12-座敷童(2/2)
さて、親切をして回ると見栄を切った百々爺さん。
親切をする相手を探して長屋の周りをぎらついた眼で見渡します。
「亀次郎、俺が座敷童のおめえに本物の親切ってもんを教えてやる。伊達に万年座敷に座ってないってところを見せてやろう」
「亀麿だよお爺ちゃん。名前間違えないでくれよ」
「……っとすまねえな。……おっ。さっそく獲物が見つかった」
親切する相手を捕まえて獲物とは何て言い草でございましょう。
「よう、豆腐小僧。こんにちは」
「あっ、おじいちゃんこんにちは。おばちゃんと亀麿ちゃんもこんにちは」
「こんにちは。今日もその笠が粋だねえ」
「急にどうしたの、おじいちゃん。今日はいやに“にやにや”しているね」
「“にやにや”じゃないよ。“にこにこ”だってんだ。……今日は“おあがり”しないのかい?」
「今日はお豆腐がまだ用意できてないの」
「できてないって、いつものお盆持ってるじゃねえか」
「うーん。これは酢豆腐っていって、ぬらりひょんさんから作り方を教わったんだけどね……」
「酢豆腐? 聞いたことないな。なんや変なにおいがするで」
「その酢豆腐とかいうの、是非食べてみたいねえ。俺は大家だからね。店子たちの親も同然だ。子供の生業の手伝いをするのも大事な役目。子供の方は子供の方で孝行するのが筋ってもんだ。了見がぴたりと合って一石二鳥。ここはひとつ、俺にその酢豆腐を“おあがり”しなよ」
「こ、これはやめといた方が良いよ」
「何言ってんだい。なめくじみたいにもたもたしやがって。いつもなら急にでてきて無理にでも豆腐を寄越すじゃねえか。ほら、さっさとしな!」
「ひえ! わ、分かったよう。……おあがり」
小僧さんは震えながら豆腐の乗ったお盆を差し出します。
「駄目駄目。おじいちゃん。顔が怖いよ。小僧さん泣いちゃってるだろう? それじゃ親切どころか、追い剥ぎも良いところだよ。げんこつを振り回すなんて駄目だって言ったろう?」
「……おっとすまないね。豆腐小僧ちゃん。それじゃあいただきます。うーん。ぬか床とはまた違った酸っぱいにおいだね。さすがは酢豆腐と言ったところだね。よおく見ると短い毛のようなものが生えてるね? 豆腐も冬に備えて暖かくしてるんだろうね」
「それカビちゃうやろか?」
「そんな訳ないだろう。俺がものを知らないと思っちゃ困るぜ。食べたことは無いが、聞いたことはある。酢豆腐といったら珍味だよ。本当ならここに燗の一本や二本用意して欲しいところだね」
「じゃあ早く食べなよ。小僧さんの手伝いをするんだろう?」
「お、おう。それじゃあ、いただきます。……うえっ!? なんだこれは?! てめえ、俺に毒を……」
「爺ちゃん、笑顔、笑顔やで」
「げんこつ、げんこつ」
「……酸っぱくて、口の中がびりびりしやがる。刺激的だねえ。あっ、目に、目に来るなあ。胃も喜んで踊っていやがる。中で蛙がぴょんぴょん跳ねてるみてえだね。井(胃)の中の蛙とはよく言ったもんだね」
「お、おいしい?」
「……にっこり」
「うわっ、酷い顔や。まるで妖怪みたいや」
「もともと妖怪だっての。……うっぷ。すまねえ、亀麿。俺はちょっと用事ができた。後はおばちゃんとやってくれ」
百々爺さんは口を蛙のように膨らませたり戻したりしながら、ひょこひょこと厠の方へ去って行きました。
その後は蛙の大合唱でございますが、これはまあ、みな様方に話して聞かせるものでもございませんでしょう。
「おじいちゃん、役に立たなかったね」
「せやなあ。あの豆腐、明らかに腐ってたもんなあ。まあ、爺ちゃん抜きでお稽古しよな」
「困ってる人居ないかなあ」
親切をするために困った人を探すというのも変な話ではございますが、失せ物と同じく、探せば探すほど見つからないというものです。
おばちゃんと亀麿は長屋の辺りをぐるりとひと回りしますが、これと言って困った妖怪は見当たりませんでした。
「うーん。思ったよりみんな出歩いとらんな。せっかくやし、河原まで足伸ばしてみよか」
「なんでもいいからお手伝いがしたいよ」
さて、ふたりが河原に足を運んでみますと、何やら大きな鉄鍋の上にこれまた大きな木桶を乗せたものがふたつ並んでおりました。
上は大水、下は大火事。桶になみなみと継がれた水を、火で焚いて煮たてており、白い湯気がぶわーっと立ち上っております。
それぞれの桶の中には、はげ頭と背に甲羅を持った妖怪、炎のようなとさかを持った雄鶏が入って、真っ赤な顔をしながら腕を組んでおります。
河童の寅次郎と波山の火焔赤百合ノ門左衛門でございます。
そしてふたりが浸かっているのがかの有名な五右衛門風呂。
「うわ、暑っつ! なんやこれ。ふたりとも何しとるん?」
「やあ、おばちゃん。今日は寒いね。寒すぎて風呂も雪解け水みたいだよ」
「よう、おばちゃん。まったく凍り付くようだぜ。しもやけでひりひりしてくらあ」
「ひりひり? 赤百合さんよ、そりゃ火傷じゃねえかい?」
「へっ、冗談言っちゃいけねえよ寅次郎。この程度でもうケッコウ、コケコッコウと音を上げる俺っちじゃねえよ。……おい、お桂。もっと熱くしてくれ」
「お桂ちゃん。俺の方ももっと火を強くしてくれ。これじゃ風邪ひいちまうよ」
「あんまり無茶は、せえへん方がええと思いますけど……」
どうやらふたりは五右衛門風呂に漬かって、我慢比べをしているようです。火の焚き付け役は雌鶏の経立、お桂さんが担当しております。
今日は舞妓ではなく、旅館の若女将といった出で立ちに化けて、竹筒で風呂の火をふーふーと吹いております。
「はあ、我慢比べやってんの。熱中症なるで。さっさとやめとき」
「おばちゃんのお言いる通りおす。おふたりともおくどさんにこげついてると、ゆで卵にならはります」
「現世の江戸じゃあ、熱い風呂に入って根性を験すのが流行ってるらしいじゃねえか。生っちろい人間にできて、俺たち幽世の者にできねえ筈がない」
「寅次郎の言う通りだ。人間だろうが妖怪だろうが鶏だろうが、男は男よ。なにもこの波山と寅次郎は互いに意地を張りあってるんじゃねえ。現世の男どもと勝負してるんだい」
「お桂ちゃん、もっと火を焚いてくれ」
「そうだ、お桂。もっとだもっと」
そう言いながらも、ふたりの顔は真っ赤になってしまっております。
「もういい加減にしときなはれ。おふたりに死なれでもしたらかなんどす」
「おいっ、お桂! こら、竹筒を捨てるんじゃねえ。手伝いを投げるたあ、どういう了見……おいっ、お桂! ……行っちまった。薄情な女だ」
「波山さん、お桂さんはあんたのこと大事に思ってるから止めはったのに、そんな言い草はあかんわ」
「ちぇっ、火が弱くなって来ちまったぜ。お湯もいい塩梅に……じゃなくてぬるくなっちまうね」
「まったく。なあ、おばちゃん……お桂の代わりに」
「私もやらへんで。つべこべ言っとらんと風呂からさっさとあがりや」
「根をあげなければ音もあげねえし、風呂からもあがらないね。同じあげるなら、天ぷらそばでもあがりたいところだぜ」
「いいねえ。ちょうど腹も減ってきたところだ。だけど惜しいね。そばを食いに行くにゃ風呂から出なきゃならねえ。だが、そいつは無理な相談ってもんよ」
「まったく残念だね」
秋の寒空の下です。火が弱くなってしまうと風呂の水も次第に冷えてまいります。そのうちにちょうど良い湯加減となりました。
「はあ、良かった……じゃねえ、困った。風呂がぬるくなっちまったなあ」
「まったくだぜ。これじゃあ江戸の人間にひよっこだと笑われちまう」
「ねえねえ、おふたりさん」
「お、なんだ? 下から声が……。おめえは座敷童の、えーっと」
「なんて言ったかな? 亀……亀……。出歯亀!」
「風呂覗きじゃないやい! 亀麿!」
「覗いてるじゃねえか。この助平め」
「河原であけっぴろげにやっておきながら覗きも何もあるもんかい。……ところでおふたりさん、今、困ってる?」
「ん? そうだな。風呂がぬるくて困ってら」
「まったくだね。自分たちで火を燃やそうにも、風呂からでなきゃならねえ。そうなると秋風で冷やされて凍えちまうだろうな」
「あたいがやったげようか?」
「……無理はしなくていいぜ。子供に火は危ねえからな」
「そうだ。竹筒も地べたに放ったから、ばっちくなっちまってる」
「あたいは大丈夫だよ。風呂焚きはいつもお手伝いして慣れっこだから。それより、おふたりさんが茹だって参ってしまわないか、心配だよ」
「せやで、もういい加減にしとき。ほら、桶に水汲んできたから、これ注いでぬるくしたるわ」
「よせよせ、水を差すようなまねを。女子供は男の粋ってもんをちっとも分かっちゃいねえな。俺は湯気で頭の皿がしっとりしてこんなにいい気分だってのに」
「俺もとさかがいい塩梅にすべすべになってきてら。……おめえも座敷童ならいちいち了解を取らないで、こう、できた女房みたいにすっと、仕事を済ませたらどうだい?」
「へへ。そう言うと思って、新しく薪をくべて風も送っておいたよ」
「うぇっ! そ、そいつは気が利いていいな」
「まったく達者な奴だ。下からぱちぱちと小気味の良い音が聞こえてくるぜ」
「あたいは座敷童だからね、ひとに親切にするのが生業なのさ。生業といえど、褒められると気分が良いもんだね。普通、座敷童っていうものは、こっそりと家主を手伝うものだけど、お礼が聞けるなら姿を見せてもいいもんだね」
「そういや、座敷童って姿見せへんよなあ」
「姿を見せちまったら丁稚と変わらねえ気もするが」
「丁稚といえば丁稚羊羹だな。お桂が食わせてくれたのが旨かったな」
「羊羹だなんて何涼しい事言ってやがんだい。そばはどうしたそばは」
「そばもまったく残念だ。あーあ。風呂からでられさえすればなあ」
「屋台を招くにも河原は車ががたがた揺れて汁がこぼれちまうだろうからな」
「よし! そんなら気が利くあたいが、そばを持って来てやるよ」
「じゃ、じゃあ頼むぜ。天ぷらそばふたつだ」
「そ、そうだな。俺っちがお勧めの店を教えてやるから、そこから持って来てくれ。あの山向こうの森の向こうの川の向こうの……」
「ばかに遠いなあ」
「子供の足には辛えかな。俺たちも鬼じゃねえ。無理なら無理って言ってくれてもいいんだぜ」
「そうだ。あんまり遠いからな。そばもすっかり冷めちまうだろうしな」
「大丈夫! あたい、足には自信があるんだ。それじゃ、ひとっ走り行ってくるよ!」
そう言って亀麿は山向こうの森の向こうの川の向こうの……そば屋さんに走っていきました。
「あんたら、ほんまあほやな。素直に断ったらええのに。亀ちゃん遠くまで使いにやって。私ももう知らんで」
「おう、気が利かねえおばちゃんはさっさと長屋に帰んな」
「おう、帰えってくれてケッコウよ」
「ああ、腹立つ。私は帰るからね。ほな、さいなら」
おばちゃんも怒って帰ってしまいました。
ふたりきりになった寅次郎と門左衛門は、どっちも見栄っ張りの意地っ張りですから、風呂が熱くってもあがろうとはしませんし、やめようとも言い出しません。
なにより、亀麿を使いにやってしまったものですから、帰ってくるまで待たなければいけません。
秋風が吹き込み真っ赤になった薪が鉄鍋を焼き、木桶のお湯がぐらぐらと煮えます。
陽がとっぷり沈んでから、亀麿がやっとのことで戻ってまいりました。
「遅くなってごめんなさい。器だとふたつは運べないから、冷たいざるにして重箱に入れてもらったんだ。……でもふたりとも無理はいけないよ。この冷たいそばを食べて、お開きにしなよ」
亀麿はそばの重を差し出しますが、返事がありません。ふたりとも木桶に顎を乗せて舌を出しております。
「ありゃ! ふたりとも、すっかり伸びちゃった!」
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