第一章 まだ始まらない
青い海、青い空。海風に吹かれながら舞う海鳥達。誰も居ない海岸にひとつの影ー…。
その影は海に向かって歩いているようだ。
「よし!誰もいないな…?」
キョロキョロと辺りを見渡して確認しているその人影は、先程、何かから逃げ隠れしていた少年だった。少年はさらに海に近づき、
「じゃ、そろそろ参りましょうかね」
そう言って両手を前にかざして呪文を唱え始めた…その時……
「何処に行く気ィ…?」
突然、少年の背後から女の子の殺意を押し殺したような声が聞こえてきたのだ。
ゾクッと少年の背筋は凍り付いた。この声の主を、彼は知っている。
「ル、ルチーナ…」
恐る恐る振り返り、少女の名を口にした。
そこには身長が少年よりやや高めの少女が立っていた。淡い桃色が可愛い長い髪を、上の方だけふたつに分けて星形に結わえ、残った下の髪を前に流している。動きやすく可愛い彼女の服装はチェック柄の服とスカートがメインのコーディネートだ。瞳の色は暖色メインの彼女のイメージとは裏腹に深いマリンブルーだ。きっと普段は可愛らしい女の子なのだろうが、今、この時だけは般若のような鬼の形相をしていた。
「な…なんでここに…」
明らかにヤバイものを見てしまったかのような表情で少年はルチーナに問う。
その質問に対し、ルチーナは
「何で…?まさか…私から逃げ仰せるとでも思っていたわけ…?ア・ラ・ヌ・ス?」
「い、いや…そんなこと…ナイデス…」
アラヌス、そう呼ばれた少年はルチーナを見て、どんどん小さくなっていく。
昼下がりに逃げ隠れていたのは、どうやら彼女かららしい。ルチーナはアラヌスの前に腕組みして仁王立ちすると、
「魔法なんて使って何処に行く気だったの?私がせっかく作ったお昼ご飯、放置して」
と、言った。こめかみにばつ印を浮かべ、眉はつり上がっている。
「毎日毎日ご飯作ってあげているのに、食べもせず出かけるとはいい度胸じゃない!」
最後の方は叫んで、ルチーナはアラヌスを睨み付ける。相当怒っているようだ。
「…だって…ルチーナの料理は美味しいんだけど…」
言いにくそうにアラヌスは俯きながら言葉を慎重に選ぶが、そのまま押し黙ってしまった。
それにイラついたルチーナは「けど、なによ」と催促する。すると
「けど…」
すーっと息を吸い込み、叫んだ。
「オレの嫌いな具がたくさん入ってんだもん!!」
その大声に一斉に飛び去っていく海鳥達。二人の間を吹き抜けていく風。ルチーナのぽかーんとした顔。アラヌスの訴えるような真剣な顔…。
アラヌスの呆れるような叫びは昼下がりの街や海に広く響き渡った…。