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Ascension  作者: 黒部雅美
10/17

10?

 廃液湖は青緑色の淡い光を水面に浮かべ、その底から静かに甲高い金属音を奏でていた。

 水の透明度は非常に高く、はっきりと水底まで見えた。底には石油のような漆黒の重たいヘドロ溜まりが広がる。ヘドロは筋肉のように蠕動し、さまざまな物体がときに浮かび上がり沈んでいく、その大半は人の物と思われる骨だった。

 重力場が狂っているのか、一部の水面から水が空めがけ滴っている。それらはある程度の高さまで上ると再び正常な重力に囚われ落下を始める。上る水滴と降りる水滴がぶつかり合い、かすかな青い光線の飛沫が散る。

 その時、鈍い鉄の音が周囲に響き渡った。天を劈くような重厚な金属が軋む音。池の外周に大量に設置された直径10mほどのバイプラインの弁が解放される音だ。

 パイプが解放されきると、大量の赤い液体が噴出してきた。

 赤い液体には溶けた内臓と白い骨が混じっている。これらは全て謝肉祭で発生した死体と、余った剥離体の混合物だ。

 池の中になみなみとその混合物が注がれていく、底のヘドロがざわめき、水面下へと持ち上がってくる。

「凄い光景でしょ」

 廃液湖の岸の一つ、観測用の展望台の上、僕の隣にたたずむ赤毛の女、クドウキョウコはそう問うてきた。

「えぇ、壮観ですね」

 ヘドロと大量の血肉が混ざり合う。

「あのヘドロも、上位存在なの?」

「さぁ、僕は知りません」

 血肉はヘドロに貪られ、あっという間に吸収されていく。

「昇華者になれば、いろいろ真実が見えるようになると思っていた」

「知能は多少あがったかもしれませんが、知識は増えませんでしたね。まぁ僕がそうなだけで、他の方々は違うのかも知れませんが」

 彼女は僕の回答につまらなそうにため息を吐き出し、その赤毛を掻き上げた。

「それで、貴方はこんな所へなんの要件で?」

「クドウさんこそ、なぜこんな所に? 若い女性が休暇を過ごす場所には不適だと思いますが」

「私の休日の過ごし方、それが知りたくて私に会いに来たの?」

 彼女はそう言うと展望台の柵に寄りかかった。

 柵、といってもその高さは彼女の腰ほどしかなく、ちょっとした衝撃で体が湖の中へと転がり落ちそうだ。

「貴方の父上、クドウキンツナさんが、つい5時間前に死にました」

 僕は彼女の顔を見つめ、可能な限り紳士な態度でその事実を伝えた。

「そう……」

 赤毛の彼女は遠くに視線を向けたまま、酷くつまらなそうに短く返事をした。

「彼は人間至上主義者によって殺されました、そうなったのは僕の落ち度です」

「……そんなことよりもさ、一つ聞いてもいい?」

「はい」

「あのコロシアム、上位存在への生贄、捧げ物とか掲げていたけど、本当にそんな効果なんてあったの?」

 僕は肩を竦める。

「さぁ」

 たぶん効果はないと思われる。コロシアムは上位存在「エイブレンウル」を崇め、大地に血を与えることでそれを祭っていたが、そもそも「エイブレンウル」は地中を好むわけではない。彼は瞳を苦手とし棲家を頻繁に替えるだけで、そして人間が唯一感知できる棲家が地中なだけだ。

「あの男は、無駄かもしれない儀式に一生を捧げたのか、無意義な人生だこと」

 クドウキョウコはそういって乾いた笑い声をだした。

「随分と辛辣ですね」

「嫌いだったからね、アイツは自分の仕事が無駄と気づきながらも私に無理に継がせようとしたから」

「それで、貴方は尼に?」

「まぁ、そんなところ」

 彼女の視線が僕へと向いた。

 切り出すなら今だな。

「他にも理由があるのでは? たとえばキョウゴクカズヒトとか」

「……クソ親父が、余計なことをペラペラ、最期までろくな人間じゃなかったか」

 彼女の毒づきに、僕は思わず苦笑する。

「あの人は最期まで貴方の心配をしていましたよ」

 くだらない、彼女は暗い視線を漂わせながらつぶやく。

「話を戻すよ昇華者さん。キョウゴクについてだけど、貴方の言うとおりだよ。私に寺院ラルムカルムを紹介してくれて、尼の道を教えてくれたのは彼だよ。これで満足かしら?」

「貴女とキョウゴクは恋仲でしたね」

「だから違うって言ってるでしょ。仲は良かったのは事実、でも恋仲ではない」

 嘘だな。今度こそ僕はそう確信した。

 彼女の視線は判り易く泳いでいる、父の死で心が乱れているのだろう。

「何故聞かないのですか?」

 敢えて言葉を絞った僕の問いかけに、彼女は猜疑心の強い瞳を向ける。

「は? 何言ってんの?」

「キョウゴクカズヒトの……貴女の友人の捜索状況を、どうして僕から聞きだそうとしないのですか?」

 彼女はなにも答えず、ただ視線を強く絞った。

「心配じゃないんですか、彼のことが」

「なんだっていいでしょ」

「貴女は知ってるんじゃないですか?」

 再びの沈黙。

「貴女はキョウゴクが今何処で何をしているかを知っている。だから何も心配していない」

「言いがかりだ」

「そうでしょうか?」

 仮説を一つ提示しますね、僕はそう宣言する。

「キョウゴクカズヒトは人間至上主義者と組んで何か良くない事をやろうとしていた。そして貴女もそれに一枚噛んでいる。ところが貴女の父上が事態に感づいてしまった、でも全容を見抜いたかは判断しかねた、人間至上主義者やキョウゴクの更に後ろの黒幕にまで貴方の父上がたどり着いたかは判断できなかった、だから僕を利用して彼に喋らせた。黒幕に気づいてなければ生かす、全てを知っていて守堂や警察に協力するなら殺す。結果は……」

 彼女は目を逸らした。

 そして柵の向こう廃液湖へ、顔を向けた。

「……クドウさん、全部を話してくれませんか?」

「話す必要なんてないでしょ。貴方達『エウダイモニア』の眷属は人の脳から直接情報を引きだせるんでしょ?」

 まずい、そう思ったときには遅かった。

 彼女は柵を軽々と乗り越え、そして廃液湖へと飛び込む――

 僕は急いで体を動かし、右手を伸ばす。

 落下する彼女の体に、指先が辛うじて追いつき、服の襟首を掴む。

 彼女が顔を上げ僕を見る。

 破滅的な決意が表情に浮かんでいる。

 情報の詰まった自分の脳を、廃液湖の底に沈めるつもりだ。

「離せ」

 短くそう唸ると彼女はベルトに付けられた護身用ナイフを引き抜き、襟首を持つ僕の指を切り裂いた。

 肉が剥がれ、基節骨が露出する。でもそれは不死の僕には何の意味もない。腕に力を込めて彼女の体を引き上げ始める。

「離せよッ!」

 彼女は再びナイフを振り上げる。

 今度の狙いは僕の指じゃない、彼女は自身の襟首を切断しようと――

「やめろバカ!」

 僕は左手を出し、その刃を手の平で受ける。

 静脈が切断され、血が滴る。

 彼女は必死にナイフを引こうとするが、僕の力の前では無意味だった。

 彼女の体を引き上げる、そしてそのまま展望台の床に押し倒し、ナイフを持つ手をへし折った。

 女の甲高い悲鳴が湖畔に響いた。

「二つ言っておきますよ。一つ、舌を噛み切るのはやめたほうが良い、痛いだけで自殺なんてできません。二つ、僕は貴女の頭蓋を開くつもりはありません」

 彼女は追い詰められた獣のようにめちゃくちゃに暴れようとする。だから僕は間接技を仕掛け、無理やり彼女を地に伏せた。

「聞いてくださいクドウさん。僕は貴女の父上と契約をした、貴女の頭蓋を誰にも開かせないと、だから危害を加えるつもりはない」

 胸ポケットから鎮静剤の入った注射器を取り出すと、それを彼女の肩甲上動脈に打ち込む。

 彼女の抵抗がみるみるうちに弱くなっていく。

「クソ昇華者が……」

 その悪態に力はない、まるで老婆の吐息のようだった。

「……腕を折っておいて、何が危害を加えるつもりは無い、だ」

「自殺なんて試みるからですよ」

 僕は彼女を解放する。

 彼女はそのまま地面に倒れこむ。

「お前、何がしたいんだよ」

 七割怒り、三割困惑、そんな声色の質問。

「この騒動を終決させたい。そのために貴女に協力して欲しい」

「するわけないだろクソ野郎」

 彼女は起き上がろうとする。

 だが力が入らないようで、再び地に突っ伏す。

「だったらそれで良いですよ。他を当たります」

 僕はそう言って、剥がれかけた指の肉を綺麗に骨に撒き直し、落ちていた彼女のナイフを没収すると、さっさとその場を離れようとする。

「待ってよ、本当にこれで終わり?」

 今度は十割困惑。

「えぇ、そうです。動けるようになったらこの街を出ると良い、警察が貴女を追っている、捕まったら大変なことになりますよ」

 もっとも、街の外で彼女が生きられる可能性なんてゼロに等しい。でも流石にそこまで面倒を見ることはできない。

「どうしてそこまで、アイツに義理立てするの?」

 一瞬、その問いかけの意味がわからなかった。

 でも直ぐに「アイツ」がクドウキンツナのことだと察した。

「僕はただ、約束を反故するのが嫌いなだけですよ」

 そう答えながら、僕は考えていた。

 ――彼女は知っているのだろうか? クドウキンツナが最後に思っていた事は彼女の言葉だと。「無明――何も知らないくせに私の――」おそらく父娘の縁が切れた時の彼女の言葉、それをあの男は最期の時まで思い続けていたことを。

 彼女は父に、本当に思われていた事を知っているのだろうか。

 一瞬それを伝えようかと迷った。でもそれは、多分僕が勝手に深入りして良い話ではない。

「お前……ほんとに何がしたいんだよ……」

 そんな思案に耽っていると、彼女が呻き始めた。

「……真面目にキョウゴクを見つける気があるのかよ……」

「話してくれませんか? 彼について」

 彼女は地面の上でもぞもぞと動き、顔をこちらに向ける。意外にも泣きそうな表情を浮かべていた。

「お前には、理解できないよ」

「何がですか?」

「アイツは無から生まれた、親もいない、戸籍もない、クソみたいな孤児院で育てられた空虚なガキだった――」

 彼女は語り始める。

「――でもね、しばらくすると彼の才能が認められた。最初に名声が、次に仲間が、次に人権が、そして最後には権力まで手に入れた」

 僕は先日目を通した調査資料を思い返す。

「研究者として、随分評価されていたようですね」

「クッソ短い期間だったけどね。災厄に見舞われて、彼は一瞬で全てを失った、それまで積み上げてきた全部を失ってまた無に戻ることになった」

 ゼネの災厄、隔離施設、研究メンバーの大半が死亡、研究サンプルの死滅、プロジェクトの無期限凍結。

「災難でしたね」

 僕の言葉を聞いて、彼女は唐突に笑い出した。わざとらしいほどの大声で、壊れた玩具のように空虚な笑い声を響かせた。

「『災難でしたね』だって、笑える、そうだよね、普通はそう思うよね。まともな神経をしてればそう捉える、でも彼は違った――」

 彼女のテンションは異様だ、鎮静剤の効果を無理に跳ね除けようとしているのかもしれない。

「――彼は感じたんだ、自分が完全な無になったことを。鉄の子宮から生れ落ちた無の子供が、一度有を経た後、再び無に還ったと。より深く純粋な無へと、有を経験したからこそ至れた事に彼は気づいた」

「……無、ですか」

「そう、あんたみたいな怪物には想像もできないでしょうね、無に包まれた人間なんて」

 彼女の瞳が不安定に揺れ始める、意識を失い始めている。

「彼は、何をするつもりですか?」

「言ったでしょ、あんたには想像もつかないこと」

 何も知りえない、無明の中に蠢く者だけが至れる思想――彼女は言うだけ言うと、糸の切れた人形のように崩れた。鎮静剤が効きすぎたのだろう。気を失い、深い眠りについたようだ。

 僕はしばらく眠るその女の姿を眺めながら、彼女の言葉を考えていた。

 

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