4?
鉄の扉の向こうには、牢獄のような湿った簡素な空間が広がっていた。
これまでの部屋と同じで、古い石造りの壁に囲まれ、床だけが清掃に適した物にリフォームされた空間。重々しさと空疎さの入り混じった、独特の雰囲気が漂っている。
クドウが壁のパネルに近寄り、スイッチを一つ押した。天井の蛍光灯が点滅する。エミッターが損耗しているのか、弱弱しい明滅を繰り返し、余計に視野が悪くなった気がした。
「先に言っておくけど、貴方たちが期待するような情報は何ももってないから。私とキョウゴクの関係はただの幼馴染、それ以上でも以下でもない」
彼女はそう言うと、そばに畳んであったスチールパイプ製の椅子を展開し、腰を降ろした。
さて――。
「それで、ディクロノーシスさん、貴方は何を聞きたいの?」
僕は彼女の方を向き、視線をしっかりと合わせる。
「17日前、キョウゴクは貴女に何を話したんですか?」
はアッと息を漏らし、彼女は失笑する。
「別に大した事じゃない。端的に言えば、世間話だよ。やれ肉の値段が上がっただの、やれ気温が上がってきただの」
「もう少し詳細に語ってくれませんか?」
彼女が眉を顰める。
「主な話題は三つだった。食料品の値段について、季節について、それと飲みの誘い」
「飲みの誘い?」
「キョウゴクの方から誘ってきた『今晩空いてるか? 久しぶりに飲まないか?』『いいえ、明日はかなり早いからまた今度』その程度の会話だよ」
「彼からの飲みの誘いは良くある事でしたか?」
「……ちょっと珍しいかな、最後に行ったのは3ヶ月ぐらい前かもしれない」
それは「ちょっと珍しい」の範囲じゃないだろ。そんな突っ込みは胸に仕舞い、僕は冷静に質問を続ける。
「彼は、何か話したかったのでは?」
「どうだか……あまりそう思いつめた様子には見えなかったけど」
思いつめてなかったのか、それともこの女が判らなかっただけか。
「貴方とキョウゴクはどういう仲でしたか?」
「だからただの友人だってば」
面倒だな、さっさと切り出すか。僕はそう腹を決める。
「貴方とキョウゴクは所謂男女の関係だったのですか?」
彼女はまた冷ややかな返答を僕に突き立てるだろう、そう予想した。
だが違った。
「言ったでしょう、ただの幼馴染だから」
かすかに鋭さの残った、熱の持ったあしらい。明らかにこれまでの返答と異なる肌触りがあった。
「キョウゴクは貴方を慕っていた、という噂を聞きました」
彼女は乾いた笑い声をあげる。
「守人にそんな事を吹き込まれたの? つくづく役に立たないんだな彼らは」
飾ったニヒルさで、何らかの感情を抑えてるように見える。
「キョウゴクが揺り篭守を辞め、この街に来た理由の一端に『貴女』の存在があると考えています」
「……バカみたい。そんな間抜けな理由で彼がここに戻って来たと、本当にそう思ってるの?」
「少なくとも、僕の会った守人は、そう考えていました」
彼女は再び血に固まった髪をバリバリと掻き揚げると、やる気無く立ち上がった。
「ねぇ。あの男が何故この教会に通ってたのか、本当の理由を教えてあげようか?」
彼女の挑戦的な質問。
「えぇ、是非」
僕の言葉を聞くと彼女は歩き出す。
そして部屋の中央、僕の目の前に来ると、そこで屈み込んだ。
なにやら床の辺りを触っていると、突然床板を一枚持ち上げ始めた。
けたたましい金属の擦れる音、不愉快な轟音。
よく見ると彼女が持ち上げているものはただの床板ではない。一辺に蝶番が設けられており、床下空間への扉になっていたようだ。
「これ、これが彼がこの教会に通っていた理由」
床下には、巨大な穴があった。
直径1m程、底の見えない漆黒の黒点、底の方から風の鳴る音が響く。じっくりと観察すると穴は大して深くなく、1mほど真下に伸びた後、地面と水平に曲がっていることが見て取れた。
「この穴は?」
「処理路、外の廃液湖につながっている。ここに謝肉祭で失敗した人間の死体を流し込む」
彼女の言葉の意味は理解できる、ただ、その意図が何もわからない。
「この処理路が、キョウゴクの関心だったと?」
彼女は穴の底を見下ろした。長い赤毛の髪が処理路に向って垂れ、まるで血のベールのようだ。
「この穴はね、あの男の母なの――」
僕は黙って、言葉の続きを待つ。
「――あの男は、ここで産まれたの、この穴からこの世界に生まれ落ちたの」
意味がわからない。
「無機物からは、人は産まれない」
僕の反論に、彼女はカハッと乾いた笑い声をあげる。その音が穴の奥底へと虚しく響きわたる。
「生物学的には確かにこの穴は彼の母ではない。彼はこの穴に捨てられた女の死体から生まれた」
「死体……謝肉祭で死んだ人間ですか」
「そういうこと。臨月の子供を抱えながら謝肉祭に望んだ女がいた。別に珍しいことじゃない」
そして女は死に、この穴へと他の膨大な量の死体と共に放り込まれた。
「お腹の中の赤子は生きていたと。しかしどうやって外へ這い出たんですか」
「さぁね、当時の職員いわく『穴の底、死体の山の中心で泣き喚いていたところを助け出した』らしい」
僕は想像した。
この闇の虚が人肉の山によって溢れ帰った様子を。そしてその中から這い出てきた赤子を。
「キョウゴクは……昇華者なのですか?」
「聖跡がないから違うらしいよ。でも、彼は異常に発達した脳をもっていた、だからこそ彼は自分の出生に強い意味を感じていたようでね――」
彼女は穴から視線を上げ、僕を見る。
「――彼は、この穴を母親として捉えていたの。信じられる?」
それが彼がこの教会にたびたび訪れていた理由。
彼はお母さんに挨拶しに来てたってわけ。