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女神の決断


 ――母が死んだ日、女神に出会った。


 月も星も隠れた夜。

 小雪が頬については消えていく。びゅうっと冷たい風を正面に受け、幼いリオは目を細めながらも視線を〝彼女〟から外さなかった。


「君もなかなか無茶をやる。向こう見ずなところは母親そっくりだね」


 美しい女性だった。

 長い金髪のきれいな女の人。冬なのに袖のない白いワンピースを着ている。


 リオは全身ボロボロで、体中がひどく痛んだ。それでも毛布でぐるぐる巻きにした小さな妹を片腕に抱え、膝立ちして空いた手にナイフを握って突きつける。


「なかなかアグレッシブな行き倒れだ。まあ警戒するのもわかる。状況が状況だからね。私は君の敵ではないよ。君の母親、リーヴァ・ニーベルクとの約束を果たすため、君を迎えにきたのさ」


 母の名に緊張がわずかに緩む。

 ゆるりと彼女が近寄ってくると、なぜだか春の陽射しに包まれているような暖かさを覚えた。


「しかしどこから話したものかな……。リーヴァが七つのダンジョンを攻略し、私に会いにきたのは知っているかい?」


 リオはふるふると首を横に振る。


「そこで彼女はこう言った。『この子がヤバくなったら助けてやってくれ』と自身の下腹を指差してね。まったく呆れたものだよ。子を腹に抱えながら最難関のダンジョンを踏破したのだからね」



 だいたいさ、と女性は肩を竦める。


「ふつう、ダンジョンボスにかけられた解けない呪いを解除することを願わないかな? お腹の子の安全も考えればね。ま、君は魔法で護りきる自信はあったんだろうさ。あの体で二人目まで作ってしまったしね」


 それはともかく、と女性は続ける。


「だいたい、『ヤバくなったら』ってどういう状況なのさ? 助けるって具体的には? 曖昧にもほどがある。例えば今のように――」


 視線がリオの背後に移る。そこには彼らが住んでいた、白い小さな一軒家があり、


「くそが! あのガキ、どこ行きやがった!?」


 怒声とともに、厳つい男が玄関から出てきた。その後ろからさらに一人も顔を出す。片手で押さえた顔からは、血が滴り落ちている。


 彼らはついさっき、リオたちの家に押し入ってきた。どうやら略奪目的のゴロツキらしい。

 妹を守るため奮戦したものの、大人二人を相手にリオはさんざん痛めつけられた。それでもなんとか隙をつき、一人の顔をナイフで切りつけ、気を失っていた妹を抱えて家を飛び出したのだ。


 ともかく逃げなければ。

 リオは妹をぎゅっと抱きしめ、立ち上がろうとした。けれど痛みと疲労で思うように動けない。


「安心したまえ。彼らは私を認識できない。見えてはいるが意識はできないのさ。私と話している君たちも同様だ」


 事実、男二人はこちらへ目をやったものの、すぐさま別方向へ顔を向けた。きょろきょろしながら小屋の裏手に回っていく。


「……じゃあ、あいつらをやっつけて」


 こちらを意識できないなら一方的に攻撃できるのでは? 幼いリオは考えた。


「君、本当に好戦的だね。残念ながら私は何もしないよ。そこまでの干渉はルールに抵触するからね。もっとも、『私は』しないというだけの話だけど」


 妙な言い方にリオは混乱する。


「うん、リーヴァが張った不可侵の結界は実に見事なものだった。呪いに蝕まれてなおあれだけのものが構築できるとはね。けれど彼女が死んだら消え失せる。長らく安全地帯だった場所がいきなりフリースポットになれば、人にせよ何にせよ(・ ・ ・ ・)、寄ってくるものさ」


 ほらね、と女性が笑みを向けた先を見てリオは慄く。


「ひっ!?」

『グルルルゥ……』


 大きな魔物が、じっとこちらを見つめていた。

 白地に黒縞の大虎だ。頭には長く鋭い一本の角。上あごから大きな牙も二本伸びていて、大きさはリオたちの小屋ほどもある。


 白い大虎は女性に、そしてリオへと視線を移す。明らかにこちらが見えていた。

 しかし襲ってくる気配はなく、ぎろりと別の獲物へ目を向けた。


「おいやベえぞ!」

「逃げろ!」


 男たちは一目散に逃げ出すも、大虎は巨躯に似合わぬ軽やかな走りであっと言う間に追いつくや、角で、牙で、爪で、体当たりで、声を上げる間も与えず殺しつくした。


「まったく、この頃は質の悪いのが増えてしまったな。ここらはレベル60以上推奨地帯だというのに、お気軽にあの程度の者たちがやってくる」


 ともあれ邪魔者はいなくなった、と女性はリオに手を差し伸べた。


「さあ、私と一緒に行こうじゃないか。なに不自由なく暮らせる、楽園へ君を案内しよう」


「ぼくたちを、たすけてくれるの?」


 女性は美貌をわずかに曇らせる。


「いいや、君だけだ。可哀そうだけど君の妹は置いていく」


「どうして!?」


「さっき説明しただろう? 君の母親の願いは『君』がヤバくなったら助けろというものだ。その女の子は対象に入っていない」


「そんな……」


 リオはがりっと奥歯を噛みしめると、痛みを押しやり、あらん限りの力で立ち上がった。


「もしかして、ふもとに降りようとしているのかな?」


 答えず、リオは足を引きずって歩く。


 リーヴァは自分に何かあったときのため、リオに指示していた。

 魔物除けのフードを被ってふもとの町へ降り、そこで彼女が懇意にしている者に保護を求めるように、と。以降は冒険者ギルドを頼れば、幼い兄妹きょうだいが成人するまで面倒を見てくれるよう手配もしていた。

 ゴロツキが襲ってきさえしなければ、今ごろは町にたどり着いていたかもしれない。


「さすがに無理だよ。君は傷だらけで体力もほとんど残っていない。魔物除けのフードもそれでは用をなさないし、この寒さの中、幼い君がその子を抱えてでは途中で力尽きるのは明白だ」


 力尽きるから、なんだと言うのか?

 妹は母の死と男たちの襲撃が重なったショックで気を失っているが、三歳でも自身の脚でふもとまで降りられる場所まで運べば、そこで自分の役目は終わる。


「ものすごい執念を感じるけど、たぶん君が考えているのは子どもの浅知恵だ。うまくいくはずがない」


「うるさいな! たすける気がないなら、だまっててよ!」


「……私だって、助けられるのなら助けたいさ。けれど資格のない者の願いは叶えてやれない。私は、そういう存在だから……」


 悔しそうに吐き出す女の人に、リオは申し訳ない気持ちになる。

 一方で『助けたい』との言葉に、希望を見出した。


 リオは妹をそっと地面に置く。手にしたナイフを掲げ――。


「ぼくのかわりに、ミレイをたすけてあげてよ」


 思いきり振り下ろし――がしっ!


「何を考えているのさ君はぁ!」


 鈍色の切っ先が、リオの喉元の直前で止まった。女性が彼の腕にしがみついたからだ。


「君が死んだからって、代わりに妹を助ける義理は私にはない。せめて私の返事を待ってから行動に移したまえよ!」


「ダメって言うに、きまってる」


「そうだけど! ああ、もう! 思わず手が出てしまったけど、今のだって重大なルール違反なんだぞ。なんだって最初の仕事でこうなっちゃうかなあ? わかった。わかりました。君の覚悟は理解した。私も腹を括ろうじゃないか」


 女性はリオからナイフをふんだくる。


「今回は特別に、対価をもって君の願いを聞き入れよう。ただし君の命では重すぎる。仮にその子をここに置き去りにしたとしても、生きてふもとの町までたどり着く可能性はゼロではないのだからね」


「ぼくは、なにをあげればいいの?」


「君の持ち物で、彼女の安全に見合うものなんてないさ。だから君が真に苦痛に思う枷を、嵌めさせてもらう」


 女性はナイフを放り投げる。


「その子から『君の存在を消す』。今後何があろうと、君は自ら『兄だ』と名乗ることは許されないし、知られないよう努力する義務を与える」


「わかった」


「あっさり!? えっ、いいの? もうその子とは兄妹きょうだいとしては暮らせないんだよ? 実は苦痛でもなんでもなかったり?」


「すごくつらいけど、ミレイがたすかるなら、それでいい」


 今にも泣きそうな顔で必死に耐えている様からは、悲痛なほどの覚悟が読み取れる。


「はあ……まったく、とんだ五歳児がいたものだよ。言っておくけど、君を保護するのは期間限定だ。私はいつまでも子守りをするつもりはない。働けるくらいの年齢になったら出ていってもらうからね」


「わかった」


「本当にわかっているのかねえ。『追い出さないでー』って泣いて懇願しても知らないよ?」


 などと肩を竦める女性は、いずれ出ていこうとする少年に『見捨てないで』と涙目で懇願することになるとは夢にも思っていなかった。


 こうしてリオは不思議な女性に連れていかれ、妹のミレイは元冒険者の老夫婦に預けられた。


 そして九年の月日が流れ――。




 リオたちが家族で住んでいた家と似たような、人も魔物も寄りつかぬ白い小屋。

 女神エルディスティアはテラスの柵に腹を乗せ、折りたたむ格好で芝生を眺めつつ悶々としていた。


「ついにレベルが上がってしまった……」


 死の直前から完全復活する究極スキル【女神の懐抱】を駆使し、経験値を稼ぎ始めたリオなら遠からず成し遂げるとの覚悟はあった。


 しかしまさか、たった二年で到達してしまうとは。しかも、である。


「なんか不具合が出て(バグって)ない?」


 次のレベルに達するのに、必要な経験値が半分になっていた。


 兆候はあった。

 リオのスキルレベルの上がりが早いと感じていたのだ。通常スキルの覚えも早い。

 これではまるで――。


「【進化極致】と同等じゃないか」


 けれど彼はそんなスキルを持っていない。もともと持っていたのは【英雄】であり、それを上書きした反動とも考えにくい。


 となればリオは初めから――生まれたときから【進化極致】を隠しステータスとして身に付けていたのかも。


「でもどうして? 妊娠中に強力な呪いを受けた影響なのか……」


 答えは出そうにない。ともあれ、だ。

 ずりずりと前に落ち、くるんと回転。背中から芝生に倒れ、澄み渡った空を眺める。


「あんなイレギュラーを、放置していいはずがない」


 片手を伸ばし、鋭い眼差しでぐっと握った。


 イレギュラーと言えば、ミレイが兄の存在を知っていたのも不可解だった。

 老夫婦には『身寄りのない子』と説明して預けたし、彼女自身は幼すぎて覚えているとは思えない。


 攻略後のリーヴァと付き合いがあった者はごく少数で、彼らがミレイに接触した様子は感知していなかった。

 ただ女神とて島全体をすべて把握しているわけではない。

 いったいどこの誰が、わざわざリオの存在を伝えたのか?


「うん、そうだ。放ってはおけない。だから私自身が、彼を直接監視しなければ!」


 放っておけなくても彼女が何かできるはずもない。それが女神に課せられたルールだ。


「待っていてくれリオ、すぐに行くからね!」


 ただ単に、彼に会いたいだけ――彼の側にいたいだけ。


 言い訳は完了した。

 エルディスティアは踊る心をいっそう弾ませて、支度を始めるのだった――。



次回、いちおうリオにも正体を隠し、女神さが下界に降ります。





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― 新着の感想 ―
[一言] いけないんだ〜!女神様の職権乱用だ〜!!
[一言] 毎日更新お疲れ様です! いつも楽しみにしてます!面白くて読みやすくて本当に好きな作品です!ありがとうございます! これからも更新頑張って下さい!応援してます!
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