湖上迷宮の主たち
階段を駆け上がると大きな扉があった。開きっぱなしのそこへ飛びこむと、
「ガズゥロさん!」
スキンヘッドの剣士が、一人で巨人と対峙していた。
ロード・トロール――通称『オベロン』。このダンジョンの主にして最後のボスだ。
君主を冠するにしては腰巻のみの姿で、赤黒くでっぷりした体躯。王様らしい豪奢なマントが逆に異様に映った。
「リオか。すまない、手を貸してくれ!」
ガズゥロは額と肩に血が付いている。だが回復は済ませているようで、危機的状況にはない。
一方で、他の三人の姿が見えなかった。
「こっちはいい。俺一人でなんとか抑える。それよりも――」
わかっている。
姿の見えない三人は、別の巨体によって隠されていると理解した。
妖精の王オベロンの向こう。
王と同じくらい巨大な、女性の背が見えた。虫のような翅を生やし、足が隠れるほど長いスカートのドレスをまとっている。頭には小さな冠をのせていた。
地下のフロアボスとして出現した新種――冒険者ギルドが『エルダー・フェアリー』と命名――をさらに大きくした個体だ。こちらも新種と見て間違いない。
実力はエルダー・フェアリーを大きく超え、ダンジョンボスのオベロンとほぼ同等だ。しかも腕が四本もあり、水弾ではなくそれより強烈な光の弾丸を撃ち放っていた。
ロード・トロールが妖精の王ならば、こちらはさながら妖精の女王の風格を漂わせている。
リオは気が急くのを抑え、オベロンの注意がこちらに向かわないよう回りこんだ。
「気を付けろ、そのデカブツ女は――」
「わかっています!」
すでに【鑑識眼】で確認済みだ。だからこそ焦った。
女性型魔物の背に光球が浮かぶ。
リオ目掛けて放たれたそれらを弾き、躱しつつ正面に回ると。
「リオ! お願い助けて!」
女槍使いの悲痛な叫び。
魔法使いの男がメイスを掲げ、光弾の嵐を魔法防御壁で防いでいる。MPが尽きかけ、今にも破壊されそうな状況も危機的だが、それ以上に絶望的な光景が目に入った。
槍使いが膝をつき、必死に回復魔法をかけている相手。
ドワーフの女性神官の四肢が、石と化していた。
腰のあたりまで石化は進行し、肩から首へも浸食しつつある。
石化は回復魔法でも進行を止められるが、解除には専用のスキルや魔法、アイテムが要る。本来アタッカーである槍使いの回復魔法では追いついていなかった。
神官の女性は目がうつろ。
今すぐにでも町に戻り、石化解除をしないと命が危ない。
「なんで? どうして【石化】スキルなんて持ってるのよ! オベロンでそんな対策、してるわけないじゃない!」
石化は極めて危険な状態異常だ。
しかし石化を実行できる魔物はごく少数に限られ、出現する場所も少ない。成功率も低く、対策さえしていればさほど恐れるものではなかった。
「そいつ、いきなり現れたのよ。ロード・トロールが雄叫びを上げたと思ったら、突然……」
魔物が仲間を呼ぶのはあり得るが、ダンジョンボスでは聞いたことがない。
最初からいたなら警戒はする。戦わずに戻ることもできたし、すぐ脱出できるよう入り口近くで戦えもしただろう。
(なんて意地が悪い……)
感情を持たないであろう島に文句を言っても意味がない。
ともかく今は、早く神官たちを脱出させないと。
「僕が囮になります。二人は急いで彼女を連れて逃げてください」
実力では槍使いのほうがリオよりも上だ。しかし回復役がいなくなれば石化の進行を遅らせられない。
広範囲の魔法攻撃から神官を守るには、魔法の防御壁は外せなかった。
ガズゥロはもう一体を抑えるのに精いっぱいだ。
(だから僕がなんとか大型の新種の注意を引いて、三人が脱出する余裕を与えなくちゃ)
リオは光弾を弾きながら間合いを詰める。浮いてはいるが床からはわずかで、接近すれば剣は届く。実力差から倒すのは無理でも、取りついてめった刺しにすれば彼らへの攻撃も緩むだろう。
魔法使いがリオに声をかける。
「そいつの目は見るな。いつ石にされちまうかわからねえ」
「スキルの再発動時間がけっこう長いので大丈夫です」
それでも残りは五分ほど。
リオは石化状態にされても固有スキルで解除できるが、別の誰かが食らったらその時点で詰む。
槍使いが石化途中の神官を抱きかかえた。回復魔法を切らさず、じりじりと移動する。
魔法使いは防御壁を展開したまま彼女に合わせて動いた。
遅々としているが、足止めされていたことを考えれば大きな進歩だ。
(ルーム・ギミックは……ない。けど――)
フロアボスのところのように、MPを回復させるギミックがないのは逆に辛い。
魔法使いの防御が長くは持ちそうになかった。
「ッ!? マズい!」
新種の胸の前に大きな光球が現れた。顔の向きから狙いは三人。リオは思いきり床を蹴った。
「ぐがっ!」
特大の光球をまともに食らう。なんとか魔法使いとの間に滑りこんで防げはしたが、続けざまの光弾の嵐に彼らは足止めを余儀なくされる。
固有スキルで全快したリオは再び新種に突進した。
光弾を蹴散らし、足をドレスごと斬りつけようとして。
リオは急停止して身を低くした。すぐ上を大きなこぶしが通過する。長い腕で殴りかかってきたのだ。
四本もある腕と筋力の高さから、物理攻撃もしてくると警戒はしていた。
しかし実際にこれをやられてしまうと。
(くそっ、避けきれな――っ!)
光弾が肩に当たる。一瞬動きが止まったところを、横殴りに吹っ飛ばされた。
HPをごっそり持っていかれたが、まだ動く。
リオは首を傾けて光弾を躱すと、再び新種へと飛びかかった。が、四本腕の殴打に翻弄される。
時間が惜しい。
あと二分もすれば、石化のスキルを使われてしまう。
自分にかけられるならいい。
けれどもし、他の誰かが石化状態にされてしまったら。
槍使いが動けなくなれば、魔法使い一人ではどうしようもなくなる。MPが尽き、完全石化を待たずに三人は殺されてしまう。
魔法使いが石化されても同じだ。防御を失ったら槍使い一人では為す術がない。
ガズゥロが食らえばさらに最悪の状況になる。全滅は免れないだろう。
(なにか、ないのか。みんなを助けられる、手段は……)
そんな都合のよい話はあるはずがない。
本当はリオにもわかっている。今やるべきは、ひとつしかないことに。
「撤退だ! 全員、マーヤを置いて逃げろ!」
ガズゥロが叫んだ。リオを含め、三人の顔が強張る。
女性神官を置き去りにしての脱出。
今取れる最良の手は、それしかないとみなが理解している。
「ごめん……ごめんね、マーヤ」
槍使いの女性が涙ながらにそっと、神官を床に下ろした。
「わりぃなガズゥロ、それはできねえ。こいつとは冒険者になるとき約束したんだ。死ぬときゃ一緒だってよ」
魔法使いの男性は穏やかな表情でそう告げた。
ガズゥロも槍使いも、彼を引き止めはしない。
もう、これしかない。決めたからにはすぐ動くべきだ。
(でも……だけど!)
何か手はないか。リオは必死に思考を巡らせた。
しかし手持ちの札はすべて使っている。妙案がひらめくなんて、期待するだけ無駄なことだ。
もはやただの自己満足に過ぎない。
自分はがんばった。でもダメだった、と。
ガズゥロと槍使いが逃げおおせ、残るドワーフ二人の最後を看取るわかりきった結末を迎え、全滅は免れたのだからいいじゃないかと、自身の感情に折り合いをつけるための行為でしかない。
だって自分は死なないから。
いてもいなくても同じなら、自分が納得する方を選択するだけだ。
(違う、だろ。なにを諦めているんだ、僕は!)
かつて、同行した冒険者パーティーが全滅した。
自分の無力さに打ちのめされた。
あんな思いをもうしたくなくて、この場に飛びこんだのではなかったか?
(ならやれ! 全力を尽くせ!)
自己満足は悪くない。
間違っていたのは、望まぬ結末を受け入れる弱い心だ。
この絶望を覆す。
みんなが安堵し、笑っていられる結末こそ、最高の自己満足なのだから。
リオは賭けに出た。
手持ちの札がないのなら、作る以外に方法はない。
剣を持つ両手をだらりと下げ、無防備に大型の新種――妖精の女王に突っこんだ。
がしっと、大きな手につかまれる。
妖精の女王はリオの決意を嘲笑うかのように楽しげに持ち上げると、
『うふふふふ』
リオを握りつぶした。
血を吐き、緩んだ手から滑り落ちる。
――固有スキル【女神の懐抱】が発動しました。
落ちながら、光が戻った両目で敵を見る。
――レベルが上がりました。
得られた経験値はギリギリだった。
わざとやられる場合は少なくなるので心配していたが、それでもなんとか届いてくれた。
レベルが上がったところで、ステータス値は変わらない。
仮にその上限に達しても、絶望を覆すには至らない。
けれどそれ以外にたったひとつ、確証も保証もない運任せの変化が残されていた。
「賭けは、僕の勝ちだ」
つぶやきの直前、頭の中で響いた声。
――通常スキル【神雷魔法】を習得しました。
希望の光が、灯った――。
次回、新たに得た手札で逆転へ――。




