最強の圧
砂岩迷宮アヌビスとワーウルフの相性は良くも悪くもない。
当たり障りがないのでなく、一長一短と言う意味で。
毒を始めとした状態異常に強い種族である一方、埃っぽいのはどうにも苦手だ。
ピラミッドの中に入れば多少はマシになるものの、体毛にまとわりつく乾いた砂がむず痒い。
とはいえ、レベルが60を超えるガルフにとって組みしやすい迷宮だ。
前方にたむろする包帯姿の魔物どもなど、視界に入った瞬間には接近し、軽く長剣を振るだけで三体は切り伏せられる。
経験値的には、まったくもって美味しくない。
だから戦闘は必要最小限にとどめて迷宮内を突き進んでいた。
幸い、便利な相棒もいる。
「次は右ですわね。トラップはなし、敵は少数。お任せいたしますわ」
「けっ、オレばっかり働かせてんじゃねえよ」
「肉体労働はそちらのお仕事でしょう? わたくしは最短ルートを探っているのですから。労われるのは期待していませんけれど、文句を吐き出すだけなら大きなお口を閉じてくださいまし」
にこにこ顔ながら辛辣な言葉を連ねるのはエルフのノーラだ。
彼女の固有スキルは『嘘を見逃さない』ものであるが、使い方次第ではトラップを看破したり敵の出現を予測できたりもする。
鑑識眼ほどの精度はなく、森羅識ほど万能ではないものの、ノーラはその特性を最大限に生かして二つのスキルに迫るほどの汎用性を獲得していた。
(ま、便利なヤツには違いねえ)
回復のみならず、多彩な攻撃魔法を会得している彼女。本人はやりたがらないが、ステータスの高さから接近戦でもそこらの冒険者では太刀打ちできない。
二人は互いに馬が合わず反発しているが、互いの実力を正しく認めてもいた。
だから安心して背中を預けられるのだ。
二人のレベルなら、アヌビスは容易く攻略できる。
それでも冒険島全体を揺るがす『異常』を調べに来たのだから、格下の相手であろうと一挙手一投足に目を光らせ、周囲への警戒も怠らなかった。
そう――。
油断など、微塵もしていなかったのだ。
トン、「か、はっ……」
背後にかすかな打音と、細く不自然な吐息。
それらを聞く直前、視界の端にガルフは妙なモノを捉えた。
黒だ。
全身が黒一色の何か。それは黒い霧をまといつつも、それ自体が闇のように黒かった。
あからさまに不審なソレを、なぜ自分は見逃したのか。
仲間の意識が刈り取られる音を聞くまで、黒い何かに警戒をまったく向けられなかった。
「テメエ――」
振り向き、長剣を構える。
「ノーラを離しやがれ!」
問答無用の突進。生かして捕らえたならば交渉する意図があるのだろうが、不意を衝くような卑怯者と話し合う気はさらさらなかった。
ここに至り、〝敵〟の姿を把握する。
黒いヘルムに黒い鎧。全身を金属製の鎧で覆った、容姿はもちろん性別も種族も不明な相手。背丈が成人男性にしては低い。わかるのはその程度だ。
黒い鎧の敵は肩にノーラを担いでいた。
狙いは逆側。
肩口から反対の腰付近を断てばそれで終わりだ。
『は――』
奇妙な声だった。敵と思しき黒い全身鎧から発せられたのは、はっきりと聞き取れるのに声色が判然としない。
『悪くない判断だ。アタシが相手でなきゃあな、って前提はそれとして。こっちも礼を欠いちまった以上、こいつは返しておくかねえ』
手ごたえがなかった。
姿はたしかに残っていたのに、実体はすでにいなくなっていた。
床に横たわるノーラに気づいたとき、ガルフからおよそ七メートル――彼の一足一刀の間合いのわずか外側までの距離を開けて、黒い全身鎧は佇んでいた。
「ノーラに何をしやがった」
『眠らせただけさ。じきに目を覚ますだろ』
「テメエ何モンだよ。オレたちに何の用がある?」
『アンタほどの剣士が相手なら、姿を晒して名乗って尋常にってやるのが礼儀なんだろうけどさ。ちょいと事情ってのがあってね。アンタらには悪いが、ここでお引き取り願うよ』
「ノーラを先に狙ったのは、正体を知られたくなかったからか」
『まあね。隠せはするんだけど念のためってやつさ』
不意を衝いたにしてはのんびりと受け答えしているのが不思議だった。
(にしても、コイツ……)
黒い全身鎧は徒手空拳。力を抜いて立っているだけ。
だというのに、飛びかかって今度こそ斬撃を食らわせようとの意思が奮い立ってくれない。
いや、わかっているのだ。
鑑識眼や鑑定といったスキルを持たなくても、冒険者として培ってきた長年の経験から相手の実力はなんとなく認識できる。
初撃を容易く躱されたことで、ガルフは冷や汗が止まらないほど理解していた。
(強い……なんてモンじゃねえ)
自身はレベル60を超え、島内でもトップ10に入るほどの実力を持つ。実力で上回る団長と対峙したとしても、震え竦む無様は絶対に晒さない。
だが黒い全身鎧に向けての一歩が、どうしても出せなかった。
(アイツは殺気すら放ってねえってのによお!)
足が竦む。
だが逃げるとなれば全力で動いてくれそうだ。
ノーラは仲が良いとはけして言えない間柄だが、それでも、仲間は置いていけない。
「結局なんだよ? オレらを足止めしたいのが本音か」
『引き返してくれればアタシの仕事はそこで終わりさ。こっから先へ進もうとするなら弾き返すだけさね。事が済むまでね』
「わかんねえな。オレもノーラみたく伸しちまえばいいだろうがよ」
先に進ませたくないなら、それでヤツの仕事とやらは終わるのだ。
黒い全身鎧は覇気のないまま腕を組む。
『なに、アンタはいずれアタシのとこに辿り着く。要するに〝今ここじゃない〟ってだけの話さ』
訳がわからない。わからないが、どのみち先へは進めそうにない。
「最後にひとつ」
ガルフは長剣を構えたまま尋ねる。
「言ったよな、『事が済むまで』ってよ。その『事』ってのはなんだ?」
答えが返ってくるとは考えていない。
島の異常につながる何か。
そんな予感がしたから、明確な回答がなくても言葉の端々、把握しにくいが声の抑揚などから感じ取れるものがあるかもしれないと、淡い期待からの質問だ。
ところが予想外にも、黒い全身鎧はどこか楽しそうに答えた。
『ガキの喧嘩さ。好きな娘の気を引きたいっていう、男のプライドを賭けたね』
はぐらかされた、とは何故か思わなかった。
「そう、か――」
ノーラの固有スキルを使うまでもなく、その言葉に嘘偽りが微塵も感じられなかったのだ。
「なら、邪魔はできねえな」
ガルフはノーラを肩に担ぎ、来た道を引き返そうと歩き出す。
『物分かりがよくて助かる。んじゃ、ついでにアンタらが欲しい情報をひとつ、くれてやるか』
すれ違いざま、黒い全身鎧が告げる。
『島の異常の原因な、アレ、アタシのせいだから』
「――は?」
『いやホントすまん。事故ではあるんだけど、まあそういうこったから。無駄に調べ回る必要はもうないぞって、団長にでも伝えてくれよ』
足を止めたガルフだが、その言葉をどうにか自身で咀嚼して。
「ああ、そうさせてもらうぜ」
再び歩き出すのだった――。
ガルフたちの気配が消えてしばらく。
黒い全身鎧はぼそりとつぶやく。
『これでアタシの仕事は終わり――って思ったけど』
何かが足りない気がしてならない。
うーんと腕を組んで考えるうち、閃いた。
『そうだよ、ご褒美。この場合は景品か。つってもあの二人、物欲がないからねえ』
再び頭をひねって考える。
やがて、ぽんと手を打った。
『いいのがいたわ。タマにゃアイツにも役に立ってもらわないとね』
黒い全身鎧は言ってから、黒い霧に飲まれてその場から消え去った――。




