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そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)5.4 < chapter.3 >

 手紙が届いてから数日後、事態は思わぬ方向に動いた。

「あ? 何だ? 不審者ちゃんBGM流れてんぞ……?」

「また出たんスかね? 俺、ちょっと見て来るッス」

「おう、気をつけてな」

 そんな会話を交わし、特務部隊員ガルボナード・ゴヤはオフィスを出ていった。

 館内放送スピーカーからは、穏やかな曲調のインストゥルメンタルが流れている。これは本部一階の市民相談窓口に、『会話の成立しないヤバい人』が現れたことを知らせるものだ。

 相談や陳情に訪れた市民の中には、自分の言い分が通らないことに腹を立て、暴力的な言動を見せる者もいる。窓口の担当者も基礎訓練を受けた騎士団員であるから、そういった手合いを力でねじ伏せることはできる。が、相手が爆弾をチラつかせている場合などは、窓口職員だけでは対応が難しくなる。そんな時、何気ないBGMのふりをして流されるのがこの音楽だ。騎士団でもトップクラスの戦闘員が揃った特務部隊は、この音楽を聴いたら、一も二も無く人員を出す決まりになっている。

 一階に降りたゴヤは職員専用通路を使い、窓口来訪者からは死角になる壁の内側から接近を試みる。と、薄い壁越しに、不審者の主張が断片的に聞こえてきた。

(お、何言ってんだ? ……娘を返せ? ……ロドニー・ハドソンを出せ……?)

 しばらく様子を窺っていると、どうやらこの男は、自分の娘がロドニー・ハドソンに誘拐されたと主張しているらしい。「監禁してレイプしている」「娘の所有権は俺にある」「そんなに娘の身体が欲しかったら金を払え」などなど、とても父親とは思えない発言のオンパレードである。

(うっわ……ガチでヤバいの来たな、これ……)

 ロドニー・ハドソンと名指しされているのだから、本人に知らせないわけにもいかない。ゴヤは通信機越しに、自分が聞いたままの言葉を伝える。するとロドニーは、話の途中で通話を切ってしまった。

 こういう時、ロドニーの行動は一つだ。

(……あ、やっぱり)

 ゴヤの耳に届いたのは、ロドニーを見つけて興奮した男の奇声と、窓口職員たちの悲鳴だった。慌てて隠し扉からエントランスホールに飛び出し、杖でロドニーを殴りつける男を取り押さえる。目撃者多数、疑いようのない現行犯逮捕であるのだが──。

「あー……おじいちゃん? ここ、どこだか分かってんスよね……?」

 ゴヤは思わず、そう訊ねてしまった。なぜなら男の目つきはおかしく、興奮しているだけとは思えなかったからだ。どこか遠くを見ているような胡乱な顔つき。そのくせ目だけは異様にギラついていて、親の仇でも見るような藪にらみでロドニーを凝視する。

 精神疾患か、あるいは認知症の類いか。

 自分を拘束する男が話しかけているのに、故意に無視するという訳でもなく、本当に何も聞こえていない。何を問われているのかも理解していない顔で、奇声を上げ続けている。ロドニーや窓口職員も幾つか質問を投げかけてみたが、結局、まともなコミュニケーションは一度も取れなかった。

 男はその後、駆け付けた警備部隊に引き渡され、本部敷地内の留置施設へと連行された。

 この日ロドニーとゴヤが関わったのは、ここまでである。




 数日後、男の自宅が捜索された。それまでに男の身元、ロドニーとの接点、騎士団本部に怒鳴り込んで来るまでの経緯がつまびらかにされている。

 男の名前はエンジュレアム・デラム。男はシンディ・デラムの叔父にしてジュディ・デラムの父。そしてまた、関係者一同が予想した通り、ジュディ・デラムの胎に宿された子の父でもあった。

 男はとある地方の小貴族、デラム家の次男。長男ではないため家督を継ぐこともできず、かといってまともに結婚・独立することも無く、先代の残した財産を食い潰して生きていた。鬱病や適応障害、その他の精神疾患の兆候はなく、あくまでも「働きたくない」「楽な暮らしを続けたい」という動機で実家を出ようとしなかった、典型的な穀潰しである。

 五十数年前、この男が実家に居座っていたことから、結婚したばかりの長男夫妻──シンディ・デラムの両親は実家を出た。その際、長男はデラム家本邸の相続権を次男に譲渡。本邸から遠く離れた、もはや領地の端と言うべき辺鄙な土地の別邸に転居し、新たな政務事務所を立ち上げている。

 これは非常に異例なことで、貴族の長男は通常、親の屋敷をそのまま相続する。デラム家本邸も、先祖代々受け継がれてきた立派な城館だった。丈夫な石造りの城館は、定期的な改修工事を行えば何百年でも使用可能な建造物だ。長男の結婚を機に屋敷を改築し、親の政務の一部を長男に代行させ、少しずつ、領主としての実務経験を積ませていくのが通例である。

 たいていの場合、長男の縁談が調った時点で、次男以降の男たちは家を追い出される。成人していれば適当な住まいと事業をあてがわれ、『独立』という扱いに。未成年であれば全寮制の中学、高校、大学への入学手続きが進められる。婚約成立から式までは短くて一年、長い場合は五年ほどかかる。そのため弟たちにとっては、十分な準備期間を経た上での新生活ということになる。これで問題が発生するケースは非常に稀である。

 だが、爵位を持たないこの小貴族の家では、その『非常に稀なケース』が発生してしまった。

 働かない、働く気が無い、働かせようとしても動こうとしない最強最悪の穀潰し次男が本邸に居座ったまま、長男の結婚の日を迎えてしまったのだ。その先に何が起こったのかは憶測の域を出ないが、その後に次男がしでかした事から推察すれば、『長男が新妻を連れて逃げ出した理由』は一つしか考えられない。


 長男の妻に手を出したのだろう。


 時代は進み、長男夫婦に生まれた三人の子供のうち、長女シンディが大学に進学したころ。シンディの祖父、当時のデラム家当主が他界した。シンディの祖母は数年前に他界していたため、遺産は法に則って、シンディの父と叔父、他家に嫁いだ叔母とで分配された。

 貴族の場合、家督を継いだ男子とその母に財産の九割が。残りの一割を他の兄弟で分配ということになる。他家に嫁いだ娘に相続権は無いものの、よほど兄弟仲が悪くない限りは形見分け名目で楽器や武具、魔道具、宝飾品、美術工芸品の類が譲渡される。デラム家でもそのような相続手続きが滞りなく進められ、この時点では、特に目立った問題は発生していなかった。

 問題が起こったのは、シンディの大学進学が決まったころだった。

 父が急な病で臥せり、当時手掛けていた複数の事業が頓挫。関係各所への違約金の支払いで、デラム家は先代から相続した財産のほとんどを使い果たしてしまった。借金こそ負わずに済んだものの、その月の支払いはその月の稼ぎで賄うような、一般市民同然の自転車操業に陥ってしまったのだ。

 過度の心労から精神の安定を欠き、母は精神病院に入院。領地経営の仕事は、まだ中学生の弟が肩代わりせねばならなかった。

 こんな状態で、大学に進学することは出来ない。シンディは諦めて家に残ろうとした。しかしそこに援助を申し出たのは、デラム家本邸に暮らす叔父だった。

 叔父の手元には先代から相続した金がある。ギャンブルや豪遊で湯水のごとく金を使いさえしなければ、一生遊んで暮らせるだけの貯えだ。シンディとは血の繋がった親類同士であるし、父ともよく似通った面差しの人物である。姪と甥の学費、生活費、領地経営のサポートの申し出に、何の疑いも持たなかった。

 そう、このときシンディと弟たちは、この叔父がかつて母に何をしたか、なぜ父が受け継ぐべき本邸にこの男が居座っているのか、何ひとつ理由を聞かされていなかったのだ。

 あとはもう、悲劇の連鎖である。

 シンディは叔父の所有する中央の別邸に移り住み、大学生活をスタートさせた。そこで強姦被害に遭うも、病気の両親、未成年の弟たちのことを考え、自分が我慢すればすべてが上手くいくと考え、その状況に耐え続けた。

 けれども大学四年の秋ごろ、シンディはついに叔父の子を身籠ってしまう。暴漢に襲われたことにしたものの、既に堕胎できる月齢ではなくなっていた。そのまま出産し、子の養育権は叔父に取られ、『傷物の女』となったためにどこに嫁ぐこともできず──それでもシンディは家族のため、必死に耐え続けていた。

 だが、ついにシンディの心が折れる時が来た。

 身を挺して守り続けた二人の弟が、事故で同時にこの世を去ったのだ。

 出産から間もなく父が他界。その父の葬式の帰り、弟たちの乗る馬車が森で羆に襲われ、一緒にいた御者、使用人たちと共に惨殺された。遺体は食い荒らされ、腕や足の一部しか発見されなかった。

 シンディはショックのあまり自殺。デラム家の家督は存命している唯一の男子である叔父が相続し、シンディの残した子供、ジュディ・デラムはこの男の娘として成長し──。




 調査報告書を読み直し、ロドニーとゴヤは陰鬱な顔で言葉を交わす。

「それにしてもこの人、よく逃げ出せましたよね。三十年間、ずっと監禁状態で生活してたんスよね?」

「な、スゲエよな。あんまりこういう事件の被害者に『よくやった!』とか『君は英雄だ!』とか言いたくねえんだけどさ。いかにも『同情じゃありませんよ~、可哀想とか思ってませんよ~』みたいなアピールで、なんか嘘くせえから。でも、この女だけはマジでヤベエと思うぜ。どういう根性で生き抜いてきたんだよ、っつー感じで」

「全っ然想像できねえッスよね。外部の人間と一切接触しないまま三十年なんて……」

「三十年間耐え続けて、あのオッサンがいよいよ年のせいでボケてきて、監視の目が緩んだところで、ってのがアツイよな。偽の手紙を用意したり、俺たちが動かざるを得ない状況を作ったり……この女、IQ高すぎじゃね?」

「そッスね。あのオッサンが騎士団本部に怒鳴り込んできたのも、ジュディさんが用意した偽の手紙を見たから、ですもんね?」

「俺の筆跡をそっくり真似て、『助けてやるから隙を見て逃げ出せ』って書かれた署名入りの手紙をわざとらしく部屋に残して行くとか……いや、マジで何手先まで読んで、筆跡真似る練習とかしてたんだ? ひと月やそこらじゃ、手紙の偽造スキルなんか身につかねえだろ?」

「そうなんスよね……そこがどうにも腑に落ちないっつーか……なんか、変じゃ無いッスか?」

「あ? 変って、なにがだよ?」

「ジュディさんが赤ちゃんのころに、お母さんのシンディさんが自殺してんスよね? だったらジュディさん、どこの誰から、ハドソン家とマクヴェイン家なら助けてくれるって聞いてきたんスか?」

「……え? ……あ……そうか。時系列が合わねえよな? あれ? ってことは、他にも秘密を知ってるヤツが? いや、でも、そうそう他人に話すような内容じゃねえし……?」

「それ以前に、ジュディさん、三十年間誰とも接触して無いんスよね?」

「……そうだよな? マジで、誰からどうやって話を聞いたんだ……?」

「ジュディさんって、本当にジュディ・デラムさんッスか?」

「は? いや、いきなり何言ってんだよ、お前」

「その年になるまで一度も学校に通ってなくて、就職もしてなくて、ず~っと家の中に閉じ込められたまま、オッサンの性欲処理させられてたんスよね? そんな人が先輩の筆跡を真似た手紙を偽造したり、中央から辺境までクソ面倒な乗り継ぎしながら二晩かけて電車移動したり、母親しか知らないはずの情報を持っていたりって……死ぬほどおかしく無いッスか?」

「……確かに、死ぬほどおかしいな……?」

「DNA鑑定は済んでるんスよね?」

「おう。間違いなく、ジュディ・デラム本人だったぜ。あのオッサンとも親子の関係だって証明されたしな」

「だったら、中身が別人だと思うんス」

「どういうことだよ」

「幽霊憑いてんじゃ無いッスか?」

「……誰の?」

「そりゃあ、真相を知ってんスから、お母さんのシンディさんッスよ。大学通うくらい教養のある人だったなら、先輩の筆跡を真似ることもできると思うんスけど」

「いやいや、ちょっと待てよ。三十年も前に死んだ女が、俺の筆跡なんてどこで見て覚えんだよ?」

「そりゃあ、ここッスよ。幽霊なんスから、その気になればどこにだって入れるじゃないッスか。報告書作成してるときに、手元見られてたんじゃないッスか?」

「え……えぇ~……にわかに浮上するオカルト案件……。あ、いや、でもよぉ。別人の霊が憑いてんなら、離れた瞬間に人格代わるじゃん? 言動がおかしくなったりとか、そういうのも無えみたいだし、霊が憑いてるってことは……ん~? どうなんだ……?」

「ぶっちゃけたこと言っていいッスか?」

「なんだよ?」

「ジュディさん、実はもう廃人だったりしないッスか?」

「……廃人?」

「はい。心が完全に死んでる人の場合、最初からずっと、取り憑いた霊の人格だけが表に出てる感じになるんス。そういう状態だとしたら、手紙を偽造してまで安全な場所に逃げようとした理由も分かるんスよ。廃人状態の娘を放っておいたら、娘もお腹の子供も、一緒に餓死しちゃうじゃ無いッスか。ド根性で取り憑いた状態を維持し続けて、ギリギリのところで娘と孫を生かし続けてるんじゃ無いッスか?」

「……母の愛ってヤツ?」

「もしくは、まだ明るみに出ていない別の罪を告発したい……とか? ほら、なんたって貴族案件専従チーム、特務部隊のロドニー・ハドソンの名前を騙ったんスから……ね?」

「あー……ゴヤ、お前、スケジュール大丈夫か?」

「明日から四日間は休暇ッスけど、先輩が個人的に雇ってくれんなら、日雇いバイトもOKな感じッス」

「メシと宿泊先のグレードは保証する。俺の代わりに、本人に会ってきてくれ」

「了解ッス。じゃ、ちょっと隊長に遠出の許可もらって来ま~す」

 ファイルを手にオフィスを出ていくゴヤを見送り、ロドニーは長く、深い息を吐いた。

 ハドソン家は今、この件を理由に『デラム家取り潰し』の根回しを進めている。幸い、跡を継ぐ直系の男子も、傍系の一族もいない。かなり遠縁の親戚はデラムの家名と領地を欲しがっているようだが、それは早々に、当主が天寿を全うするよりも前に諦めてもらうことになる。今進めているプランでは、現当主を『近親相姦の末に生まれた娘をさらに犯して孕ませた変態貴族』として告発し、『デラム家』のネームバリューをゼロする予定だ。話の運び方とメディアの取り上げ方次第では、ゼロどころか、マイナスにすることもできるだろう。親類縁者がデラム家の関係者であることを全力で隠したくなるような、そういう方向に世論を誘導せねばならない。

 そのためのノウハウと人脈、使える手駒をいくらでも持っているのが大貴族ハドソン家の強みである。既にデラム領に近い貴族たちの協力も取り付けてある。彼らはハドソン家の号令で私兵を動かし、速やかにデラム領の要所を制圧してくれるだろう。

 現当主の兄が手掛けていた事業の頓挫、それ以前の領地経営における失策の類もリストアップ済みだ。事業頓挫で失われた金も、元をたどれば領民が納めた税金だ。そこに生きる領民のため、地域の発展と安全のため、正義のためなど、掲げる大義名分は念入りにこしらえてある。

 ただ、本当にジュディ・デラムに母親の霊が憑いていて、さらに何かを伝えようとしているのなら──。

「……幽霊が、何を告発しようってんだ……?」

 一抹どころではない不安を感じながらも、ロドニーは家に連絡し、切符と宿泊先の手配を指示した。


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