10-百々爺(2/2)
店賃の回収を終えたおばちゃんが、寅さんと一緒に大家さんの家に戻ってまいりました。
大家の百々爺さんは何やら座敷の上を落ち着かない様子でうろうろしております。
「爺ちゃんただいま~」
「おう、おばちゃんおかえり。……って何だい? 河童なんて連れて来て」
「河童だなんて連れねえ呼び方しねえでくだせえよ。俺ですよ、河童の寅次郎ですよ」
「そりゃ知ってるが。あ、さては長屋の部屋を借りたいってんだな? 部屋ならいくらでも空いてるぜ。店賃は先払いで頼むよ」
「いやあ、結構ですね。俺は川の中じゃねえと」
「なんだ。じゃあ何しに来たんだ? ……まあいいや。ところで、おばちゃん。店賃はしっかり回収できたのかい?」
「いやね、それがみんな、銭で払うのはつらいって言うてはってな。尼天狗の白蓮さんから3両集めてこれただけやねんな」
そう言って、おばちゃんは百々爺さんに小判を渡します。
「……おう、きんきらきんが3枚か。うーん……もうひと声。もうちょっと集まらねえかなあ」
「なあ、爺さん。なんでまた店賃を銭で集めてるんだ? いつもなら、何か用をこなすとか、野菜の差し入れだとかで良かったよな?」
「そうだったかな?」
「とぼけてやがる」
「爺ちゃん、なんかお金が要ることあるん? 湯治に行くん?」
「えーっと……おっ、そうそう湯治だ。湯治の路銀だ。現世の浅草に行こうと思ってな」
「爺さん。ますます怪しいですぜ。目が白黒してら。俺たちが来た時には、腰もしゃんとして、そわそわと部屋中を歩いてたじゃねえですか。湯治って様相でもないですぜ」
「どきり。……おばちゃんがちゃんと取り立てれてるかなって心配だったんだ。ほら、中には凶悪な妖怪もいるかもしれねえしな?」
「さっきと言っとることちゃうねんけど」
「誰か他の人を待ってたとかじゃないですかい?」
「どきり。……そんな訳ねえだろ」
「はあ、誰か訪ねてくるん?」
「さては“これ”ですね?」
「違え違え。違えよ。……寅次郎。おめえ、水かきの手でも器用に小指を立てられるんだな」
「たまに水かきが裂けます」
「だったらやめとけ。今から訪ねてくるのは女でもなんでもねえ。じじいの妖怪だよ。ちょっと茶の湯の約束をしてんだ」
「なんだ茶ですか。一杯やるんだったらお呼ばれしたかったのに」
「残念だったな。そういう訳で、今日のところはけえってくれ。また今度一杯やろうや」
「へえへえ。……それじゃ、おばちゃん。行こうぜ」
「え? 聞かへんでいいの? 絶対怪しいやん? ……ちょっと引っ張らんといてや」
「……多分、これから訪ねてくるじじいってのが今度の話に関係してるぜ。波山の言ってたぬらりひょんかもしれねえ。外へ出て、壁にちょいと耳を……」
「はああ。なるほど。おもろそうやな」
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ふたりは大家さんの家の陰で訪ねてくる人をこっそりと待ちます。
「一体どんな妖怪が訪ねてくるんやろか。やっぱりさっき言っとったぬらひりょんやろかね」
「さあねえ。じじいの妖怪ってのはずいぶん多いからね。ぬらりひょんとも限らねえ。……これだけは言える」
「なになに?」
「家に入るくらいの大きさだ」
「そらそうやろ。そんな大きな爺さんが……おるかもしれんな。妖怪やし」
「そして……口がついてる」
「せやな。茶も飲めへんし、喋られへんもんな……」
「いやまあ、のっぺらぼうでも口を利くぜ。あとはー……手や足が生えてるんじゃねえかな」
「ほんま名推理やなあ……」
「おっ。しょうもねえこと言ってるうちに誰か来たぜ」
ふたりは息を潜めます。大家さんの家の向かいの、ながーい長屋のそのまた向こうから、少し頭の大きな老人がひょこひょこと歩いてきました。
「なんて妖怪やろか。ただのお爺さんにしか見えへんけど」
「やっぱり、“ぬらりひょん”だな。どうだい、口も手足もちゃんとあるだろ」
「はあ。名前だけは聞いたことあるわ。どんな妖怪なん?」
「ぬらりとしてひょん、だな」
「なんやそれ」
「掴みどころがねえってことだ。……つまりはよく分からない。玄人妖怪だ、寺子屋には通ってねえ」
「しょうもな。まあ寺子屋に通ってないならしゃあないか」
「一応近所に住んでるみたいだけどね。姿はたまに見るよ。あっ……他にももうひとり来たぞ」
「豆腐小僧さんやな」
老人の妖怪の前に豆腐小僧さんがやって来ました。
「おじいちゃん。こんにちは」
「はい、こんにちは。今日もいい天気だねえ」
「うん。いい天気。こんな天気のいい日は……」
小僧さんは手に持ったざるを、ぬらりひょんに差し出します。
「お豆腐、おあがり」
「坊ちゃん、豆腐と言えば“酢豆腐”って知ってるかい?」
「うーん。知らない。どんなお豆腐?」
「舶来ものの食べ物でね。豆腐を暖かい所に2、3日置いとくとできるんだ。酸っぱくて、酒のつまみに持ってこいなんだよ」
「へえ。知らなかった。今度作ってみようっと」
「うん、そうするといいよ。それじゃあね」
「おじいちゃん。さようなら」
「小僧さん、豆腐渡しそこなっとるわ」
「うまい事煙に巻いたな」
「あっ、また誰か来たわ」
「やあやあどうもぬらりひょんさん。良いお天気ですねえ」
「はい、仔だぬきのお嬢ちゃん。いい天気だねえ」
「ちょっとお伺いいたしますが、この辺で白い狐の子を見かけませんでしたか?」
「おお、見たよ。ついさっきここを通って、豆腐小僧んとこ行った」
「豆腐小僧さん? あっ! さては油揚げねだりに行ったな」
「きつねうどんをこしらえるって言ってたよ。“うどんはやっぱり伊勢に限るのう”って」
「ええっ?! けえねちゃんがそんなことを。ひどい。この前は讃岐のうどんを褒めてたのに」
「小僧も一緒になって、“讃岐は手抜きだ、こしがあればいいと思ってる。伊勢うどんは柔らかいがあそこまでいくとかえって威勢が良くって乙だね”って笑っとった」
「もー! けえねちゃんの奴、さいあがりじょって! 小僧さんも小僧さんで讃岐のねんご、ほーけにしよって、とつけもなくせかれたね! 讃岐のおじょも根性みせちゃる!!」
「あらら、マメちゃんめっちゃ怒って行ってもうた……けえねちゃんなんて通らんかったよね?」
「見てねえな。大体小僧ともすれ違ったばかりじゃねえか。あのじじいもほら吹きか。いけ好かねえなあ」
「ひょっひょっひょ」
ぬらりひょんはひとりで妖しく笑っております……!
えー、それから跳ねるように大家さんの家の前まで来まして。辺りをきょろきょろと窺いますと、声も掛けずに扉を少しだけ開けて、その隙間からぬるりと中に入ってしまいました。
「気色の悪いじじいだな。河童よりもぬめってら」
「私らのことには気づかんかったみたいやね」
ふたりが壁に耳をあてますと、中から老人たちの話す声が聞こえてまいります。
――よう、百々爺。最近腰の調子はどうだい? 今晩は出られそうかい?
――おう、腰はばっちりよ。
――そうかい。そいつは良かった。おめえに付き合って按摩さん相手に一晩明かすなんてことになったら、目も当てられないからね。
――へっへ。こっちではきっちり役者してごろ寝ばっかしてるからね。養生の方は抜かりないよ。
「なんや、爺ちゃんやっぱり腰治っとったんやな」
「普通に歩いてたもんな」
――仕事の方はしなくてもいいのか? 長屋だと左団扇かい?
――仕事の方はよ。ほら、この前話したろ? 最近、現世の方から人間のばばあが降って来たって。
「ばばあ」
「おばちゃん、堪えて」
――ああ、あの紫の髪をしてるっていう人間かい?
――そうそう。あいつに任せてるからね。
――この歳になって大年増女を呼び込むたあ、百々爺さんもやるね。ウナギでも食いに行くかい?
――ばか言え。俺は若いのがいいぜ。
――ひょっひょひょ。そういや紫といえば、先に行った吉原の紫太夫ちゃんがなかなか。
――この前は朝霧ちゃんがいちばんだって言ってなかったか?
――何をまじめぶって。嫌だね。これは遊びだぜ。わしらはしっかり銭を払ってるじゃないか。売った買ったの一晩ぽっきり綺麗な関係よ。これが若い男と女だと、親がどうだの川に入るだの、どうも湿っぽくていけないね。ま、それでも「じいちゃん帰らんとって」と泣きつかれるのは悪かねえがね。
――そうかね。俺は女を泣かせるのは好かねえな……。
――ははあ。百々爺さんあんた、この前の秋ちゃんに入れ込んでるね? いっつもあの子呼びつけてるもんね。
――へっ、入れ込んでるのは俺の方だけじゃねえよ。秋ちゃんもすっかり俺にべた惚れ。ありゃ、商売気なんかじゃないね。ほれ、見てみな。これがその印。
――ははっ、起請文と来たか。やめときなさいって。遊女のそれは信用なんないよ。金をむしられるのが落ちだよ。
起請文とは愛の誓い立てを書き記した文書のこと。
どうやら百々爺さんは、遊女さんに入れ込んでしまってる様でございます。
「ホスト狂いみたいな話やな」
「なんだい? ほーほけきょ?」
「ホスト狂いや。まあ、おばちゃんの世界にも似たようなのがあるってことやな」
「女を金で買うなんざいけないね。そういうのは情が籠ってないと。でも、生業にするくらいだから、よほどのもんなのかね?」
「なんや、寅さんも興味あるん?」
「んー、無くも無いが。どっちかってえと、俺はさっきの尼天狗の方が気になるかなあ」
「あれこそ人をばかしそうなもんやけど」
「ここは妖怪寺子屋の町だぜ。ばかしばかされは稽古の内だ。それにしたって、遊郭といやあ、現世の遊び場だろう? 相手は人間だ。爺さんみたいな玄人妖怪が誑かされちまってたら世話ないぜ。王子の狐じゃあるまいし」
「王子の狐? 狐の王子様なんかおるん?」
「違う違う。現世の王子に棲んでた化け狐が人間に一杯食わされる話があるんだよ」
「ほーん」
――女遊びも良いもんだが、現世の方は銭にうるさくって困る。居続けなんてしたら小判がじゃらじゃらと出て行っちまう。この前はあんたの財布がなかったら居残りになってたところだった。
――こっちの遊び場は金は取らないが、いつもばかされて終わるのが落ちだからね。ふとんだとおもったらたぬきのきんたまだとか、女に首を撫でてとせがまれたと思ったら、撫でるだけ伸びちまうとか、気色悪くていけないね。
――酷い奴になると客を食っちまおうとするからな。
――ほんとにね……ところで百々爺さん、金は用意できたのかい? この前のツケは3分だよ。
分はお金の単位でございます。4分で1両。1分は1000文でございます。当時の現世の物価には幅がございますが、お蕎麦いっぱい20文前後といったところでしょうか。
――おう、ばっちりよ。店子から巻き上げた店賃がここに。きんきらきんがあるから1分のお釣り……ってあれ!? こりゃあなんだ!? モミジの葉っぱじゃねえか!
――ははは。あんた、化かされたね。大家の玄人妖怪が、見習いの店子に手玉に取られるたあ情けないね。
――うぐぐ。あの尼天狗め。
――まあいいよ。お金はいつでも。気晴らしに今晩もまたぶらりと出ようや。
――それがよう。ぬらりひょん。……そうもいかねえんだ。
――どうしてだい? 一晩二晩くらいの金はわしにまかせときなよ。幽世暮らしが銭にけちけちする理由なんてないからね。
――いやね……秋ちゃんのお里のおふくろさんがね。流行り病で臥せってしまったらしいんだよ。
――ほう? それで?
――それで、国に帰らにゃならんのらしいんだが、ああいう生業だろう? やっぱり綺麗な身じゃないらしくて、方々にツケが溜まってて、それをどうにかしないと放してもらえないし、路銀もままならねえって話なんだよ。
「ははあ。それで、お金欲しがってたんか」
「なんだ、爺さんなかなかどうして情に厚いじゃねえか」
――しかし、どうやってもこっちじゃ金は集まらねえし。俺じゃ、このモミジみたいなまねもできねえし。金ができねえなら俺も秋ちゃんと一緒にかけおちでもって考えてんだ。
――くう、泣かせるよあんた。……あい、わかった。このわしがぬらりと一肌脱いで進ぜるよ。
――おお、そいつはありがたい。それで、どうするってんだ?
――わしらは妖怪だよ? 脅かし、化かしに、殺しに、拐かし、なんでもござれだ。ここはわしが恐ろしい妖怪に化けて、秋ちゃんをかっさらって来てやるよ。妖怪に拐かされたんなら、あっちも諦めがつくだろう? そんであんたが後から彼女を現世に送り返してやればいい。そしたら「まあ素敵。お爺さん、とっても頼りになるのね。お母さまの具合がよくなったら、私、あなたのところに嫁ぐわ」ってな具合だよ。
――持つべきものは友人だね。本当にありがたい。でも、秋ちゃんは俺たちと違って人間だからな。妖怪大王さまに頼み込まないと現世に戻してもらえねえな。
――そこがお前さんの情の見せ所だよ。ピンからキリまでわしに面倒見て貰ってたら、格好がつかないだろう。だめならだめでかけおちと同じことだろう?
――うん。そうだね。それじゃあ後生だ。一芝居頼むよ。
――よし、じゃあ今すぐ行ってくるよ。一丁、妖怪大王さまの姿を借りて、遊郭をひっくり返して来くるよ。
――おいおい、大王さまの姿に化けるのはご法度だぜ。
――友達のためだよ。あんたが命張ってるのに、しくじったらそれこそわしは、おめおめと幽世に戻ってこれないよ。
――見上げた覚悟だ。この借りはきっと返すよ。
「へえ、ぬらりひょんも男を見せるね。俺もちっと涙と鼻汁が…」
「なんか気に入らんわあ。私のことはほったらかしやのに、秋ちゃんのためなら大王さまに頼み込むて」
「まあ、しょうがないね。恋は盲目って言うからね」
さて、遊郭の秋さんを攫ってくると約束したぬらりひょんが、大家さんの家から出てきます。
「あっ、出てきたで」
「なんだ、あいつ。大家さんの家の前でぶつぶつ独り言いってらあ」
「ひょっひょっひょ。馬鹿なじじいだね。すっかり熱を上げちまって。……わざわざ人を攫うなんて危ない橋を渡ることはない。ここはひとつ小娘に化けて、奴をそそのかして心中といこうかね。先にくたばってもらって、さよならよ。長屋はわしに任せておくがいい。わしもそろそろ左団扇の隠居生活をしたいのさ」
「うわっ! ちょっと寅さん。あの人えらいこと言っとるで」
「……とんでもねえ野郎だ。初めから爺さんを騙して長屋を乗っ取るつもりだったんだ」
「ひょっひょ。金に困らせて店子から銭を集めるように仕向けたのも効いてたみたいだな。店子どもが支払いに切羽詰まって、じじいを厄介に思い始めたようだし。……さて、すぐに戻っては塩梅が悪いからな。長屋の周りとぐるりとひと回りしてからにしようかね」
「もうあかん。私、限界やわ。文句言って止めさせてくるわ」
「……ちょいと待ちな。おばちゃん」
「なんで止めるん?」
「ここは幽世、妖怪の世界よ。騙し合い、ばかし合いは当然のこと。生業であり、自然の道理なんだよ。……命を盗られたって文句は言えねえ。まして、玄人妖怪同士。現世の人間の出る幕じゃねえよ」
「そないな事言うても。……私は行くで。爺ちゃんには世話になっとるねん。人情捨てたら大阪人やってけへんわ」
「本当によしときな。ただの人間が海千山千のぬらりひょんに勝てるわけがねえ。死んじまったらみんなが悲しむぜ。……へっ、人の情と書いて人情とは言うが、妖怪にだって河童にだって情はあらあ。ここはひとつ、俺が助け舟を出してやろうじゃないの」
寅さんは桶から水をすくうと、ぴしゃりと頭のお皿を叩きました。
「寅さん格好ええで! それなら任せたわ」
「おうよ。それじゃ後をつけて……」
「……あっ、角曲がったで。今なら不意打ち行けるんちゃう? 後ろからがばーって」
「いや、まだだね。ここじゃちと場所が悪い」
「……あっ、次の角も曲がった。寅さんまだ?」
「いや、まだだね」
「……また曲がった。なんで行かんの?」
「そりゃあれよ。河童と言えば川に引きずり込むか、尻子玉を取るのが相手をやっつける術さ。奴が川に近づくか、厠でけつを捲るのを待っているのさ」
「……一周してもうたよ」
「ああっ、惜しいな! 今日はこの位にしといてやるぜ!」
「なんもしてへんやん!」
「へへ、水場に近寄ってくれねえんだもんなあ。しょうがねえじゃねえか」
「大体、一周する言うてたんやから川のそば通らへんの分かってたやん! そこは騙して川に連れていくとかなんとかあるやろ」
「そりゃいけねえな。へへ、返り討ちにあっちまう。亀の甲より年の功って言うだろ?」
「なんやの。自信無いんやったら無いって言えばええのに」
「へへ、俺も一応見習いの身だからね……。ほら、助け舟だからね、陸に揚がっちゃ身動きもとれねえもんで……」
「ああ、あほなことやってる間に、爺さんが綺麗な花魁さんに化けとるわ。……入ってったで」
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「……あら、ここはどこかしら? 私は一体どうして、こんなところに?」
「やあ、秋ちゃん。早かったね」
「お爺ちゃん!」
「心配することぁねえ。ちょいと知り合いに頼んで、お前のことを引っこ抜いてもらったのさ。身請けするには金が足りねえ、足抜けすれば後が悪い、しかしもたもたしてるとおふくろさんの命が尽きる。親の死に目に会えねえなんて、これ以上の親不孝はねえ。ちょいとここに隠れてほとぼりを冷まして、騒ぎが治まってから娑婆に出るとしようや」
「……まあ。そういうことだったの。お爺ちゃんはいつも私のことを考えてくれるんだねえ」
「そらそうよ。起請で誓い立てた仲じゃねえか」
「……でもね、だめなの」
「だめってなにがだめなんだい?」
「もう遅いの。実は今朝、知らせが入ったの……」
「なんてこった。間に合わなかったか」
「あなたの言う通り、私は親不孝者です……。お里のおっかさんに育ててもらった恩を返すために、ずっと勤めてまいりましたけど、これでは一体、何のために生きてきたのか分からないわ……」
「泣きねえ、秋ちゃん。俺が何でもして慰めてやらあ」
「……だったら、私と一緒に死んでくれますか? もう、生きていたってしょうがない、おっかさんに一目会いたい」
「……おう。俺もちょうど、秋ちゃんのおふくろさんにご挨拶したいと思っていたところだったんだ」
「本当? 嬉しい。あなたに逢えて本当に良かったわ」
「うんうん。俺もどうせ老い先短いからね。好きな女と添い遂げられれば、成仏できるってもんよ。……それじゃ、死ぬ前にちょいとひとつ、抱かせてくれないかい? のらりくらりとかわされて、これまで一度も抱かせてくれたことはなかっただろう?」
「……それは困ります。おっかさんにあんまりだわ」
「大丈夫だって。あの世で孫の顔を見せてやろうぜ」
「それに、お爺さんに成仏されてしまったら、私ひとりぼっちでおっかさんに会いに行かなくちゃならなくなっちゃう」
「まあまあ。身ごもれば、鬱蒼とした気分も晴れるかもしれねえ。親になればおふくろさんの気持ちも分かるだろうよ。ささ、布団は敷いてあるよ。ここはひとつすっきりしてから逝くことにしようよ」
「ああ。お爺さん! いけません!」
「へへ、いいじゃねえか」
「引っ張らないで……あっ、ちょっと! やめ! やめろ! やめろじじい! わしだ! ぬらりひょんだ!」
「おっ!? おめえ!? これは一体どういうことだ?!」
「わしだよ。秋はわしが化けて演じてたんだ!」
「なんてこった!」
「病気の母親の話も嘘だ。あんたを担いで、遊んでたんだ。ほんの遊びのつもりだった。だけど、あんたがあまりにも熱っぽく入れ込むから、面白くなっちまって……」
「つまり……俺が惚れてたのはこんな萎れたじじいだったって訳か」
「そうだ。だから、その布団に引っ張り込む手を放してくれい」
「いや。放さねえ。たとえ男だろうがじじいだろうが。惚れた相手とは添い遂げなきゃなんねえ。さあ、一緒に極楽へ行こうや」
「ま、まて! わしはそっちの気はない! 勘弁してくれ!」
「ははは。俺が気付かなかったとでも思ってるのか? おめえが遊女に化けてたのは最初からお見通しだったんだよ! 俺は百々爺。遊びと病が生業の妖怪よ。おめえの火遊びを笑いながら、恋の病の演技をしていたわけだ」
「や、やめろ。脱がすな!!!」
「……へへへ。生娘じゃああるまいし。店子から頼まれてたんだ。ここのところ、若い連中をからかって遊ぶ年寄り妖怪が居て困るってな。俺は大家だからね。一肌脱いだってわけさ。さあ俺もおめえも一肌脱いだところで、続きを楽しむとするか!」
「あっ、あーーーーっ!!!」
「なあ、寅さん。中、えらい事になっとるで……」
「そ、そうだろうな。大家の爺さんも、ただのじじいじゃなかったってわけだ……」
「ああっ、あかん! あれはあかんで。……うわあ、ぬらりとしとるわ。だからぬらりひょん言うんかな?」
「冗談はよせやい。聞きたくねえ! ……なんだか俺の尻子玉もむずむずしてきやがる」
「しかし、爺ちゃんも人が悪いなあ。それやったら私にも教えてくれとったら良かったのに」
「敵を欺くにはまず味方からって言うからねえ」
「まあ、ほっとこか。ずいぶん仲良うしとるみたいやし」
「知り合い(尻愛)同士ってか。ははは……」
すっかり懲らしめられたぬらりひょんは、それきり若手にいたずらをすることが無くなったそうですが、みんながみんな事情を知りませんから、長屋に響く悲鳴のこだまにはずいぶんと恐ろしい思いをしたようです。
かくいうわたくしも、友人と抱き合い震えておりました。
……はあ、なんてお粗末なケツ末なんでしょう!
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