遠く離れての高め合い
大河の町マナルスからは、リオは一人で密林迷宮へ向かった。
町周辺の安全地帯を過ぎるとまたも深い森になる。
生い茂る枝葉の間に、薄霧に覆われた超巨大樹がそびえているのが見えた。目を凝らせば、先ほど空中戦を行った巨大な蛇フライ・パイソンが、何体もゆっくりと空を泳いでいる。
密林迷宮まではけっこうな距離がある。
リオは迷宮内に入ろうとは考えていなかった。入り口の手前でもレベル60以上の推奨地域だ。ある程度進んでから、魔剣を抜いた。
風が腕を締めつける。相変わらず好意的とはまったく思えないが、ひとまずここでステータス値を上げようと剣を振るう。
突風を利用して滑るように地面を駆け、木々の間をするすると抜けていった。
一太刀でもかなりの力を使う。
HPやMPなどを吸われると同時に体力がすり減る。
魔剣から風が生み出されるたび魔力が刺激される。
そしてもとより扱い辛い分不相応な魔剣を振り回していれば、器用にもなっていった。
(ステータス上げにすごく向いている武器だな)
母が『遊ぶならじっくり』と言っていた意味を理解した。
ステータス値の問題はこれで解決できる。あとは――。
リオが立ち止まる。木々の向こうに巨大な影を見つけた。
『グルルルルゥ……』
大きな豹だ。グレーの毛衣に黒の斑紋が散らばり、体高は二メートルほど。
二又の長い尾を持つ『ダブルテイル・パンサー』だ。
獰猛で俊敏。今のリオでは歯が立たない相手。
それでもリオは果敢に先手を取った。
突風に乗って正面から斬りかかる。
「ッ!? はや――」
しかしリオを大きく上回る魔獣は躊躇いなく突っこんできた。
避ける間もなく胴を喰いつかれる。
この時点でほぼ致命傷。魔獣は首を大きく振り回し、リオを投げ飛ばした。
「がはっ!」
大樹に背中から激突し、魔剣がするりと落ちていく。リオの体も追いかけるように地面へ。
――固有スキル【女神の懐抱】が発動しました。
全快してすぐさま魔剣を拾う。
ダブルテイル・パンサーはリオから興味を失くして歩き始めていた。
その隙を逃さず肉薄したものの。
察知した魔獣は振り返りもせず二又の長い尾を振るった。
リオを一本で絡めとると、思いきり地面に叩きつける。これだけでHPが七割削られた。
しかし意識をつなぎとめたリオは自身を縛る尾に手を添えて、
「雷霆……」
唯一にして最大級の魔法を食らわせた。
『グォオォォオオォオッ!』
さすがにオベロンのダンジョンボスよりも強敵だ。尾への一撃では仕留められない。それでもHPの半分は減らせた。
が、またも放り投げられ、大樹の鋭い枝に肩を串刺しにされる。
――固有スキル【女神の懐抱】が発動しました。
この短時間で二度目の全快。
固有スキルの副次効果で肩から枝は自然に抜け、リオは地面に着地した。
(やっぱり、強いな)
入り口付近の魔物でこの強さ。おそらく母リーヴァがいるだろう密林迷宮アマテラスには、今の自分は挑戦する資格がないと痛感する。
それでも――。
二年を我慢した。
レベルが上がるようになってからは、一か月ほどで30を突破した。
あとどれくらいかかろうとも、今までどおり愚直に強さを求めるだけだ。
(ミレイも今、がんばっているのかな?)
母の稽古を羨ましく思いながらも、自分は自分でできることをやる。
「うおおおおっ!」
リオは剣を振るう。
何度も何度も跳ね返されて、何度も何度も地に叩きつけられて、何度も何度も食い殺されて。
しかし荷物を運ぶだけだったころとは違い、今は倒す術も手にしている。
殺されてもすぐさま立ち向かい、わずかな隙に神雷を撃ちこんだ。
魔剣を使っての戦闘は、ほぼすべてのステータス値が鍛錬する以上に伸びていく。
だから休みなく、ただひたすらに。
貪欲に獲物を求めて森をさまよった――。
――島内のとある荒野。
「んじゃ、ちょいと休憩すっかね」
リーヴァ・ニーベルクは涼しい顔で手にした木刀のひとつを肩に担ぐ。
「鬼……鬼がいました……、お婆ちゃんが読んでくれたおとぎ話に出てきた以上の、鬼が……」
地面に引っ付くように突っ伏すのはその娘、ミレイだ。精も根も尽き果てて、立ち上がることができないでいる。
「いやあ、どうにも張りきっちゃってねえ。教えがいのある生徒だからってことで勘弁な。ま、軽口が叩けるうちはまだまだ足りな――は?」
リーヴァが頓狂な声を上げた。
どうしたのかな? とミレイがうつ伏せのまま顔だけ動かしてみると。
真っ白な子どもが立っていた。
髪も肌も白。目だけが異様に赤い。年のころは自分と同じだが、なんというか、
(透けて見える……?)
おかしなほど存在感が希薄だった。
「おいおいおいおい、オマエ本気か? 同じ舞台でアイツと張り合おうってのかい?」
男の子か女の子か判然としないその子は、どこからともなく棒をそれぞれの手に握り、ぶんぶんと振り回す。
リーヴァは深いため息を吐き出すと、すたすたとその子に歩み寄り、しゃがんで目線を合わせ、
「ステータスはぐちゃぐちゃ、男か女かも定まってないじゃんよ。アタシに稽古つけてもらいたけりゃあな、まずは設定をちゃあんと固めてこい」
木刀の先でほっぺをぷにぷに突っついた。
むっとした白い子どもは棒を放り投げて踵を返す。振り返らずにたったか走り、いつしか風に吹かれて消えていった。
「今の子って、お姉さんのお知り合いですか?」
「ん? あー、まあ上司? みたいなもんさ」
それよりも、とリーヴァはにかっと笑う。
「続きをやんぞ。急がねえと、アイツがすぐに追いついちまう」
誰のことか、ミレイには想像がついた。
(リオさんも、がんばってるんだなあ)
体に力はまだ入らないが、気合を入れて立ち上がる。
「いいね。ホント、鍛えがいがあるよ」
リーヴァが消える。しかしミレイは感覚だけでその姿を追い、
「とりゃあ!」
呪いの刀を振り上げた――。
――約束の日になった。
「ケラウノス!」
雷撃が魔獣の体を蹂躙する。
この個体だけで十度も殺されたが、とどめの一発で魔獣は息絶え霧散する。
――レベルが上がりました。
リトリコに指定されたレベルは35。しかしリオはこの時点で、37に到達した。
(帰りながらステータス値を上げれば問題はないかな)
レベルに応じたステータス値は、個人によって上限が異なる。リオは一般に比べて伸びがいいほうだが、念のためと三日間ぶっ通しで戦い続けていた。
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HP :402/590
MP : 44/215
STR:559/570
VIT:572/586
INT:388/495
MAG:391/431
AGI:566/597
DEX:462/474
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ステータス値はMAXに近い。伸びが悪かった魔力もずいぶんと上がってくれた。
課題をクリアしたリオは魔剣を手に、女神たちが待つリトリコの工房へと戻るのだった――。




