4 主人公とストーカー
「……………………」
ベリアは、唖然としながらその光景を見ていた。
(……出会ってたった一日だよね? おかしいな、いくらなんでも早すぎじゃない?)
入学式の翌日。
眠気に誘われつつの数時間をなんとか乗り切り、ようやく迎えた放課後の時間。ベリアが開放感に包まれているときだった。
鞄に教材を詰め、帰り支度をしていると廊下がにわかに騒がしくなった。
なんだなんだと野次馬よろしく、好奇心を膨らませ、他の生徒たちに混ざってベリアも教室の扉から顔を出して廊下を覗く。
広い廊下では、多くの生徒たちが一点を見つめていた。自然、ベリアの視線もそちらに向く。奥の方からこちら側に向かって歩いてくる二つの影。
……気のせいでなければ見覚えのある人影だ。
やがて、二人はベリアのいる教室の前にさしかかる。
遠目では、まだ違うかもしれないと否定できたが、ここまで近づいてきたら、誰だろうなぁととぼけることはできない。
そこには、第二王子に荷物を持ってもらい、楽しそうに話をする、あの飴色髪の少女の姿があった。
「一日で!?」
思わずあげた声は、周囲の喧噪に紛れ目立つことはなかった。
「誰よ、あの女」
「下級貴族かしら。笑い方が下品だもの」
「殿下に鞄を持たせて平然としているだなんて、ずいぶんと厚かましいわね」
「ああ! エリーナ様というお方がいらっしゃるというのに、こんな……!」
あちこちで聞こえる嘆きや羨望の声、嫉妬の声。悲鳴を上げて、倒れる女子生徒までいる。
注目すべきは第二王子の表情だろう。ゲームでは基本的に偉そうな顔か無表情が多かったはずなのだが――笑っている。穏やかに、笑っている。
後ろで見守る従者は複雑そうな微妙な表情だが、少女と王子は周りの騒ぎも意に介さず無邪気に微笑んでいた。まるで二人の世界である。
「あ」
誰かがサッと少女の前に足を出す。
それに気づかなかった少女は躓き転びそうになるが、隣を歩いていた王子がいとも簡単に支える。顔が近くなって照れた少女は、礼を言いながら慌てた様子で離れた。
王子は足をかけた女子生徒に厳しい視線を向け、注意をする。しかし、それを少女が「大丈夫ですから」と止める。と、王子は「優しいな」と彼女に甘い顔をしてみせた。
「……………………」
容姿の整った王子の優しい表情にあちこちから悲鳴と嫉妬の声があがるが、ベリアは目を瞬いて呆然としていた。
予想外に早い進展具合に、ただただ困惑していたのだ。
どこからどう見ても、王子の少女への好感度の高さは入学して二日目のものではない。
昨日すごすごとベリアが帰ったあのあと、一体二人に何があったというのか。見たかったようなそうでもないような。
ぱちぱちと瞬きを繰り返している間に、王子と少女とその後ろについていく従者の姿は、階段のある曲がり角へと消えていった。
集まっていた人々は、それを合図にしたかのように解散していった。
ベリアもまた呆然としたまま、教室に引っ込み、帰り支度の続きをする。しながら、とりあえず、と思う。
(うん。とりあえず、ルースのとこ行こう)
この状況について、是非意見を聞きたい。
しかし、ルースと会う約束はしていないので、会うには探さなくてはならない。
最悪ルースの屋敷に押しかける手もあるが、緊急の用事でもないのにそれはさすがにやりすぎだろう。親しき仲にも礼儀あり。貴族への訪問は無断では無礼に当たる。それぐらいは貴族社会に疎いベリアだって知っている。
始めに見に行った二学年の教室に、ルースはいなかった。
あとは居そうな所を虱潰しに見ていくしか手はないが、もしももう帰ってしまっていたら、無駄足になってしまう。先に馬車があるかどうかを見に行く方が賢明だろう。既に馬車がなければ今日はもう諦めよう。
そう思って、階段を下りていると。
「ん?」
気になる人影を見つけ、つい足を止める。
(……あの人、昨日の)
昨日、盛大に振られていた男子生徒だった。
何かから隠れるように柱の陰で息を殺している姿は異様で、声をかけるのも躊躇われる。知り合いでも何でもないので声をかける気はないが。彼も砕け散った告白現場の目撃者に声をかけられたくなどないだろう。
足を止めたままなんとなく観察していると、何かを確認するように時折柱から顔を出している。やがて、柱から出て普通に廊下を歩き始めた。まるで彼の前に見つかりたくない相手がいるような行動。
何をしているのだろうかと、気になったベリアは彼のあとをこっそりついて行ってみることにした。
そのうちに、彼の行動の意味に気がついた。
つかず離れず、一人の人間を見張るように追いかけていたのだ。
おそらく、これは。
(――尾行)
彼の視線の先には必ず一人の女子生徒がいた。
昨日、彼を振った女子生徒だ。
夜闇のように深い紺の髪。身長は高くモデルのように美しいシルエットだ。昨日ちらりと見えた容姿は蠱惑的で妖艶。おそらく高貴な家の令嬢なのだろう。王制の国家でこんな感想もどうかと思うが、彼女には人の上に立つ女王のような雰囲気があった。
(……寮生なんだ)
ベリアと同じ女子寮へと消えていく彼女を見て、ベリアは目を瞬く。
意外だ。
雰囲気からすると位の高い貴族かと思ったのに。入学式の日に目にしたエリーナ・レナントに並ぶぐらいの。
寮から通うのは、ベリアのように王都に屋敷を持てない貧乏貴族がほとんどだ。
稀に家の事情で寮から通う生徒もいるらしいので、彼女もそうなのかもしれない。
女子生徒が寮内に消えた後、男子生徒は名残惜しげにしばらく寮の周りをうろつき、校舎の方へと引き返して行った。さすがにもうあとをつける気にはならない。そんなことをしたら今度はベリアがストーカーだ。
(振られてストーカーになるなんて……)
心情は一切理解できないが、それだけあの女子生徒のことが好きなのだろう。確かに女性的魅力にあふれた女性だとベリアも思うが。
(でもどうしよう……ストーカーって良くないよね。殺しちゃう事例もあるって聞くし……でも、あの女子生徒に伝えたら怖がらせちゃうかもしれないし。男の人の方を説得できればいいけど、恋は盲目だって言うし、わたしに見つかったと知って逆に危ないことしちゃうかもしれないし……ああ、駄目だ。やっぱりルースに会って相談しよう)
ぐるぐると考えて、当初の予定通り、馬車置き場に向かった。
しかし、既にルースの家の馬車はなく、その日は結局会うことはできなかった。
それからあっという間に三日が経った。
ルースとは未だに会えず、学園の授業は相変わらず眠気との闘いだ。
あの飴色髪の少女と第二王子の仲に変化はなく、生徒たちの口によく上っている。
聞きかじった情報によると、彼女の名前はミシェイラ・バートリー。
バートリー男爵の隠し子で、つい最近男爵家に引き取られるまで庶民として生きていたという複雑な家庭環境と経歴を持つらしい。
半分は庶民の血、ということで彼女を蔑む視線が多い。
入学して二日目で第二王子と友人になったがために、学園の九割の女子生徒が彼女の敵と言っても過言ではない。
残り一割は他人に無関心か、第二王子の婚約者であるエリーナの生家レナント侯爵家と対立派閥にあり、冷静な判断ができる令嬢だ。
後者の令嬢は王子妃候補の座からエリーナを排除してしまえば、ミシェイラをも排除にかかることだろう。今はひとまず静観しているというだけだ。
何にせよ、ミシェイラと第二王子の関係を喜ばしいことと捉えている人間は少数派。王子に気に入られているミシェイラを抱き込もうと悪知恵を働かせている者ぐらいだろうか。
早速ミシェイラが影でいじめを受けているという噂も聞く。
エリーナはひとまず静観しているようだが、周りが黙ってはいないはずなのでそれもいつまで続くか。
(……なんだかもう完全に第二王子ルートは駄目そう……)
今更割り込んで行くのは無理だ。
びっくりするほど分かりやすい第二王子は完全にミシェイラしか見えていない。周りに何か言われても、互いに友人だと主張しているらしいが、どこまでが本心か。まさか恋人ですなどとは現状では言えないのだから。
展開が早すぎて、溜息も出ない。
もう一つ。ストーカーの方も、ベリアは静観を決め込んでいる。
というより、動きたくとも動けないのだ。
下手に動くと悪化させる可能性があるし、ストーカー行為をしている男子生徒は静かに後ろからつけているだけで特に何をするわけでもないから。
ストーカーしている様子をこっそりと観察して、もしもの時に助けられるように待機していることしかベリアにはできない。
結果、ストーカーのストーキングをするという、珍妙な光景を作り出していた。ベリアにその自覚はないが。
ストーキングされている女子生徒の方は、最近視線に気づいているのか、ちらちらと後ろを確認することが多くなった。
どうにも放っておくことができなくて、今日も今日とて、ベリアは彼と彼女を追跡する。
ちなみにルースに会うのは一日目で半ば諦めていた。どうせ休日に会う約束をしているのだから、そのときにまとめて話せばいいだろうと。
その休日が明日なわけで、ベリアは少し浮かれていたりする。学園が休み――つまり授業がないというのも嬉しいが、街でお買い物というのはやはり楽しみだ。入学前に少し王都の街を歩いたが、まだまだ行っていないところはたくさんある。未知の場所とはわくわくするものだ。
明日への期待に胸を躍らせつつ、二人の跡を追う。
教室を出て、校舎を出て。女子生徒は今日もいつも通り、女子寮へと真っ直ぐに向かっていく。彼女が寄り道したことは今のところ一度もない。人目を嫌うように、授業が終わればさっさと寮に向かい、自分の部屋に戻っていくのだ。
彼女が寮へと消え、少しして男子生徒も立ち去る。いつも通りだ。今日も何事もなくてよかった。もしかすると、この先もベリアが心配するようなことは起こらないのかもしれない。そうだといい。
明日のために今日は早く寝ようとベリアも女子寮に入るためにドアに手をかけた。
――と、同時にドアが内側から開く。
白い手が現れて、ベリアに向かって伸び――
「!」
腕を掴まれ、強い力で中に引き入れられる。背後でバタンと扉が閉じる音がした。
「……ええっと……」
ベリアは、目の前に立つ人物を見上げ、たじ……と足を一歩引いた。
その背に嫌な汗がたらりと流れるのを感じながら。
ベリアの前に堂々と佇んだ彼女は、「あら」と仮面のように微笑む。
「あら、驚かせてしまったかしら? でも、良いわよね。貴女には散々付け回されてたんだもの。ベリア・コグニス伯爵令嬢?」
――闇夜を背負う女王が、悠然とベリアを見下ろしていた。