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1 主人公と幼馴染



「泥棒! ひったくりよ!」


 と、叫ぶ声を耳にした直後、すぐ脇を風が通り抜けていった。

 振り返ると、全速力で駆けていく人影。その手には、高級そうな鞄。

 彼こそが泥棒だ、と認識するや否や、ベリアは背負っていた荷物を降ろし、綺麗に整備された石畳を蹴った。


「待、て――!」


 腰まで届く薄茶色の髪が風になびく。

 手足は細く、小柄で華奢。その体格と大きな瞳が、十四歳という年齢よりも彼女を幼く見せている。

 通りを行く人々は、何事かと道を開けた。


 ベリアは、足の速さにはそこそこ自信があった。

 地元の野山を駆けまわり鍛えた脚力は伊達じゃない。

 距離を縮めるには体格差がネックだが、朝から晩まで大衆酒場で働いていたために、体力は十分だ。

 つかず離れず追いかけ回し、やがて犯人を袋小路へ追い詰めた。


「……はぁっ、はっ、追いついたわよ! さあ、返しなさい!」


 肩で息をしながら、犯人に詰め寄る。

 犯人は、小柄で小狡そうな目をした痩せ形な男だった。

 行き止まりの壁を背にした男も肩で息をしている。追いかけてきたのがベリア一人だけなのを見てとり、にやりと顔を歪めた。


「はっ、返すわけ、ねぇだろっ!」


 一瞬の内に懐から取り出したナイフを、ベリアに振りかざす。


「――っ!」


 男が踏み込むと同時、ベリアは飛びすさった。

 男が振るったナイフは避けられた――が、もう一歩下がろうとしたその背にどん、と何かが当たる。

 すぐそこに壁はなかったはずだ。反射的に振り返ろうとしたが、ベリアがそうするより早く、手首に痛みが走り地面が近づいた。


「! 痛っ――」


 後ろに立つ何者かに強い力で片手を捻りあげられて、地に膝をついたのだ。

 嘲り混じりの低い声が上から降ってきた。


「馬鹿だな、小娘。仲間がいないとでも思ったか?」


 首を回して背後を見れば、ひったくりの男よりも体格の良い男がそこにいた。髭を生やし、厳つい顔をした山賊の手本のような男だった。

 仲間ということは、この男もひったくりに荷担しているのだろう。


「っ……」


 少し動けばベリアの細い手首など折られてしまいそうな力に、顔をしかめた。

 ナイフを持った小柄な男は、ベリアの腕を捻りあげる男に話しかける。


「兄貴!」

「こんな小娘に追い詰められるヘマすんなよ。おかげで面倒が増えたじゃねぇか」

「殺すか売っぱらっちまえばいいんじゃねぇですか? まあまあ綺麗な顔してやすし、色ぼけ貴族に売れるんじゃねぇですかい?」


 国内での人身売買は明らかな犯罪だ。

 もしや王都ではそんな非人道的なことが横行しているのだろうか、とベリアはひやりとする。

 小柄な男が顔を見ようとしたのかベリアの顎に触れた。値踏みするような視線にぞっと悪寒が走り、ベリアは男の指に噛みついていた。


()――!? この女ぁ!」


 ナイフが振り上げられる。

 ベリアはびくりと肩を震わせ怯みながらも、息を吸ってキッと男を睨んだ。


「殺すならともかく、売るならわたしに傷つけちゃ駄目だよね?」

「――ちっ」


 もう一人の男にも止められて、男はナイフを下ろした。

 ひったくりをするだけあって、彼らはお金に困っているらしい。ベリアを売る気満々だ。簡単に「売る」という選択肢が出るあたり、既にそのツテがあるのかもしれない。


「さて、どうするか。ひとまず――」


「――そうだな。ひとまずその汚い手を放せ」


 ベリアを拘束する男の呟きを遮ったのは、指の先まで凍えてしまいそうな冷え冷えとした低い声。


「――っ」


 男が息を呑む気配がした。

 ベリアには見えないが、男の首筋には、鋭く磨かれた長剣の刃が添えられていたのだ。


「憲兵を呼んだ。早く逃げないと捕まるぞ」


 長剣の持ち主の言葉に、兄貴分の男は素早く判断し、ベリアを突き飛ばすように解放した。


「わ」


 不安定な体勢で放り出されたベリアはつんのめってよろけて、地面を転がった。


「いてて……」


 顔を上げたベリアが見たのは、どたどたと乱暴な足音で去って行く二人の男たちの小さくなっていく背。

 それから怖い目でベリアを見下ろしながら、剣を鞘に収める幼馴染の姿。その眼力の鋭さのせいで、剣を鞘にしまっているはずなのに、敵を前にして抜く直前に見えなくもない。

 これはまずいなと、背筋に冷たい汗がたらりと流れる。


「ええと、ル――」


 座り込み、名前を呼ぼうとしたベリアの前に、すっと手が差し出される。

 どう見ても怒っている幼馴染が、それでもベリアに手を差し伸べてくれたのだ。

 パッと表情を明るくさせたベリアは、その手を取って立ち上がる。


「ありがとう、ルース!」


 前回幼馴染に会ったのは、冬が深くなる前の時期。約半年前だ。

 前回会ったときよりも身長が伸びた気がするのは、気のせいではないだろう。頭ひとつと半分は高い彼の顔をベリアは輝かんばかりの笑顔で見上げた。

 半年ぶりの再会に、しかし、幼馴染はまなじりをつり上げて、叫んだ。


「この、阿呆! なんで、おまえはいつもいつもそう危ないことに首を突っ込むんだ!?」



 そこからは、憲兵たちがひったくりを追う姿を見送りつつ、お説教の時間である。


「自分の領地じゃないんだからな? 人が多く集まる王都に悪い奴なんて掃いて捨てるほどいる。いちいち正義感にかられて構ってたらキリがない。それに、他国と繋がっているようなタチの悪い奴らだっているんだ。もっと警戒心を持って行動しろ。間違っても猪突猛進に危険人物を追いかけるな」


 はぁ、と一度言葉を切ったルースは、手首の赤くなったベリアの手を柔らかく握った。


「……怪我してからじゃ遅いんだからな」


 つり上がっていたまなじりが少し落ち着き、じっとベリアの手首を見つめる。睫を伏せた藍色の瞳には、不機嫌さと心配の両方が見てとれる。

 手を握る力は優しく、温かく、頬が緩みそうになるのをベリアは堪えた。今、気の抜けた顔をしたら、聞いてるのかと絶対怒られる。


 ルース・ロシュードは八歳の頃からの幼馴染だ。

 ベリアととある秘密を共有する仲間でもある。

 灰色っぽい短髪に、藍色の瞳。程良く筋肉のついた体つき。年齢はベリアよりひとつ上の十五歳。少し見ない間にまた身長が伸び、逞しくなっている。


「ごめん……でも、ルースが来てくれて良かった。相手が一人ならなんとかなるかと思ったけど、もう一人いるなんて思わなかったから。ルースなら、来てくれるとは思ってたけど」


 ルトリード王立学園に通うため、田舎の領地から王都に出て来たベリアは、今日、この幼馴染と会う約束をしていた。

 学園が用意する寮から通う予定のベリアだが、入り用なものを揃えるのを手伝ってもらうためである。要は初めての街の案内人を頼んだ。

 予定より少し早く着き、王都の街並みを観光していたらひったくり事件に出くわしたのだ。ルースを見つけたのは、犯人を追いかけている途中だ。彼と目が合ったからこそ、ベリアは犯人二人に対して強気に出ることができた。

 ルースの目が据わる。


「じゃあ何か? 俺が助けに行かないと分かってたら追いかけるのをやめたのか?」

「ううん、やめないけど」

「そういう厄介な奴だよ、おまえは……」


 ますます剣呑に目を眇めたルースは、やがて諦めたように深く溜息を吐いた。


「他に怪我はないな?」


 派手に地面を転がったが、怪我らしい怪我はない。擦りむいたところもないので、運がよかったのだろう。

 ルースが労るように、赤くなった手首に軽く触れる。

 ほんの少し手首が腫れていた。だが、深刻になるほどのものでもない。じんじんと痛みはあるが。


「こんなの、怪我の内に入らないよ?」

「阿呆。そりゃ放っといても治るが、普通に痛いだろ?」


 まるで自分が傷ついたような顔をルースがするから、ベリアは別の話題を探した。


「そうだけど……ああ! そういえば、ルース。あの人たち、わたしを売ろうとしてたんだけど」

「……は? そんなタチの悪い奴らだったのか。小悪党かと思ったが」

「うん。貴族に売れるって言ってたから、そういうツテがあるんだと思う」

「そうか。捕まえたらその辺も吐かすべきだな。あの様子じゃ、末端だろうが……後で憲兵に言っておくか。とりあえずベリア。おまえは家に来い。今日の買い物は中止だ」

「う、はーい……」


 このまま買い物でもベリアは問題ないが、ルースはやはり心配らしい。おそらく家に着いたら腫れた手首の手当てをされることだろう。

 入学までは後三日ある。入寮は入学式の日なので、それまではルースの家に厄介になる予定だ。今日用事が済ませられなくとも、焦ることはないのだ。

 優しく握られた手に引かれ、大通りでルースが用意していた馬車に乗り込む。

 乗り込んだところでハッと思い出す。


「あ! 荷物! 置いて来ちゃった」

「家の者が回収済みだ。というか田舎道じゃないんだからな? 道端に荷物置くなよ。邪魔になるし、盗んでくださいと言ってるもんだろ……」

「ありがとう、ルース! さすが!」

「礼を言って誤魔化そうとするな。ちょうどいい機会だ。改めて都会の危険性を教えてやる。いいか。狭い路地には入り込むなよ。浮浪者や犯罪で身を立ててるような危険な輩の巣窟だからな。街を歩くなら大通りを歩け。あとは金目の物を見えるように持ってフラフラするな。盗られるだけならまだ良いが、裕福な家の娘と勘違いされて誘拐でもされたら目も当てられない。ああそうだ、絶対に何があっても、犬猫子供が轢かれそうになっていても馬車の前に飛び出すなよ。事故もそうだが、変な貴族に目をつけられたら堪らない。高位の貴族なんてそこら中にいるんだからな。あとは――」


 三歳の子供に言い聞かせるように注意事項を並べ上げられる。

 自分はそんなに危なっかしいだろうかと首を捻りながら、しかし、ルースの逃げられない圧に負けてベリアは大人しく聞いた。何より口を挟めば倍の小言が返ってきそうな予感がした。


 馬車に乗っていた時間はそう長くはなかった。

 十分か十五分くらいだろう。延々とルースのお説教を聞いていたベリアの体感では三十分ぐらいだったが。


「うわぁ、王都の方のお屋敷初めて来たけど、立派だねぇ!」

「俺がこっち来る前に改装したしな。何だったらベリアもこっから学園に通ってもいいぞ」

「そこまでお世話になるわけにはいかないよ。寮の方が近いしね」


 ルースは子爵家の嫡男。だが、財力は一般的な子爵家よりもよっぽどある。

 そのためか到着した屋敷は、縦にも横にも大きな立派な建物だった。王都に別邸なんてものはなく、自領の屋敷でさえ過去の栄光のように外側だけ立派で、中は雨漏りとすきま風が……というベリアの家とは大違いである。


「伯爵令嬢とは何なのか……」


 遠い目をしたベリアは呟く。

 そう、ベリア――ベリア・コグニスの家は伯爵家。由緒正しい伯爵家。……なのだが、没落一歩手前の落ちぶれた伯爵家であった。中央の官職とは離れて久しく、領地にこもって細々と生計を立てる貧しく慎ましい生活を送っているのである。はっきり言って、その生活は農民と変わらないだろう。

 十二歳頃からは別の領地――というかルースのところの領地だ――へ出稼ぎに行っていたのでとんとご無沙汰だが、それまではベリアもばっちり畑仕事を手伝っていた。


「ベリア? どこ見てんだ? 入るぞ」

「はっ、ああごめん。ちょっとどうにもならない格差社会に絶望しちゃってた」

「なんだそれ……唐突に重いテーマだな」

「いやでも大丈夫。わたしの逆転劇のシナリオはもう出来上がってるからね。なんたってこの世界はお――むぐ」

「阿呆なこと言ってないで入るぞ」


 口を塞がれたベリアはルースに軽く睨まれ、頷くのだった。


 通されたのは客間。

 人に見せるスペースであるためにそれなりの値段がする調度品に囲まれつつも、成金趣味ではなくシンプルにまとまった居心地の良い部屋だった。


「ベリア、外で『乙女ゲーム』とか『主人公』とか言うなよ、絶対に……特に学園では」

「うん、気をつける。ルースと居ると油断しちゃうんだよね、どうしても」


 座り心地の良いソファに向かい合って腰を落ち着けた二人は、真剣な顔をしていた。

 ちなみにベリアの怪我は手当て済みである。到着してすぐ、颯爽と現れたメイドが「こんな怪我負わせちゃダメダメですね~、坊ちゃん」と言いながら手当てしてくれた。


「……で、まあ、三日後からついにゲームが始まるわけだが。相変わらずベリアの考えに変わりは無いのか?」

「もちろん。転生したことに気づいてからずっと決めてたからね! 第二王子を攻略するって。そう簡単に変わらないよ!」


 意気込むベリアと対照的に、ルースは重い溜息を吐いた。


「無理だと思うんだがな……」

「何? 何か言った? ルース?」

「いや、何でも。前々から言ってる通り、その件に関しては、俺は絶対手を貸さないからな」

「うん。分かってるって。もともとのシナリオだとルースは攻略される側だしね」


 再度、ルースは溜息を吐いた。

 ベリアは苦笑を返す。


「あー阿呆らし……何だよ、乙女ゲームの世界って……転生前の記憶があるってだけでも厄介なのによ」

「そうだね。わたしはこのゲーム以外のことをあんまりよく覚えてないけど、ルースは結構覚えてるんでしょ?」

「あーまあ。でも死因とか覚えててもなぁ……いや、乙女ゲームのシナリオばっか覚えてても何だけど」

「……わたしはそのシナリオもあやふやなんだけどね。攻略キャラ(ルース)がそんな性格じゃなかったことだけは覚えてる」

「俺も、主人公(ベリア)がそんな性格じゃなかったことは覚えてる」


「……」

「……」


 顔を見合わせる。

 そうしてほぼ二人同時に、言った。


「お互い様だね」

「お互い様だな」


 ベリア・コグニスとルース・ロシュードは、同じ世界からの転生者だった。

 この世界は、彼らの世界で発売されていたとある乙女ゲームによく似た世界だ。

 そのゲームの主人公の名前は「ベリア・コグニス」。

 攻略対象の一人の名前は「ルース・ロシュード」。

 不可思議な記憶を持つ彼ら二人は、ゲームの主要な登場人物だった。


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