2 主人公?と王子様
ルトリード王立学園は、ルトリード王国王都フェルンのはずれに建っている。
貴族街を抜け、しばらく進むと鬱蒼とした森に囲まれた城か教会のように装飾された荘厳な建物が顔を出す。それがルトリード王立学園だ。
出入り口は大きな表門がひとつと、その反対側に裏門がひとつ。
王族が通うこともあるために、どちらも厳重に出入りが監視されている。
学園敷地内は広く、旧校舎に新校舎、運動競技場、室内競技場、学園寮、庭園、図書館、博物館……様々な設備が整っていた。
本日は入学式。
ベリアは、新校舎一階と二階に渡って造られた、まるで音楽ホールのような講堂の椅子に腰掛けていた。
もちろん退屈な学園長の話など聞いていない。
ベリアの視線は自然とゲームのキャラクターを探す。
まず一番に見つけたのは、派手な金髪巻毛の美人。
侯爵家の令嬢、エリーナ・レナントだ。
豊満な胸に細い腰とスタイルが良く、髪型のみならず顔立ちも派手。
ピンと背筋が伸び、視線は真っ直ぐ壇上の学園長を向いている。……ゲームの設定通り真面目で融通が利かなさそうだ。
彼女は第二王子ルートを攻略するにあたって、どうしても避けられない壁となる。
何故なら、彼女は現在第二王子の婚約者であり、王子妃としての立場がほとんど決定しているからだ。
つまり第二王子を狙うベリアのライバルになる。
(でもあんまり敵になりたくないなぁ……侯爵家を敵に回そうってのも普通に怖いし。そう考えるとゲームの主人公度胸あるなぁ)
そもそも彼女と戦ったときの勝ち目が全く見えない。容姿、体型、家柄、地位。何もかも負けている。おそらく頭脳も劣っているんじゃないだろうか。……ルースがいつも無理無理言うのも分かるような気がする。
(いや! ここで弱気になっては駄目! 戦う前から負けた気になってたら、勝てるものも勝てないよね!)
怖じ気づいた自分の心を奮い立たせつつも、逃げるように視線を移す。
次に見つけたのは、またもやキラキラの金髪。
ベリアのお目当てである第二王子、アンディオ・ルトリードだ。
キリッとした眉に彫りの深い精悍な顔立ち。
派手な容姿ではあるが、やはり王族だけあってどこか気品が漂っている。
ぴしっと姿勢良く座っているがその表情は無。退屈なのを押し殺した表情かもしれない。
ゲームでの設定では、傲岸不遜だが不器用で空回りしがちな割と残念な性格だった。
この世界ではどうなのかは、座っているだけの姿では読み取れない。
(いやーすごいなぁ……本当にゲームのキャラだ……)
ベリアもルースもゲームの登場人物なのは間違いないが、変な記憶があるために既にゲームとは見た目も中身もかけ離れた人物に出来上がってしまっている。特にルースは。
(ルースは……髪の長さも、あと体つきも違うよね。好きなことが違うから当然と言えば当然だけど)
ゲームのルースは長い髪を束ねて肩に下ろしていて、表情も雰囲気もふわふわと柔らかいものだった。子爵家の跡取りであるにもかかわらず、芸術家志望で、身体を動かすことは苦手という設定のためかひょろりとした体格だった。
思い出せば出すほど、ベリアの知るルースと一致しない。完全に誰だそれとなる。
無意識に移動していた視線が、後方の席のルースを捉える。新入生は前方、在学生は後方という位置取りなのだ。
(ああ、うん。ルースはあれだよね、なんか安心する)
目が合ったルースが眉をひそめるのが見えた。
パクパクと口が動く。何を言っているか分からないが、どうせルースのことだ。「前を向け」とか「話を聞け」とかそんなことだろうと思いながら、視線を前方に戻す。
「――?」
そのとき、ふと、視線を感じた。
キョロキョロしていたことが教師にバレたのだろうかと、慌てて姿勢を正し学園長の話を聞いている振りをすることにする。あくまでも振りである。
ベリアは学園長の話などこれっぽっちも聞いておらず、彼女の頭の中に巡っていたのはどこまでもくだらないことだった。
あえて言語化すると、三日前にひったくり犯、つまり泥棒を捕まえたわけだが、何故泥棒のことを「泥棒」と言うのだろうかということだ。
盗っ人はまだ分かる。読んで字のごとくそのままだから。だがしかし、泥棒は何故泥棒なのだろうか。泥の棒を持った人が盗みを犯したのだろうか。では何故、棒に泥がついているのだろうか。わざわざ棒に泥をつける必要はあったのだろうか。いや、そもそも発想を変えて、泥の棒を盗んだのでは――云々。
実に無益な思考が彼女の頭を巡っている内に、入学式は終わっていた。
ぐんっとひとつ伸びをする。
凝り固まっていた身体がほぐれる心地良い感覚。
入学式が終わり、割り振られた教室で今後の学園生活について必要事項の説明を受け、本日は終わり。解散だ。
同じクラスの攻略対象キャラは騎士団長の息子であるシャルク・フレイユのみ。これはゲーム通り。
特徴的な赤毛に、健康的に焼けた肌。騎士団長の息子だけあって、肉体は鍛え上げられている。が、体格は少し小柄。これはまだ発展途上のためで、一年が経つ頃には見違えるように成長することになる。屈託なく笑みを浮かべ、友人と何か話をしながら教室を去って行った。
彼の姿を見てひとつ思い出したことがあったが、後でルースに言うことにしてひとまず放置しておく。
(今はとにかく、出会いイベントに集中!)
第二王子との出会いは、入学式当日の放課後。学園内を探検していて迷子になったところを助けてもらうというなんともベタな展開だ。
(主人公は王子と知らず、声をかけるんだよね。道に迷ったんですがって)
出会う場所は入り組んだ造りになっている旧校舎。新校舎と旧校舎は渡り廊下で繋がっている。旧校舎といえども未だに使っている教室があるからこその造りだ。使っているのは主に教師で、生徒はほとんど立ち入らないが。
(でも王子も新入生だから道が分かるはずがなくて一緒に迷子になるんだよね。そもそも出会ったときから王子も迷子だったっていうね)
新校舎はそう複雑な造りはしていないため、旧校舎に向かうには迷わない。ベリアは難なく旧校舎へと向かう渡り廊下を通る。旧校舎に用がある人間はそういないので、人気は一気に少なくなる。それでも、入学初日とあってベリアと同じように校舎内を見学しようという新入生がちらほら見えた。
(旧校舎のどこにいるんだろう。迷子になるくらいだから、奥の方?)
旧校舎とは書かれていたものの、何階か、とか、どこの教室か、とかは書かれていなかった。見落としがないように順繰りに教室を覗いて見ていく。
そうして二階を見ているときだった。ふらりと階段へ向かう金髪の人影を見つけた。間違いない。第二王子だ。
(見つけた! よし……!)
一度、深呼吸をして心を落ち着ける。
主人公が言っていた大まかな台詞を胸の内で二、三度繰り返す。
(大丈夫かな……いや、うん。大丈夫、きっとたぶん!)
えいやっと一歩を踏み出す。
王子が消えていった三階へと階段を上る。緊張に鳴る心臓を押さえつけながら、ゆっくりと。
そうして上りきった先の廊下で、ベリアは目を見開いた。
(――え?)
第二王子がいなかったわけではない。王子はきちんといた。
だが、彼の隣にもう一人。まったく見知らぬ少女がいた。
飴色のふわふわとした髪に、ほっそりとした手足。体格は小柄。容姿は可愛らしく、緑色の大きな瞳には困ったような色が浮かんでいた。
この時間帯に、この場所に、王子の前にいる見知らぬ少女。
なんだか嫌な予感がした。
予感を肯定するかのように、少女はその台詞を言った。
「あの、すみません。道に迷ってしまったんですが……」
(……いや待って、落ち着こう。この校舎だもの。迷う人なんて普通に考えて主人公以外にもいるよね、うん)
旧校舎は話に違わず複雑な造りだ。
そして今日は探検しに来ている人間も数人いる。
ベリア以外に迷う人間がいて、王子に話しかけてしまう。そんなことが有り得ないとは言えない。
ゲームとこの世界は違うのだ。そっくりなところはあるが、必ずしも全て同じになるわけではない。作品から乖離しているルースを見れば分かる。
(ええと……じゃあ、出遅れたわたしはどうすればいいんだろ。ここで、あ、わたしも迷子なんですよ~って出てくのもなぁ……なんか違うよね。二人で道を探すからいいんだよね。ていうか、わたし全然道に迷ってないんだけど)
出口まで普通に道案内できてしまう。
そっと音を立てずに足を引く。
王子と飴色髪の少女はベリアがいる方向とは逆方向に歩き始めた。二人で道を探すことにしたのだろう。
「あーあ……」
まるで主人公が変わってしまったかのような光景を見て、ベリアはなんだか自分でもよく分からない内に、短く息を吐き出して笑っていた。