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2-皿屋敷(1/2)

 そんなこんなで妖怪寺子屋(ようかいてらこや)のお手伝いをすることになった紫のおばちゃんですが、彼女はなかなかの肝っ玉の持ち主のようで、妖怪変化や魑魅魍魎の跋扈する小屋や長屋を平気で出入りなさっているようです。

 寺子屋では朝の涼しいうちに集まって授業をして、お昼時にはさようならするのが習わしです。

 お勉強の中身は現世(うつしよ)の人々の暮らしについてが主です。

 わたくしたち妖怪は、人間を襲ったり驚かせたりしなくてはいけないので、相手の暮らしをよおく知っておかねばなりません。

 脅かす手段については、各々の家で定められた(すべ)をとるものや、自分で編み出した術をとるものなどいろいろでございます。

 こちらの方の鍛錬は、寺子屋が終わってからが本番。熱心に変化(へんげ)の特訓をしたり、妖怪たち同士でばかし合ったりするのですね。

 さて、ただいまの時間は日の傾き始めた頃でございます。お仕事を手際よく済ませたおばちゃんは、長屋の外をぶらぶらと散歩しておりました。

「やあ、おばちゃんこんにちは。こっちでの暮らしには慣れたかい?」

 表をぶらぶらしていたおばちゃんに話しかけたのは、河童(かっぱ)の寅次郎。

「寅さん、こんにちは。最初は驚いたけど、もう慣れたわ。仕事の方も、うちでやっとることと、そう変わらんし」

 おばちゃんのお仕事といったら、掃除に洗濯、食事の支度に、壊れた箇所の修理などのちょっとした大工仕事になります。

 長屋は大所帯ではありますが、着物を着ていない妖怪には洗濯が必要ありませんし、食事もめいめいが勝手に獲って食べたり、そもそも飢え死にしないような者もありますから、手の空く時間もたっぷりとございます。

 もひとつ申しあげますと、元々の大家の百々爺(ももんじい)さんはろくすっぽ仕事をしないで人を顎で使って遊んでばかりでしたので、わたくしたち妖怪はおばちゃんに対して良い“いめえじ”しか持たない訳でございますね。

「それよか退屈なのがあかんわ。暇つぶしに散歩しとるけど、今日はよう日が照ってて、歩くと汗ばんでかなわんわ」

「秋の癖にこう暑くっちゃ、頭のお皿も乾いちまいますよ」

「ほんなら、桶の水ちょっと分けたるわ」

 おばちゃんはそばにあった桶からひしゃくで水をすくうと、寅さんの頭のお皿を濡らしてやります。

「はあ、良い気持ちだねえ」

「私も、涼しくなりたいわ。せやけど、頭から水被るわけにもいかんし」

 おばちゃんは紫色のふわっとした頭を撫でます。

「よし、それじゃおばちゃん。ちょいと誰か妖怪の稽古を見物していくといいよ。肝が冷えて涼しくなること請け合いだ。皿の水の礼代わりに俺が案内してやるよ」

 寅さんは頭のお皿をぴしゃりとやりました。


# # # #

 # # # #


 さて、みな様方はこういった怪談をご存じでしょうか。

 ……それはそれは立派なお屋敷に“お菊”という下女がございました。

 お菊さんは甲斐甲斐しく奉公していたのですが、ある時つるりと手が滑ってしまい、ご主人の大切にしていたお皿の十枚のうちのひとつを割ってしまいます。

 これを奥方が見つけ、きつくお叱りになりました。ですが、ご主人はそれでは手ぬるいと、お皿の代わりにお菊さんの右手の中指を切り落としてしまうのです。その上、部屋に閉じ込めて手打ちにしてやると脅しつけます。

 お菊さんはあんまり悔しくって悲しいものですから、縄で縛られたまま逃げ出し、お屋敷にあった古井戸に身を投げてしまいました。

 それからというもの、お屋敷では気味の悪い事が次々と起こり始めます。

 井戸の底からすすり泣きが聞こえたり、奥方の産んだ子供の右手に中指が無かったり、台所でお皿がひとりでに割れたり……。

 とうとう、井戸の傍でお皿を数えるお菊さんの幽霊を見たというものまで現れまして……。

 いくら大きなお屋敷のご主人とは言え、下女を追い詰めて死なせてしまったとあれば、お咎めから逃れることはできません。噂が公儀の耳に入ると、罰として財産をすっかり取り上げられてしまいました。

 しかし、屋敷の持ち主が変わりましても、お菊さんの怨みが晴れる訳ではございませんから、怪異は続きました。

 後に住む者はみんな気味悪がって逃げてしまいます。そのうちに立派なお屋敷は取り壊されて、今はもう古井戸だけになってしまいました。

 そして、その古井戸からは今も、夜な夜な悲し気な声が聞こえてくるそうです。

「いちま~い、にま~い、さんま~い……はちま~い、きゅうま~い……」


「一枚足りなぁ~~い!!」


 ……と。はい、こちら有名な皿屋敷の怪談話でございました。

 これに類するお話は、様々な時代や場所にございまして、どれに登場する幽霊もわたくしたち妖怪の仲間にございます。

 実は、最初のお菊さんだけが本物の幽霊で、彼女が成仏したのちは、似たような仕打ちを受けて苦しむ方々の霊を慰めるために、人々を驚かすことを生業にした妖怪が全国各地で代役を務めているのでございます。

 こちら妖怪寺子屋にも、見習いの皿屋敷の幽霊の方がいらっしゃりまして、本日も絶賛修行中にございます。

 そこへ紫のおばちゃんと河童の寅次郎がやってまいりました。

「やあやあ、やってるかいお菊ちゃん」

「あら、寅さんにおばちゃん。どうしたの?」

 長屋の裏手でお皿を数えている着物姿の若い娘さん。お菊さんです。

「いや、ちょっとね。お菊ちゃんの稽古に付き合いがてら、おばちゃんを涼しくしてやろうと思ってね」

「なんや驚かせてくれはるんやろ? 楽しみやわあ」

「まあ。それはありがとう……」

 にこにこするふたりをよそに、お菊さんの表情はすぐれません。まるで死人の様でございます。

「……お菊ちゃん、どないしたん? なんや浮かない顔しとるけど」

「おばちゃん、私ね、お稽古が上手くいかないの。どうしても上手に脅かせる自信がつかなくって」

「お菊ちゃんの生業は、お皿を数えるやつだろう? そんなにむつかしいものなのかい?」

「私、数を数えるのが苦手で。数えているときにふいと他のことがよぎると、すぐに分からなくなっちゃうの」

「そりゃいけねえや。もっと気を入れなくっちゃ。井戸に身を投げたいきさつが数え間違いだったら締まりがないからね。よし、それじゃ俺がちょいと数えるのを手伝ってやるよ」

「お菊ちゃんが数えなきゃ意味無いやろ」

「へっ、この河童の寅次郎。河原じゃ色男で通ってるんだ。別嬪な女が困ってるのを放っておけるわけがあるめえ」

「まあ、別嬪だなんて。それじゃ、数えてもらおうかしら」

 お菊さんの頬に赤みが差しました。

「お菊ちゃんも。自分で数えなしゃあないやろ。……それやったら、私らが練習に付きおうたるよ。な、寅さん。そうしよ?」

「あたぼうよ。それじゃお菊ちゃん、さっそく始めようか」

「はい。ありがとうございます。……じゃあ、おふたりはここを通りがかってください。そしたら私、お皿を数えますから」

 お菊さんに言われてふたりは長屋の角を曲がり、裏手へと入り直します。ひんやりとした冷たい風がふたりの間を吹き抜けました。

「ええなあ。涼しい風や」

「今度はちょっと寒すぎるぜ。なんだか幽霊でも出て来そうな……」

 ふたりが風について話していると、木陰から何やらぼそぼそと声が聞こえてまいります。

「いちま~い……にま~い……さんま~い……」

「おや。おばちゃん、何か聞こえてこないかい?」

「ほんまや、誰かの声やな」

「よんま~い……ごま~い……」

 木の下で顔色の悪い女の人がお皿の枚数を数えているようです。

「なにか数を数えているようだね」

「なんや、ゆっくり数えてはるなあ。日が暮れそうやわ」

「ほんと、カラスがかあかあ言ってるよ。おばちゃん、今何時だい?」

「さあ。時計もってへんしな。六時くらいやろか?」

「ななま~い……はちま~い……きゅうま~~~い」

 数を数える声が途切れます。


「じゅうま~い……あら?」


「あら? じゃないよ、お菊ちゃん。数え間違ってるじゃないかい。足りてたら成仏しちゃうよ」

「それは困るわ。おばちゃんが六って言ったものだから、ついつい六を飛ばしてしまって」

「そば屋みたいな話だね。それなら今度は俺は黙っておくよ」

「私も、お菊ちゃんを助けたるわね」

 それではもう一度やり直しでございます。


 木陰から何やら声が聞こえてまいります。

「いちま~い……」

 ふたりはお菊さんが数え間違わないように静かに耳を澄ませてやります。

「……はちま~い……きゅうま~い……」


 お皿を数え終わったお菊さんはしばらく黙った後、急にこちらを向いて……。

「いちまいたりな~~い!!」

 苦痛に満たされた若い下女の顔。ああ、何て悲しい表情でしょう。わたくし、語り部ながら身震いが止まりません。

「よっしゃ、私がいちまいおまけしたるわ。行ったり寅さん!」

「へへっ、河童のお皿で十枚目!」

「やったあ。じゅうま~い! ……っておばちゃん!」

「そんな怖い顔せえへんでも。ちょっとしたお茶目やん」

「これじゃ私、成仏しちゃいますよ!」

「なんまいだ~」

「なんまいだ~じゃないです!」

「なんだかなあ。まだ夜でもねえし、ここはここで幽霊の出そうな様子の場所でもねえしな。雰囲気が悪いんだよ、雰囲気が。お菊ちゃんは、皿屋敷の幽霊なんだろう? それならちゃんと古井戸でやったほうが良いんじゃないかい?」

「それが、この辺に古井戸がないんですよ」

「そうかい。それにしたってもっと湿っぽくやらなきゃな。井戸がなくとも、水場ならちったあましだろう。川にでも行こうや」

「川はだめなんですよ。あまり他の方が通らなくって。お稽古にならないんです」

「大丈夫。俺がちょいと河童仲間を集めてきてやるから俺んちに来なよ。なんなら稽古なんてほっぽって、いっしょに一杯……」


――ぱちん!


「痛え! なんだいおばちゃん。頭の皿を叩くんじゃねえよ」

「いや、なんかやらしいわ」

「ちぇっ、おばちゃんはお見通しか。さすが年の功の亀の甲。まあ、俺の河原はここからじゃちと遠いしな。どこか他所を当たるとして……うーん、長屋で使ってる井戸もおしゃべり連中が居座ってて、稽古には不向きだ。そこそこ人通りがある水場といえば……」


――ぱちん!


「わあ! 急に手を打つんじゃないよ、おばちゃん! またぶたれたかと思った。……一体、どうしたんだい?」

「私、ええとこ知ってるわ。着いといで」


 おばちゃんが何やら“あいでぃあ”を思いつき、お菊さんと寅次郎を連れて歩き始めます。

 さてはて、彼らはどこへ向かうのでしょう?


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