7-稲荷の御使い(2/3)
「喧嘩せんときいや。しょうがない子らやなあ。……まあ、どうせすぐ戻って来るやろ」
「だめじゃ。マメダは里のことばがでる時は本気なんじゃ……。わし、しくじったわ。言ってはならぬことを言ってしもうた。マメダのおっとうは人間に負けて狸汁にされてしまったんじゃからの……」
「……そうなん。それで“おとっちゃま”って言っとったんか」
「ああ、違うのじゃ。“おとっちゃま”は“臆病者”って意味じゃ……」
「ははあ。人見知りの酷いけえねちゃんを罵ったんやな」
「マメダの言う通りなんじゃ。わしは臆病者じゃ。寺子屋に送られたのも、それが原因みたいなものなんじゃ」
「へえ。おばちゃん聞いたるで」
「わしの家……というか母は、稲荷神社を総括する大社の御神に仕えるけつねなんじゃ。社はいつも多くの参拝客で賑わっておってな」
「私も行ったことあるわあ。未来の話やけど。……けえねちゃんもおったんやろか?」
「どうじゃろうな。わしは半分勘当された様なもんだと思うておる。当然、いくら人が多いとはいえ、普段から姿と現したりなんてしとらんから、向こうからはこっちが見えんのじゃ。そこにわしの人見知りの気ときたら、酷いもんでな。見えんと分かっとっても怖くてしょうがないのじゃ。神社の敷地を歩くだけで大騒ぎじゃ。やれ赤い顔をした参拝者だ怒ってるぞ止まれ、やれ青い顔をしている今のうちに進めとな、ついつい顔色を窺ってしまうのじゃ」
「なんやまた信号機がでてきた」
「神の使いとあろうものが人間ひとりひとりの顔色を窺ってなんぞ居たら、そりゃ務まらん。母上にはずっと我慢していただいたんじゃが、ついこの間、使い同士の寄り合いがあっての。母上は使いを統べる立場にあるゆえ、使いたちの方が集まってくるんじゃ。わしはこっちが見えてない人間でもだめじゃというのに、やれ跡取りじゃ、やれ伏見様の娘子じゃと担がれて目を回してしまったのじゃ」
「はあ。そんな偉いお母ちゃんの後を継がなあかんのか。そら辛いわなあ」
「いや、それが違うのじゃ。みなの者はそうだと思ってる様じゃが、母上は殆ど不滅の存在じゃ。下級の御使いであれば、難事厄災に抗したときに命を落とすことも珍しゅうない。妖怪変化の類であるなら悪さをして神主や坊主に払われ消えることもある。じゃが、母上は御使いとしての功績を神に認めていただいて、神格化しておる。神は人間たちに忘れられて廃れてしまわぬ限り死なぬ。稲荷の総本宮の使いが死ぬときなぞ、それこそ、ひのもとすべてが滅びる時じゃろうて」
「別に死なんでも、年取って隠居しはるとかはあるんちゃうん?」
「それも無いのう。わしらには老いも寿命も無いのじゃ。どころか、修行をさぼらん限り神通力も強くなってご利益も上がり続けるんじゃから、そもそもわしに出番なぞあるがはずが無いんじゃよ。八百万の神とは言うが、同じ神は要らん。……まあそれで、目を回したうつけもののわしは、人目に耐える修行と称されて寺子屋に厄介払いされたという訳じゃ」
「厄介払いなんてことはないんちゃうか? 親心やろ」
「そりゃ人の感性というものじゃよ。お主と妖怪どもが違うのと同じように、神も使いも人とは違う。特に、母上は元はただの獣の出じゃ。けつねが修行して経立になり、使いに取り立てられ、とうとう神にまで上り詰めたお方じゃ。測り知れんのじゃ」
「母の愛も測り知れんと思うけどなあ。私も息子と娘が居るけど、あかんと思う時は突き放したりしたもんやで」
「はあ。紫様にもお子が居ったんじゃな」
「せやで、もうふたりとも成人して家をでたんやけどな。おばちゃん、これでも子供のことはよう分かるつもりやで」
「しかし、愛おしいゆえにわしを寺子屋にやったんじゃとしても、応えられんかったら同じことじゃ……」
「せやったら、人見知り治すしかないわな」
「無理じゃ。せっかく仲良うなれたマメダも去ってしもうたし。独りじゃどうしようもないんじゃ。独りじゃ他人とまともに口も利けんのじゃ。……わしは土竜になることにした! 穴掘りの名手じゃ。土の中で暮らす。それで土の色が程よく毛に移ったら、ただの狐として生涯を終えるんじゃ!」
「何、言うてんの。私が居るやろ。けえねちゃん、おばちゃんとはもう話せとるやんか」
「……ほうじゃな? わし、紫様とは気兼ねなく言葉を交わせとる気がするの」
「せやろ? おばちゃんがいけたんやから、きっと大丈夫や。“おとっちゃま”や無くなったら、マメちゃんも戻ってきてくれるかもしれんよ」
「……紫様の言う通りじゃ。わしのこと、手伝っていただけるかのう?」
「ええで、そう言っとるやん。マメちゃんかて、そういうつもりで私を連れて来たんやし。せやけど、いっこだけ言うてええ?」
「ど、どうぞ」
「その紫様っていうのはやめてーや。“おばちゃん”でええよ。私かて人間じゃ年喰ってる方やけど、けえねちゃんの二十分の一くらいしか生きとらんからね。めっちゃ若いんやで! 敬語も無しや!」
「あい分かった……。それじゃあ、おばちゃん。明日から頼む! 明日、ちゃんと寺子屋に行くから、おばちゃんもついて来てほしいんじゃ!」
「ええで。爺ちゃんにはあっちの仕事休むこと言うとくわ。たまにはええやろ。寺子屋の授業どんなか興味あったんよ。……よし、ほな帰りましょか」
おばちゃんとけえねは長屋への道を歩きます。遠くでカラスが鳴き、いつの間にか陽も沈み始め、ふたりは同じ色に染まっております。
「はああ。明日が怖い。怖いのう……。あ、喉が痛む気がする。風邪じゃの? 風邪じゃ、寺子屋に来ん方がええのう? みんなにうつすと面目ないし」
「風邪じゃなくてしゃべりすぎちゃうか? ほら、飴ちゃんあげるからこれ舐めとき」
「あ、ありがとう……。のう、おばちゃん。寝なかったら明日は来んじゃろか?」
「来ん来ん言うてないで帰るで」
「なあ、おばちゃん。長屋に帰ったらわしひとりなんじゃ。いつもはマメダが来てくれるんじゃけど……。それに、朝もマメダに起こしてもらんと起きられんのじゃが……」
「……はいはい、ええよ。私んとこ、来つ寝えや」
「へへ……おばちゃん、ありがとう」
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翌朝でございます。おばちゃんが目を覚ますと布団の中に暖かいものがございます。
「なんやこれ、温いな。湯たんぽやろか。手触りのええ湯たんぽやなあ」
「ぐえ。おばちゃん、苦しい! 苦しい! わしじゃ、けえねじゃ!」
「あら、白い狐? ……せやった。けえねちゃんやったわ。寝たときは子供の姿しとったから分からんかったわ」
「すっかり気が緩んで、変化の術が解けてしもうたんじゃな……」
「よっしゃ、起きたんなら、朝ごはん食べて寺子屋行こか」
「お、おう……ほうじゃったな」
「ほら、布団の中で丸くなってたらあかんよ。猫やないんやから」
「朝餉の支度ができるまで寝かしといてくれ……」
「ほら! 布団片すから早よしい。なんや、子供が小さかった頃思い出すわ」
「あ、あと半刻だけ……」
「それ一時間くらいやないの。だーめ。早よ起き」
「じゃあ、四半刻……」
「それでも長いわ。……よいしょお! ……あっ、器用に掛布団にしがみ付いとる」
「ぐう……」
さて、おばちゃんは何とか寝坊助を起こして、朝食を食べさせて、一緒に寺子屋に出かけます。
「はあ、広い座敷がこんなに手狭になっとる。放課後に掃除に入るくらいやったから、人が詰めてるのは初めて見たわ。掃除の時はお殿様の座敷みたいに広い気がしたもんやけどなあ」
「妖怪は身の丈の大きいもんも多いからのう。座敷が広くないと収まらんのじゃな。ほれ、あそこでは足長が立ち上がって頭をぶつけとるじゃろう。ははは」
「笑ったら可哀想やわ。入道さんとかはどうしとるんやろか? 小さい子は机に背が届かんのとちゃうん?」
「化けれるもんは机に身体を合わせて化けて先生の話を聞くんじゃ。それも稽古の一環じゃな」
「はあなるほど、けえねちゃんは化けへんの? 狐のままやと机使われへんやん」
「要らん。どうせ聞いてもつまらん授業じゃ。わしは1000年生きとるんじゃ。今さら人の文化なんて学ばんでも十分じゃ。読み書きそろばんもばっちりじゃ」
「ほーん。でも、自分ちょっと古いからなあ。この時代のことちゃんと分かっとるんか?」
「わ、分かっとるわい! ばかにせんでくれい!」
「ほんまかなあ。単に下手くそな変化見られるのが恥ずかしいだけとちゃうん?」
「……違う」
「せやったらおばちゃん、テストしたるわ。試験やで。おばちゃんも時代劇は好きやからな。江戸のことならちょっと分かるで」
「ほう、神の使いを験そうとは、面白い奴じゃ。受けて立つぞ」
「ででん。では問題です。江戸の町には櫓の上に吊るされた半鐘があります。この鐘は一体どういう場面で鳴らされるでしょうか? ……お答えください!」
「ほう? 鐘? そりゃ簡単じゃ。神社出身のわしでも寺のことくらいは分るぞ。時間を知らせるために鳴らすんじゃ。ゴーンってな」
「ぶっぶー! はずれやで。正解は、火事を知らせる為や! 櫓に登って遠くの火事を見つけて、鐘を叩いて大きな音を鳴らして知らせたんや」
「ほ、ほーん。そっちの鐘じゃったか。ちと早とちりしてもうた。ほんと分かっとったんじゃぞ?……よし、次は正解したる」
「ほんまに? それやったら、かじ繋がりでもう一問いくで?」
「おう、来い!」
「台所にある、鉄の胴体に木の蓋の乗っかった道具」
「鉄の胴に木の蓋……釜やな」
「今日の朝、おばちゃんも使ってましたが。あれは何の道具でしょう?」
「ええ? 釜じゃろ? 火事の時に? ……水を入れて火に掛けるとかじゃろか?」
「惜しい! もう一つ入れるものがあります」
「な、なんじゃろ。……そうじゃ! 分かった。座布団じゃ。座布団を濡らして火元に乗せれば良く消えるじゃろ!」
「ぶっぶー! 入れるのはお米やで!」
「なんでじゃ。火消すのに関係ないじゃろう!」
「かじはかじでも燃える火事じゃなくて、家の仕事の家事やねんなあ。正解は“お釜はお米を焚くための道具”や。惜しいなあ。水を入れて火に掛けるところまではあってたんやけど……」
「そんなのずるいわ! おばちゃん、わしのことからかってるじゃろう!」
「ふふん。なに言うとるん? 妖怪にしても御使いにしても、人間に騙されてたらやってけへんで?」
「ぐぬぬ……。よ、よしおばちゃん! 今度はわしが問題を出すぞ」
「ええで。どーんときいや」
「では、基本中の基本の問題じゃ。われら稲荷の使いが仕える稲荷大明神様じゃが、彼女は何を司る神かの?」
「ふふん。おばちゃん知っとるで。有名やしな。商売の神様やろ?」
「ぶぶー! 不正解じゃ! 正解は穀物の神様じゃ!」
「そうなんか。どっかで商売の神様やって聞いた気がしたんやけど」
「学問が足らんのう! 稲荷大明神様は宇迦之御魂神と同一視される神での。古事記を知っておるか? あれに記されておるスサノオとカムオオイチヒメとの間に生まれた神と言い伝えられておる。日本書紀の方ではイザナミとイザナギの子のひとりじゃな。残念ながらどちらの書にも稲荷様のご活躍は記されておらぬが、彼女はひのもとの食を陰から支え続けて来た尊いお方なのじゃ! 穀物は人の暮らしと切っても切れない関係。そして穀物は農業と切っても切れない関係。そのうちに穀物だけでなく、農業の領域でも祀られるようになったんじゃな。ふたつの領域を受け持つ主様はとっても大忙しなのじゃ! よって、その使いの筆頭である母上の役目も尊いものなのじゃ!」
「はあ、なるほど。聞いたことあるような、ないような……。なあ、けえねちゃん。やっぱりうちらの時代やと穀物や農業だけやなくて、商いや工業の神様にもなっとるで?」
「それは……本当か?」
「ほんまやで」
「おばちゃんが来たのは、いつ頃の未来じゃったっけの?」
「こっちの現世に江戸があるなら、200から400年くらい後ちゃうかな? 江戸の時代は長かったから、ちょっと幅があるんやけど」
「なんと……。幼き頃も、母上は多忙だったゆえにわしはあまり構ってもらえなかった。役目とはいえ、あまり繁盛するのも憎いものじゃと思っておったが。それなのにまだこれから役目が増えると申すのか……」
「せやなあ。あの神社はいつ行っても参拝客で一杯やし、外国人もぎょうさん来とる」
「おお、ひのもとの外からも信奉者が……」
「国内外合わせて270万人来とるってテレビで言っとったわ」
「に、にひゃくななじゅうまんにん!? ……ああ、なんということじゃ。それではいかに神であろうと主様も母上も過労死してしまうぞ!」
「うちらの時代は人間もぎょうさん過労死しとるからなあ。神様にもあるんやろか……」
「さもありなんじゃな……。よ、よし決めた。わしはしっかり勉強して立派な使いになって、主様と母上をお助けするのじゃ!」
「……えらい! ええ心がけやな! おばちゃん応援するで!」
「あの……ちょっといいですか?」
おばちゃんとけえねの間に割って入る声がひとつございます。
「……なんや? あらイケメン」
「おふたりが喋っていると、授業が始めれないのですが。あなたは新しい妖怪の方ですか? 机は二階に置いてあるので授業を受けるなら自分で取りに行ってくださいね」
「へへ、私は妖怪とちゃうねんな。……それじゃけえねちゃん。授業しっかり受けや。おばちゃん、外から見といたるからな」
おばちゃんはいつの間にかやってきていた寺子屋のお師匠さんに追い出されてしまいました。
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