5-雪女(2/2)
「私たち雪女は吹雪の中で迷った方の魂を取るのが生業なんです」
「タマをとる。やくざやなあ」
「雪女の生業にはいくつかやりかたがあります。独り身なら殿方をたぶらかして、精を吸った後に凍らせてしまいます。子持ちなら自分の子供を相手に抱かせて、そのうちに子供がどんどんと重たくなり、雪の中に埋めてしまい凍え死なせるのです。子供なら母親の手伝いということですね」
「人の命をとる妖怪はおっかないなあ」
「これは妖怪の生業ですから、人間のおばちゃんには少し恐ろしい話かもしれませんね……。でも、人を殺めるということを恐ろしく思うのは、人間だけではないのです。妖怪にだって、人を殺めたりなんてしたくない、そう思っている者もいるのです」
「因果な商売やねえ」
「私の母も、そうだったんです……」
「はあ、おかあちゃんが」
「母も幼いころから母の母……祖母に抱かれて旅人を雪に沈めていたそうです。その頃はなんとも思わなかった。赤ん坊の時から、当たり前のようにしていたことでしたから。そして成長して、いざ自分が直接旅人に手を下すようになってから気が付いてしまった。自分は命を奪うという、とんでもないことをしているのだと。人も妖怪も同じ生き物なんだと。……そして、ある晩雪山で出会った旅人に一目惚れしてしまいます。行き倒れて凍え死にそうになっていた旅人を小屋に連れ帰り、介抱しました。目が覚めた旅人も母が命の恩人になりまして、しかも美しい人でしたから……」
「ふんふん。なかなかロマンチックやな」
「それでも雪女はね。生業のためなら惚れた男も殺さなきゃいけないんです」
「なんやほんまに極道めいてきたわ」
「でも、母にはできなかった。自分が雪女であるということを隠しながら、一緒に暮らし続けたのです。程なくして私を身ごもります。でも、雪女は自分のシマに入って来た者はすべて手を掛けなければいけません」
「シマ」
「ずっと人の精を吸わないままだと、自分やお腹に居た私の命が尽きてしまいますし、彼には隠れて生業を続けていました」
「二重生活はつらいなあ……ぼりぼり」
「ぼりぼり? おばちゃん、何か食べてます?」
「あ、ちょっとおせんべいを……なんやこういう話を聞くとせんべいが欲しくなるんやな……」
「そうなんですか」
「要る? ぎょうさんあるで」
「いただきます……ぼりぼり。それで……春のはじめくらいまでは何とかやっていたんですが……ぼりぼり……雪山の冬は長いですから。一年の半分くらいは雪に閉ざされています……ぼり。雪女は、現世の暖かい所では生きることができないんです。幽世か、寒い所でないと。だから……ぼりぼり……母は春になると仕方なしに旅人の元を離れました。そして幽世の里で私を産んでから、再び向こうに戻ったのです……ぼり」
「はあ、なんや話が見えてきたで」
「十月十日、私を産んで落ち着いてから戻れば、丸一年になります。ふたたび春が目の前です。戻ったところですぐに別れなければならない……もしも戻らなければ忘れられてしまうでしょう……そして、母は戻ることに決めました。里の仲間に私を任せて再び、旅人の待つ現世の雪山へ……」
「一途やなあ」
お雪さんはそこまで話すと、ほうっと冷たい息を吐きました。
「わかった、よう話してくれた」
おばちゃんは、ぱちんと膝を打ちます。
「それで、そんなお母ちゃんの娘のお雪さんも人を殺すことに抵抗があるから悩んでるっちゅう話やな?」
「え? いえ、違いますけど。私めっちゃ殺しますよ。まだ寺子屋で学びながらの生業ですけど、もう両手でも足りない位」
「うわ、ごっつ殺しとる。ひ、人でなし」
「妖怪ですから!」
「えばるな! ……せやったら、何を悩んでるんよ?」
「さっきの話にはまだ続きがあって……」
「あ、そうなん。そら早とちりしたわ」
「母は現世へ戻りました。一年です。相手が待っていてくれるとは限りません。ふたりが過ごしていたのは、雪女が生業をする際に使う山小屋で、人間が暮らすには不便なものです。冬の間は山から下りるのが大変でしたが、雪が解ければ旅人は去ってしまっていても仕方がない……」
「せやなあ」
「でも、彼は小屋に居ました」
「そら良かった。愛やなあ……」
「他の女を連れ込んで」
「あちゃあ」
「母はとても傷つきました。怒りで身体が溶けてしまいそうになったほどです。そして、小屋に居たふたりを氷漬けにして殺してしまいます」
「まあ、しゃあないな……」
「母はそれをきっかけに人を殺めることに抵抗が無くなりました。そして里に戻って、ふたりの氷像を飾ったんです」
「錦を飾るみたいに言われても」
「でも、母の傷ついた心は癒されないままなんです。私は、母に人間の男の酷さや醜さを教えられて育ちました。私も、幼いうちは母と一緒に旅人を雪に沈め、ひとり立ちしてからは自らの手で男の命を奪い続けています……」
「……わかった。みんな言わなくてもええんやで。お雪さんは、おかあちゃんのための復讐に疲れたんやな?」
「そうでもないです。ばりばり殺します。週末になったら、雪の恐山にでも足を延ばそうかと思ってるんですよう」
「そんな、ちょっとお参り行こか、みたいに」
「違うお参りですけどね! あはは!」
「あははちゃうわ。おっかないわあ、この子」
「妖怪ですから!」
「胸張るんやないの! でもそれやったら、何で癇癪起して吹雪出しとったんよ? 今の話とどう繋がってくるん?」
「えっとですね……関係ないです!」
「ないんかい! こんな長ったらしい尺で前振りしときながら」
「嘘ですって。関係ありますって」
「せやったら、はよ話し」
何やらすっかり気が抜けてしまいましたが、それでもおばちゃんに話をしているうちにお雪さんの気が晴れたのでしょう。吹雪はぴたりと止みました。
月の光が注ぐ中、お雪さんは話を続けます。
「ここから先は、聞くも涙語るも涙の恋物語。おばちゃん、しっかり蓑と笠を捕まえておいてくださいね、私きっとまた吹雪を吹かせてしまうから……」
「ええで、ちゃんと聞いたるから」
「ではさっそく……今をさること半日前」
「みじかっ」
「私は寺子屋で他の妖怪の方々と混じってお勉強をしていました。あれは確か、江戸の厠についてのお話だったかしら……うん、確かそうだったような」
「便所。なんや変な授業しとるな。……お雪さん、あんまりまじめに聞いとらんのか」
「生業は人間の行動が掴めないと上手くできませんから。それでも私たちのように里で人間と変わりのない暮らしをするものや、人間が死んでから妖怪になった者にとっては、退屈な学問になっちゃうんですよ……」
「あれ? せやったらお雪さんは何で寺子屋に来てるん? 生業はもう現世でやってるんやろ?」
「そうなんです。私、実は寺子屋に通う必要は無くって。幼い頃から殺してるんで、お稽古の必要もないですし。それでも寺子屋に通い続けているのは、想いびとが居るからなんです」
「はあ、なるほどなあ。で、相手は誰なん?」
「相手は……寺子屋のお師匠様なんです」
「先生ってことか。また昼ドラっぽくなってきたな。おせんべいもっと要るわ」
「昼銅鑼? 昼行灯の仲間かしら。お師匠様はちゃんとお仕事なさってますけど」
行灯は灯りでございます。お昼に点けても仕方がない、役に立たない。転じて、働いてない方のことを言います。
「今のは置いといて。おばちゃんこういう話好きやわ、続けて続けて。お師匠様はどんな人なん?」
「さあ……、よく分からないのです。彼は三十歳ほどの人間の殿方の姿をしていて……とにかく顔の作りが良くて、物腰柔らかく、みな様に好かれる方ではあるんですが……」
「よく分からんって、なんやひっかかるな? どういうことなん?」
「大抵の妖怪は、変化をすることができます。現世での生業の都合上、人間に化けることができる妖怪も多いです。お師匠様は何かの経立らしいのですが……」
経立とは動物が長生きすることで霊性を得て、神の使いや妖怪になったものをいいます。
わたくしマメダの遠い祖先も、長生きのタヌキが霊性を得たのが始まりだそうです。
「……彼の本当の姿を見た人は居ないんです。私、彼の本当の姿を見たくて……いえ、本当の姿がどんなでも慕わなくなるということはないのですが……」
「わかるで。気になるわなあ」
「いつかその正体が拝めるかと、通う必要のない寺子屋にずっと通ってまして……」
「聞いてみたらええんちゃうん? なんやったら、おばちゃんが聞いてきたろか?」
「始めは私も聞いてみようかと思ったんです。でも、いざ彼と顔を突き合わせるとこう、ぽうっと溶けてしまいそうになって」
「あかん。こりゃ重症や。なんか生暖かい吹雪が吹いとるんやけど……」
「それで、いつまでもいじいじと机から彼の顔を眺める毎日を送ってるうちに、別に今のままで充分かなって思うようになりまして。それこそ私がお座敷の昼行灯になってしまって。それでも……お師匠様は何もせずぼんやりしている私にも優しくしてくれるんです」
「うんうん。男も女も中身が大事やしな。見てくれもええならなお良しや。惚れてまうのも無理ないわ」
「ところが、今朝方に恐ろしい事実が発覚してしまったのです」
「ごくり……正体がとんでもない化け物やったとか?」
「そう……なんと彼は所帯持ちだったのです!」
「昼ドラや」
「だから昼行灯じゃ養えませんよ」
「ええから。でも、所帯持ちなんがそんな恐ろしいん? そんだけいい男だったら、しゃあないんちゃう? そら、お雪さんには辛いかも知らんけど」
「だって、考えてもみてくださいよ。私の母は浮気をされてとっても傷ついたんですよ? あんな、女性の人生に影響を与えるような大事。もし私がお師匠様に手を出せば、そういうことになるでしょう? 畜生になるなんて、私、恐ろしくって」
「ぎょうさん人殺しといて言うことでもないような。お雪さん、ちょっとずれとるんちゃう?」
「妖怪ですから!」
「胸を張るな! ……せやけどまあ、死ぬや殺すより辛い事もあるわな。惚れた腫れたなんて女からしたらほんっまに一大事やし」
「でしょう? そういう訳で、私、どうしたらいいか分からなくなっちゃって……」
「そんでめそめそしとったんやな。可哀想に」
「そうなんです。うえーん」
「よしよし、泣かんとき。おばちゃんがええ言葉を教えたるから……」
そう言うとおばちゃんはお雪さんにとっておきの言葉をひとつ教えたそうです。
悩みを打ち明け、お雪さんは何やら決心をなさったようで、それきりぴたりと吹雪くことは無くなりました。
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さて、後日でございます。
「いやあ、やっぱり秋と言えば焼き芋。ちょいとばかし寒いなかでこれをかじるのが風流だねえ」
「焼き芋で風流ってのはちょっと違うんちゃう? あちち」
「それにしても、おばちゃんは上手くやったねえ。お雪のやつをどうやって言いくるめたんだい?」
「うちらのとこにええ言葉があってな」
「ほう、なんて?」
「“不倫は文化”やで。テレビの人が言っとったわ」
「てれび? まあ、それは言い得て妙だな。現世の江戸じゃあ、それで心中だの示談で首代だのが流行ってるそうだしね」
「あはは、うちんとこでも不倫はあるあるやなあ」
「なにを呑気な。おばちゃん、けしかけたんだろう?」
「せやな。でも、うじうじ悩んでてもしゃあないしな。ずっと吹雪でも困るし。迷惑は当人同士だけでやってればええねんて」
「はあ、威勢がいいね……」
おばちゃんと百々爺さんが焼き芋をかじりながらおしゃべりをしているところに、大声をあげながら駆けてくる人がありました。
「おばちゃん、大家さん、大変大変!」
「あら、小僧さん。血相変えてどうしたん」
「おう、焼き芋なら分けてやるぞ。ほら、おあがり」
「わあ! あたしが“おあがり”されちゃった! ……そんなことはどうでもいいよう。今日ね、寺子屋に行ったら、大変なことがあったの」
「どうした?」
「時刻になってもお師匠様が現れなくってね、それで、みんなで探したの」
「……あちゃあ、えらいことしてもたかしら」
「ああ、こりゃ心中だな。小僧、お雪も居なくなってたろ?」
「え? ううん。お雪さんも一緒に探してたよ。お師匠さんを見つけたのはお雪さんだったんだもの」
「おや。それでどうなったんだい?」
「お師匠様、氷漬けだった!」
「えらいことしてもうた。私が余計な事言ったから、お師匠さんが」
「大丈夫だよ、おばちゃん。火を使える妖怪さんたちが溶かしたから。お師匠様ぶるぶる震えてたけど、元気だったよ。……でもね、お師匠様はお雪さんの顔を見たとたん、きゃあって悲鳴をあげて、またどこかに行っちゃったの! 見つからないから、みんなで寺子屋ふけて遊びに行ったの。楽しかったなあ!」
「そらよかった。もつれて死んだらどうしようかと思った。わい、どうしよう(ワイドショー)ってな……がはは」
……お粗末様でした!
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