第62話 不幸の残量
「さっそくだが、キミの不幸チケットを回収させてもらう」
博士の猫にそう言われ、僕は研究施設の奥の薄暗い部屋へと案内された。
そこには壁一面に四角いパネルのようなものが敷き詰められており、その足元には金属で出来た重厚なケースのようなものが並んでいた。
パネルに何やら文字が点滅しはじめたので、これはきっとディスプレイなのだろう。
足元に並んでいるケースの傍には、キーボードやマウスらしき見覚えのあるものが散らばっている。これはパソコンのようなものなのだろうか。
部屋の中央には歯医者などでよく見るような、椅子の形をした診察台のようなものが置いてあり、背もたれのちょうど頭が来る位置に、何やらケーブルハーネスが沢山出ているヘッドギアのようなものが掛けてあった。
助手の猫は何を言われるでもなく、そのヘッドギアのケーブルの一つを手にとり、ディスプレイ近くにある、スイッチやつまみが何個もついた銀色のボックスに接続した。
助手は手慣れた様子で数台のパソコンのようなものの電源を入れ始め、とても静かだったその部屋に、機器たちのファンが一気にブーンと低い音で響き始める。
大臣と猫の紳士は先ほどの部屋で何やら言い合いをしていたので、そのままにしてきたのだが、この近未来的な光景を見るときっと驚くだろう。
「博士、機材の準備出来ました」
助手がそう言うと博士は、僕に中央の椅子へ座る様に促す。
その椅子は、やはりどう見ても歯医者の診察台にしか見えないので、僕は何だか不安でいっぱいになった。
「大丈夫。痛かったりそういうのはないから安心するといい。これはだね、記憶の回収施術に使用している機材の応用で、幸福バランサーの不幸な記憶を再処理してチケットに変換するプラントの縮小版みたいなものだ。まずはキミの持っている、チケットの状況をスキャニングしてみようか」
そう言われ僕は、渋々その椅子に腰を落ち着けたが、見た目以上に快適な座り心地で不安な気持ちが少しだけ軽くなった気がした。
「えっと、これを被ればいいんですか?」
「そうです、これをこうして……」
椅子に掛けてあったヘッドギアを被ろうとすると、助手の猫が落ちかけた丸眼鏡を直しながら手伝ってくれた。
ヘッドギアは結構重く、長時間被るとなると少し首が痛くなりそうだった。
色のついた半透明のシールドのようなもので眼は覆われていて、視界は開けているがディスプレイの光で、なんとか周りが見える程度だった。
「キミの弟の記憶を取り戻すためには、その対象となるチケットを君が持っていないことには始まらない。始め一瞬だけ気分が悪くなったり、不快な気持ちになるかもしれないが、それは少しの間だけだ」
「は、はい」
「――では、起動するよ」
博士はヘッドギアのケーブルが繋がれた銀色のボックスの先にある、パソコンのようなもののマウスをころころと動かして、ディスプレイの中に表示されている『Scanning』というボタンをクリックした。
その瞬間、高速回転しているレコードにまるで針を落としたような音が、僕の頭の中に響いた。
ブツッ……ブツッ……
しばらくすると、耳を澄まさないと聞こえないほどのとても小さいノイズのような音がし始める。
なるほど、確かにこれは不快だ。
モスキート音というやつだろうか。それとも電磁波とかそういう類のものだろうか。
機械特有の不快な音が、僕の頭の中に響き始める。
……ィィィィィィィィィィ…………ン……
すると僕の正面にある大きなディスプレイに、数字のようなもの、グラフなようなもの、青色、赤色、様々な値が映し出された。
僕にはまったくそのディスプレイに表示されたものが何を意味するものなのか、さっぱりわからなかったが、助手が僕の横でその情報を見て、小さな声で「えっ」って言ったのを僕は聞き逃さなかった。
助手は少し慌てた様子で、銀色のボックスの近くのパソコンをカチカチしていた博士にヒソヒソと何かを報告していた。
「博士の仮説だと、この値の意味するのは……」
「うむ、もしかすると……」
そういうと博士はカタカタとキーボードで何かを打ち込み始めた。
助手は慌てて別の機材の準備を始めた。
僕はその少し張り詰めた雰囲気で、何かあったんだなと感じた。
心配になってきた僕は口を開く。
「あの、何かまずいことでも……?」
僕の問いかけに助手がピタッとその手を止めたのが、ヘッドギアの色付きのシールド越しでもわかった。
ディスプレイの光でうっすら透けた視界の先に見える助手は、博士に視線を飛ばして、どうしましょうと目で訴えかけていたようだった。
「ああ、キミは心配することはない。ただ、想定外の結果が出てしまったので、今機材の不備が無いかを点検中なんだ」
「想定外……?」
「うーん、なんと言っていいものか……しかしこの値は……」
「大丈夫です。僕はそもそも、この死者の国に来たこと自体、普通じゃありえないことなんですから、そんなちょっとやそっとじゃ驚きませんよ」
「うん。そうか……ただ詳細は、機材の不備がないかの点検を済ませた後、もう一度スキャニングをした結果を見てからでもいいかな?」
「ええ、大丈夫ですよ」
「そこのサビ柄のキミ、少し信号の周波数を変えてみようか」
「はい、2Hzだけ調整してみます」
博士はディスプレイに表示される値を見ては指示を出し、その指示を受けた助手はいくつかの機材のつまみを上げたり下げたりして何かを調整していた。
僕はその様子を、ただただボーっと見ているだけだった。
「よし、準備は出来た。不備もなさそうだ。また少し気分が悪くなるかもしれないが、我慢をしてくれ」
「わかりました」
僕がそう言うと、博士は再びディスプレイの中に表示されている『Scanning』というボタンをクリックした。
ブツッ……ブツッ……
……ィィィィィィィィィィ…………ン……
正面にある大きなディスプレイが映し出している値が、たった今スキャニングされた値に更新されたようだ。
その値を見て、まず助手が静かに博士に報告する。
「博士……この値は」
「うん……やはり間違いないな」
助手が所見を言うまでもなく、博士は何かを確信したようだった。
すると僕が被っているヘッドギアを、助手が外してくれた。
視界がクリアになったところで、博士は僕の正面の椅子に座り、僕の眼を見てこう言った。
「結論から言おう――」
僕はごくりと唾を飲み込んだ。
博士は続ける。
「キミの所持している不幸チケットは――もう限りなくゼロに等しい」




