6-稲荷の御使い(1/3)
こんこんこん、こんこんこん。長屋の上から小気味の良い音が響いてまいります。
「おばちゃん、釘が足りねえや。物置きのつづらに納めてあるから持って来てくれねえか?」
「そう言うと思って持って来とるで。手長さん、これ百々爺さんに渡したって」
そう言うとおばちゃんは、ながーい手を持った妖怪に釘を渡します。
「あい。……へい、大家さん」
「おう、ありがとよ」
釘を受け取った百々爺さんはトンカチを叩きます。
「大家さん、その板ちょっと歪んでねえか?」
口を挟むのは足のながーい妖怪でございます。
「そうかい? 別に屋根なんて誰も見ねえんだから、構いやしないよ。雨さえ漏らなきゃそれでいいじゃねえか」
「漏るから修理を頼んだんだべ」
「おめえら手長足長はそんな便利な身体してるってえのに、どうして自分で直さねえんだ? 大家は鳶でも大工でもねえんだぞ」
「おら、足が長くも手は普通だから、屋根に取り付くと膝や腰が痛くって」
「おらは手が長くても背丈が普通だから、屋根が見えねえよ。この手じゃ梯子だって登れんべ」
「まったく不便な身体だな……」
「あっ、大家さん。あっちの屋根板も悪くなってんべ」
「へいへい、取り換えとくよ。足長じゃなくて口達者に改名しろってんだ……よし、屋根の修理はおしめえ! 腹が減ったよ、そばでも食おうじゃねえか」
長屋の屋根の修理を終えて、一行はおそばをすすります。
「いやあ、労働の後の一杯はうまいね。おばちゃん、おかわり」
「爺ちゃん、もうおそば五杯目やで。食べ過ぎとちゃうか?」
「いいのいいの、大工仕事は腹が減るからねえ。おかわり!」
「屋根に登って板を何枚か張り替えただけやないの」
「つべこべ言わないで持って来ておくれよ。よっ、器量良し! 紫の着物がよく似あってるねえ!」
「しゃあないなあ」
「おう、しゃあねえから持って来てくれ、おめえたちももっと食えよ……なんだまだそれっぽっちしか食ってねえのか?」
手長さんと足長さんはあまり箸が進んでいないようです。
「おら、足が長くて座ってると腹が押されてあんまり食えないんだ……」
「おらは長い手で食うのに難儀する……」
「いてえぞ手長、また肘がぶつかっただよ」
「すまねえ足長」
「おめえら、普段どうやって暮らしてるんだよ……」
賑やかにおそばを食べていたところに、四つ足の妖怪が駆けてきます。
仔猫のような大きさで、ふわふわとした茶色の毛に包まれ、黒真珠のような愛らしい瞳をした……。
「おばちゃん、こんにちは」
「あら、マメちゃんやないの」
わたくし、豆だぬきのマメダでございます。
「ややっ、おばちゃん。着物を変えたんですか?」
「せやねん、ずっと着たきり雀やったからね。爺ちゃんに用意してもろたんよ」
「粋ですねえ。どこかの大店のおかみさんみたいですねえ」
「頭はパーマ取れへんから結われへんけどな。美容院行けへんから髪もちょっと黒に戻って来たわ」
「はあ、その髪は染めてたんですねえ」
「せやで、染めた方が若くみえるからって美容師さんに勧められたんやわ」
「粋なことで。わたくしだったら綺麗な青に染めてみたいですねえ」
「青ダヌキ。なんやポケットから色々出しそうやな」
「ぽけっと?」
「こっちの話や。ところでマメちゃん、なんかご用?」
「そうでした、すっかり忘れるところでした。おばちゃん、先日に雪女のお雪さんのお悩みを聞いて、ずばっと解決したそうじゃないですか?」
「ほんまに話聞いただけやけどね。アドバイスも受け売りやったし」
「是非ともですね、わたくしの連れの悩みも聞いてやって欲しいのですよ!」
「へえ、マメちゃんの連れ言うたらやっぱタヌキ? でっかいきんたまとかあったり? あらやだ」
「いえ、お友達なんですけど、タヌキではないですねえ。可愛い子なんですよ!」
「ほーん。まあ可愛くても可愛くなくても、おばちゃん困ってる人は放って置けへんからな。ええよ。おばちゃん、おそばの片づけしとるから呼んどいでや」
「良かった。ありがとうございます。でも、えーっと……あの子は、えーっと」
「えーっと?」
「人がたくさんいるところでは、こう顔が赤くなったり、青くなったりするんでございますよ」
「信号機の妖怪かいな」
「しんごうき? いえ、実を言うと妖怪ともちょっと違うんでございますけど」
「じゃあ、本物の信号機? マメちゃん、友達にするならせめて生き物か妖怪にせな。信号機に向かってしゃべりのお稽古するのはちょっと、おばちゃん引くわあ~」
「えーっとそうでなくて、あのー……人に向かってはちょっと口が利けないと申しますか、うまく喋れないと申しますか」
「まあ、信号機は口利かんわな」
「しんごうきとやらではなくて、動物の経立の類でございますから。えーっとえーっと、人前に出るのが恥ずかしいというので……」
「なんや、早よ言いなさいな」
「人見知り! 人見知りでございます。言葉が出てこなかったもので……。人見知りなのです」
「あー、はいはい。せやから私の方に来て欲しいって話やな」
「早く言えばそういうことでございます」
「遅う言うても一緒やろ」
「ひぃとぅぉむぃしぃるぅぃ~」
「遅う言わんでもええて。うらめしや~やあるまいに……。分かった、ほんならさっそく行ったるか。爺ちゃん、ちょいと出てくるわ」
「そういうことじゃあ、仕方がねえな。そばの片づけは俺が自分でやっとくよ」
「すんまへんね。ああ、それと爺ちゃん、鎌貸してくれへん?」
「構わねえが、何に使うんだい? おっ、鎌だけに構わねえってか、がはは」
「しょうもないこと言いなや。全部を素手で引っこ抜くんは骨が折れるんやもん。切ると根が残ってまた伸びたりするけど、堪忍してや」
「おばちゃん、何の話ですか? 鎌で何を切るんです?」
「何って、雑草やろ? 草むしり。暗くなってからじゃ、でけへんからな。今から行かなあかん」
「草むしりじゃなくって、人見知りですよ!」
「がはは! ……冗談やて。まあ、とにかく行ってみるわ」
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さて、おばちゃんとわたくしがやって来たのは、寺子屋から少し離れた野原でございます。秋の涼しい風が白く可愛らしいすすきをふわふわと揺らしております。
「涼しくってええな。うちんとこやと、この時期はまだ暑いこともあるからなあ。ところで、マメちゃんのお友達はどこなん?」
「この辺りで待っててって言ったはずなんですけどねえ。恥ずかしがって隠れちゃったのかしら」
「マメちゃんのお友達は、どんな姿しとるん?」
「仔狐でございます。仔狐と言ってもちょっと変わっておりまして、こんがり焼けた黄色ではなく、ちょうどこのすすきのような色白のべっぴんなんですよ」
「はあ、せやったら、紛れとってややこしいな。どうやって探そか」
「ちょいと名前を呼んでみましょう。おーい、おーい、けーえーねーちゃーん!」
「けえねちゃん言うんか。けえねちゃん出といでー」
「ややっ、おばちゃん。今あっちの方で太いすすきが揺れました! きっとあれは、けえねのしっぽです。きっと恥ずかしがって自分からはでてこないので、引っ張りだしてやってください」
「なんや結局、草むしりしとるみたいやな。……よいしょお!」
「うわあ!」
おばちゃんに引っこ抜かれて飛び出して来たのはすすき色の仔狐。わたくしのお友達“けえね”でございます。
「嫌じゃ、嫌じゃ、人前になんてでとうない! マメダ! 早くこの方をどこか他所へやってくれ!」
「大丈夫やて。取って喰ったりなんかせえへんよ」
「そうだよ、けえね。おばちゃんは優しいよ」
「い、嫌じゃ……物の怪仲間の前にでるのも恐ろしいのに、人間なんてもっと無理じゃ……」
「人見知りを治したいって言い出したのは、けえねじゃないの。大丈夫だから、穴掘って隠れてないで、出ておいでよ」
「い、嫌じゃ畏れ多い! この方は紫じゃ。衣も御髪も紫じゃ! きっと厩戸皇子の生まれ変わりか何かじゃぞ! 尊い方に違いないぞ! マメダも突っ立ってないでひれ伏せ! 頭が高い! 頭が高いぞ!」
「古いよけえね。飛鳥の時代じゃないんだから。今でも紫の染め物は高級だけど、おばちゃんは平民の出だそうだよ」
「せやで、私は庶民やで」
「だ、騙そうたって、そうはいかぬぞ。わしは知っておるんじゃ、“言問はぬ木すら紫陽花諸弟らが練の村戸にあざむかえけり”と言ってな、すぐに態度を変えおるぞ。優しいのは今のうちだけじゃ!」
「なんや、分けわからん。マメちゃん、あの子なに言うてるん?」
「アジサイは梅雨の間だけ咲く花でしょう? それで、すぐに見た目が変わってしまうから、おばちゃんもそうじゃないかって。裏切られるってことですかねえ」
「確かに、私の頭はアジサイみたいやけども」
「ほら、けえね。万葉の歌だと奈良だった? ちょっと前には進んだけど。……おばちゃんは何時代からいらしたんでしたっけ?」
「私は昭和生まれやな。平成の終わりの大阪から来たんやで」
「尾張の大坂? どっちだか分からんことをおっしゃるな。それに、平成だなんて聞いたことない年号じゃ。今の現世は……なんじゃったかの?」
「わたしもあんまり覚えてないよ。江戸に移ってからは世の中が変わり映えしない割に、年号がころころ変わるんだもの。おばちゃんはね、未来の現世からやって来たんだよ」
「せやで、江戸時代やと……200年から400年やっけ? そんくらいになるわな。最初に来た時は映画の撮影かなんかやと思ったわ」
「やっぱり恐ろしい方じゃ。わしは千年以上生きとるが、時を超える物の怪なんぞ聞いたことがない。あな恐ろしや……」
「神様の御使いがそんな震えてちゃ決まりが悪いよ。ほら、けえね。出てきて」
「だから嫌じゃと言っておろうに……これ、マメダ! 尻尾を引っ張るのは、やめ……おいやめ……やめんか! くすぐるな! おいちょっと、そんなところ触っ……あはは!」
「マメちゃんとけえねちゃんは仲がええんやなあ」
「そうですよう。わたしが寺子屋に来てから、ずっと一緒なんです」
「ずっとと言ったって、たかだか数年じゃろう! わしゃ1000歳なんじゃ!」
「1000歳でもそれじゃ7歳と変わらないよ。7歳までは神の内なんて言うけど、神様の子だったらもっと物怖じしないように振る舞わないと」
「へえ、けえねちゃんは神様の子なんか」
「そうですよう。けえねちゃんのお母さんは、伏見大社に仕えるお稲荷様のかしらなんですよ。もともとは化生の類だったんですけど、長く仕えて神様に引き上げてもらったそうです」
「はあ、偉いもんやなあ。せやけど、なんで神様の使いが妖怪寺子屋に来とるんや?」
「それも話せば長くなるんですけど……ほら、けえね! いい加減にしないと、わたし帰っちゃうよ!」
「ええんじゃ、ふたりとも帰ってくれ。わしはやっぱり人前に出るのは無理じゃ」
「はあ、この子も重症やなあ。よし、おばちゃん決めたで。私はけえねちゃんが出てくるまでずっと待っとる」
「待ちたいだけ待つが良い! それならば、わしはこの穴にて籠城するのじゃ」
「籠城。ようやく戦国まで来たな。せやけど、けえねちゃん。籠城してもいくさにはなかなか勝たれへんよ」
「ならば最期は腹を切るまでじゃ!」
「なんやその覚悟。狐やのにどうやって腹切るんよ。刃物も持てへんやろうに」
「ほほう、紫様よ! わしがただのけつねだと思ったら大間違いじゃ。侮るなかれ、わしは神の使いのけつね、唐では仙狐と呼ばれる化生の類と同格の者なり。そのまなことくと開いてわが神通力を見るが良いぞ!」
急に勢いづいたけえねは穴から飛び出すと、おばちゃんの前でくるりと宙返りをしました。
「うわっ、なんや白い煙がでてきた! ……あら、けえねちゃん?」
「どうじゃ。わしもけつねの端くれ。変化の術もお手のものじゃ!」
「はあ、可愛らしい子供の巫女さんに化けよった。でもけえねちゃん。耳と尻尾がでたまんまやで」
「ああっ! またしてもしくじったのじゃ! 修行してもちっともうまくならん! 今度こそ妲己も驚く美女に化けたと思うたのに……口惜しや!」
「けえねちゃんは変化が苦手なんですよ」
「はあ、それやから寺子屋通いさせられとるんか」
「ふん、マメダも下手くその癖によく言うわい!」
「わたしは変化は専門じゃないもの。しゃべりを磨けっておっとうに言われてるんだよ」
「お主が下手っぴじゃから稽古相手のわしも上手くならんのじゃ」
「人のせいにしないで。大体、変化だってわたしの方が上手だよ」
「ほーう? じゃあ、久々にやって見せてみい。どーせ、未だに頭に葉っぱを乗せんと神通力も使えん未熟者じゃろう?」
わたくし、けえねとは長年の付き合いでございますが、この時ばかりはかちんと来まして、変化の小道具も無しに、えいやあと宙返りして見せました。
「どう? おばちゃん、どっちが上手に化けれてる?」
「はあ、驚いた。……マメちゃんは……惜しい! 耳は出とらんけど尻尾がでとるわ」
「ふふん。わたしは耳だけ、けえねは耳と尻尾。わたしの勝ちだよ」
「せやけど、目の周りに狸みたいな隈が残っとるで」
「ほれみい、どっこいどっこいじゃないか。それになんじゃ、その芋っぽい童の格好なんかして。だっさいのう」
「はーあ。これだからけえねちゃんは変化が上手にならないんだよ。神社でもないのに巫女さんの格好なんてしたって仕方がないじゃない。すぐに妖怪変化だってばれちゃうよ。わたしみたいに普通の子供みたいに化ければ、あら? こんな原っぱに小さな子供が。どうしたの? ……ってなるでしょ。顔の隈だって、泥に汚れたみたいに見えるじゃない」
「ぐぬぬ。いいんじゃ! わしは神の使いじゃから人を化かすのが生業ではない! 大して長生きもしとらん畜生の化の癖に、神の使いに偉そうな口を利くんじゃないわ! たまもついとらん狸なんぞ、狸汁の他に使いでがないわ!」
「……! なんをりこげに! なんぼけえねちゃんでも、それ言ったらこらえんで! 友情もめげるよ!」
「わっ、急になまりはった!」
「けえねちゃんが独りやったから、今朝は寺子屋をふけて来たったのに! わたし、もうけえねちゃんみたいにしけたおとっちゃまやかし、知らんけん!」
はい……という訳でわたくしマメダは、ええと、お恥ずかしながら、ぷいとそっぽを向くと、童のすがたのままで退場いたしました。
「ああ、マメダ。マメダが行ってしもうた……」
昼下がり、少し寒い風の吹くすすきの原、けえねはおばちゃんとふたりきりで取り残されてしまいました……。
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