ダンジョンの奥は楽しいところ
ガラス張りで幅広の階段をリオは降りていく。
長く緩やかな螺旋階段をどれほど下ったのか、いつしか周りを飛び回っていた妖精たちが姿を隠していた。
ようやく一番下にたどり着いた。ここまでにリオはレベル19に達し、ステータス値も16相当にまで上がっていた。
正面に見える大きな扉を引いて開くと、そこは――。
上から降りそそぐあたたかな光に目を細めた。木々が生い茂り、草花が風にそよぐ。
まるで温暖な森の入り口に見えるが、ここは紛れもなく湖の底の、さらに深い地下である。
ダンジョンにはその内部にいくつか、魔物が入りこめない安全地帯がある。
七大ダンジョンともなれば、一階層まるごと安全地帯であるのも珍しくなかった。そして今目の前に広がる景色のように、地上と変わらぬ環境を提供していることもある。
一本道を進むと、すぐに森を抜けた。
次に現れた光景もまた、ここがダンジョンの奥底であるのを忘れさせる。
町があった――。
ダンジョンの奥底に人が住み、店を開いている。
特にこの湖上迷宮オベロンは時々刻々と姿を変え、帰り道が不確かとなるため、冒険者たちは先を目指さざるを得ない。
広く快適な安全地帯があればそこで冒険者たちを待ち構え、労いつつも商魂逞しい者たちが町を作るのは必然だった。
もっとも〝始まりの町〟に匹敵する賑わいは、冒険者とここ〝オベロンの地下街〟に住まう商人たちによるものだけではない。
一般人まで訪れる、一大観光地にもなっているのだ。
「お? 荷物持ちの兄ちゃんじゃねえか」
「ホントだ、リオだ」
かつてリオを雇った顔馴染みが集まってきた。
「レベルが上がって荷物持ちは休業って聞いてたけどよ」
「お前、もう七大ダンジョンに挑戦してんのか?」
「しかも一人かよ」
「相変わらずやること無茶苦茶だな」
さらにリオのレベルを聞いて二度びっくり。その中の一人が不思議そうに尋ねた。
「でも君って、前にここまでは来てるよね? どうしてわざわざ入り口から?」
リオはここどころか、湖上の巨大宮殿の中ほどまで行ったことはある。
「〝マーカー〟は全部消しましたから」
正式名称は『到達の証』。
ダンジョン攻略において、もっとも重要なこの島特有の機能のひとつだ。
安全地帯など、ダンジョン内にはいくつかそこへ到達した『証』を刻む装置がある。
リーチ・マーカーを装置に登録すると、ダンジョンの外へ、あるいはダンジョンの外から、その装置間で自由に転移できるのだ。
リオは荷物持ちとして七大ダンジョンのいくつかでかなり奥まで進んだ経験が何度もある。
仕事上、冒険者パーティーが外に戻れば一緒に戻るし、再びダンジョンに入ればついて行く。また別の冒険者パーティーに雇われる際、彼らと同じ場所にマーカーがあれば仕事も受けやすい。
だから今まではリオもマーカーを消してはいなかったのだが。
「へえ、真面目なこったなあ」
別の誰かが呆れたように言う。
マーカーは自分でなら登録を解除できる。が、わざわざやる者はいない。
サポート役でダンジョンの奥に連れて行ってもらったとしても、その役割をこなしてなら誰もズルいだの卑怯だのと謗りはしないのだ。
ただリオは、効率を捨ててでも『初めから挑戦する』ことを選んだ。
七大ダンジョンの攻略は並大抵の努力で達成できるものではない。
なにせ今までに一人しかクリアした者がいないのだ。
すこしでも『甘え』があってはいけない。そう、強く感じた。
雑談からリオを勧誘する話で盛り上がってきたので、リオはそそくさと退散する。
町の中心部にある広場へやってきた。
ど真ん中に、ぽつんと石碑がある。高さは一メートルほどだ。
そこに手を当て念じると、石碑がぽわっと光った。これで登録は完了だ。
地下街に長居する気はなかった。
リオは町を出て、湖上の巨大宮殿へ続く階段を目指した。
森を両断する道を進んでいると、木々の上に湯気が立っているのに気づく。
続けてそちら側の路傍に、『これより立入禁止!』との立て看板があった。看板には『迷宮管理局』とも書いてある。
立て看板を無理に越えようとすれば、雷撃でも降ってくる結界が張ってあるのだろう。
(そういえば、この辺りに温泉施設があったっけ)
冒険者のみならず、一般の人たちにも人気のスポットだ。
ちなみに一般の人たちも一度は迷路や迷宮を通って地下街でマーカー登録しなくてはならない。そのためのツアーが企画され、一部の冒険者はそれで稼いでもいた。
おそらく先に進めば温泉施設の入り口があるのだろう。ともあれリオはまったく興味がない。素通りしようとした、そのとき。
「ぴぎゃああぁああぁぁぁああっ!」
絹を切り裂くような女性の悲鳴が聞こえ、木々のあちら側で湯柱が高く昇った。
「出た、出ましたわーっ! いぃーやぁああぁあぁぁああぁあ~!」
叫び声が近づいてくる。
茂みから女性が飛び出してきた。肉付きの良い体にタオル一枚というあられもない姿だ。
頭部にタオルを巻いているが、体が湿っているようには思えない。これから入浴、という場面で何かしらアクシデントがあったのだろう。
(エルフの女の人か)
長く尖った耳がその特徴。整った美貌を歪め、涙目どころか泣きはらしながら慌てふためいている様子だ。
彼女はリオを見つけると、
「お助けくださいませ~!」
ぎゅいんと走る方向を変え、彼に突進してきた。
立て看板の付近の進入禁止結界は中から外へは何事もなく通過できる、のだが……。
リオはすすっと横に逃れた。
女性はハッとして急停止。リオがさっきまでいたところの直前だった。顔を真っ赤にしてうつむき、体に巻いたタオルをぎゅっと握ってモジモジする。
「か、斯様なはしたない姿の女に、抱き着かれてはご迷惑ですわね。大変失礼いたしましたわ」
「いえ、ぶつかると危ないかと思って避けました」
一転、エルフの女性はほわんとなる。
「そうでしたの。いえ、よくよく考えればわたくしも、幼げであるとはいえ見ず知らずの殿方に受け止めていただこうなど不作法と恥じまして、直前で思い直した次第ですわ」
ここに至って気づく。
タオルからはみ出しそうな胸元に、三つの『☆』が刻まれていることに。
レベルは60に迫る。攻防回復の全般に長けた、極めて高い魔法能力の持ち主だった。
「しかしながら、困りましたわね。湯殿を囲う結界は内から飛び出せても、外から内へは進入を許してくださいません。わたくし、このような格好で施設正面まで行かなくてはならないのでしょうか?」
縋るように見られても、リオにはどうすることもできない。
対応に苦慮していると、またも茂みから飛び出す誰か。
「ノーラさん大丈夫ですか? あなたを驚かせたクモさんは、こうしてわたしが捕縛しましたのでもう安心ですよ!」
こちらもタオルを一枚体に巻いただけの、妹ミレイだった。
どうやらエルフの女性とは知り合い――というより、高い能力値からしてミレイが所属する団の先輩だろう。
「持ってきちゃらめぇ!」
クモごときで、とは思わない。誰にでも苦手なものはあるのだから。でも騒がしいのは勘弁してもらいたかった。
「って、あれ? リオさん!」
満面の笑みでこちらに駆けてきたミレイに片手を突き出す。
「そこでストップ」
ミレイは素直にぴたりと止まった。
「こっちに来ると、君もその格好で道を歩かなくちゃならなくなる」
「はっ!? そういえばこんな格好でした! お恥ずかしいです……」
恥じらいはあるようで、急にモジモジし始めた。
「この人は僕が送っていくよ」
自身の体格ではさほど隠せそうにないが、いないよりはマシだろう。
「ごめんなさい、お手数をおかけしますわね……」
しょんぼりした彼女――ノーラを先導しようと前を向いたそのときだ。
ビュオンと一陣の風が吹き、ズザザァッとリオの眼前を通り過ぎた大きな影。ノーラを庇うように割りこんだその人物は――。
「ノーラの叫び声に急いで来てみりゃ……またテメエかよ、荷物持ち」
狼頭の剣士、ガルフだった。ぎろりとリオを睨みつける。
(なにか、怒っているような……?)
いまだ(苦手らしいクモの恐怖で)涙を浮かべるタオル一枚の女性。
そこに居合わせた男のリオ。
これだけで傍から見れば大変な誤解を招くには十分だが、リオにはよくわかっていなかった。
ただガルフが何かしらに怒っていて、その原因はこの状況にありそうだとは感じている。限定スキル【鑑識眼】と通常スキル【危機察知】が自身の危機を告げている気がした。
とはいえ自分が何を言っても信じてもらえない雰囲気のようにも思える。ならば――。
リオはガルフの向こうに声をかけた。
「状況を説明してあげてください」
「冷静かつ的確な判断ですわね!?」
驚いていないで早く説明してほしい。内心でため息をつくリオだった――。
次回、男だらけの温泉回(誰得)。




