輩、体重は?」

「68kg」

「じゃあ68に0.0238をかけて……1.6184! 先輩、1.6gくらいネロ・ハドソン成分含まれてますよ! 先輩の英雄要素は1.6gッス!」

「うっわ少ね! コーヒーシュガーでも5gは入ってんだぞ!?」

「イチゴちゃんキャンディ一粒分くらいッスかね? たしかこの箱に……あった! ドーゾ!」

「ドーモ! でもこれ、3gくらいあるだろ? 1.6gならこっちじゃね?」

 と、ロドニーがデスクの引き出しから取り出したのは、セロファンで個包装されたチョコマシュマロである。

 ゴヤはそれを受け取り、手のひらの上でポフポフと数回バウンドさせ、それから吹き出した。

「英雄の重みぃ~っ!」

「もう俺、この先『高貴なる血族』とか言ってる貴族見てもマシュマロしか思い出せねえ! 英雄要素マシュマロ一個分って……!」

 爆笑しながら、二人は『隠しおやつ』を次々取り出していく。そしてそれらを一つずつ手に乗せては、「五代前のご先祖様」「このくらいの重さなら七代前」などと言って盛り上がっていた。

 と、そこにベイカーがやってきた。

「お、なんだ? おやつパーティーか?」

「あ、隊長! ヤベエんスよ! 先輩の英雄要素、チョコマシュマロ一個分でした!」

「うん? 英雄要素?」

「デラム家の話題から血の濃さの話になって、具体的に計算してみたんですよ。うちの親父が二十一代目当主だから、英雄要素100%のネロ・ハドソンから二で割ることを二十一回繰り返して……」

「で、出てきた数字と先輩の体重をかけたら、先輩が受け継いだ英雄要素は1.6gだった、って話ッス!」

「なんと……それだけなのか? たったの1.6g?」

「2%って言われれば『そんなもんか~』って思いますけど、1.6gって言われると衝撃的ですよね!? これ一個分ですよ!?」

 ロドニーからチョコマシュマロを渡され、ベイカーもゴヤと同じ動作を取ってしまう。

 手のひらでポフポフと弾むマシュマロを見て、ベイカーは複雑な面持ちで唸る。

「うぅ~む……? うちの一族は結婚・出産のサイクルが早いからな……父が二十七代目だから……?」

 すかさず電卓を弾くゴヤ。そして出てきた数字は──。

「隊長の英雄要素は1.85%くらいッスね! 体重は?」

「55kgだ」

「55×0.0185は……およそ1gッス!」

「1g! サティ・ベイカーの要素は1gしかないのか!」

「たぶんこれくらいッスね! はい! パチパチラムネのコーラ味ッス!」

「パ……パチパチラムネ一粒分しかないとは……これは衝撃的だな……!」

 そう言いながらも、ベイカーはそのラムネを口に放り込み、パチパチ食感に顔を綻ばす。

「んっ♡ んまい♡」

「ところで隊長、何か用事があったんじゃあ……?」

「おお、そうだ。ロドニー、お前宛の手紙が届いていたぞ」

「うっへぇ~……。隊長が直接渡しに来る時点で、嫌な予感しかしないんですけども~……」

「安心して受け取れ。今日のは、非常にめでたい内容の手紙だ。で、ゴヤ。パチパチラムネには、一日当たりの最大摂取限度量は設定されていたかな?」

「ありません! こちらの瓶ごとドーゾドーゾ!」

「ドーモドーモ!」

 部下から駄菓子をせしめ、ベイカーはホクホク顔でオフィスを出ていった。

 それからロドニーは受け取った封筒を裏返し、差出人の名前を見てニヤリと笑う。

「兄貴からだ♪」

「レヴィさん、支部長試験受かったんスか?」

「だろうな。隊長の口ぶりからすっと」

「おめでとうございます! でも本当はこっち戻ってきて、特務に入ってもらいたいんスけどね~!」

「なー。俺も兄貴と一緒に働きてえんだけどよー。親父が団長に圧かけてるし……無理だろうなー……」

「な~んで駄目なんスかね~」

「正妻の子と愛人の子が仲良しで、何が悪いってんだよなー」

「面倒臭ぇッスね、英雄の子孫って」

「マシュマロ一個分のくせにな」

 二人揃って、パクッと頬張るチョコマシュマロ。

 ふわりと香るココアパウダーは、ほんの少しだけビターだった。




 この会話の四か月後、ジュディ・デラムは騎士団病院にて無事出産を終えた。赤ん坊は身元が分からないよう書類を偽装され、複数の孤児院を経由した上で、地方都市のごく平凡な一般家庭に引き取られていった。

 ジュディも整形手術を受け、顔と名前を変え、別人として生きていくことを決めた。妊娠中に職業訓練は受けている。上級魔法が使え、霊的能力者でもある彼女は、少し勉強すればすぐにでも魔導士として生計を立てていける実力があった。不足している社会経験は、彼女を守護する霊たちに補ってもらうという。

 ちっとも無力でない彼女は、心配する男たちをよそに、自分の足で出ていった。

 以降、特務部隊には時折、息災を知らせる手紙が届く。

 彼女の手紙は、いつだって決まった文言から始まる。


〈勇敢なる騎士様方、覚えておいででしょうか。あなた様に救われた女でございます。母、祖母、メイドたちとともに、皆で健やかな日々を過ごしております。〉


 検閲係は、この文章の異常さに気付かない。

 検閲済みスタンプの押された手紙が、今日も特務部隊に届けられる。


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