最後にして最初の難関へ
リオの湖上迷宮オベロンの攻略は順調だった。
レベルは29に達し、大宮殿に入ってダンジョンボスのいる最上階まで残りが五階のところまで来ていた。
しかしここで一度〝始まりの町〟へと戻ってくる。
双剣の具合はまだ大丈夫そうだったが、簡易修復用の新製品はすっかりなくなり、ダンジョンボスでのレベル上げを行う前にきちんと修理しておきたかった。
リィアン商会に剣を預け、『銀の禿鷲亭』に戻ってきた。
従業員ではなく客として女神とお茶を楽しんでいたところ、
「リオさん、おめでとうございます!」
ミレイが現れた。オベロン地下でのフロアボスとの激戦以降、久しぶりの再会だ。単独撃破のお祝いにと大きなケーキを持参していた。
「すごいですよね。わたしなんかリオさんと一緒だったから倒せたのに、一人で、しかもレベル28でなんて。知ってますか? リオさんって今、リーヴァ・ニーベルクの生まれ変わりって噂されてるんですよ!」
聞いてはいる。が、生前の母とは一緒に暮らしていたので『生まれ変わり』は的外れと言わざるをえない。そもそも彼女は蘇生してこの島にいるのだ。
「どちらかと言えばミレイ、君にふさわしい称号だよ。単独撃破っていうなら君だって――」
きょとんとする彼女の首筋には、『☆』のマークがふたつ。
「オベロンのダンジョンボスを一人で倒したじゃないか。おめでとう」
「あ、ありがとうございます! いえですがその……三回挑戦してやっと、でして……。ノーラさんがいなかったらわたし、二回死んでました」
だが彼女のレベルは35。ダンジョンボスは45相当の実力がある。
ミレイは驚異的な成長速度とは別に、ステータスの伸びが異常に高かった。
「僕はこれから挑戦するけど、たぶん三十回くらいは死にかけると思う」
「リオ君、それは慰めになっていないよ?」
給仕服姿の女神にツッコまれた。
三人(女神は仕事そっちのけ)でケーキを頬張りつつ、話を弾ませる。
「そうか、ダンジョンボスは変わらずなんだね」
「はい。オベロンさんがお一人だけでした。また増えてたらどうしようって思ってたんですけど」
ダンジョンボスにはそのダンジョンの名を通称として呼ぶ。
実際には『ロード・トロール』といって、名が示すとおり地下にいた『ギガ・トロール』の上位種である。
巨躯はさらに大きく五メートルほど。全体的にステータス値が高まったのみならず、魔法防御効果のある豪奢なマントをはおり、特大の火炎球まで放つ厄介な相手だ。
しかしリオには完全回復する固有スキル【女神の懐抱】がある。
レベルとステータスを上げていけば、遠からず倒してしまえるだろう。
けれど、とエルディスティアはケーキをもぐもぐする。
(リオ君が乗りこむ直前にまた仕様が変わらないとも限らない。なんていうか、変な〝意図〟を感じるんだよね)
杞憂に終わってほしい。神様なのにそう祈る女神だった――。
リオはガラス張りの広い空間に出た。小さな石碑があるだけで他には何もない。
ここは湖上迷宮オベロンの最上階――の一歩手前だ。
曲がりくねった廊下を進み、階段を上ったところにダンジョンボスのいる大広間がある。
この空間もこの先も、障害となる魔物やトラップは存在しない。周りでふわふわしていた小さな妖精たちもいなくなっていた。
リオは小さな石碑に手を添えた。ぽわっと石碑が発光する。マーカー登録は完了だ。
ダンジョンボスを相手にすれば双剣の消耗は激しくなるだろう。また魔物が追加されている事態も予想されるので、その対策に町へ戻る必要が出てくるかも。
(今日のところは相手を確認して、レベルを31まで上げたいところだね)
レベル30まではもうすこし。このダンジョンでもっとも強い相手なら、一日で経験値を10万獲得するのは楽な方だろう。
さっそく進もうと足を踏み出したところで、石碑がキラキラと輝き出した。広い空間全体も発光し、やがて石碑の周りに四人の人物が現れる。
ここにマーカー登録していた冒険者パーティーが転移してきたのだ。
「お? リオじゃないか。久しぶりだなあ」
スキンヘッドの剣士が強面を崩してにかっと笑う。中型の盾を持っていた。
「お久しぶりです、ガズゥロさん。それから皆さんも」
荷物持ち時代に何度か依頼を受け、あっちこっちのダンジョンに同行した人たちだ。
ただリオはちょっと不思議に思った。彼らは七大ダンジョンの攻略が目的ではなく、お宝を得て稼ぐ職業冒険者に類しているからだ。
「聞いたわよ? 一人で地下にいるフロアボスを倒したんですってね」と槍使いの女性。
「俺たちも負けてられねえと思ってな」とメイスを持った小柄でムキムキの男性魔法使い。
「ひとつくらいは星をつけようと考えまして」とは神官服を来たこちらも小柄な女性だ。
小柄な二人はドワーフで、ガズゥロと槍使いはリオと同じ人族だった。
なるほど、とリオは得心する。同時に驚いた。自分の活躍が誰かに影響を与えていたなんて、思いもよらなかったからだ。
「お前もダンジョンボスのとこへ行くのか?」
「はい。でも僕はレベル上げが目的ですから、お先にどうぞ」
「おっ、悪いな。昨日お試しでダンジョンボスと闘ってきてな。今日は準備万全整えて挑もうって意気込んでたとこなんだ」
ガズゥロは中型の盾を持ち上げて見せる。火炎系魔法を防ぐ特殊効果のあるものだ。ダンジョンボスは特大の火炎球を放つので、その対策だ。
「ダンジョンボスは例の一体だけでしたか?」
「ああ。魔法が効きにくいから面倒そうだが、ま、殴りまくって突破してやるさ」
ガズゥロはレベル39。他の三人も三十台後半だ。難なくとはいかなくても、十分に倒しきる力がある。
「お前も見に来るか?」
「いえ、僕はここで鍛錬して待っていますよ」
「そうか。んじゃ、町で会ったら一杯奢ってくれよな」
勝つのが当然のような発言は、油断や慢心からくるものではない。
そのための準備を整えてきたのだから、変に不安がって士気を下げたくないのだろう。
ガズゥロたちを見送り、リオは自身のステータス画面を開いた。
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HP :490/490
MP :145/145
STR:457/471
VIT:455/485
INT:306/405
MAG:211/307
AGI:468/492
DEX:334/389
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レベル1のころに比べると三倍以上高まっている。
このところは特に魔力の伸びがいい。
(それでも他に比べると低いけどね)
だがどうしても期待してしまう。もうすぐ魔法を覚えるのではないか、と。
(レベル30って切りがいいし……って、そういうのは関係ないか)
リオはその場に腰を落として胡坐をかいた。
近接戦闘に直結するステータスはかなり上げている。最近は時間があれば知力や魔力を強化していた。
目を閉じ、心穏やかにする。
瞑想ですこしでも魔力を高めておきたかった。
(あと、もう少しだ)
湖上迷宮オベロンの、最後の難関。
それは七大ダンジョン完全攻略のための、最初の一歩でもある。
(集中、集中だぞ……)
瞑想に意識を戻す。
静かだった。周囲の音という音がなくなっている。
困ったことに、これが逆に集中を妨げた。雑念が後から後から湧き出てくる。
騒がしい妖精でもいれば彼らの話を聞き流すのに集中できるのに、と余計なことを考えてしまった。
浮かんでは消えていく取り留めもない思考をつかんでしまわないよう、外へ意識を向ける。
静寂の中で音を探そうとした。
やがて微かな振動音を探り当てる。
ガズゥロたちが上階で戦闘に入ったのだろう。彼らならきっと勝てる。そんな思いを名残惜しく手放して、意識の底へ埋没していった。
『――ッ!』
ハッとして目を開く。
(今の……悲鳴?)
はっきりとはしないが、そうリオは感じた。
(何かあったのかな?)
過去の辛く苦い経験を思い出す。随行した冒険者パーティーが、ダンジョンの奥深くで全滅した記憶。
(様子を見るだけでも……)
妙な胸騒ぎに急かされ、リオは立ち上がるとすぐに走った。
ダンジョンボスが待ち構える大広間へと――。
オベロン攻略目前。
次回はダンジョンボスと相対します。




