そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)5.4 < chapter.7 >
話を聞き終わったあと、ゴヤは霊の実体化を解いた。ただ、シンディ・デラムだけは魔法を解除せず、応接間に残してきた。彼女とイヴァン・マクヴェインの二人には、落ち着いて話をする時間が必要だと考えたからだ。
ゴヤのほうも、数少ない霊的能力者との遭遇だ。ジュディ・デラムと能力について話す時間を持ちたいと思い、彼女を連れて庭に出た。
事件はそこで起こった。
幾何学庭園を散策中、ゴヤは何かを感じた。しかしそれが『殺気』であると気付いたのは、攻撃を受けたあとだった。
「っ! どこから!?」
咄嗟に張った《魔法障壁》で防いだものは、無属性の、最もシンプルな魔弾である。単発の攻撃力・貫通力は低く、生身で受けても即死することはない。せいぜい打撲、運が悪ければ骨折といったレベルだ。けれども長きに渡る監禁状態で筋力、体力共に不足しているジュディ・デラムの場合、話が大きく変わってくる。元々の健康状態に加え、今は妊娠中。直撃すれば母子ともに命にかかわる。ゴヤはまず、自分と彼女に防御魔法をかけ、全力で戦える態勢を整えようとした。
だが──。
「発動、《金剛の鎧》!」
「うぇいっ!?」
ゴヤが魔法を使うよりも、ジュディ・デラムのほうが早かった。しかも彼女が使った魔法は──。
「え、ちょ、ジュディさん!? 魔法使えたんスか!? しかも《金剛の鎧》って、コレ、伝説級の……!」
「ええ。幽閉されていた中央市内の屋敷に、偶然、この魔法を知る幽霊が居憑いていたものですから」
「マジッスか! 最強じゃ無いッスか!」
「そうですね。魔法自体は最強かもしれません。ですが《封魔結界》を使われたら、まったく無意味な魔法です。自分の身を守ることも出来ません……」
「あ……そ、そッスね……」
腹に添えられた手を見て、ゴヤは気まずさに目を逸らす。どれだけ強い防御魔法を身につけても、魔法の発動そのものを阻害されたら、あとは腕力がモノを言う物理戦となる。女性にとってこの魔法は、強姦魔から身を守る術とはなり得ないのである。
(えぇ~っと……正体不明の襲撃者相手なら、この上なく心強いんだけども……これ、どう答えたらいいんだろう……?)
背後にジュディを庇いながら、ゴヤは襲撃者を探す。
暗殺目的だとすれば、初弾の弱さと狙いの甘さが不可解である。ターゲットにされたのはゴヤかジュディか、どちらを狙ったとも判断できない中途半端な位置への攻撃だった。普通は存在を気取られる前に、一撃で仕留めに来る。攻撃直前に殺気を感じさせ、わざわざ殺傷能力の低い魔弾を使う襲撃者など、聞いたことが無い。
(追撃が無い……? なら今の攻撃は、俺をここに釘付けにする目的……いや、違うか。襲撃者にとっては、ジュディさんが魔法を使う事は想定外だったろうし……)
襲撃者は立ち去ったと判断して動けば、そこを突かれるおそれがある。しかし裏を返せば、それは相手を誘い出すことも可能ということだ。今は物理・魔法両用の最強防御魔法が発動中。多少の無茶で怪我はしない。
「ジュディさん、屋敷に戻ります! 俺から離れないでください!」
女性を庇いながら建物の中へと移動する。この動作の最中、騎士は己を『盾』として使う。好きに動くことができなくなる分、襲撃者にとっては攻撃チャンスが増えるはずだ。まだこちらを狙うつもりがあるのなら、この機を逃すはずがない。
と、二人が数メートルほど移動したときだ。
やはり来た。
「うわっ!?」
一撃目と同じ方向から、何の仕掛けも無い、ストレートなダイレクトアタック。けれどもゴヤは、それをいなすことも、ガードすることもできなかった。
あまりにも速すぎる体当たり。
ゴヤはその場に押し倒され、あっという間に組み敷かれてしまう。
「く……このっ!」
まだ完全なホールド状態にはなっていない。ゴヤは必死に抜け技、返し技を繰り出すが、相手の技量は自分と同じかそれ以上。なかなか引き剥がすことができない。
(ん? あれ? この動き……?)
騎士団式の総合格闘術であることは間違いないものの、タイミングと技の繋げ方に違和感がある。
(こいつ、俺を俯せにさせようと……? でも背面拘束が推奨されてたの、十年以上前だよな……?)
背面拘束では、対象者を俯せにしたうえで、両腕を腰のあたりで縛り上げる。しかしこの方法では、一部の獣人系種族は拘束できない。尻尾の筋肉が極度に発達したカンガルー族やオナガザル族の場合、太腿の上に乗った人間を筋力で撥ね退ける、もしくは死角から器用に尾を絡め、首を絞めることも可能なのだ。そのため現在では、対象者を横倒しにし、頭の側から首を膝で押さえつける横臥位での拘束が推奨されている。背面拘束以上の技量と膂力、対象者に容赦しない強い心が求められるが、年々凶悪化・狡猾化する反社構成員とは、こうでもせねば渡り合えないのである。
襲撃者の挙動を見る限り、ゴヤを横向きにさせようとする動きはない。これは現在の騎士団では、まずあり得ない事である。
相手の技は古い。それと、動きの端々に何とも言えない不自然さを感じる。ゴヤはこの相手に、しばらく実戦から遠ざかっていた人間という印象を抱いた。
襲撃者は全身黒ずくめの服を着ていて、フルフェイスマスクで顔が見えない。動きは機敏で若々しいが、推察される要素を総合的に考えれば──。
(こいつ……実はけっこうジイサンなんじゃ……!?)
であれば、若さとスタミナで粘り勝ちに持ち込むことも可能かもしれない。が、それは予想が外れた場合のリカバリーが難しい。やはり余裕のあるうちに、こちらから仕掛けるべきだろう。
(こいつが魔法を使わないのは、防御魔法で無効化されると分かっているからだ。ジュディさんより先に俺を狙うのも、一撃目で俺の対応速度を見極めたから。こいつは絶対、よく考えてから動いてる。ってことは、自分の知らない術式なら、警戒して距離を取ってくれるはず……!)
ゴヤはタイミングを見計らい、相手の絞め技をすり抜けながら魔法を発動させる。
「《鬼哭》……発動っ!」
霊を実体化させるこの呪文は、その場に居合わせた霊の能力によって戦闘用にも回復用にもなる。ここにいる霊は、先ほど屋敷の中で呼び出した被害者たちだ。誰一人戦闘のプロではないが、数で威圧することは可能である。
はたして、ゴヤの狙いはうまくハマった。
青白い鬼火が乱舞したかと思うと、それらは唐突に人の姿となり、一斉に襲撃者へと手を伸ばす。
襲撃者は慌てた様子で飛び退り、数十メートルほど走って、充分な距離を取った後に魔導式短銃を抜いた。銃口はゴヤと、その後ろのジュディへと向けられている。何が何でも、この場での決着を望んでいるようだ。
「……何者ッスか? もしかして、この人たちを殺したご本人様だったりします?」
ゴヤの言葉に、襲撃者の銃口がわずかに震えた。
フルフェイスマスクのせいで視線は読めない。けれども襲撃者は、霊たちの顔を、服装を、一人ずつ確認しているようだった。
次第に震えは大きくなる。
息は荒くなり、肩が大きく上下する。
襲撃者はゴヤの能力を知らない。霊的能力者と察したか、それとも幻覚系術者と判断したか、このリアクションからは判断できなかった。
しかし、ゴヤは直感した。
(……ビビッてねえ。わざと呼吸を荒くして、魔法が効かないように……!)
一部の魔法は、興奮状態にある人間には作用しづらい。精神操作、幻覚、霊的能力による金縛りなどは、特に効き目が弱くなる。騎士団式の格闘術に加え、能力低下対策の呼吸法まで身につけているとなれば、おおよその素性は割れる。
「……もしかして、昔は本部勤務だった感じッスか……?」
ゴヤはコンバットナイフを構え、相手の反応を探る。
目に見えるような動揺、激昂、戦意の喪失はない。この程度の浅い探りでボロを出すほど、知能指数は低くないのだろう。別の問いかけをせねばならない。
「ジュディさんが狙いなんスよね? もう遺伝子鑑定も、事実関係の確認も終わってんス。いまさらこの人を殺したところで、エンジュレアム・デラムの罪は消えてなくならない。それどころか、罪状が増えるだけッス。雇い主に忠実なのは分かるんスけど、それ、逆効果ッスから。やめてくれませんかね?」
一応は説得を試みる。しかしこの程度の言葉で引いてくれるなら、はじめから、こんな辺鄙な田舎町まで追ってきたりはしないだろう。
相手はジリジリと距離を詰め、仕掛ける隙を窺っている。
(……ジュディさんが監禁部屋から逃げ出しても、すぐには追ってこなかった。行先に心当たりが無かったってことだ。俺が動いて、はじめてジュディさんの居場所が分かった……となると、どこからつけられていた……?)
この襲撃が到着後まもなく行われたと仮定すると、ゴヤが到着してからの時間差は五時間ほど。この時間は、炭鉱を迂回した場合の所要時間と合致する。
(っつーことは、船にはこっそり乗り込んでたってわけか。炭鉱を突っ切るルートは使えなくても、あの辺りまで来れば、その先は……)
あの地方の旅客路線は一本しかない。石炭を運ぶ貨物路線ならいくつか存在するが、運行は週に一度か二度。駅員にちょっと声を掛ければ、その日に貨物列車が出たかどうかはすぐに分かる。そして旅客路線の沿線で、ロドニー・ハドソンとゆかりのある貴族がどのくらいいるかと考えれば──。
(マクヴェイン家のほかにもあるにはあるけど、繋がりはかなり弱い。一番可能性の高い所に来たってことだよな)
気配を消す術も、追跡能力の高さも、情報部の凄腕工作員に匹敵する。それだけの能力を有していて、なおかつ騎士団式総合格闘術の使い手であり、能力低下対策まで修得している。絶対に、チンピラヤクザ上がりの殺し屋ではない。危険度は最上位クラスだ。この男の情報を、すぐに本部に伝えねばならない。
「ジュディさん、上着のポケットから通信機出してもらえますか? 左のポケットに入ってるんで……」
襲撃者から視線を外せば、即座に攻撃を仕掛けてくるだろう。ゴヤはジュディに通信機を取り出させ、コード・ブルーオフィスの番号を押させる。
「そのまま、顔の横で持っててください。俺の後ろからは出ないように……あ、ども、ゴヤっス! ピーコさん、実は今……っ!」
一方的にまくしたて、状況を伝える。その途中、相手に動きがあった。
懐から何かを取り出す動作。手のひらに隠れるサイズであることから、ゴヤはそれを呪符であると判断した。
「サーセン、切ります! ジュディさん! 《強制解除》使われたら、自分の分だけ防御張り直してください!」
「あなたは?」
「自力でなんとかします! っと、来ました! 防御を!」
ゴヤの予想通り、襲撃者の発動させた呪符は《強制解除》である。半径五十メートル以内のすべての魔法呪文が解除され、《金剛の鎧》と《鬼哭》の効果が消失する。
しかしその瞬間、ゴヤは相手の挙動に不自然な点を見た。
物理・魔法両用防御を無効化したなら、即座に魔弾を撃ち、弾を追うように距離を詰めれば良い。初撃の突進力、組み合ったときに見せた体術、腰や両足に装備したナイフ類を見れば、接近戦こそがこの男の得意とする戦法に違いない。
だが、そうしなかった。
正確には、それを行う前に余計なモーションが加わっていた。
襲撃者は、自身に《身体強化》の魔法を使った。
単純な物理戦に持ち込みたいのなら、効果が一瞬の《強制解除》ではなく、持続する《封魔結界》を使う。そうしない、できない理由がこの《身体強化》であることは明らかである。
初撃同様、速力を生かした鋭い攻撃。しかし、既に動きの癖は見切っている。ゴヤは《物理防壁》を展開し、相手を自分の意図する方向へと動かす。《銀の鎧》も使えるが、あえて無防備な状態で対峙することで、『相手が攻撃したくなる状況』を作り出したのだ。
見え見えの誘いだ。ある程度以上の使い手なら罠を警戒する。ここに飛び込んでくるとしたら、よほど腕に覚えがあるか、今を逃せば次はないのか。
「よっ! ほっ! ……セイッ!」
相手のナイフを的確に止め、隙を見て、こちらからも攻撃を入れる。動きが早く、なかなか当たらないのだが──。
「っ!?」
極まった一撃は、確実に腕の腱を断つ太刀筋だった。けれども、手ごたえが違う。
「お前……機械化兵かっ!」
相手は何も答えない。ゴヤの攻撃をものともせず、強引に攻撃を仕掛けてくる。けれどもそれは止めきれない速さでも、息を呑むような迫力でも、驚異的な強さでもなかった。ゴヤの技量なら互角以上の勝負ができる。
「そうッスか……機械なら、致命傷になる心配もねえッスね!」
ゴヤは戦い方を変えた。それまでは相手の攻撃を受けつつ、時々反撃を狙う戦い方だった。襲撃の動機、雇い主などを吐かせる必要があるため、相手を即死させるような決定打を入れるわけにはいかなかったからだ。けれども機械化兵ならば遠慮はいらない。おそらく生身は脳と一部の臓器のみ。手足を粉砕しても、『口が利ける程度の負傷』で済むだろう。
「イイイィィィーヤアアアアアァァァァァーッ!」
攻めに転じたゴヤの太刀筋には、一切の迷いがない。半歩踏み出した足、攻撃の瞬間に引いた腕、わずかにずらす体軸など、すべての動作が次の攻撃に繋がる高速連続攻撃である。
刃と金属装甲とがこすれる甲高い音。鈍く響く打撃音は、金属板を仕込んだタクティカルブーツでの足技だ。それらが闘争の不定型詩を高らかに詠み上げ、ゴヤの一方的な攻撃フェーズを大いに盛り上げる。
そうしてしばらく戦況が維持されると、執拗な関節狙いが奏功し、襲撃者は盾代わりにしていた左腕を動かせなくなっていた。肩関節は動かせるようだが、肘から先は完全に機能を停止している。
これでもう、こちらの足技をガードするには魔法しかない。おそらくここで流れが変わる。いや、相手にしてみれば、変えざるを得ない状況である。ゴヤは胴を横に薙ぐローリングソバットを繰り出した。相手が体勢を崩したところで一旦距離を取り、《銀の鎧》を使ってさらに攻撃に専念したいと考えたのだが──。
「えっ!?」
ローリングソバットが極まった瞬間、襲撃者は幾何学庭園の植え込みにダイブした。ゴヤが感じた手ごたえでは、これは転倒するほどのヒットではなかった。わざと後方に跳び、腰の高さに刈りこまれた植栽をクッション代わりに使い、一つ隣の散策路へと逃れたのである。
サッと隠れる動作を見ても、逃走する気は無いようだ。時間を作り、左腕の損傷状態を確認したかったのだろう。とすれば、プランに変更はない。ゴヤは直ちに《銀の鎧》を纏い、植栽を跳び越えて追撃をかける。
二人は同じ流派の格闘術を使っている。そしてどちらも基本に忠実な、正確な形を守るスタイルの使い手だ。どの角度から攻撃されても対応できるよう洗練された『基本の形』ほど、手強く、崩しづらいものはない。生半可な奇策は相手に返し技を使うチャンスを与えてしまう。互いに動きを読み合い、太刀筋を逸らす封じ技の応酬となる。
間近での斬り合いが長引くほどに、ゴヤはこの敵を把握することができた。
長く実戦から離れた機械化兵で、何よりもまず《身体強化》を優先せねばならないほど、生身の部分は衰えている。魔導式短銃を装備しているが、連射しない。それができないのは魔力不足によるものだ。戦闘中、相手は幾度となく《回復》の魔法を使用していた。けれども、あまり効いているようには見えなかった。本来の魔力特性が回復系ではないのだろう。
たいして効きもしない回復魔法に全魔力を投入せねばならないほど悪化した健康状態で、それでも戦うことから逃げようとしない。
なりふり構わぬこの猛攻は、先がない人間の、覚悟を決めた行動である。
「……そッスか。そっちがその気なら……っ!」
出し惜しみする必要は無い。ゴヤは《鬼火玉》を連射し、飽和攻撃を仕掛けた。
「ぐっ……があああぁぁぁーっ!?」
飛来する《鬼火玉》を機械化された腕で撥ね退けた、その瞬間。襲撃者は悲鳴を上げた。
それはゴヤの予想通り、酷くしわがれた老人の声だった。
大袈裟に飛び退く襲撃者。それもそのはずで、この魔法は触れた瞬間、精神にダメージを与える。青白い炎のボールは拳ほどの大きさしかなく、見た目と魔力量からは、一般的に知られる《火炎弾》と同程度の破壊力と判断される。実際、通常の火焔系魔法と同じように『火球を飛ばす魔法』として使う事もできる。
だが、これは対霊攻撃魔法である。死者も生者も等しく蒼炎に灼き焦がされ、魂の穢れを取り祓われるのだ。この魔法で生者が命を落とすことはないが、どんな人間にも大なり小なり、邪心や罪の意識は存在する。《鬼火》に触れた者は、その大きさに応じて痛みを感じる。『罪』という概念を理解できない異常者以外ならほぼすべての人間に効き、消費魔力は初級呪文と同等。効果とコストの面から見れば、間違いなく『最強クラスの対人戦闘魔法』に分類される。
予備知識ゼロで《鬼火玉》に触れた襲撃者は、その場に蹲り、苦悶の声を上げていた。
ゴヤは警戒を解くことなく、遠巻きに位置取りつつ、男に声を掛ける。
「痛いッスか? 苦しいッスか? それと同じ攻撃をもう一発食らいたくなかったら、素直に答えてもらいたいんス。あなたは何者で、どういう事情でジュディさんを狙ったんスか?」
だが、襲撃者は何も答えない。さきほど悲鳴を上げていたのだから、声帯を切除された『暗殺用の駒』ではない。その気になれば、まともに会話もできるはずだ。
「……あんまり、気が進まないんスけど……」
ゴヤはもう一度《鬼火玉》を使った。
背中に直撃し、襲撃者は先ほどとは比較にならないほどに絶叫する。
ひとしきり叫び終えると、彼はか細い声で言った。
「……てくれ……やめてくれ……。話す。全部、話すから……」
それから男は、自身の素性と、ここに現われた理由を話し始めた。
アーサー・ベルガティス、百三歳。ゴヤが予想した通り、彼はかつて特務部隊に所属していた。しかし、その年代は想定をはるかに超えた『古い時代』ということになる。それはまだ特務部隊が十二の小隊によって成り立っていた頃の話であり、ゴヤどころか、父親である現騎士団長すら誕生していない。すべての事件の始まりとして、彼はまず、当時の特務部隊に降って湧いた再編の話と、それに伴う異動について語った。
十二の小隊を九まで減らし、余剰人員は別の部署へと異動させられる。不祥事による異動ではないため、騎士団側は現在の地位と同等か、それ以上の役職を約束していた。けれども、当時の隊員たちは全員が反対に回った。
第一に、特務部隊は騎士団発足当初から存在する、最も誉れ高い部隊である。なかなか組織図の定まらなかった治安維持部隊や国境警備部隊と違い、かの革命戦争で魔女王と共に竜王の城に乗り込んだ英雄、十二剣士たちの正統な後継部隊なのだ。近衛隊も騎士団本部警備部隊も、この特務部隊から枝分かれした『分隊』が元になっている。現在と同等の地位を、と言われても、それはあくまで給与や福利厚生面での話だ。特務部隊の『誉』だけは、他隊の隊長クラスでも、到底釣り合うものではなかった。
第二に、彼らの絆は一朝一夕で築かれたものではない。隊の仲間は家族も同然。同じ釜の飯を食い、苦楽を共にし、いくつもの死線を潜り抜けてきた。その仲間たちと、『電算機を導入したから』などというくだらない理由で引き離されるなんて、どうにも納得できる話ではなかったのだ。
貴族のアーサーには、年度末で定年退職する近衛隊副隊長の後任が言い渡されていた。が、彼は首を縦には振らなかった。同じく異動を言い渡された仲間たちと共に、騎士団長への抗議を続けた。
だが、なかなか決定は覆らない。刻一刻と近づく最終決定の日。そのときアーサーは最後の抗議として、自らが『脱走者』の汚名を着ることを選んだ。
ここで貴族の自分が覚悟を見せれば、騎士団長も女王も考え直してくれるに違いない。そうなれば他の仲間は現行の体制で、定年まで『特務部隊の騎士』として勤めあげることもできるのではないか。
そんな考えに一縷の望みを託し、騎士団本部を飛び出したのだが──。
「あー……変わらなかったんスね?」
「私は指名手配された。機密情報を持ち出した重罪人として。そして、やむなく身を寄せた妹の嫁ぎ先で……」
そこから先の話は、幽霊たちから聞き出した話とほぼ同じだった。加害者、被害者間での心情面での認識の誤差はあるが、発生した出来事に関する証言はピタリと一致していた。
アーサーの証言ではっきりしたことは、エンジュレアム・デラムは、初めからずっと、計画的に女を犯し、殺していたということだ。エンジュレアム・デラムは、屋根裏部屋に隠れ住む伯父がどのような理由で指名手配されているか、どんなスキルを持った人間か、正確に把握していた。その上で、伯父を脅した。
「僕、メイドを殺しちゃったんですよ。世間に知れたら、伯父さんもここに隠れていられなくなりますよね? 隠蔽工作、手伝ってくれますよね? ……あの小僧はそう言ったんだ。笑いながら……」
「えぇと……脱走者は、それと知って匿った者も本人と同等の処罰を受けることになる……ですよね、たしか。あなたが心配したのは、妹さんの身の安全ッスか?」
「ああ……私が、妹の嫁ぎ先に逃げ込んだりしなければ、あんなことには……」
「でもそこで手を貸さずに、さっさと家を出ることも可能だったはずッスよね? なんで隠蔽工作手伝っちゃったんスか?」
「……何もかも、私の甘い考えと、意思の弱さが招いたことだ。メイドの遺体を処分して両親の口を封じれば、『今のまま』でいられると……」
「脱走した理由聞いたときにも思ったんスけど、それ、絶対に不可能ッスよ? 人間、誰だって年取って変わっていくんスから。十年も経てば新しい技術もガンガン出て来るんスから。どんなに足掻いたって、『今』が続くワケないじゃ無いッスか」
「……分かっている。そんな当たり前のことは、分かっていた。だが……それでも私は……」
ゴヤはそっと息を吐いた。
自身も特務部隊の所属である。『最も誉れ高い部隊』に所属しているという自信も誇りもある。しかしだからといって、この男のように他隊への異動を拒むことは無いと断言できる。
今と昔では物の考え方が違うのだ。たしかに特務部隊は、今も騎士団の花形部隊である。特務の所属と聞けば、誰でも一目置いてくれる。けれども、七十年前ほどではない。情報発信メディアの種類が増えた今、子供たちの娯楽は絵本と紙芝居だけではなくなっている。騎士物語の英雄よりも、テレビやラジオで活躍中の音楽家やコメディアン、スポーツ選手やプロゲーマーのほうが人気を集めているだろう。
三つ子の魂百までとはよく言ったもので、少年期の憧れはそのまま、その職業への評価に変わる。子供のころにスポーツ選手に憧れれば、成人後もスポーツ選手を他のどの職業より高く評価する。音楽家や芸術家に憧れた人にとっては、クリエイティブな職業こそが最も誉れ高い仕事となる。よって現在の騎士団は『憧れの英雄たち』ではなく、あくまでも現実的な、『町の治安を守るお巡りさん』である。実はゴヤも、その程度の認識で特務部隊員をやっている。
ゴヤは物心ついてからのほとんどの時間を、『騎士団長の息子』として生きてきた。それは一般団員から見れば、腹が立つほどに恵まれた環境である。父親が騎士団長であったため、特務と情報部の凄腕たちが家庭教師についた状態で受験に臨み、騎士団員養成科に入学。そこで国政に圧倒的な影響力を持つ中央貴族の子息らと面通しを済ませ、良好な関係を築いた。その中には当然、ベイカーやロドニーも含まれている。ゴヤは当たり前のように騎士団に入り、当たり前のように顔パス昇進を果たし、当たり前のように上司と先輩に気に入られた状態で特務部隊生活をスタートした。実力のみで倍率五千を超える昇進試験を勝ち進んできた『叩き上げ』と比べれば、特務部隊に賭ける思いは非常に軽い。
叩き上げ隊員のチョコやハンクであれば、アーサー・ベルガティスの心情に、一定の理解を示すことになったのだろうが──。
「まあ、そういうお気持ちの問題はよく分かんねえんで、こっちに置いておくとして。本題行きましょう。なんでいまさらジュディさんを狙うんスか?」
「……その胎の子は、八分の七がエンジュレアムだからだ」
「八分の七……? あ、まあ、そうッスね?」
ゴヤの頭に浮かんだのは、理科の教科書に書かれていた『遺伝の法則』の図である。父親と母親から半分ずつ遺伝情報を受け継ぎ、次の世代でも遺伝情報は半分ずつ受け継がれる。世代を重ねるごとに元の遺伝情報は二分の一、四分の一、八分の一に──という、非常に分かりやすい説明が書いてあった。その図に照らし合わせてみれば、胎の子はたしかに、『八分の七が同じ男の遺伝子』である。エンジュレアム・デラムは兄嫁に手を出して孕ませ、その子であるシンディにも同じことをした。そして生まれたジュディを──自らの子であり、孫でもある女を監禁状態で育て、またもや赤子を孕ませた。子供のシンディで二分の一、孫のジュディで四分の三、ひ孫にあたる胎児は八分の七がエンジュレアム・デラムの遺伝情報を受け継いだことになる。
だが、それがどうしたというのか。
アーサーの言わんとするところが理解できず、ゴヤは疑問を率直にぶつけた。するとアーサーは、真面目にこう答えた。
「本当に分からないのか? 八分の七だぞ? エンジュレアムの血をそんなに引いていて……しかも、胎の子の性別は男だと聞いている! エンジュレアム・デラムの、コピーのような人間に育つに違いなかろう! 今のうちに殺しておかねば!」
ゴヤはポカンとした。
ごく身近な人間を見る限りでは、遺伝情報の割合と本人の人格とが、即座にイコールで結ばれるとは思えなかったからだ。
「ええと……あの、アーサーさん? ちょっと古い人なんスけど、ジェイク・フェンリオンって人、ご存知ッスか?」
「何を問うかと思えば……知らぬはずがあるまい。私が入団した当時、ジェイク・フェンリオン殿はまだ現役の特務部隊員だった。彼は歴代最強の騎士とも言われたお方だ。あの『ヘイルダードの英雄』がいなければ、私は騎士団に入ろうとは思わなかった」
「その人のクローン、今、騎士団にいるんスけど」
「……なに?」
「クローンッス。遺伝情報丸ごとコピーして、同じ人間をもう一人作っちゃうアレ。でもそのクローン人間、ジェイク・フェンリオンとは全く別人に育って、今はちゃんと、自分らしく好き勝手に生きてんスよ。だから、八分の七が何だって言うんスか。10%チョイ別人要素あるなら、ちゃんと違う人になりますって。大丈夫ッスよ」
「……信じられん。ジェイク・フェンリオン殿のクローンなど、本当に……」
「今ならたぶんオフィスにいるはずなんで、ちょっとテレビ電話できないか聞いてみるッス」
「テレビ電話!?」
ここはたしかに辺境の町だが、国内有数の名家・ハドソン家に連なるマクヴェイン家の領地である。通信インフラは中央と同等の水準で整えられており、データ量の多いテレビ電話にも対応可能である。
が、設備面で可能だからと言って、いきなりご本人様に通信を繋がれても──。
「あ、ピーコさん! そこ、ラピさんいます!?」
「いるけど……どうしたの? わざわざ映像付きでかけてくるなんて」
「えーと、ジュディさんを襲撃した犯人が、ですね? お腹の子は八分の七がエンジュレアム・デラムの遺伝子だから、今のうちに殺しておかないと、エンジュレアム・デラムと同じような糞野郎に育つに違いないって言ってんスよ。遺伝よりも生育環境のほうがデカい要因だって、分かってもらいたくて」
「あー、はいはい。なるほど。それで、純度百パーセントのクローン人間を見せてやろうと」
「はい。なんかこの人、ジェイク・フェンリオンとも面識あるみたいなんで。たぶん顔見れば分かると思うんスけど……」
「その犯人、アーサー・ベルガティスって名前?」
「あ、はい。そッス」
「オッケー。それならウチのイケメン名探偵の推理通りだわ。ラピ! ご指名! っておい、七三にしなくていいから! 無理にジェイク・フェンリオン感出さなくてもいいから早く出ろ!」
ナイルに背中を押され、ピーコックのデスクトップ端末の前に姿を見せるラピスラズリ。と、ゴヤのほうも、携帯端末のカメラに自分とアーサーが収まるように身体を寄せていた。
ラピスラズリにとって、ゴヤの隣にいるのは全く見覚えのない、年老いた男である。けれども、アーサーのほうはそうではなかった。
自分が憧れ、追い続けた英雄が、在りし日の姿でそこにいる。
そう思った瞬間、アーサーは自らの姿を恥じた。
力なく地べたに座り込み、両手、両膝を地につけたまま『英雄』と話をするなんてありえない。アーサーは背筋をしゃんと伸ばし、片膝を立て、左手を腰に、右手を胸にあてた。強化魔法も切れ、力を使い果たし、体を起こしているだけで精一杯だったはずなのに、その動作は驚くほど自然で、力強かった。
目を丸くするゴヤの横で、アーサーは深々と頭を下げ、言った。
「よもや……よもや、再びお目に掛かれる日が来ようとは……。覚えておいででしょうか。入隊式のあの日、貴方様にお手合わせいただいた、生意気なハナタレ小僧でございます……!」
と言われても、ラピスラズリにジェイク・フェンリオンの記憶はない。その気になれば守護神フェンリルが保存している歴代の『器』の記憶もコピーできるが、今求められているのは『ジェイク・フェンリオンとして振る舞う事』ではない。ジェイク・フェンリオンに顔貌、体つきや声までそっくりなクローン人間が、それでもジェイク・フェンリオンではないと理解してもらうことが重要なのだ。
「……違います。人違いですよ、アーサー・ベルガティスさん。俺はジェイク・フェンリオンの遺伝情報をもとに造られたクローン人間です。ジェイク・フェンリオン本人ではないし、彼の記憶もありません」
しかし、アーサーは顔を上げない。
ラピスラズリはそれを問うことも、さらに言葉を重ねることもしなかった。
彼の肩は震えていた。写りの悪い携帯端末の映像でもわかるほど、はっきりと。
それでも必死に嗚咽を噛み殺す男に、「顔を上げろ」などと言える者はいなかった。