第5話 死神の仕事
「その黒猫、もしかすると死神のやつかもしれん」
探偵のようなそぶりで猫の紳士は言った。
「死神って、あの恐ろしい死神のこと? 大きな鎌も持っていなかったし、どう見ても愛らしい黒猫だったんだけど……」
猫の紳士は不審な顔をしてうーんと考え込んでいる。
死神と言えば――黒いボロ切れのような大きな布を纏い、死を知り尽くしたような髑髏の顔、その手には人の首を鮮やかに切り落とさんばかりの大きな鎌という――というイメージだ。
「死神ってさ、死期が近いとお迎えに来るって言わない? 別にそれなら特におかしなことはない気がするけど……。訪れた死神がまさか黒猫というのはとても驚きだったけどもね」
「死神たちの仕事はだな、現世へ生まれ出た生命の全てを観察しつつ、定められた運命に則って期間満了を迎えた生命を死後速やかに摘み取り、回収するのが仕事なんだ。彼らはあらゆる生命の寿命や死期を観測して、自然の摂理において異常がないかを管理しているんだ」
僕にはよく分からない話だったが、猫の紳士の言う死神の仕事は、生命という種が蒔かれた後、生命のろうそくの火が消える頃までの成長をじっくり見守って、運命で定められたその死期に、まるで稲を刈り取るように命を収穫するのだという。
死神という名からは似つかわしくない、まるで美味しいきゅうりやトマトを育てていた祖母みたいだなと、農夫のイメージでいっぱいになった。
僕は車に跳ねられて死んだというあっけない死にざまだった。
死の美学と言われる美しい死に方や趣向にこだわりはなかったが、まさしく死の達人であろう死神という存在からしてみると、僕は実に不味そうな野菜だなと嘆いたことだろう。
猫の紳士は深刻な顔をして僕に言った。
「死神は本来、死期の迫った者が死に至った後にしかその姿を見せないはずなのだ……。ましてや死神自身がヒトの運命に直接関与し、死に至らしめる原因になるとは言語道断である」
言われてみると僕の死は、自殺と言えば自殺だろう……、しかし奇しくもその時その瞬間の僕からすると決して意図した結果ではないので、事故といえば事故なのだ……。
「つまり、僕はその死神に殺されたってことなの?」
僕の発言に対して、猫の紳士は、まさに! と言わんばかりにひげぶくろをぶるんと震わせ頷き答えた。
「生と死を観測し管理する役を担っている立場である彼らにとって、その行為は懲罰ものの禁止事項であり、あくまでも公正公平に運命の定めに則って自然な流れで命の収穫を執り行わなければならぬ存在なのだ」
「うーん、とにかく僕は不自然な形で死神に殺されたってことなのか?」
「――いかにも。何やらキナ臭くなってきた。不正のにおいがする……」
僕には猫の臭いしかしなかったが、猫の紳士はまるで尻尾をつかんでやったと言わんばかりのしたり顔になっていた。
その話の重大さを僕は何が何だかよく理解出来ないまま、未だに死んだという事にもあまり実感出来ずにいた。
それはきっと、死の直前の感覚というのはもっと、苦しくて辛くて悲しくて痛々しく、気が狂うほどのものだと想像していたからだ。
自殺未遂で経験したあの感覚はもしかすると、本物の死よりも辛いものだったのかもしれない。
自らの手首を切り、赤い血液が流れ出るのをじっと見つめ、体の水分が抜けて萎んでいくような感覚と次第に力が入らなくなる不安感。
天井のフックにベルトを垂らし決死の想いで首を吊り、体が硬直し意識が薄れゆくさなか、無情にも荷重に耐え切れなくなったフックが僕のその想いと共にポキリと折れて、未遂に終わってしまった後の虚脱感。
自らの手で死というまだ未知の暗闇に堕ちそうになる瞬間の、気が狂いそうなほどの虚無感。
まるで自分の心のやわらかい部分を、錆びた釘でガリガリと刻むような後悔にも似たあの苦々しい感覚に比べると、本当の死はあまりにも呆気なく、苦しさや痛みなどが微塵もなく一瞬の出来事だった。
むしろ僕は、死の直前に見た死神とは到底思えない愛らしい黒い猫の、美しい澄んだラムネ色の眼がとても印象的で、そのガラス玉のような瞳を思い出していたのだった。