8?
「拳銃を」
「はい?」
セキュリティの男は苛立たしげに僕に詰め寄った。
「拳銃を、これより先には持ち込めない」
僕はため息を履くと、コートの内ポケットから身分証を取り出す。
「これ免責特権です、僕は一応守堂関係の人間です」
唾が顔にかけられる。見ると、セキュリティの男は憎悪むき出しの表情を貼り付けていた。
「帰れ、ウジ虫が」
「……大した度胸ですね」
僕は右頬骨にへばりついた唾液を拭うと、そのまま右ストレートを男に叩き込んだ。
パキンと小気味の良い音、顎骨を砕かれた男はその場に崩れる。周囲で静観を決めていた他のセキュリティたちが一斉にどよめきだつ。
僕の手には3本の折れた歯が刺さっている、それを一つづつ抜いていく。
「お願いします、通してくれませんかね。僕は暴力が好きじゃない」
男たちは獣のような咆哮を上げた。
受付の奥、エボニー製の豪奢なドアを開けると、大歓声が流れ込んできた。
ドアの向こうは巨大な闘技場だった。すり鉢状の観客席。僕は右手の皮膚を突き破った拳の骨を体内に押し戻しながら歩みを進める。
観客は老若男女幅広い層の一般人だ、全員が闘技場の底に注視している。熱気は凄まじく、大気は人々の汗を吸い込みじっとりと生ぬるい。
「異様だ、この街には似つかわしくありませんね」
ここには退廃も厳粛さも風化もない。生き生きとした生命の躍動感に溢れる、煙の街の中では珍しい風景だ。先日のバーを思い出す。
闘技場の中心に近づくに連れて様々なものが豪華になっていく。座席や手すりのデティール、カーペットの赤色の濃厚さ、木製座席の艷やかさ。
円の中心が見えてくる、そこは周囲より一段低くなった場所、半径20mほどの広場、その床には蛇のような外皮をもった植物がのたうち回る奇妙な紋章がおおきく描かれ、その中心では二人の男が殴り合っていた。
片方の男は右腕を折られ、片方の男は足を不能にされている。片手の男が必死に足の使えない男の上にのしかかり、拳を打ち込んでいた。
血がはじけ飛ぶ、感性が上がる、陶酔した実況の声がフロアに響く。
「コロシアム」
古の娯楽の再現。生を厳粛に扱うべき物として植え付けられた人々は、故にその思想の真逆の娯楽に惹かれるようになっていた。
ここ「拿禰」地区はかつて一大醸造プラントを誇っていただけのことはあり、陥落街も他の地区とは比較にならない大規模な物だった、この巨大なコロシアムもその時代の名残だ。もっとも歓楽街の方はこっちと違ってだいぶ廃れてしまったが。
だがコロシアムは違う。この野蛮な見世物が飲酒を始めとした他の「娯楽」と違い、禁欲ムーヴメントはびこるこの時代に未だ人気と評価を得ているのにはわけがある。それは宗教的な儀式としての側面を獲得してからだ。謝肉祭の通過が難しいと判断された人間の肉体を、地の底の上位存在「エイブレンウル」に捧げる行為。
僕は最前列へ、そしてその中で一際高く作られた座席群へと近づく。木製の山車のような豪華な座席。まるで玉座だ。
近づく僕の姿に気づいたのか、周囲のセキュリティたちが立ち上がった。受付で気絶してるやつらよりも更に二周りほど大きな体格をしている。
僕は両手を上げ、敵意の無いことを示す。
「それ以上近づくな」
セキュリティの一人が声を上げた、彼らの手には自動小銃が握られている、ご丁寧に消音器付きだ。
「クドウ、クドウキンツナさんと話がしたい」
自身の名前を呼ばれ、山車の上の男が反応した。燃えるような赤髪の初老の男。このコロシアムの経営者にして、旧歓楽街の元締め。そしてなによりも、クドウキョウコの父親。
「誰だお前」
赤毛の王は不遜な態度で上から僕に言葉をぶつける。
「守堂の使いで参った者です、すこし聞きたいことがありまして」
セキュリティが一斉に銃を構えた。備え付けられたレーザーポイントが僕の心臓一点に集まる。
「お引き取り願おうか、ここは自治が認められている。守堂の小間使いが土足で踏み込んで良い領域じゃない」
「免責特権があります、僕は一応合法的に捜査することができるんですよ」
僕はそう言って胸ポケットから身分証を取り出そうとする。
「撃て」
赤毛のよく通る声が響き渡った。
「え?」
次の瞬間、パチッという音と共に、胸に強い衝撃を受けた。唐突過ぎたため無力化に失敗し、弾丸が胸をえぐる。背中にライフル弾がねじ込まれる、これには全く対処できず体を弾丸が貫通した。
前後からの時間差の衝撃、僕の体は血を噴出しながら独楽のように回って、柔らかなカーペットの上に倒れ込んだ。
「よろしかったのですか、ボス」
頭上で声がする。セキュリティの一人がクドウに尋ねているようだ。
「構わん、自治区内で武器を抜こうとしたのだ。守人とてそれは許されない」
観客が騒ぐ様子はない。僕が殺された様子は、視覚的にはセキュリティたちが上手く隠し、聴覚的には消音器で誤魔化したのだろう。
それは、僕にとっては好都合なことだった。
「酷いですね、ただ身分証を取り出そうとしただけですよ」
僕は立ち上がりながらそう言う。
銃弾は飛んでこない。見渡すと、幽霊でもみるかのような間抜けな表情を浮かべたセキュリティ達の姿が映った。
「お前……」
赤毛の男も絶句している。
僕は体内に残っていた玉を口からガムのように吐き捨てる。
僕の体中には穴が開き、そこからはちぎれた臓器が零れている。それでもなお悠々と立つ僕の姿はさぞグロテスクな光景なのだろう、セキュリティの何人かが目を逸らす。
「攻撃は無意味ですよ、僕の体は頑丈だ」
「まさか、昇華者」
セキュリティの男が一人そうつぶやくと、たちまち全体が動揺を始める。
それもそうだ、彼らは上位存在の僕に発砲したのだ、ただでは済まない。
それもこの「上位存在への供物の祭壇」たるコロシアムで。
「全員、銃を降ろせ」
キンツナの命令に、セキュリティ達は黙って従う。僕はそれを満足気に一瞥した後、もう一度彼と向かい合う。
「昇華者が、一体何故ここに?」
「守堂の使いですよ、二三質問したいことがありましてね」
「……消えた守人の件か」
「ご存知でしたか、話が早くて助かります」
「俺は何もしらないぞ」
さて、それはどうだか。
僕はわざとらしく周囲を見渡した後、軽く鼻息を吐き出す。
「ここで話すのも難です。どこか二人で静かに話せる場所はありませんか?」