不運と幸運は見方次第
――固有スキル【女神の懐抱】が発動しました。
喰いちぎられた右腕が、直後に完全回復する。
「ちょ待っテメェ! 腕が! えぇ!? 大丈夫なのかよ!?」
若い男性剣士が慌てて叫ぶ。言動の荒い男だが、リオを気遣っての発言らしい。
ここは地下大迷宮ダリタロスの第六階層。
広い洞窟といった様相で、でこぼこの壁面からは淡い光が放たれている。
「平気です。それより右から来ます。避けてください」
淡々と告げた言葉に従い右を向けば、円形の大口が迫っていた。
鋭い歯が円周に隙間なく並んでいる。丸呑みされかねない勢いに驚き、剣士は真横に飛んだ。
大口から粘性の液体が吐き出された。
さきほどまで剣士がいた地面が、じゅわじゅわと溶けていく。
「くそっ、いきなり強くなってねえか? さっきまでは楽だったのによぉ!」
にらみつける先には、三メートルはあろうかという大ミミズがいた。頭の部分には大きな口。皮膚はくすんだ銀色の金属質でつるりとしている。
シルバー・ワームと呼ばれる魔物だ。
それが三匹。
先ほどリオの右腕を食いちぎった個体は全身鎧の女騎士が相手していた。彼女が応じる。
「たしかに、上の階層に比べて格段に強くなっている。これは……キツいな」
もう一人、ローブ姿の若者が火球を放つも、頑強な体に跳ね返された。
「僕の魔法じゃ歯が立ちません。実質三対二ですよ、これ。追い詰められます!」
弱気の叫びをリオが否定する。
「落ち着いてください。体は硬いですけど今の魔法なら口に放てば倒せます。溶解液の攻撃がありますから、剣を口に突っこもうとは考えないでください」
「つまり我ら前衛は牽制するにとどめ、魔法で仕留めろと?」とは女騎士。
「でも一匹余るだろうが!」とは剣士の男。
「そっちは僕が引きつけます」
「はあ!? レベル1のテメエに何ができるって――オイ待てコラ! 勝手に動くんじゃねえ!」
リオは一瞬だけ考えて、身の丈ほどもある大荷物を背負ったまま、一番近くにいる巨大ミミズに駆け寄った。
乱戦の中で荷物を置き去りにすれば不慮の事故で破壊されかねないのを危惧してだ。【運搬】スキルのおかげで荷物を持っていればステータスにプラス補正がかかるし、シルバー・ワームの溶解液はこの身を盾にすれば荷物にかかることはない。
「僕への気遣いは無用です、と言いましたよ?」
大口が向けられる。
即座に横へ回りこんだ。
しかし動きの遅い彼を巨大ミミズは容易に捉え、
「ぐあっ!」
溶解液の直撃を浴びるのだった――。
危機は去った。
リオが一匹の気を引いている隙に、残る二匹を剣士と騎士がそれぞれ抑え、魔法使いがリオの指示通りに魔法で各個撃破する。実に呆気ないものだった。
休憩しようとの話になり、広い三叉路の壁際に固まる。
「君に言われた通りに魔物除けの結界を張ったけど、これでいいのかな?」
「はい、三つの道から同時に魔物が現れる可能性はかなり低いですし、これだけ広ければ近づいてきた魔物が素通りする隙間もたくさんあります」
リオは大荷物を下ろし、その場に座った。
「しかしよぉ、ほんとテメエ自分を大切にしろよ!」
剣士は戦闘を終えても怒りが収まらない様子だ。
「そう怒鳴るな。しかし、君もたいがい無茶な子だな。しかも14歳にしては肝が――ああ、据わり過ぎている理由はあれか。【恐怖耐性】Lv.10が、それほどとはね」
女騎士がへたり込む。
リオは荷物から回復薬の小瓶を取り出し手渡した。
「さっそくですけど提案があります。引き返しましょう」
何か言いたげな剣士を手で制し、女騎士は尋ねた。
「……理由を訊かせてくれないか」
「今戦ったシルバー・ワームは、この第六階層では最弱の部類に入る魔物です」
三人が息をのむ。
こういった説明は冒険者ギルドで行うものだが、彼らの担当者は怠慢だったらしい。
「一匹だけなら楽に対処できるでしょう。でもあの魔物は群れで行動します。この階層では三、四匹程度ですからなんとかなるとはいえ、連戦になれば『万が一』があるかもしれません」
「むろん、疲労が溜まる前にこうして休憩を取るつもりだ。魔物除けの結界を張っておけば交代で睡眠も――」
「それだけじゃありません」
リオは強い口調で遮る。
「この階層には、厄介な魔物がいるんです。おそらく貴方たちの攻撃は、どれも通りません」
「そ、そこまでの魔物が……?」
「広い階層に二、三体しかいないと言われているので、滅多に会うことはないんですけど……」
リオはじっと、女騎士を見た。
「ん? 私がどうかしたのか?」
「……貴女の固有スキルは、【悪戯な幸運】ですよね?」
「ああ、『望む望まないにかかわらず幸運が訪れる』との解説がある。『望まない幸運』の意味はわからないが、なかなかいいスキルだと思うぞ?」
女騎士は得意げに胸を張る。
固有スキルが【逃げ足】である剣士が実に羨ましそうだ。
「ええ、実際この階層に来るまで、異常なほど魔物に遭遇しませんでした」
「うん、ここに降りてからもそうだ。三十分ほど経つが、さっきの戦闘が初めてだったものな」
「おおっ、ちゃんと効果があるもんだな」
「そうですね。こういう方がパーティーに一人いると心強いです」
剣士も魔法使いも安心したような顔つきだ。
「それ、本当に皆さんが望んでいることですか?」
リオが真摯に尋ねると、三人は顔を見合わせてのち、女騎士が口を開いた。
「もちろんだとも。我らはこのダンジョンにあるとある宝を入手するのが目的だ。だから余計な戦闘を回避できるならそれに越したことはない」
そんな逃げ腰では、すぐ下の階層にだって行けやしない。
現状認識の甘さはさておき、どうやら今は彼らの『望んでいる状況』ではあるらしい。
となると、やはり――。
「やっぱり引き返しましょう。なんだか嫌な予感がします」
「おいおい、そんなあやふやな理由で帰れるかってんだ」
リオも本当なら引き返したくはない。
あと少し。
あと二、三回でも『死』から全回復すれば、ようやくレベルが上がるかもしれないのだ。
しかし自分の都合で彼らを危険な目には遭わせたくなかった。だってこの三人には、『死』を回避する術がないのだから。
「いえ、根拠がないんじゃなく、そろそろ『望まない幸運』が――ッ!?」
ぞくりと、リオの背に怖気が走った。
「何か来ます。すぐに移動の準備をしてください」
「いきなりどうした? あ、まさか……君の通常スキル【危機察知】か?」
リオが答えるより先に、ズシン、と。
かすかに洞窟を震わせる音が響いた。
ズシン、ズシン。その音はどんどん大きく、近寄ってくる。
(? なんだ? 何か……)
荷物を背負ったとき、おかしな感覚を覚えた。洞窟の鳴動が、一定間隔ではない。
「一匹じゃない。マズいです。挟まれます。しかもこいつは――」
「お、おい、あれ……」
剣士が震える指で示した先。
三メートルはあろうかという巨人が姿を現した。
岩のような皮膚に、大きな単眼。手には体格にぴったりの太い棍棒を握り締めている。
「ロウ・サイクロプス。さっき僕が言った、厄介な魔物とはこいつらです」
それが二匹。
同時に現れるなんて運が悪いどころの話ではなかった。しかも左右の通路からそれぞれこちらへ向かっていて、完全に挟まれるかたちだ。
「どどどどいうことだよコレはぁ!」
「静かに。魔物除けの結界があるのでまだ気づかれていません。すぐに残る通路へ向かって走れば逃げられますよ」
その目論見は、はかなく消えるどころか無残にも踏みにじられた。
ドシン、ドシン、と。
「冗談じゃねえぞ……。なんであっちからも、来てんだよ……」
三つの通路それぞれから、三体の巨人はほぼ同じ距離で向かってくる。
気づかれたら最後、全員が無事脱出するのは不可能だと、冒険者三人は恐怖した。
女騎士が、剣士の肩をがしっとつかんだ。
「貴様は行け。固有スキルを使えば、貴様だけなら――」
「なっ!? ちょ、待ってくださいよ。仲間を置いて逃げろってんですか!?」
「そうだ。残念ながら王命は果たせそうにない。しかし誰かが報告する必要がある。どうやら私の固有スキルが迷惑をかけたようだからな。理由はさっぱりわからないが……。それから貴様にも、迷惑をかけるな。すまん」
女騎士が頭を下げると、魔法使いは震えながら「かまいません!」と涙で応じた。
剣士も強面を涙と鼻水で濡らしている。
「理由は簡単ですよ。この階層で一番経験値が稼げるのがあの魔物ですからね。一度に集合したなら効率がいい。貴方たちは『望んではいない』けど、これも見方によっては『幸運』と言えます」
「そんな屁理屈が……」
「通用するのが、その固有スキルの嫌なところでもあり、使えるところでもあるんです」
「オマエなあ、なに隊長をへこませてんだよ? 空気読めよぉ」
「すみません、そういうの苦手で」
リオは言いながら、担いだ荷物を再び下ろした。
「申し訳ついでに言いますけど、僕は誰も死なせるつもりはありません」
えっ? と三人が声を合わせる。
「策はあります。全員が無事、あいつらから逃げるためのね」
荷物を漁り、二本の棒を引っ張り出した。松明だ――。
次回、固有スキル【逃げ足】の真の実力が明かされる!(違わないけどそうじゃない)