特別な日の終幕
戦闘態勢のミレイを気にしつつも、ガルフはリオを睨み据えた。
リオはやる気なしの完全無防備状態で立ち尽くしている。
「……つまんねえ。もっと気の利いたこと言いやがれってんだ」
ガルフは剣に回した手をだらりと下げる。
「万年レベル1を斬ったところで毛ほどの経験値も手に入んねえ。剣が錆びちまうだけだぜ」
「錆びちゃうのはふだんからきちんと手入れしないからですよ」
「うっせえぞミレイ! ったく、無駄な時間食っちまったぜ」
こきこきと首を鳴らしつつ、ガルフは舌打ちする。
(こいつ……オレの睨みに腰を抜かすどころか眉ひとつ動かさねえとはな)
レベル差は圧倒的。
だというのに高レベルの【威嚇】を持つ自身の眼力がまるで効かず、ガルフは苛立っていた。
「おらミレイ、とっとと行くぞ。団長にどやされてもテメエのせいにすっからな」
リオから離れ、すたすたと洞窟の奥へと歩く。
「ちょ、ガルフさん! 謝ってくださいよ!」
「僕は気にしてないよ」
「でも……むぅ、あなたがそう言うなら、いいですけど……」
「帰りの心配も無用だよ。たぶん、あの三人が上で待ってくれてると思うから」
「わかりました。道中くれぐれも気をつけてくださいね」
ミレイは申し訳なさそうに眉尻を下げ、ぺこりとお辞儀して踵を返そうとして――リオに向きなおった。
「あの、あなたって、リオさん、ですよね?」
リオは冒険者ギルドを通じて『必ず荷物を持って帰る荷物持ち』と大々的に宣伝していた。
強い冒険者パーティーがレベル1でも安心して任せられるように。
だから彼女が知っていても不思議はない。
「うん、そうだよ」
正直に答える。
彼女は自分に兄がいることも、その名が『リオ』だとも知らないはずだ。あの女神がうっかり話していなければ。
「リオ……、リオ、うん、いいお名前ですね」
ミレイは花咲くような笑みを浮かべるも、一転して困ったような顔をして。
「あの……あのですね、わたし――」
一度きゅっと唇を引き結び、黒い瞳に強く輝きをたたえて言った。
「兄がいるんです。二つ年上の、兄が……」
心臓が跳ねた。しかしリオは表情に出すのは耐えきった。
「リオさんって、おいくつですか?」
わずかな逡巡ののち、リオはきっぱり答える。
「14歳だよ」
「っ!? わたしの二つ上……。髪と瞳が黒で、わたしと同じ……もしかしてリオさんって――」
「残念だけど、僕は君のお兄さんじゃない。その人の情報も持っていない。二年前にこの島に来た新参だからね」
「ぇっ……? 島外の人、だったんですか?」
リオは女神の住まいを出てから、『島外から来た』と自身の素性を偽っていた。
姓もないただの『リオ』。『ニーベルク』姓を捨てたのは、ただでさえ有名すぎるのに加え、ミレイの耳に届けば兄だと知られる危険があったからだ。
「この二年間でいろんな冒険者に会ったけど、黒髪で黒い瞳なんてそれほど珍しくはない。14歳に限定しても、冒険者以外にもこの島にはたくさん人が住んでいるし、探すのは難しいんじゃないかな?」
ミレイはしょんぼりと肩を落とす。しかしすぐさま背筋を伸ばし、
「いいえ、諦めません! わたし、どうしても兄に会いたいんです! だから冒険者になって、女神さまに会って――」
なるほど、兄の居所を質すのが彼女の願いか、と考えたのはちょっと違っていた。
「女神さまからお兄ちゃんを取り戻すんです!」
んん~? とリオはかくんと首を横に傾けた。
「ここだけのお話ですけど、お兄ちゃん、女神さまに連れ去られたんですよ」
「いや、それは……そうなの?」
興奮しているのか、いつしか『兄』を『お兄ちゃん』と呼んでいるミレイは止まらない。
「はい。神隠し? ってやつですか? だからお兄ちゃんがどこにいるか、絶対に知ってるはずです!」
知っているとは思う。今だってたぶん、見ているだろうから。
「もしくは今ごろ逃げ出して、この島のどこかにいるんじゃないかって思ってます」
だいたい合ってた。逃げたわけではないが。
ただ話の流れで、どうしても引っかかった。
いったいどこの誰が、彼女に兄がいると告げ、女神と一緒にいると教えたのだろう?
思い当たるのは一人しかいない。いや一柱と言うべきか。
しかしあの女神がわざわざミレイに教える理由がさっぱりわからなかった。
「そんなわけでして、些細な情報でも得られましたら、わたしにご連絡ください。もちろん報酬は弾みます!」
キリリとしたミレイは最後も無邪気な笑みを咲かせ、
「それではリオさん、またどこかでお会いしましょう!」
大きく手を振って、現れたときと同じく疾風のように走り去った。
(なんだか、妙なことになったな)
リオは大荷物を担ぐ。
妹と再会できて嬉しかった。
兄の存在を知っていたのは不可解だが、兄に会いたいとの彼女の言葉も心躍った。
けれどリオは、ミレイに兄だと告白する自由を許されていない。
それが妹の命を救うため、女神と交わした契約だから――。
第六層から上階への階段側まで走ると、見知った三人組が待ち構えていた。リオを雇った冒険者たちだ。
リオを見つけるや、そろってものすごい勢いで駆けてくる。
「うおおぉぉっ! テメエよく無事だったなこの野郎!」
「僕たちを逃がすために、あんな危険なところに残って……」
「よくぞ無事でいてくれた! 本当に、よく……」
抱き着かれ、もみくちゃにされる。主には剣士の男だ。顔に似合わず涙もろいな、と口から出そうになったところをぎゅぅっと抱きしめられてふさがれてしまう。
なんとか三人を引き剥がし、落ち着かせる。
「僕は死にませんから、大丈夫ですよ」
「だからってイテエもんはイテエだろうがよ!」
「あんな大きな棍棒ですよ!?」
「全身すりつぶされて生きている保証があるとは思えない!」
まったく落ち着いていなかった。
「ともかくありがとうございました。助けが来たので難を逃れました。荷物も無事です」
「また荷物の心配してやがる」と剣士は呆れ顔。
「そうか。彼らに頼んで正解だったな。年端もいかぬ少女はさておき、ワーウルフの男は強そうだったものな」
その女の子はロウ・サイクロプスを瞬殺し、ワーウルフは助けるどころか因縁をつけてきた、とは後で話そう。
「皆さんはこれからどうしますか? この階層は無理でも、上ならレベル上げに最適だと思いますけど」
「先ほど三人で話し合い、君と合流できたら町に戻ることに決めたよ。それから――」
女騎士は申し訳なさそうに言う。
「そこで君との契約は解除させてもらいたい」
彼らとは数日間で契約している。
「我らは認識が甘かったと痛感した。この島を舐めていたと言われても言い返せない。だからまずは自身を鍛え、実力に見合ったダンジョンでレベルアップを計ろうと思う」
「僕は構いませんよ。そのほうがいいと思いますし」
せっかく助かった命だ。無駄にはしてほしくない。
と、剣士がリオの肩に手を回し、ぐいっと引き寄せた。
「てなわけで、だ。戻ったらぱあっとやろうぜ。もちろんオレらの奢りだ」
「鍛錬するんじゃないんですか?」
「それは明日から!」
けっきょく断れず、無事に町へ戻ると酒場に連行された。
そこでレベルアップしたことを話すと、その場にいた他の冒険者たちも目を丸くする。
なにせ万年レベル1と憐れんでいた少年が、一流冒険者でも生涯かけてようやく手に入るかどうかの、絶望的な経験値を乗り越えたのだ。
リオを雇ったことがある者はもちろん、初めて会った者たちまで飲めや歌えの大騒ぎ。
念願のレベルアップ。
妹との再会。
いくつもの〝特別〟が重なった今日という日が、リオの眠りとともに終わりを迎えた――。
区切りの10話。お話的にもいいところなので、第一幕の終幕とさせていただきます。
次回からは新章突入、ということで。おや? 女神さまの様子が……。久しぶりに出てきます。
ブクマや評価、感想やレビューがとても励みになっています。ありがとうございます!
途中まででも読み終わったところでブクマや評価を入れていただければ嬉しいです。嬉しみ。




