9?
「何故守堂なんかに手を貸す」
VIPルームのような、異様に豪華な部屋に連れ込まれた僕に向って、彼は偉そうに言い放った。
密談をするには悪くはない環境だ、騒がしい衆人観衆に囲まれたコロシアムよりは遥かに良い。ただ空調の効きが悪いようで、じっとりとした不愉快な大気がこもり息苦しさを感じる。
部屋には一つ、大きな丸窓が付けられていて、そこからは先ほどのコロシアムが見えている。今はちょうど試合と試合の幕間のようだ。
「そんなに変なことですかね。人間だったころは守堂の人に随分とお世話になりましたから」
僕はそう返すと適当な椅子に腰掛ける。まだ塞がらない体の穴から体液が少し噴出し、床を濡らす。キンツナの舌打ちが聞こえた。
「守堂は、お前を嫌ってるんじゃないのか?」
「はい?」
意味がわからない。
「守堂には上位存在信仰の厚い人間が多いんだろ?」
「えぇ、まぁ」
多いというか、全員がそうだと言っても過言ではない。守堂の運営規範は「昇華者の発生補助」と「上位存在信仰の保守」なのだから。
「お前のような出戻りを、快く思わない奴も多いだろ?」
「あぁ、なるほど――」
やっと意味が判った。
彼の言いたいことはつまり「上位存在に選ばれ昇華者となり、『焼けた地平線』へと招待された。なのにそれを断り、人間世界に帰ってきた」そんな僕の存在を守堂は快く思ってない。そういう話だ。
「――まぁそういう人も居るでしょうね。でも、僕は便利なので」
「便利?」
コートを捲り、胸部の傷穴を見せる、重症を負いながらも元気に内臓が蠢いてる様子が鮮明に見えたはずだ。
「死なないっていうのは、それだけで高い価値があるんですよ」
彼は目を逸らす。
「だからといって、上位存在に楯突いたバカを重宝するのか、随分安い信仰心だな」
「それだけ人材不足なんですよ」
僕は投げやり気味にそう言う、もうこの話題は切り上げたかった。
彼もその意図を読み取ったのか、ソファーに深々と座りなおし、両手を広げて見せた。
「それで、そっちの質問は?」
僕はさっさと確信をぶつけることにする。
「貴方は、貴方の娘、クドウキョウコの監視を行っていましたね」
「知らないな。俺はそんな事していない」
キンツナは平然と言ってのける。
「嘘はつかないほうが良いですよ。お互いのためにも、そして貴方の娘さんのためにも」
「それは脅しか?」
「脅しじゃありません、事実を言ってるだけですよ。警察が動き始めたんです」
キンツナの表情が険しい物に変わる。
「ただの失踪事件のはずだろ、なぜ警察が動く」
「守人が大勢死にましたから、すでに捜査権は警察に移ったようです。このままだと貴方の娘さんは重要参考人として警察に強制召還されるでしょう」
僕はあえてそこで言葉を切る。警察の尋問は悪名高い、彼女がどうなるかはわざわざ説明するまでもないのだ。
「……あの子は無関係だ」
「警察がその事実に気づくのは、彼女の頭蓋をこじ開けた後でしょうね」
「お前は、それを阻止できるのか」
「えぇ、一応昇華者ですからね。それぐらいの権力は持っています」
キンツナの疑り深い視線が、嘗め回すように僕の体を這う。
十分に吟味してくれ、そして現実を受け入れ、僕に縋り全面的に信用してくれ。そんな事を心で願う。
「あのバカ娘が……大人しく俺の跡を継げば良かったのに……どうして」
彼は額に手を当て、搾り出すようにそんな言葉を呟いた。随分な狼狽ぶりだ、娘への溺愛振りがうかがえる。
「貴方はクドウキョウコの監視を行っていた」
僕の再びの問いかけに、彼はゆっくりと頷いた。
「――あぁそうだ」
「なぜそんな事を?」
「あの子には俺の全てを継がせるつもりだった。あの子も当初はそれに乗り気だったんだ、だから俺は全てをあの子に仕込んだ、なのに、突然尼になんてなりやがった」
寺院ラルムカルムで働くクドウキョウコ、白色の重いビニール製の清掃服に身を包み、肉片の始末をしていた娘。彼女は「コロシアムの玉座」を拒み、血肉に塗れる修行僧の道を選んだ。。
「彼女を自分の下へと、引き戻す機会を伺っていたのですか?」
「そうだ」
「では、当然キョウゴクカズヒトの事も知っていますね」
彼は苦々しい表情を浮かべる。
「当たり前だろ」
「彼と貴方の娘さんは、恋仲でしたね」
「……そうだ。アイツが、アイツが全ての元凶だ」
男は呻くようにそう言った。
「元凶?」
それは「今回の騒動の原因」という意味だけではなさそうなニュアンスだった。
「娘は、あの男にそそのかされて尼なんかになっちまった。あの男に利用されてたんだ」
「何に利用されてたんですか?」
クドウの表情には粘っこい怒りが滲んでいた。
「判らない、だから調べようと思った。あの男の身辺調査を試みた、結果は最悪だった」
「最悪?」
「アイツは人間至上主義者達とつるんでいた」
なんだと?
「それって、醸造プラントが旧母体の……カタヤマとか言う名の男がリーダーの?」
「あぁそうだ」
あいつら……とんだ役者だ。あのバーでの話は全部嘘だったのか。
「つるむとは、具体的になにをしていたのですか」
「旧市街の廃倉庫にしょっちゅう出入りをしていた。なにやら大層な荷物と一緒にね」
「それは守堂には通報しなかったんですか?」
「できなかった、だってあの男はお――」
彼の言葉はそこで途切れた。彼の頭部からは頭蓋の大部分が突然消え、脳みそがうどんのようにずるずると外へ零れてしまった。
欠けた頭部は粉々に砕け床に散らばっていた、散らばり型に方向性がある、左方向に放射状に。
僕はそこまで見て状況を理解する。
キンツナが狙撃され、頭部を破壊された。
右の丸窓を見る、穴が開いていた。僕は視力を上げて外を観察する、すると丁度正面方向の照明の整備階段から、こちらを高威力の銃で狙う男の姿が見えた。その顔には見覚えがあった。
「あれは、あの時のバーテンか」
銃弾は僕の額に当たるが、そこでエネルギーを失い自由落下する。
遅れてパキッと音がなり、丸窓が割れた。
狙撃手は銃から顔を外し、そそくさと逃走の準備を始める。
「酒を作るのは下手でも、そっちの腕はなかなかですね」
良いポジション、そして良い引き際だ。これでは追いかけて捕まえることは難しいだろう。
だからそれよりも……
僕は窓から離れキンツナに意識を戻す。
彼はソファーから崩れ、脳の全てを床にこぼして痙攣している。出血の量も著しく酷い匂いが立ちこめ始めた。
僕はまだ頭蓋に残った脳髄に触れ彼の意識と対話を試みる。意味消失が激しいが、辛うじて残滓が残っている。
苦労して意識の欠片を見つけ出し、それをそっと僕の思念の網に載せてみる。
〔無明――何も知らないくせに私の――〕
女の声だった。
そして彼の意識が消えた。
僕は思念の網から彼の崩れた意志を払い、冷えた脳髄から手を引き抜く。
「面倒なことになりましたね」
窓ガラスに割れた音はかなり大きかった、いつセキュリティたちがこの部屋になだれ込んできてもおかしくない。
僕は白い脳みそで汚れた右手をコートの裾で拭きながら、足早に部屋をでた。