遥か高き壁を越え
ダリタロスに限らず、大小さまざまあるダンジョン内部は、発光する壁面によって視界が保たれている。
ただし中には『暗闇』がトラップになっているところもあり、そういった場面では松明が活躍する。
荷物を事前に改めてはいなかったが、リオは女騎士に回復薬を渡す際、松明が入っているのを確認していた。
「松明なんてどうすんだよぉ!?」
「だから静かにしてください。ロウ・サイクロプスは火を嫌うんです」
「なんだよ、そんな弱点があるなら早く言えよ」
「だったら僕のファイヤーボールで倒せるのでは?」
「いや待て。さっき彼は『我らの攻撃は通らない』と言っていたぞ?」
「嫌うのであって『弱点』ではないです。もし貴方が嫌いなものを投げつけられたら、どうしますか?」
「そりゃオマエ……ムカつくわな」
「哀しいと同時に、怒りが湧きますね」
「うん、腹が立つ」
「そうですね。だから効きもしない火炎系魔法を浴びせたら、真っ先に狙われます」
「「言い方」」
リオのずばりの物言いに、魔法使いはどんよりしてしまう。
「すみません……。えっと、つまりですね――」
リオは松明をひとつずつ、女騎士と魔法使いに手渡す。
「僕は魔物除けの結界から飛び出したら、来た道にいるロウ・サイクロプスに向かいます。二人は松明に火をつけて僕を追い越してください。火を掲げながら、なるべく魔物から離れた壁際を全力で走るんです。魔物と目を合わせてはダメです。脇目も振らず、全力でお願いします」
そうすれば、ロウ・サイクロプスは二人ではなく、リオを狙う。
今度は剣士に向き直った。
「貴方は二人が飛び出してから、ひと呼吸おいて結界を出てください。それから――」
「それから?」
剣士の男はぐぐっと前のめりになる。
「全力で逃げてください」
「それ他の二人と同じじゃね? てかオレ松明持ってねえじゃん!」
「貴方は固有スキルを使って逃げるんです」
「もっと具体的に!」
「スキルの説明、読んでないんですか?」
「いやその、どうせ逃げ足が速くなる程度だと思って……」
剣士は居心地悪そうに頭をかく。
「時間が惜しいので細かい説明は省きます。目的はかく乱です。魔物たちの攻撃から逃げて逃げて逃げまくる、と強く意識してください」
「そ、それだけ……?」
「はい。そして二人の姿が完全に見えなくなったら、今度は『この場から逃げる』に切り替えるんです。そうすれば、あっという間に二人に追い付けますから」
「いやいやいや、ただ『逃げる』って思うだけで逃げられたら苦労は――」
「ない、ですよ? 貴方の固有スキルは、そういった性質のものですから」
剣士はぽかんとする。
「後ろ向きなスキル名で嫌う人はいますけど、性能は破格です。使いこなせない人はスキルの効果を信用していないんですよ。最大限発揮できれば、この階層にいる程度の魔物なら貴方に攻撃を当てられはしません」
「そう、なのか……?」
「ええ。ただスキル発動中は逃げる以外できません。反撃を考えた時点でスキル効果がなくなりますから注意してください」
「やっぱダメスキルなんじゃね?」
リオはふるふると首を横に振る。
「どれだけ強いパーティーでも全滅するときはします。でも貴方のスキルなら、自ら囮になって仲間を逃がし、そして自らも逃げ出せる。全滅の危機を、最高の形で回避できる可能性を秘めているんです」
「お、おぅ……」
強面がほんのり赤くなる剣士。
「もちろん時と場合によりますし、このスキルは本人のステータスに影響されますから、今のままだと限界がありすぎですけどね」
「なんでオマエは上げて落とすかなぁ」
すみません、と反省して、リオは告げる。
「そろそろ気づかれますね。荷物はここに置いていきます。僕と一緒につぶされてしまうかもしれませんから。でも安心してください。必ず後で届けますから」
「この期に及んで荷物の心配なんてしねえよ」
「それでは皆さん、はりきって逃げましょう」
リオは腰に手を当てる。
半分お飾りの、小ぶりの剣。なんの特殊効果もない、彼の実力では護身用にもならないものだ。
腰から抜きはしない。
どうせダメージは与えられないのだから、振るう意味などない。
(早く、レベルアップしたいな)
そして強くなりたかった。
そのチャンスが、今巡ってきている。
だがすぐに、【女神の懐抱】を発動する事態になってはならない。
三人がこの窮地を脱するまで、自身もなるべく長く回避に専念しなければ。
地面を蹴って飛び出す。
ひとつ目巨人の前に躍り出た。ぎょろりと目玉がリオに向く。
『オオオォオォォオゥッ!』
敵認定してくれたらしい。
「今です!」
叫ぶや、魔法使いが火を生み出して松明を灯した。すぐさま女騎士とともに結界の外へ。
「まっすぐ前を見て走ってください!」
その声に反応したのは剣士だった。
「やってやらあぁ!」
リオたちとは反対方向に飛び出し、他の二匹の中間で立ち止まった。
ぎょろり、ぎょろり。
別方向から二つの目玉が、彼を捉えた。
「で、でけぇ……」
近くで見上げると、その大きさがよくわかる。足が、竦んで動かない。
「恐れないで! 走れ!」
リオの叫びが三人に届く。
(そうだ。我ら二人は一刻も早くこの場を離脱する。そのぶん彼らに時間の余裕ができる)
(怖い……怖いよ、怖いけど……とっとと逃げれば怖くない!)
離脱組の速度が上がった。
(オレがやられちまったら、隊長たちがヤバいんだ。逃げろ、逃げろ、逃げろ逃げろ逃げまくれ! 今の俺には、それしかできねえんだからよぉ!)
剣士は奥歯をがりっと噛みしめ、腰を落とした。
「いっ、くぜぇっ!」
思いきり地を蹴った。
このとき彼の耳には、【恐怖耐性】のスキル習得のアナウンスが届いていた。しかしまるで気づいていない。
(嘘だろ……。なんだよ、これ……)
体が、羽のように軽い。そう思えるほどに、信じられないスピードで洞窟を駆けていた。
意図せず横に飛ぶ。ドゴォンと、さっきまで自分がいたところで重い音がした。
避けるつもりなど毛頭なかった。攻撃されたことすら、気づかなかったのだ。
(余計なことは考えねえ。あいつは言ったじゃねえか、この階層程度の魔物じゃ、俺に攻撃は当てられねえってなあ!)
今日初めて会った、万年レベル1の荷物持ち。
しかしリオの言葉には、信じさせる何かがあった。
どれほどの死線を潜り、どれだけの恐怖に打ち勝ってきたのか。
剣士とて自国で何度となく実戦に駆り出された。
人同士の小競り合いとはいえ、命のやり取り特有の緊張感と恐ろしさを感じた。
(でも、あいつはそんなレベルじゃねえ化け物どもに……)
何度も何度も殺されかけた。
いくら死なないとわかっていても、痛みは確実に心を蝕む。
(オレにゃあ無理だ……)
きっと数回で心がぽっきり折れて、冒険者稼業から逃げ出してしまう。
なのになぜ、14歳の少年はいまだ冒険を続けているのか?
リオは諦めていないのだろう。
自分たちとは違い、この島を攻略する夢を持ち続けているのだ。
島を攻略すれば、どんな願いでもひとつ叶えられる。
眉唾と鼻で笑っていたものの、この島に入って不思議な出来事をいくつも経験して、俄然信ぴょう性が増してきた。
では、幾度も死にかけてまで叶えたい願いとは?
(わかんねえ。オレにはさっぱりだぜ……)
いつしか思考が、リオのことに埋没していく。
「集中してください!」
ドン、と何かに突き飛ばされた。
死んだ、と思ったのは一瞬。
ぶおんと巨大な棍棒が頭上を掠めた。
「立ってください。すぐに次が来ます」
言いつつリオは立ち上がり、すぐさま横に飛んだ。
剣士も合わせて逆方向に飛ぶ。
二人がいた地面は、棍棒により穿たれた。
(こいつ、ボロボロじゃねえか)
露出した顔や右腕からはところどころ血が流れている。
動けるほどの傷なら全回復のスキルは発動しないらしい。
二人、それぞれの役割に戻る。
レベル1のリオがその程度で済んでいるのは奇跡と言える。限界ギリギリで耐え抜いた彼に気遣われ、あまつさえ助けられる無様。だが自身の恥辱など、どうでもよかった。
(これ以上、こいつに迷惑はかけらんねえ)
女騎士と魔法使いの姿は見えない。
だから自分がやるべきは――。
「先に行く。ぜってえ戻って来いよ!」
涙がにじんで視界が悪い。けれどただ『逃げる』との一念があれば、まったく気にはならなかった。
だって彼は言ったのだ。『このスキルは破格』だ、と――。
もう少し。もう少しだけ耐えれば、剣士はこの場を離脱できる。
リオは集中力をさらに高めた。
正直、ここまで【女神の懐抱】が発動しなかったのは、自分でも信じられない。
一撃が即死級。
それを肌感覚で察知する。(【危機察知】Lv.5)
危険を感じると同時に回避。(【緊急回避】 Lv.3)
これらを集中力で補完する。(【集中】 Lv.6)
絶対に、彼らを逃がす。
リオには強い想いがあった。
――どれだけ強いパーティーでも全滅するときはします。
それはリオの実体験だ。
以前、新進気鋭の冒険者パーティーに雇われたときのこと。
若いが実力は確かな彼らは、とあるダンジョンの奥深くで魔物に囲まれ、全滅した。
遺品と荷物を持って、ようやくダンジョンから出られたのは二週間後。
あのときの形容しがたい喪失感と無力感は、今でもリオの心に影を落としている。
――自分がもっと強ければ。
不自由極まりない女神を救いたい一心で『死』を何度も乗り越えてきた彼は、今では別の理由でもレベルアップを切望していた。
「ぐ、ぅぅ……」
壁を抉る攻撃により、飛び散った破片が肌を刺した。
HPは残り三分の一まで削られた。
体力のステータスは一桁にまで落ち、筋力も疲労で半減している。
ここでようやく、剣士の姿が視界から消えた。
もう、耐える必要はない。
ぷつんとリオの中で何かが切れたその直後。
ゴキッと体の内側から嫌な音がした。
太く硬い足がリオの身体にめりこむ。蹴飛ばされた小石のように吹っ飛び、
「ぐはぁっ! …………ぁ」
壁に背中を激しく打ちつけた。
即死級の攻撃を受けた彼はしかし、歓喜に打ち震える。
――固有スキル【女神の懐抱】が発動しました。
ついに、そのときが来たからだ。
――経験値12500を獲得しました。
リオは初めて、次なるアナウンスを聞く。
――レベルが上がりました。
(やった、これで僕は――)
――レベルが上がりました。
(ん?)
――レベルが上がりました。
(おや?)
――レベルが上がりました。
(あれぇ?)
耳がおかしくなったかと疑うほど、同じ言葉が同じ声で繰り返され――。
――リオのレベルは、一気に12まで跳ね上がった。
次回、メインの新キャラが登場です!