8 主人公と服飾店2
「本日はデートですか? ルース様」
「二人で買い物に出かけることをそう呼ぶならそうだな」
「ならデートですね」
女性店員はルースのはぐらかすような捻くれた返答をさらりと流す。
「彼女がベリア様なんでしょう?」
「……まあ、そうだが」
会話と雰囲気から気安い仲だと窺えた。しかも、ルースから聞いているのか、店員はベリアのことを知っているようだ。
「ベリア。彼女はテア・ヘルマ。この店の看板デザイナーだ」
「あら、照れますね。ルース様に褒められるなんて。ベリア様、お目にかかれて光栄ですわ。初めまして、私、テア・ヘルマと申します。以後よろしくお願いしますね」
「――は、はい。ベリア・コグニスです。よろしくお願いします」
ヘルマは接客業を営む者らしく美しく微笑む。
美人でもなくかといって不器量でもないそこそこの容姿のヘルマに、ベリアは一瞬見惚れた。
彼女の纏う森のような緑のワンピースが彼女の美しさを最大限引き出しているのだ。
「……褒めて作業効率と売り上げが上がるならいくらでも褒めるが」
「ルース様がいらっしゃるだけでも効果十分ですよ? お針子の子たちなんて、ルース様の姿を見ただけでその日一日の作業速度が普段の倍になります。まあ、ルース様がいらっしゃる間は手が止まっているので、差し引きゼロかもしれませんけれど」
「何なんだそれは……」
「美しいものには良くも悪くも刺激されるんですよ。私たちは最先端の美を競うことが仕事ですから」
視線を感じて、店の奥にあるカウンターの方へと目を向けると、ベリアとそう変わらない年頃の女の子たちが頬を染めてルースを見つめていた。
「ああ、相変わらず素敵だわ……!」
「顔もスタイルも完璧よね……性格もいいし」
「優しいわよね。こまめに顔を出してくださるし……良いところはきちんと褒めてくださる」
「わたしはいっそ罵られるのもありだと思うわ!」
キャーキャーと楽しそうな声が聞こえてくる。
(慕われてるんだなぁ)
見た目だけでなく中身も褒める声が聞こえてきて、ベリアはなんだか嬉しくなる。罵られる云々には賛同できないが。
ベリアの視線に気づいたヘルマは、パンパンと手を叩き少女たちに注意する。
「こら。お客様の前ではしたないですよ。あまり騒ぐんじゃありません」
「はぁい」
返事をしたものの、少女たちはまだ控えめにこちらをちらちらと見ているのだった。
ヘルマは頬に片手を当てて、軽く息を吐いた。
「まったくもう。騒がしくて申し訳ありません。本日はどのようなご用件でしょうか? ベリア様のドレスのお仕立てですか?」
「いや、ハンカチを買いに来た」
「かしこまりました。それではどうぞ、こちらに」
ヘルマは店の奥にいた少女たちに目配せをすると、別室のソファにベリアとルースを座らせた。
そのすぐ後で、いくつか箱を持った少女が入室してくる。
「さて、どんなものがよろしいでしょうか。お勧めはこちらのレース付きのものですね。シンプルなデザインながら、精緻に編まれたレースが可憐でお嬢様方に人気なんですよ。もちろん生地の手触りにもこだわった一品です」
ベリアたちの向かいに座ったヘルマは、少女から受け取った箱を開け、真っ白なハンカチを取り出す。薔薇の透かし模様が細かく入ったレースに縁取られたものだ。布部分には蔦模様の刺繍が細かく施されている。
差し出されたので恐る恐る手に取ってみる。柔らかく気持ちの良い手触りだ。
「こちらなども人気ですよ」
と別の箱から取り出したのは、まるで絵のようにいくつも小花が刺繍されたハンカチ。先程のものが真っ白だったのに対して、こちらはとても彩色豊かだ。
「色糸をふんだんに使っているので見た目に華やかなんですよ。植物柄以外にも、蝶や貝殻などをモチーフにしたものも素敵ですよ」
次々に目に鮮やかで華麗なハンカチを取り出していく。
どれも触れるのすら躊躇われる美しさ。精緻さ。
「……これ、ハンカチじゃなくて芸術品だよね?」
このハンカチで手を拭けるか? 汗を拭けるか? と問われたらベリアは即座に否と返す。むしろ汚れないように額に入れて飾っておきたいぐらいの出来なのだ。ハンカチの用途から完全に外れている。
「見栄が大事な貴族が持つのはこんなもんだろ。何だって自分を飾るための道具だからな。……まあ、庶民派なベリアには使いづらいか。ヘルマ。もっと地味なのもあったよな?」
「ええ。ございます。今は煌びやかに見せるものが主流ですので、あまり貴族のお嬢様にお勧めはしていませんが。少々お待ちくださいね」
ヘルマが後ろに控えていた少女に小声で指示をすると、少女は一礼をして部屋を出て行った。
「ベリア。それは気に入ったのか?」
「え? ああ、気持ちよくて、つい」
気がついたら一番初めに紹介されたハンカチを手に取っていた。柔らかく滑らかで気持ちの良い触り心地につい触れてしまっていたようだ。
「まあ、ありがとうございます。ここだけの話ですが、隣国ウェルシアで生産される稀少な綿で織られた生地なんですよ。国内ではここまでの質のものはなかなか手に入りません」
「……密輸じゃないだろうな」
「まさか。いくつか国を経由して仕入れましたから、国の決まりには反していませんよ」
ヘルマはにこりと微笑むが、ルースは苦々しい表情だ。
ウェルシアとこの国は現在国交を断っている。比較的平和なルトリードと対照的に、ウェルシアは危険な組織がのさばっていて、治安が悪い。昔、ウェルシアからもたらされた麻薬によって手酷い目にあったこともあり、ルトリードとウェルシアの国境では、人や物の行き来を厳しく取り締まっているらしい。
ウェルシアとの交易は一切行っていないので、ウェルシアの品物を仕入れるには他国を経由する必要があるのだ。
「ということは、これって、かなり高価……!?」
青ざめながらベリアはそっとハンカチから手を離した。
ものがいいだけではなく、簡単には手に入らない品だ。しかもいくつか国をまたいでいるということは、その間に関税も取られ、利益を出すために値段はつり上がっていくはずだ。ベリアの目が飛び出るような価格に違いない。怖くて値段は聞けないが。
汚していないだろうかと不安になるが、もうとても触れる気にはなれなかった。
ヘルマは穏やかに微笑む。
「ええ、もちろん。半端なものはルース様の大切な方にご紹介致しません」
「……高いものを買わせたいだけじゃないのか?」
「いえいえそんな。ルース様ならお安くしますよ」
「買わせる気満々だな」
「まあまあそんな。私どもは、お客様にご満足頂けるよう最前を尽くすだけです。それで、こちら、買われますか? 素材はウェルシア産とはいえ、きちんとした輸入経路であるという保証書もつけますから、国にとやかく言われることはありませんよ」
こちら、とヘルマが示したのは言わずもがな、触り心地の良い真っ白なハンカチだ。
ちらりとルースが確認するような視線を寄越したので、ベリアは慌てて首を振った。
(い、いらないよ!? そんな高級品わたしには手に負えない! ていうか、値段が入学祝いとかお詫びの範疇を超えてるよ、絶対!)
「こちらの生地、今回手に入れられたのは本当に運が良かったんですよ。これを逃したら次はいつ手に入るか……」
頬に手を当て、眉を下げた表情を作るヘルマ。
(う……で、でも)
限定品。そう言われると心が少し動くのが人間の心理。しかしベリアにこのハンカチを使いこなせる自信はない。宝の持ち腐れになってしまう未来は見えている。
「……いや、今回はやめておこう。この様子だと買ったところで使わなさそうだからな」
「そうですか。ではまたの機会に」
また、と強調するヘルマの笑顔にはどこか含むものがあった。ルースはそれを感じ取ったのか、苦々しく表情を歪める。
(また来いって言ってるようなものだもんね。ルースは店のオーナーなのに、売る気満々だ)
少しすると、少女がまた新しく箱を持って戻ってきて、幾分装飾が控えめで使い勝手が良さそうなハンカチを紹介された。
吟味した結果、釣り鐘状の形をした薄ピンクの花が片隅に刺繍されたものを買うことに決まった。生地は国内産だが、質のいいものだ。
「次はドレスを仕立てさせてくださいね、ベリア様。美しい藍色の良い生地があるんですよ。きっとベリア様に似合うはずです」
帰り際。おっとりと笑みを浮かべたヘルマの言葉にベリアは目を丸くした。
「え、いえ……高いですよね……?」
ルースのみならず、こちらにも営業をかけてくるとは。
ドレスの仕立ては憧れるものがあるが、こんな高級店でドレスなんてとんでもない。
確かに学園では節目節目にパーティーが催されるので、そのうちドレスを購入しなくてはならないが、古着を買うつもりだ。仕立てるなどとても予算が足りない。
ヘルマは軽く片手を振った。
「いえいえ、お値段など気になさらないでください! きっとルース様が払ってくださいますから」
ですよね、とルースにウィンクを飛ばすが、ルースは無表情を返す。
ベリアは慌てて首を振った。
「いえいえいえ! わたし友達にたかったりしませんので! 今回は入学祝いとかお詫びとか理由があったので払ってもらいましたが、何もないのにルースにそこまでさせられません。しかもドレスなんて高級品……!!」
ドレスは高い。オーダーメイドのドレスはもっと高い。王都に店を構える高級店のドレスなんてもう想像もつかない。
もちろんルースなら平気で買えるのだろうが、それをしたら一生返せない借金を背負ったのと同じだ。
金銭トラブルで友情に亀裂が入るなんてよく聞く話。
ベリアはルースとの友情を大事にしたい。
よって、大きすぎる借金をするつもりはないのだ。
ヘルマはぽかんとした顔になって、ルースに憐れみ混じりの視線を送った。
「……ルース様……ずいぶんいろんな理由をつけたんですねぇ……というかまだ友達なんですか」
「…………余計なお世話だ」
「まだ友達?」
親友と言った方が良かっただろうか。
「もう用は済んだ。行くぞ、ベリア」
「あ、うん」
困惑するベリアの手を引くルースの声は、少し不機嫌そうなものだった。