9-百々爺(1/2)
「年寄りの冷や水」とはよく言ったものですが、妖怪も年寄りになると足腰が弱ってしまうこともあるようです。
おばちゃんに“どしーん!”と圧し掛かられた、長屋の大家さん百々爺は、自分の部屋の床の上でうつぶせになりながら、うんうんと唸っておりました。
「痛え、痛えなあ……畜生」
「爺ちゃん、まだ腰治らんの?」
「いやどうもな。この、前屋根の修理をしたじゃねえか。あれでぶり返しちまった様で……」
「そうなん? あの時はなんともなかったやん」
「後からじわっと効いて来たんだろうな。もともとおばちゃんのせいで痛めてたしなあ。あ、痛てててて……」
「えらいすんませんの」
「おばちゃん、お茶」
「はいはい……」
「おばちゃん、まんじゅう。戸棚の奴ね」
「はいはい……」
「おばちゃん、代わりに便所行っといて」
「はいはい……ってなんでやねん! 爺ちゃん、仕事は手つどうたるけど、人の弱みに付け込んでこき使うのはあかんわ。湯治でもなんでも行って、早よ治して来たらどないや?」
「湯治……温泉……いいねえ。だけど、腰が痛くっていけねえや。動く気も起きやしねえ」
「ものぐさなだけなんとちゃうん? この前までは一応動けとったのに」
「まあまあ、良いじゃねえか。おばちゃんは居候の身だろ? 肩身が狭いだろ? そして俺は親切だ。そういう次第でおばちゃんが気兼ねなく暮らせるように仕事を都合してやってるって次第じゃねえか」
「恩着せがましいわ」
「なあに、買った借りたみたいなもんよ」
「そういや、この長屋って色んな妖怪が住んではるけど、家賃とかって取ってるん?」
「家賃……? ああ、店賃は一応もら……そうだ!」
「わあ! なんや急に立ち上がったりして」
「いやね。店賃をため込んでる店子が結構居てよ。これまでずぅっと忘れてたんだが、今になって急に思い出してな」
「ほう、それで?」
「おばちゃんにちょいと督促して来てもらいてえんだ」
「ええ。私に取り立て屋みたいなことしてくれって言うんか」
「そんな人聞きの悪い言い方しねえでくれよ。借りてるんだから、払うもん払うのは道理だろ? それにさ、俺が行ったらどうも喧嘩腰になっていけねえ。啖呵切って、へいすみませんお支払いいたしますってなりゃいいが、俺は今腰を痛めちまってるからきっと負けちまうわな。ところが、おばちゃんと来たらどうだい? 足腰もしゃんとしてるし、何より妖怪連中からの受けがいい。普段世話になってるおばちゃんだったら、店賃をため込むようなふてえ奴らだって、はいどうぞってすんなり払ってくれるんじゃねえかって寸法よ」
「なんや丸め込まれてる気しかせえへんけど。まあ、見込まれて悪い気はせえへんな。しゃあないなあ、行ってきたるわ」
「おう、しっかり頼むぜ。集めた金で湯治に出かけてえからな。おばちゃん、店賃は必ず“銭”で集めてきてくれよ」
「そらそうやろ? せやけど、どこの誰から集めてきたらええのん?」
「えっと……どこだったかな……あったあった。これよ、これが店子の目録だ。朱で印がつけてる奴が滞納してるから、彼らから集めてきてくれや」
「金額はいくらやの? 書いとらんけど」
「え、えーっと金額。金額な……。そんなもん、本人に聞きゃあ分るってもんよ。とにかく、行ってきてくれ。しっかり“銭”を集めて来てくれよ」
「はいはい。ほんまええ加減やな……」
……という訳でございまして、おばちゃんは大家さんに変わって店賃を集めに行くことになりました。
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「あかん。引き受けて出て来たんはええけど、このリスト、ミミズが這ってるような文字で書いてあって何が何だかよう分からんわ。そもそもどっちが上なんや? 縦にしても、横にしても、ひっくり返しても……」
「おばちゃん!」
「わっ、驚いた。あら、河童の寅さんやないの。こんにちは」
「おう、こんにちは。おばちゃん、なに見てるんだい?」
「ああ、これね。爺ちゃんから家賃を集めてくるように言われてるんやけど、書いてある名前が読まれへんくて困っとるんよ。寅さん、読める?」
「へへっ、俺はこんな水かきの手をしてはいるがね、読み書きには自信があんだよ。俺がいっちょ読み上げてやろう」
「助かるわあ」
「どれどれ……えーっと……うへえ。きったねえ字だな。こりゃおばちゃんじゃなくても読むのに難儀しらぁ。……なになに……山彦の彦二」
「へえ。山彦なんて居るんやねえ。どんな姿してはるんやろ」
「ありゃただの犬っころだ」
「へーえ。犬」
「他には……波山の火焔赤百合ノ門左衛門……」
「ごっつい名前やなあ……」
「名前だけは聞いたことがあるぜ。口から地獄みてえな火を吐く怪鳥だとか」
「はあ、おっかないな。聞いたことがあるって寅さん、見たことないん? 長屋に住んでるってことは寺子屋にも来てるんとちゃうん?」
「俺は熱い妖怪は苦手なんだよ。寺子屋通いっても、妖怪同士相性があるからな。苦手な奴には近寄らねえよ。こいつぁ後回しだな」
「せやったら、山彦さんから回る?」
「まだ他にも印がつけてある名前が……おっ、こいつぁいいや。こいつから回ろう」
「ほーん? 誰なん?」
「いいからついといで。俺はこいつにいっぺん会ってみたかったんだ」
「頼もうー」
「おばちゃんやでー。大家さんからのお使い。ちょっと開けてんかー。……返事がないね。留守やろか?」
「いや、中に気配があるぜ。いいや、開けちまおう」
寅さんは遠慮も無しに長屋の扉をがらりと開けてしまいます。すると中から沢山の枯れ葉と共に、とても強い風が吹いてまいりました。
「わっ、なんや?! 目ぇ開けられへんわ」
「ははあ、まやかしか。残念だけど俺には通じないね。ほら、姿を見せておくれよ」
寅さんが促すと風が止みます。
部屋の中に立っているのは巌のように立派で赤い身体に虎の腰巻を身に付けた……
「お、鬼や! ひゃー!」
「おばちゃん、驚くこたぁねえぜ」
「せやけどめっちゃ金棒振り上げてる……寅さん、お皿割られてまうで!」
「へっ、なんともねえよ。これもまやかしさ。大体、寺子屋に鬼が来るはずねえんだ。鬼は鬼の里で修行して、大概は地獄に務めに行くって相場が決まってんだよ」
得意げに話す寅さんの頭目掛けて、赤い鬼の黒くて立派な金棒が振り下ろされました。
しかぁし! それはお皿を割ることもなく、するりと寅さんの身体をすり抜けてしまいます。
「……へへん。どうだい? そろそろ本当の姿を見せちゃくれないかい? 尼天狗の白蓮さんよ」
「我の正体を見破ったか……貴様、ただの河童ではないな」
「俺は河原では色男で通ってる河童の寅次郎。口説いた女の数は知れず、数多の女妖怪と連れ合った猛者よ。天狗だろうが鬼だろうが、あっ、関係ないぜ!」
寅さんが啖呵を切ると、赤鬼は赤い木の葉の塊になってばらばらと崩れ去りました。
その中から現れたのはなんと、まるで岡場所の花形のような器量良しの年増女でございます。眉墨やおしろい、紅で化粧をし、緋袴に小袖を身に付けた、それはそれは優雅な女性でございます。
「へえ、驚いた。別嬪だねえ。天狗っていうからもっとこう、赤ら顔で鼻の長いもんだと思ってたが」
「それは男の天狗だ。我は尼天狗だからな」
「ふうん。天狗が何で妖怪寺子屋の長屋に間借りしてるのかねえ」
「貴様の知った事ではないだろう。それで、一体何用だ」
「あっ、せやった。すっかり忘れとったわ。じいちゃ……大家さんがね、溜まってる店賃を払ってくれって」
「百々爺が? 生意気な」
「生意気ってあんた、大家さんやで? ここの部屋借りとるんとちゃうん?」
「借りてはおらん。“住んでやっている”のだ」
「うへえ、高慢ちきな女だな……。こんな性格してるから寺子屋にも行けねえんだな」
「そこの河童、聞こえているぞ。大体、寺子屋などという幼稚なところに、気高い天狗である我が行く訳がないだろう?」
「だったらどういう道理でここに住んでるってえんだい? 俺たちは大家の代理で来てんだぜ。何だったら、ここを貸すか貸さないかまで決めちまっても良いんだぜ?」
「ちょっと寅さん。またそんなはったり言うて」
「いいからいいから。家賃取り立てねえと」
「……貴様らも我を追い出すというのか」
「あら、なんや急にしおれて」
「ははあ、分かったぜ。こいつ、女だから天狗の霊山から追い出されたんだろう?」
「……」
「図星だな。ま、ここの大家はけちで助平だが鬼じゃあねえ。それはこの寅さんも同じことよ。ここは店子として素直に長屋の為に骨を折ってくれれば無碍な事なんてしやしねえよ」
「ふん。幽世も現世も変わらず無常の世とは言ったものだが、こちらの情はあるところにはあるようだな。だが、なんぞ手伝おうにもこの性格が災いしてな。我は霊山で門前払いを喰った後、里の修練場に居ついたが、そこでも厭われ追い出された。すでにここの大家とも揉めた。店賃を払おうにも払えん」
「はあ、そいつは難儀だね」
「難儀って、別に私が預かって渡してくるから問題ないやろ?」
「預かるって何をだ?」
「お金やけど」
「金? 店賃は銭でもいいのか?」
「え? 普通そうなんちゃうん?」
「なんだ? 百々爺さんの奴、珍しい事をするもんだな。普通、幽世じゃあ銭なんてもんは使わないんだ。店賃といっても、小間使いをするとか、野菜や果物で払うもんなんだがね」
「私は“銭”で集めて来てくれって念押しされたんやけどな?」
「ふうん?」
「……まあ、何でも良い。銭なら多少の持ち合わせがある。現世とも縁が切れたわけではないのでな」
そう言って尼天狗の白蓮は三枚の小判を投げてよこしました。
「ほれ。三両もあれば十分だろう。これで晴れて我もここに住む権利を得たという訳だ。さあ、ここは我の家だ。おまえたちはさっさと出て行け!」
「……追い出されてしもた。家賃はもろたけど、ええんかな。あんな人住まわせとって。寺子屋関係ないんやろ?」
「修行中の身らしいし、良いんじゃねえか? ま、ああいう気の強い女は嫌いじゃないね。何かあったら俺が世話を焼いとくからさ」
「なんか助平やなあ」
「さ、次は彦二のところだ」
次にふたりが訪ねますのは山彦の彦二の住まいです。
「頼もうー」
「山彦さんおるかー?」
『頼もうー……山彦さんおるかー?』
「おっ、返事が帰って来たぜ。居るみてえだな。お邪魔するぜ」
戸を開けると座敷の上に一匹の犬の様な生き物がいます。
「あら、わんちゃん。あんたが山彦やったん?」
『わん!』
「なんだ、おばちゃん知り合いだったのかい」
「せやで、たまに餌やってたわ。脅かしたりせえへんし、ただの犬かと思ってたわ」
「そいつが山彦の彦二だ。やい彦二、犬のまねなんてしてねえで、ちゃんと言葉を話したらどうだい?」
『へへ、ばれちゃったか。……おばちゃん! 僕は犬じゃないよ! 山彦だよ! わん!』
「だから、わん! じゃねえって」
『癖になっちゃって。山で人間に見つかった時に誤魔化す練習だったんだ』
「はあ、なるほど。それやったら、すっかり上手に誤魔化せてるで。おばちゃん気付かんかったもん」
『良かった、良かったわん!』
「まあ、それは置いといてよ、彦二。おめえ、家賃の支払いが済んでねえんだって?」
『まあ、それは置いといてよ、彦二。おめえ、家賃の支払いが済んでねえんだって?』
「なんだよ急に。まねするんじゃねえよ」
『なんだよ急に。まねするんじゃねえよ』
「大家の百々爺さんが家賃を……」
『大家の百々爺さんが家賃を……』
「こら彦二!」
『こら寅次郎!』
「てめえばかにしてるのか!」
「まあまあ虎さん。そうかっかせんときや。彦二ちゃんは山彦なんやで」
「山彦ったって、反射的に返してるわけじゃねえんだぜ。こいつはわざとやってんだよ」
『そうだ、わざとだ!』
「わざとだじゃねえよ! ……まあいいよ。それで、百々爺さんが家賃を払ってくれって」
『僕はお掃除には向いてないですけど』
「掃除? 掃除させられると決まったわけじゃないだろう」
『だって、ヤカンのすす払いでしょう?』
「家賃のすす払……支払いだって」
『僕は大家さん苦手なんだよなあ』
「なんでなん? まあ、あんまり他人に優しい人やないけど」
『大家さんはまねされるのをすっごく嫌うんですよ』
「そうなんか。まあ、まねされるのが好きな人もあんまおらんしなあ」
『お手伝いしようにも、ついついまねして怒られちゃうもんで、未だに支払いができてないってわけです。この前は何とか堪えて、お使いや荷物持ちをしましょうかって言ったら、遠くに出かけるから要らないって。上手くいかないものですねえ』
「そうなんかあ。彦二ちゃんこんな可愛いのになあ。荷物持ちじゃなくっても、長旅なら和んでええもんやのに」
おばちゃんは彦二の頭を撫でます。
『わん! くすぐったいよおばちゃん!』
「尻尾振ってるんじゃねえよ。犬のなのか妖怪なのかわかりゃしねえ」
「妬いとるん? 寅さんも頭なでたろか?」
「皿が乾いちまうよ!」
『ははは。そういうわけで、まねでできるお手伝いがあれば呼んでくださいって伝えておいてくださいよ』
「あーやけどね、今回はいつもとちょっと違って。お金で払って欲しいって言うてはるんよ」
『えっ、お金で?』
「せやねん。銭がええって」
『それは、なおさら無理ですよう。僕は見習いですし、うちのしきたりではまだ現世に出れませんから。それに山彦は出たところで山住まいですよ。お金には縁が遠いです』
「そうだよなあ。爺さんはなんで急にお金なんて欲しがったんだ?」
「なんか事情があるんやろか?」
『そういや僕がこの前会った時も、金、金って呟いてましたね』
「うーん、なんだか怪しいな。よし、とりあえず彦二の取り立ては置いといて、波山の野郎のところに回ろうじゃねえか」
「分かった。そうしよか。じゃあね、彦二ちゃん」
『わん! 今度、実家の山菜でも持って納めますからって伝えておいてください!』
さて、最後に訪ねるのは波山の火焔赤百合ノ門左衛門のところでございます。
「頼もうー」
「波山さんおるかー? 大家の代理やでー」
「……おう、入れってんだ」
「……ちょいと待ってくれ、おばちゃん。噂によるとあいつは何でも炎に巻いて焼き殺しちまう凶悪な妖怪だ。戸を開けた途端にぼうぼうとやられちまうかもしれないから、気を付けねえと。おばちゃんの髪がちりちりに……ってすでにちりちりだな」
「せやで、パーマ当てとったからな。最近少し戻って来たから、ちょうどええかもしれんわ」
「おばちゃんは良くても、俺の頭にゃいけねえや。ここに桶を用意しておくから、頭の皿が干からびたら、すぐに濡らしてやってくれよ」
「ええで。ほな行こか」
「ああっ! ちょっと待ってくれ、おばちゃん」
「なんやの。もうちょびっと開けてもうたわ」
「波山は威勢の良い喧嘩っ早い男だって聞くから、気を付けてくれよ。戸を開けた途端にがみがみやられたら、俺のお皿の水がふっとんじまうかもしれねえ。その時はすぐに濡らしてやってくれよ」
「はいはい。ほな行くで」
「ああっ! やっぱり待ってくれ、おばちゃん」
「なんやの今度は?」
「俺、ちゃんと戸締りしたっけな」
「何言うてんの。寅さんは川に住んでるやないの。びびっとったらあかんよ」
「びびってなんてねえよ。奴の熱気で皿がひびっちまわないか心配してるだけだい」
「びびってるやないの。白蓮さんの時はあんなに威勢が良かったのに」
「ありゃ、目録に尼天狗だって書いてあったからだよ。天狗ぐらい誰でも知ってる。それに女だったし、美人だって聞いてたもんで……」
「呆れた。もう、おばちゃん行くで」
おばちゃんが戸を引きますと、目の前が真っ赤に光ります。
「あっ! ぼうぼうと……皿を守れっ!」
「ちょっと! 寅さん。私の後ろに隠れんといて! ぎゃあ! 火が!」
「すまねえ、おばちゃん! 頭の皿は命よりも大事なんだっ!」
座敷から放たれた炎がおばちゃんをぺろりと飲み込んでしまいました!
さあ大変でございます。光は背中に隠れた寅さんも包み込んでしまう程です。
「へえ、俺っちの炎に耐えるたあ、てめえは並みの妖怪じゃねえな?」
「あら……なんや? 何ともないな。髪も無事や」
「いいぜ。あがって来な。俺は猛者が大好きなんだ。話ぐれえは聞いてやらあ」
「ちょっと、寅さん。……寅さん! あがって来い言うてるよ」
「もうだめだ……頭の皿が……ほら見ろ、しとしとと濡れていやがる。……あら?」
「ほんまにもう、しっかりしいや。多分あれやろ。あの、……あやとりとかいうやつや」
「まやかしだろう? 一文字しかあってねえじゃねえか」
「その通り!!! あやとりである!!!」
「うわあ、びっくりした。あやとりてあんた……」
大きな声と共に姿を現したのは、人の丈ほどある雄鶏のような姿をした妖怪でございます。頭のとさかの代わりにめらめらと炎が燃え、くちばしからもちろちろと蛇の舌のように火を吹いております。
「なんでえ、にわとりじゃねえか! 驚かしやがって、まやかしの炎ならびびることもねえ」
「まやかしではない!!!」
「でもそのとおり、言うたやん」
「炎の妖怪が波山、火焔赤百合ノ門左衛門たぁ、俺のこと。俺っちの炎は熱くも無ければ燃えもしない!! そして、風も起こさない!!」
「何を偉そうに。炎でもなんでもねえじゃねえか」
「明るいだろう」
「そんなもんが炎と呼べるもんかい。何がまやかしではないだ」
「合ってるのが光だけ、合ってるのが一文字だけ。まやかし、あやとり。だからその通りと言ったのだ」
「けっ、しょうもねえ」
「しかしっ!!! 俺っちが普通の炎が吹けないとは言っていない!!!」
「えっ」
寅さんがぎょっとして雄鶏の方を見た時には、既に目の前が真っ赤になっておりました。
「ぎゃああ!! 俺の皿があああ!! ……ってなんともねえ」
「吹けるとも言っていない」
「なんでい! ほら吹きやがって! この寅次郎、ほら吹きと人さらいだけは許しておけねえたちなんだ! 売られた喧嘩は買うのが男の……」
「……寅さん、今さらすごんでもかっこ悪いで」
「こけけけ! そうだぜ。河童の大将よ。ほら吹きと人さらいはだめなら、女子を盾にするのもいけねえと思うがな。男ならはったりかましてでも女子の前にでるもんよ」
「せやで、寅さん。よっぽど悪いで」
「勘弁してくれよ。ほら吹きはぼうぼうと鳴らして、皿が干上がっちまう気がして腹が立つんだ」
「じゃあ、人さらいはなんでなん? 河童やから、自分かて人をさらうこともあるんやないの?」
「さらうのは良くてもさらわれるのは遠慮したいってことよ」
「しょうもな。まあ、寅さんのことはほっとこ。それより、波山さん。大家さんが家賃を払ってくれって催促しとったで」
「おうおうおう! 俺っちは100年ぐれえ前からずっと手伝いに行くって言ってんだけどなあ!」
「100年も家賃払ってへんの? ちょっとやそっとじゃ払いきれんやろ。今回はお金で集める言うてるで」
「げぇ?! 金で!? 今のははったりだぜ。俺っちはまだここに来て2、3年ってところだ」
「なんでそんな嘘つくん」
「嘘じゃねえ、はったりだ。波山って妖怪は見栄を切ってこそのもんよ」
「斬ったりでも張ったりでもええけど。2、3年でも家賃溜めたらえらいもんやで。追い出されてまうで」
「それでも結構コケコッコウってもんよ! 追い出されても、イロのところに転がり込むから平気だね」
「けっ、ニワトリ野郎がイロだなんてほざきやがって。おめえは竹薮で笹でも被って寝てりゃ十分じゃねえか」
「破れかぶれになっても根無し草にはならねえよ。めんどり(めんどう)見てくれる女には事欠かねえ」
「威張って言うことかい。そもそも雌鶏の妖怪なんて居たか?」
「最近入って来た、経立のお桂が居るだろう」
「へえ。あの厭味ったらしい京女を口説いたのか! やるじゃねえか」
「へへ、意外と可愛い所もあるもんよ」
「ほう、例えばどんな?」
「毎朝、俺っちのために卵を生んでくれるところだな。現世にゃ“生たまご 醤油の雲に きみの月”って粋な一句があるんだが、君の月とはよく言ったもんだよほんと。毎日玉のように白くて可愛いのを、ころんと産みやがる。割ってみればおぼろに雲のかかった月夜のようじゃねえか」
「共食いじゃねえか」
「波山はこまけえことは気にしちゃいけねえんだ。卵食って精をつけてくれっていじらしい女心が分からないもんかねえ。ちなみに、俺っちはふわふわに焼いた玉子焼きが大好きなんでい。アツアツなのがまた乙で」
「俺は卵を食うならもっぱら生だな。魚も生、キュウリも生、生に粋てこその男ってもんよ」
「うーん。それはそれで乙なもんだな。なんだ河童の大将、分かってるじゃねえか」
「おめえこそ、はったりであの女を口説くたぁ大したもんだぜ」
剣呑な雰囲気のふたりでしたが、女好き同士通じ合うものがあったのでしょう。今ではもう肩を抱き合ってからからと笑っております。
「……なんでもええけど、家賃は払えへんってことでええんやね?」
「おうよ! 袖を振っても羽しかでねえ」
「威張って言いなさんな。……とりあえず、白蓮さんからもろた小判だけでも渡しに行こか」
「……なあ、おばちゃん。俺、店子たちと話しててずっと気になってたんだが、爺さんが金を欲しがるのって何か裏があると思うんだがね」
「裏? まあ、なんや事情はあるやろうな。せやけど、人の財布事情に首を突っ込むのは下品やわ」
「そりゃ現世での話だろう? 幽世ではそもそも金の使い道なんてねえんだ。爺さん、陰でこそこそなんかやってるに違いないぜ。こっちの見習い連中が現世の銭を稼ぐのは、ちょっとやそっとの骨折りじゃねえ。このまま店賃を銭で要求され続けたら、みんなたまったもんじゃねえぜ。大家である以上、取り立てる権利はあるが、店子連中にだって事情を知る権利くらいあるだろ」
「せやなあ。ちょっと心当たりあるわ。湯治に行きたい言うとったし。どっか現世の温泉にでも行くんとちゃう?」
「温泉? 温泉ねえ……。俺は別のことだと思うね」
「なんだ、爺さんも隅に置けねえな。俺もとさかにぴーんと来たぜ。この前、寺子屋のそばでぬらりひょんの奴が歩いてるところを見たんだ」
「へーえ、あいつが。寺子屋に通う歳ってもんでもないだろうに」
「大家のところに入って行ったからな。連中は夜に連れだって現世に出かけてるらしいぜ」
「ふーん。やっぱりあれかな」
「あれだろうねえ」
「なんやの、あれって?」
寅さんと波山さんは顔を見合わせてにやりと笑いました。
さてはて、百々爺さんがお金を必要とする理由とやらは、一体どういうものなんでしょうか?
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