20-海のあやかし
――かくりよの浜に佇むおばちゃんや 見つめたるは海の尾花かな
みな様こんにちは。マメダでございます。
紫のおばちゃんが未来の現世から幽世に来てから暫く。季節は夏の余韻残す頃から、冬の足音聞こえる頃へと移り変わっております。
おばちゃんは妖怪大王様が元の世界に戻る為の手続きをしてくれるまでの間、長屋と寺子屋の大家である百々爺さんのお手伝いとしてこちらの世界に住まわれております。彼女は甲斐甲斐しく働き、長屋や寺子屋での評判も上々でございます。
そんなおばちゃんに、たまには休息をしてもらおうと百々爺さんが気を利かせてお休みを差し上げたようで、彼女は本日、気晴らしに海へと来ていらっしゃります。
たったひとり、晩秋の白波を眺めて思うは現世のことでございましょうか。彼女も現世ではご結婚なされており、子供も居らしたとのこと。残してきた家族のことを想うその横顔は、重ねた歳相応の美しさを湛えております。
「はあ。牡蠣食べたいなあ……。スーパーのカキフライが恋しいわ。半額のやつ。時間経ってふにゃふにゃになったんをトースターでチンするねんな。……あーあかん。帰りたなって来たわ。せやけど妖怪大王さんも忙しいらしいしな。せやったらせめて、牡蠣だけでも食べたいなあ……。どっかその辺に落ちてないやろか?」
……ええと。おばちゃんは貝を探して海岸を歩き始めました。
「牡蠣って言ったら岩場やろか? あの辺にあったりせんやろか?」
「ご婦人。岩牡蠣は今は旬じゃありませんよ」
「そうなん? ……あら、イケメン。どちらさん?」
おばちゃんに声を掛けてきたのは若く顔立ちの整った青年。粋な着流しに小銀杏を結った色男でございます。
「私は浪小僧の浜松遠州と申します。気軽に遠州とお呼びください」
「はあ、ご丁寧にどうも。私はおばちゃんです」
「現世からいらした方だとか。里から流れる風の噂に聞いておりますよ。憂いだ梅雨を払うアジサイのような方だと」
「あら、いややわあ。褒められて。ところで遠州さんは何する方なん?」
「私は浪小僧です。元は漁師に恩返しをしたり、陸に上がって日照りを解消するのが生業なのですが……」
「ですが?」
「現世の縄張りの漁村が廃村になってしまい、そこと交易していた農村も寂れ、することがなくなってしまったのです」
「あらまあ。失業したんか」
「ええ。しばらく暇を潰そうと幽世の、故郷であるこの海でぶらぶらしていたのですが、どうも元の生業に就く気も起こらず……」
「まあ長い人生やし、そういう時期もあるやろな。のんびりやったらええんちゃう?」
「ありがとうございます。ところで、ご婦人は牡蠣を探しておいでで?」
「まあ、そうやね。急に食べたなって。その辺に無いかななんてちょっと見とったんよ」
「その辺りの岩牡蠣はまだ旬じゃありませんから」
「そうなん。残念」
「……ところがですね、私はちょいと退屈しのぎに真牡蠣の養殖をはじめまして」
「へえ。牡蠣の養殖? 結構な事してはるな」
「ええ。新しい生業に何か使えないかと思いまして」
「若いのにえらいもんやなあ」
「よろしければ、私の育てた真牡蠣を持って行ってください。おいしい調理方法もお教えいたしますよ」
「あらほんま? おおきに。おばちゃん嬉しいわあ」
「「「遠州さーーん!」」」
遠くから呼びかける声。少し沖の方に髪の長い若い女が三人立ってこちらに笑いかけております。
「遠州さん呼んではるで。なんやきゃーきゃー言うてるわ」
「あれは濡女子たちですね。おばちゃんは大丈夫だと思いますが、目を合わせて笑い返してはいけませんよ。連れていかれてしまいます」
「へえ。おっかないなあ。せやけど、遠州さんも妖怪やろ? ここは幽世やし大丈夫なんちゃうん?」
「いえ、彼女たちは本気です。私は以前、彼女たちに強引に連れて行かれそうになりましたから……。あわや着物をはぎ取られそうに……」
「遠州さん男前やもんな……」
「浜松遠州!」
今度は海とは反対の方から飛び込んでくる声ひとつ。こちらも若い女性の声でございます。
「あれ。また別のお姉さん。遠州さんもてはるなあ」
「……ご婦人、走りましょう」
「あっ、イケメンに手掴まれた。……なんで走らはるん? あの人も怖い妖怪なん?」
「いえ、あれは磯女のお凪です。私の幼馴染なんですが……」
「磯女。名前だけは聞いたことあるなあ。何する妖怪やっけ」
「磯女は特に一族で生業が決められておりません。おのおので好きにやってます」
「逃がすか! 浜松遠州!」
お凪は急に腰から下をヘビのように化けさせたかと思うと、にょろにょろと伸びてあっという間におばちゃんと遠州さんを簀巻きにしてしまいました。
「帰って来てたのならどうして言ってくれないの!? あたしとの約束を忘れちゃったの!? っていうかこの女は誰?! アジサイの化身かなにか?」
「こ、この方は人間だよお凪」
「人間!? あたしを置いて現世に出ちゃって、やっと戻って来たら牡蠣に現を抜かすし、その上に人間の女なんて引っ掛けてたなんて! しかもこんな大年増を! うぬぬ許せん~~~!」
「ぎゃあ! 痛い! めっちゃ絞まってるて!」
「お凪! 誤解だ! このおばちゃんは浜で牡蠣を探していただけだ。だから、私が育ててた牡蠣を分けてあげようかとね」
「また貝? でもまあ、現世からの迷い人を勝手に殺しちゃあ、妖怪大王様に叱られるわね。……いいわ、放したげる」
「はあ、びっくりしたわ。中身が全部出るか思った。……お凪さん、大丈夫やで。私、旦那おるし、遠州さんに手を出したりとかせえへんよ」
「ふうん。ほんとに? ま、いいわ。嘘だったら絞め殺すから」
「「「ヘビ女~! 遠州さんから離れろ~~~!!」」」
「小うるさい濡女子どもめ! またぐら濡らしやがって! そんなに濡れたいなら血塗れにしてやる!」
「「「きゃー!!」」」
「今のうちに逃げましょう。……牡蠣小屋があるのでそこへ」
「……あっ、こら待て! 浜松遠州!」
「「「やーい! ヘビ女! 男に逃げられてやんの!!」」」
「なんだとこらー!」
# # # #
# # # #
「はあ。驚いた。遠州さん、お凪さんに何かしはったん? めっちゃ怒っとったやん」
「はい、しました」
「したんかい」
「……といっても、したのは“約束”です。それも私とお凪が小さな頃。ずいぶんと昔の話ですが……」
「ははあ。大体読めたで。結婚の約束したとかやろ」
「ズバリでございます」
「ほおん。若いってええなあ……。遠州さんどこ行きはるん?」
「ちょっと牡蠣をとってきます。せっかくなんで、おいしい食べ方をいくつか伝授しますよ」
「おおきに。せやけど、おばちゃんどっちかと言うと、遠州さんとお凪さんの話の方が気になるんやけどな」
「ははっ。おっしゃると思いました。良いですよ。焼きながらでもお聞かせいたしましょう」
金網の上に置かれた牡蠣、“わいどしょー”好きなおばちゃんに目をつけられた遠州さんでございます。
「シンプルに焼き牡蠣か。ええなあ」
「すだちがあればいいんですが、もう季節は過ぎてしまって手に入らないのが残念です」
「こっちの土鍋はなんなん? お鍋料理?」
「酒蒸しですね。酒蒸しなら牡蠣よりもツビがお勧めなんですが」
「ツビ?」
「巻貝ですね」
「ほら貝とかああいうやつか」
「そんな大きいものじゃないですが」
「ああいうのはさすがに食べられへんか」
「貝は大抵食べられますよ。ものによっては毒がありますが、毒を持った器官を上手く除けば食べられます。可食部が少なかったり、手間がかかるから嫌がられるものも多いというだけです」
「ほーん。詳しいんやなあ」
「私は貝が大好きで、幼い頃からあれこれと調理したり飼育したりしてましたから」
「マニアックやな。せや、幼い頃といえば、お凪さんとの話」
「はいはい。やはり、見逃していただけませんね。……といっても、本当にそれだけの話なんですけどね。私とお凪は物心つく前から一緒に遊んでおりました。素潜りをしてサザエを獲ったり、どちらが岩から牡蠣を上手にはがせるか競走したり、ほら貝の稽古を一緒にしたり……」
「貝の話ばっかやな。あっ、牡蠣が開いたで。もういけるんとちゃう?」
「焼き貝が開くのは単に貝柱に火が通ったからというだけで、身の方もそうだとは限りませんよ。ほら、こちらの貝は大きいですから、もう少しよく火を通さないといけません」
「あー、牡蠣やとノロウィルスとか怖いもんなあ」
「のろうぃるす?」
「牡蠣の毒みたいなもんのことや」
「そうですか。牡蠣の毒は牡蠣が大きく育つと強くなりやすいですね。栄養が良くいきわたると、大きく育ちますが、その分毒も強くなります」
「栄養多いとウィルスにもええってことか」
「生牡蠣も乙なものなんですが、牡蠣養殖はまだはじめたばかりで確かめていませんから、この場ではちょっと止しておきましょう。……まあ、話を戻しますと、お凪はよく冗談で『大きくなったら私のところへ嫁へ来る』と言っていました。その時、確かに私は良い返事をしましたが、子供のよくある冗談だと思ってすっかり忘れていたのです……」
「覚えとったってことか。逃げてるってことは、今はもうそういう気はないん? 誰か他に良い人が居るん?」
「特にいませんが、今の私は貝一筋なんです。牡蠣に限った話ではありません、貝はみんな好きです。アサリ、シジミ、サザエ、アワビ、マテ貝にフジツボ……」
「また貝の話」
「貝殻を見れば種類がひと目でわかります。旬も、毒があるかどうかも、おすすめの調理法もね。なんなら、目で見なくとも貝殻同士が当たる音で当てて見せることもできますよ」
「ああそう……。せやけどそれやったら別に付き合うくらいええんとちゃうん?」
「お凪はどうも貝があまり好きではないようで。私の新しい生業が気に入らないみたいなんですよ。商売をしようと貝を売り歩こうとしても、どうやらあの子が私の貝についての悪評を流してるみたいでさっぱり売れません。昔からほら貝を吹くのは上手だったんですが、そういったホラを吹くのはあんまりです。彼女がほら貝を吹いて、私が貝の殻を叩き合わせて音楽を楽しんだりもしたというのに。ふたりの幼い頃の思い出には、常に貝があったと言っても過言ではないはずなのにどうして気に入らないのでしょうか……」
「逆にそのせいやないかな、遠州さんイケメンやけど、ちょっと変やな……」
「昔は平気だったんですがね。私が現世へ生業へ出るようになる前あたりからでしょうか、私が貝を愛でていると怒るようになったのは。私は浪小僧ではありますが、現世に生業に出ようと思ったころには既に小僧という歳でもなくて、本当は貝についての学者にでもなろうかと考えたんですよ。貝を触れれば私はそれで幸せですから。でもお凪には当時もずいぶんと邪魔をされましてね。それで嫌気がさして仕方なく現世に……」
「お凪さんもようやく変やって気付いたんやろなあ……」
「せめて一緒に養殖でもしてくれれば、昔のように仲良くなれると思うのに」
昔話を聞かせてもらいながら、おばちゃんは美味しい牡蠣をたくさんいただきました。焼き牡蠣、蒸し牡蠣、野菜との煮込み。わたくしもご一緒したかったほどでございます。
そしてお食事も終わり、遠州さんはお土産用の牡蠣をとってくると席を立ったのですが……。
「お凪! なんてことを! やめるんだ!」
「なんやなんや、どうしたん? 大きな声出して!」
「お凪が養殖場を荒らして回ってるんです! どうしてこんな酷いことを!」
「あはは! このくそ牡蠣どもめ! あたしと遠州の仲を邪魔する貝はみんな潰してやる!」
大蛇のようになったお凪さんは養殖場の牡蠣を、次々と尻尾でばりーんがちゃーんと叩き割っております。
「まとめて丸のみにしてやる! バリバリ……。うーん、おいしいところがまた憎たらしい!」
「ああ、お凪! やめるんだ!」
「何度でも邪魔してやるよ! あたしはずっと待っていたんだ。同じガキを育てるならあたしとの子を育てればいいのに! 本当気に入らない! でも、これで牡蠣の養殖はおしまい! また来るわよ、浜松遠州!」
「あっ、お凪さん! ……砂浜ににょろにょろと潜って行ったわ。嫉妬深いし、ほんまヘビみたいな人やなあ……」
「はあ……。あの子はまた私の邪魔をして」
遠州さんは悲しそうに割れた牡蠣の殻を見つめてため息をつきました。
# # # #
# # # #
「はー。なんかスッキリせんけど、残った牡蠣を全部お土産にもろたしええか。遠州さん大丈夫やろか。また他の生業を探すって言ってはったけど、多分また貝絡みにしはるんやろな。まあええわ、遅なる前に帰ろ。……あら、あそこに居はるのはお凪さんやろか? やけにゆっくり歩いてはるな。ヘビにならんかったらあんな別嬪さんやのに。帰る前に一応あいさつしとこか。その方が安心しはるやろ」
「お凪さん」
「ああ……人間のおばさん。帰るんですか?」
「せや、帰るで。おばちゃんは別にふたりの仲の邪魔する気はないで。牡蠣ももろたから満足や」
「牡蠣は全部持って行ってちょうだいね。そうすれば、あの人は……」
「また違う貝に浮気するやろなあ……」
「……でしょうね! まあ、その時はまた邪魔してやります。それじゃ、おばさん、お達者で」
「はい、お達者で。……落ち着いてると丁寧な子やね。しかし、ほんまゆっくり歩いていかはるな。ずいぶんゆっくりと……。何やお腹押さえてはるし……。ノロノロと……。あっ、倒れはった! ちょっと! お凪さん! しっかりし!」
「……ううっ、おばさん。大丈夫ですよ。ちょっと無理をしたら気分が悪くなって。……見てくださいこの脚。牡蠣を叩き割った時に切ってしまったの。遠州なら貝の殻が危ないってことくらい分るでしょうに。それでも心配してくれない……」
「お凪さん、強がったってあかんで。脚が痛いだけちゃうやろ。お腹痛かったり、吐き気があったりせんか?」
「……します。どうしてそれを? さっきから気持ちが悪くって……はっ、もしや! あまりに遠州の事を思い過ぎて、ひとりでに身籠ってしまったのかしら!?」
「あほか。ノロウイルスや。……まあ、言うたら牡蠣の毒みたいなもん。多分、こっから先めっちゃ気持ち悪くなって、お腹の中のもん全部でてまうで」
「そんな! あたしと遠州の愛の結晶が!」
「だから、ちゃうって!」
さて、牡蠣の毒にあたってしまったお凪さん。おばちゃんの予見通りに、この後げろげろびちびちと繰り返すようになってしまいます。
本来ならば、“のろうぃるす”の患者に直接触れるのは望ましくない行為でございますが、ここは昔の現世でございます。“ますく”も手袋もございません。当然、消毒する手立てもここでは海水ぐらいしかございませんが、海のものにも感染する“のろうぃるす”が海水で死ぬわけもございません。
おばちゃんは感染してしまう危険性に気付きながらも、遠州さんに助けを求めてお凪さんを担いで行きました。
「遠州さん! 遠州さん! 大変やで!」
「おや、どうしたんですか、ご婦人」
「お凪さんが倒れはった! 吐き気と腹痛や。あと、足も怪我してはる」
「吐き気と腹痛。……そんな。私は手を出していないのに。まさか私が寝ている間に……?」
「何言うとるん。さっき牡蠣を生でいっとったやん。ノロ……ああ、めんどいわ。牡蠣の毒やないの? 診たげてや!」
「牡蠣の毒!? ……そういえばそうです。お凪は牡蠣をそのまま食べていました。きっと毒にあたったに違いない。……ですが、牡蠣の毒に効く薬なんてありません。これは困ったことになった。……とりあえず、そこへ寝かせて……飲み水に一つまみ塩を入れたものを飲ませて……出したものは海へ流さず、波にさらわれないように深い所へ埋めましょう……それと、砂ぼこりに毒が混じりますので吸わないように水を撒いておいてください」
食中毒の患者の世話という訳ですから、する方もされる方もとても辛いものでございます。
それでも遠州さんは淡々と仕事をこなしていきます。
お凪さんは意識があるのかないのか、吐いたり下したりしながら一晩中うんうんうなされ続けます。
結局、おばちゃんもお凪さんの看病のために浜へ泊まり込むことになってしまいました。
「あー。海の向こうから朝日が昇って来とる。ええ景色やなあ」
「波も穏やかです。凪ですね。お凪の方も落ち着いて来ました。峠は越えたみたいです」
「そっか。そら良かったわ」
「ご婦人は身体の調子が悪い等はありませんか? 牡蠣の毒は人にうつりますから」
「私は大丈夫みたいやわ。眠たいぐらいや。遠州さんの方は平気? ずっとつきっきりやったやん?」
「大丈夫です。貝の砂抜きと同じです。私にとってお凪は貝みたいなものですね。昔からお互いに何かあった時はこうやって世話をしあったものです。……懐かしいなあ」
「はは。遠州さんらしいわ。……はあーあ。あくびが止まらん。これから歩いて帰るのはちょっと面倒やわ」
「今にも眠ってしまいそうですね。すみません、うちのお凪が迷惑をかけて」
「ふーん?」
「……どうしました?」
「いや、何にも。まあええよ。困った時はお互い様や。牡蠣もぎょうさんもろたしね。あんまり遅くなると爺ちゃんたちに心配かけるから、おばちゃんはそろそろ帰るわ」
「はい。本当にありがとうございました。あなたが見つけてくれなかったら、お凪はほったらかしになっていたでしょう。本当はもっとちゃんとお礼がしたいのですが……」
「ええよ。お凪さんの傍に居たげ」
「おばさん……」
「あら、お凪さん。起きはったの」
「ずっと起きてはいたのですが、口を開くと辛くって……」
「お凪、まだ寝てなきゃいけないよ」
「でもあたし、おばさんにお礼をしなくっちゃ」
そう言うとお凪さんはどこからともなくほら貝を取り出し、ぼわーっと吹きました。
朝の静かな浜辺に響くほら貝の音、それに呼応するかのように、遠くから波がひとつ押し寄せます。
……すると驚きでございます。海の底から一匹の長ーい龍が現れました。
「なーぎー。呼んだかー?」
「わっ、でっかい龍。驚いた」
「あれは……お凪のお父さんですね。私も久しぶりに見ました」
「お父さーん! この方を寺子屋の方まで運んでさしあげて欲しいの! あたしの恩人なの!」
「おー、そーうーかー。いーいーぞー。さあ、のーれー」
「龍にまたがることになるなんて、思いもせんかったなあ。……どっこいしょ。……これででんでん太鼓もあったらばっちりやな」
おばちゃんは龍にまたがり、空へと駆け昇って行きます。ちょいと下を見ますと、小屋の傍で遠州さんとお凪さんが手を振っているのが見えました。
「あの子らちょっと仲良うなった気がするな。上手いこと行くとええけど……」
「お凪と遠州はんは、昔っからああやって離れたりくっ付いたりをしてますからなあ」
「わ、驚いた。お父さん普通に喋らはるんやね」
「ええ。普通に喋れます。この度は娘が世話になりもうした」
「お父さんが龍ってことは、お凪さんもヘビじゃなくて龍なんか。龍神様か何か?」
「まさか! 神様みたいにありがたいものではないです。わしは出世螺言いまして、元はほら貝の経立です。母親の方も蛤女房なんで、お凪は貝と貝の子なんですよ。わしの血筋が半端に出ててヘビみたいになってるのはちょっと申し訳ねえですが……。遠州はんにはお凪が小さい頃からよう構ってもらってまして。遠州はんは男前ですし、優しい人ですから、女子にようもてなさる。お凪が好いとるのはわしもようく知っとりますが、最近は迷惑かけてばかりいるようで……。親としてはいい加減落ち着いて欲しいんで、そろそろ諦めて見合いのひとつでもしてくれればええなあと」
「あらそうなん。……あはは。お父さん、それやったらなんも心配いらんで」
「なんで笑うんですか。こっちは真剣に悩んでるのに」
「まあまあ。お見合いはもうちょい待ったりや。お凪さんが貝ならなんも心配ないわ」
「……何言うてるのか分からんのですが。……おし、着きましたよ」
「送ってくれておおきに。ふたりにもよろしく言うといてください」
「あい。では」
天に向かって登って行く龍を眺めながら、おばちゃんはあくびをひとつします。
「ま、あのふたりなら大丈夫やろ。遠州さん、ずいぶんと貝々しく世話しとったしな」
それから程なくして、おばちゃんの元に遠州さんとお凪さんの祝言の便りがきたそうです。
# # # #
# # # #