22-付喪神(2/2)
「ははあ。てめえだな。俺の酒を掠め取ったのは!」
「どうしたん爺ちゃん。ひとりでそんな騒いで」
「どうしたもこうしたもあるもんかい! このお猪口が俺の酒を勝手に飲みやがったんだ!」
「何言うてるん……。そんな訳ないやろ」
『それがあるんですよねえ』
「……ひゃあ! お猪口が口を利いた!」
「おばちゃん、こいつは付喪神だ」
「あー、付喪神! 聞いたことあるわ」
「まあ、そんな珍しいものじゃあないけどね。この界隈にも唐傘おばけやら提灯おばけの野郎が居るから……」
「あの子らも付喪神なんか」
「そうよ。物を長い間大切に使っていると、それに魂が宿って動きだしたり口を利いたりするのさ。だけど、猪口の付喪神に会ったのは初めてだな。……おい、てめえ! どこのもんだ。ちゃんと酒は返してくれるんだろうな?」
『どこのもんも何も、この家に売られてきたんだからここのもんさ。それに返すも何も、おいらの口に注いだのはあんたじゃないかい?』
「……口の減らねえ奴だ」
『身体のほとんどが口だらかしょうがないさ』
「まったく! 三井寺の野郎もつまらんもん寄越しやがって。返品だ、返品! あいつは道具屋になって随分のはずなのに、この猪口が付喪神かどうかも見破れなかったってのか」
『そりゃ仕方ないさ。おいらが付喪神になったのはついさっきだからね』
「なんだって? こりゃ面倒なことになったな……」
「面倒って、何でなん?」
「付喪神はな。生まれたところで祀るか祓うかしなきゃならねえんだ。そうでなきゃ持ち主が祟られる」
『そういうこと。今さら返品したって駄目だよ』
「……はあ、考えるのも面倒だ。明日にでもお祓いしてもらうからな! 俺は寝る!」
『……あーあ。行っちゃった。こんな寒い縁側に置き去りにして。扱いの悪い持ち主だねえ』
「さて、このお猪口さんはどうしたもんやろかねえ。とりあえず洗って仕舞っとこうかしら」
『仕舞うのはご勘弁願いたいね。ここに来るまでおいらはずっと閉じ込められてたんだから。せっかく娑婆に出てきたっていうのに、また埃くさい蔵の中は御免だよ』
「せやけど、爺ちゃんは明日にでも祓ってもらうって言ってたで。お猪口さんはそれでええのん? せっかく生まれてきたのに」
『へん! おいらは付喪神だよ。扱いの悪い酔っ払いの持ち主なんて、一晩のうちに呪い殺せるよ。……今もこうやって念を送ってるからね』
「ええ! やめたげてや。爺ちゃん死んだら私、困るわ」
「ミラカも困りマース」
『それじゃあ、おいらを祀ることだね。神棚とお神酒を用意しな! 神棚といってもけちくさいのじゃあ駄目だよ。きっちり清めたご神木づくりのやつだ。お神酒はまあ……さっき飲んだやつが結構うまかったから、それでいいや』
「なんやちょっと持ち主に似てる気がするなあ……。せやけど急に言われても神棚なんて用意できへんわ。明日誰かに聞いてくるから、ちょっと待っといてや」
「それまではこれで我慢してクダサーイ」
『なんだい、その木の板は……神木の札かい? ちょいと妖力みたいなのは感じるが。……まあいいや、縁側に置き晒しよりはよっぽどマシだ。おいらをその板の上に祀っておいてくれ。今晩だけはそれで勘弁してやるよ』
「板に乗せるだけでそれっぽくなりましたネー」
『いやにでこぼこした札だなあ。居心地が悪い。でも何だか妖力が漲ってるね。これを吸えば神通力が高まるね』
「でこぼこじゃないデース。かまぼこデース」
『……かまぼこ板かい! 道理でにおうと思ったんだ!』
「ミラカちゃん、ちょっと罰当たりちゃうか……」
「へへ。ソーリー。拝むので許してクダサーイ」
『……まあね。祀りも祟りも心意気が大事だからね。座りもにおいも悪いが、まあ、この板の妖力に免じて許してやろう』
「……なあ、ミラカちゃん。妖力ってなんや? なんでかまぼこ板にそんなんあるん?」
「……多分、ワタクシがかじったからじゃないデショーカ……」
「……それ言うたらあかんで。絶対呪われるわ……」
「……合点承知デース……」
『やい、そこで何をこそこそ話してるんだ。おいらは付喪神だよ。付喪神にはちょっとした能があってね。物の語る言葉を聞くことができるんだ。いいか。今からここのうちの物の声を聞いて、あの爺さんが祟られるに値する悪人だってことを証明してやるからな』
「そんなことできるん? じゃあ、あの長持箪笥が何考えてるか分かるん?」
『あたぼうよ。……ええと。長持箪笥。50歳。爺くさいものや婆くさいものばかり入れるな。もっと若い女子の着物を入れてくれ』
「なんやスケベな箪笥やな……。じゃあ、あの釜は?」
『ええと。鉄釜。36歳。最近、おばちゃんのお陰で毎日使ってもらってしっかり手入れもしてもらってるから満足。百々爺さんはこびりついた米をほったらかすから嫌い』
「へえ。なんや照れくさいな」
「面白いデース。じゃあ、そのかまぼこ板は何て言ってマスカー?」
『この板かい? どれどれ、かまぼこ板。数えで1歳。……おい! お嬢ちゃん! この板に一体何をしたんだい? 痛い痛いって泣いているじゃないか!』
「アハハ! 板だけに痛い痛いデスカ! 面白いデスネー!」
『笑い事じゃないよ。あんた、物を大事にしないと、将来祟られても知らないよ』
「うちの国には付喪神はいませんからネー。便所紙くらいならありますケドー」
『……なんて嫌な子だい。爺さんを呪い殺したら次はあんただからな。覚悟しとけよ!』
「楽しみにしてマース!」
「こら、ミラカちゃん。からかったらあかんで。お猪口さんも、あんまり乱暴な事したらあかんて言うてるやろ」
『……ちぇっ、物怖じしないおばちゃんだね。いいさ、今日の所はこの辺にしといてやるから』
翌日でございます。
「爺ちゃん、朝やでー」
「うーんうーん」
「ほら、もうおひさま昇ってるで。昨日大して飲んでないんやから、さっさと起きや」
「うーん……」
「あかん。うんうん言って全然起きへん。爺ちゃんめっちゃうなされてるな」
「うーん……どっちも食べてえな……」
『ケケケ……そりゃそうさ。おいらがしっかり祟っておいたからね。今頃悪い夢でも見ているのさ。……さあ、早く神棚を作っておいらを奉るんだ!』
「お猪口さん、神棚はちゃんと用意するからあんま酷い事せんといたってや。……ってあれ? かまぼこ板の上に居らへんやん」
『ケケケ。一晩、板の上に乗っかって祟ってただけでずいぶんと力がついたよ。部屋の中を飛び回るくらい訳ないね』
なんと、笑いながら現れたお猪口はふわふわと宙に浮いております。
「ポルターガイストみたいなもんか。飛び回るのはええけど、降りる時気をつけな割れてまうで? 大人しくしときや」
『……なんだい。脅かし甲斐の無いおばちゃんだね』
「お猪口さんはなんか食べはるん? 昨日はお酒飲んでたみたいやけど」
『おいらは付喪神だからね。別に食べなくってもやっていけるよ』
「そうなん? まあ、なんかあったら遠慮なく言いや。私、長屋の子ら世話してるから、一人増えても同じことやしな。そしたらおばちゃん、ちょっと仕事してくるから、帰りに神棚に詳しそうな子連れてくるわ。それまで大人しくしとるんやで……」
『ケケケ、それまで爺さんが無事だったらいいけどね』
「……帰ったでー。爺ちゃん、まだ寝てるんか」
『そりゃそうよ。おいらがばっちり呪ってるからね』
「まだやってるんか。ほら、神棚に詳しい子に来てもろたで。えらい神様のお子さんやから、失礼ないようにせなあかんよ」
『なんだなんだ? 嫌に白っぽい狐が出てきたぞ』
「ほう。お主が新しく生まれた付喪神か。おばちゃんには世話になっとるからの。わしは稲荷の総本宮が伏見稲荷大社の使いのひとり娘、けえねじゃ」
『なんだ、稲荷か。獣の経立じゃあ、付喪神のおいらと大して変わらないじゃないか』
「なんじゃとはなんじゃ。わしゃ経立じゃのうて、経立だった母上が稲荷様に仕えて神あげてもらってじゃの、その娘だからして初めから神であって……ええい! 説明が面倒じゃの。ほれ、これならどうじゃ!」
そう言うとけえねちゃんはくるりと宙返りをして人の姿に化けて見せます。
「どうじゃといってもそれじゃあ……がきんちょじゃないかい……。耳と尻尾は化けそこなってるし……」
「う、無礼じゃのう。お主だって部屋の中をふらふら飛び回るのが関の山の癖に。……まあ、聞くが良い。お主はまだ付喪神になったばかりじゃからな。これから先、悪さをして悪神に墜ちるか、ご利益を出して善神に祀られるかは分からんからの。どうじゃ、お主は生まれてから何をした?」
『酒を飲んで、そこの爺さんを祟ってうんうん言わしてやった!』
「……はあ。それじゃあ、善神には程遠いのう。これ以上悪さをされても面倒だから祓ってしまうかの。百々爺さんだって腐っても寺子屋と長屋の大家だからのう。いつまでも寝ててもらっては困るじゃろうて」
『……冗談じゃないよ。せっかく生まれたばかりなのに祓われちゃ困るよ! それより神棚だよ神棚!』
「馬鹿なことを言うでない。お主みたいな小物に神棚など神木の無駄じゃ。そこのかまぼこ板でももったいないわ」
『なんだ。小生意気な娘。あんたから先に祟ってやろうか』
「やってみるが良いぞ。付喪神になって1日のお主と、生まれて1000年神の子やっとるわしとでは勝負にならんと思うが」
『いいだろう! それなら爺さんに向けてる祟りの、倍も強いやつをお見舞いしてやる!』
お猪口は宙にふわりと浮くと、目の錯覚でしょうか、辺りの空気が歪んだようになりました。何やらとても禍々しい雰囲気でございます。
「……ふふん。なあーんじゃ。やっぱり大したことないのう。寺子屋で仲間外れにされる方が万倍堪えるわい」
『ぐぬぬ。おいらの呪いが通じない……。こいつ本当に神様なのか』
「さ、おばちゃん。このお猪口をさっさと祓ってしまってよいかの?」
「うーん。悪さする言うても命あるもんやしなあ。祓ったら消えてまうんやろ?」
「当然じゃ。付喪神なんてものはの、あちらこちらで生まれては消えておるものじゃ。道具が作られて99年経てば付喪神になるという。連中は、使われたり、壊れたり、直されたりして様々な“物語り”を得ることで魂が宿るのじゃな。ここから先放って置けば、こやつはどんどん力をつけていくことじゃろう。寺子屋に居る唐傘や提灯の様に陽気な者ならそれもまたおもしろいじゃろうが、こやつはちと性根が曲がり過ぎておる。生かしておいても害しかないじゃろう。神や先輩妖怪相手に平気で害をなすような輩が現世に出たら、とんでもない事になるじゃろうて」
「ほーん。そんな仕組みになっとったんやな。うちらの時代やとすぐに捨てたりリサイクルされたりで同じもんのままってことはあんまりないもんなあ……。物は大事にせなあかんな。……なあ、けえねちゃん。祓わんと祀ってもらわれへん?」
「それはさすがにおばちゃんの頼みと言えど、できんのう。悪神にも祀られてるものがあるが、それも大概は何らかのご利益があったり、元々は善神だったものばかりじゃからの。神話時代からの習わしじゃ。ただの機嫌取りの奉りなんぞ他の神々への冒涜に過ぎん。わしはこの場では全国何百もの社の代表になるからして、こんな小物に甘い処遇などできんのう」
『うう……そうかあ。おいら消されちまうのかあ……』
「可哀想やない? 何とかならへんの?」
「わしは立場柄、仏教の方はそれほど詳しくは無いが、やはり地獄極楽の行く末は生前の行いにて決まるというじゃろう? 付喪神もそれと同じじゃ。性悪の付喪神は悪神になる可能性が高い。悪神になればわしが祓わぬとも、いづれどこかで術師に祓われるのが筋じゃ。ま、諦めい。付喪神になる前の扱いが悪かったせいじゃろうてな」
「じゃあ、鉄鼠の三井寺さんにも責任があるんか」
「そうじゃのう。もうこやつが悪神になるのは元の扱いからして決まってたようなもんじゃ」
『いやだ。消えるのはいやだ! なんとか祀ってもらいたい!』
「悪させんかったらええだけやないの?」
『なにもしなかったら忘れられちまう。忘れられちまったら、付喪神は消えちまうんだ!』
「それが嫌なら、何かご利益だとか、役に立つ能を示さねばならんのう。……ま、おばちゃんが祓わないでくれって言うなら、わしは今日の所は見逃しておいてやるぞ。ただし、他に迷惑をかけているのを見たときは、遠慮なく破ァーーーッ!! とやってしまうからの。……じゃ、おばちゃん。わしは帰るぞ。いやあ、寺子屋をふける口実ができてわしは満足じゃ」
とか何とか言ってけえねちゃんは帰って行きました。
「……だそうやで」
『うう。生まれたばかりの付喪神にそんな大したことができる訳ないだろう。爺さんへの祟りだって、ちょいと眠りが深くなるくらいで、きっと大した悪夢も見てないよ。ほんの出来心だったんだ。今までお猪口としてだんまりだったから、口が利けるようになったのがあんまり嬉しくって。……おばちゃん! どうにか助けておくれよ!』
「うーん。言うてもなあ。私、ただの人間やしな……」
「う、うーん」
「あら、爺ちゃん。起きはったわ」
「よく寝た……。さて、早速このふてえ猪口を処分しなくちゃあな」
『か、勘弁してくれよう! 何でもするよ。役に立つからさあ』
「なんだ? いやに今日は弱気になったな。……まあ、駄目なもんは駄目だ。酒の恨みは恐ろしいんだぜ? 俺の酒を掠め取ったのが運の尽きってやつよ。せいぜい生まれを恨むんだね」
『うえーん! 畜生! あの古道具屋! ドブネズミ! こんな酷い所へ売りつけやがって! そもそもあいつがいけないんだ! あいつの物の扱いが悪いから、おいらの性格がこんなにひん曲がっちまったんだ!』
「誰がドブネズミですって?」
『ひえ! お前は古道具屋!』
「あら、三井寺さんおはようさん。どないしたん?」
「いえ、昨日訪ねた時には、百々爺さんには会えず仕舞いでしたからねい。むかし世話になった恩もあるし、こっちに戻って来た時はいつも必ず挨拶するようにしてるんですよ」
「よう、三井寺。おめえが持ってきたお猪口が、悪さをして困るんだ」
「お猪口が悪さを? またまた。冗談言っちゃいけませんよ。しばらく会わないうちに、百々爺さんはぼけてしまったんですか?」
『こいつがぼけてたらどんなに良いことか! この爺さんが生きが良すぎるせいで、おいらはお祓いされちまうんだ!』
「わ、本当にお猪口が口を利いてますねい。お払い箱だなんてそんな。お猪口の口が酒で濡れてるじゃないですかい。ネズミの鼻はごまかせませんよ。お猪口さん、ちゃあんと使ってもらってる」
『そういう意味じゃねえ! おいらがお祓いされて消えちゃうってことだよう』
「ふうん」
『ふうんじゃねえよ。不運はこっちだ!』
「おう、そうだな。返品だな。こんなうるせえ猪口じゃない方がありがたい。何か別のと変えてくれよ」
「百々爺さんがそう言うなら変えますけど……。でも良いじゃないですか? 口を利くお猪口だなんて、しゃれてて」
「こいつはしゃべるだけじゃねえ、注いだ酒を勝手に飲んじまうんだ」
「ああ。そりゃいけませんねえ。それならやっぱり祓ってもらわないと」
『ああっ! おめえまで! 頼む、引き取ってくれるだけでいい! おいらは死にたくないんだ! 物にだって命があるんだよう! ……ほら、あんたの履いてる草鞋だって、あんたの歩き方に癖があるから、右の鼻緒がまた切れそうだって嘆いてる!』
「へえ! こいつは驚いた。確かにあっしの草鞋はよく右足の方が悪くなるんだ。当て物ができるお猪口とは面白いね。それなら引き取ってひと商売してみるかな?」
『当て物じゃねえ。おいらは付喪神だ。物の語ることが分かるんだ!』
「へえへえ! それはますますいいね。なんちゅーか、良い神様じゃないの! 物の声が聞こえるなんて道具屋にとってこれ以上の神様は居ないよ! 是非うちで、引き取らせて下せえ!」
『ほ、本当かい?! いやあ、良かった……命拾いした』
「お猪口さん良かったなあ」
「おう、だったら持っていきな。その代わり、別の猪口と……酒を一升寄越しなよ」
「ええ、ええ。一升どころか二升も三升もお付けしますよ。安い買い物ですよう」
「安い。それじゃ、もう一本つけても高くはないだろう?」
「爺さん、ちゃっかりしてるなあ」
「ちぇっ、百々爺さんには敵わないなあ」
……という訳で、散々騒いだお猪口の付喪神は、元の道具屋に引き取られて行きました。
「……はあ、何かくたびれたわ」
「付喪神の一匹や二匹でくたびれててもしょうがないよ。……あぁーあ。一仕事したらまた眠くなってきたね……」
「爺さん、また寝るんかい」
「ネズミの敵わない爺さんは猫ってわけだからね。猫は寝るもんだ……」
「まあ、好きにしたらええけど」
「しかし、三井寺のやつは付喪神を分ってなかったな。何年道具屋をやってるってんだ」
「三井寺さん、道具の扱いも悪かった言うてはったしな……はっ!?」
「どうしたんだい、おばちゃん?」
「いや、三井寺さん、この辺に蔵を持ったらしくて、そこに99年間も売れ残った道具を片づけるとか何とか……」
「99年! てえことは、まさか、それが全部……」
さてはて、この後に寺子屋界隈では悪い付喪神の大量発生で、お祓いだのお祀りだのの大騒ぎになったとかならなかったとか。
みな様方も、道具は大切に扱いましょうね。
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